ちくま哲学の森 1 生きる技術 (ちくま哲学の森 1)

  • 筑摩書房
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (420ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480428615

作品紹介・あらすじ

負けてくやしがるばかりでは身が持たぬ。「哲学」の狭いワク組みにとらわれることなく、あらゆるジャンルの中からとっておきの文章を厳選したアンソロジー集。

感想・レビュー・書評

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  • 古今東西、落語家から哲学者まで、様々な人の「生きる」ことへの姿勢を垣間見られる。

    基本的に、すべて隠喩的であり、それぞれを別個の本として読んだら、そこに「生きる」というキーワードの連環を感じることはないだろう。そこに鶴見俊輔さん他編纂者の巧さを感じる。


    感想に変えて、ちょっとチェスタトンの一文を拝借。


    『詩人はただ天空のなかに頭を入れようとする。
    ところが、論理家は、自分の頭の中に天空を入れようとする。
    張り裂けるのが頭の方であることは言うまでもない。』

    良書です。

  • 石原吉郎さんの「ある〈共生〉の経験から」にジンときた。

  • 生きざまそれぞれだ。結局、生きる方法だとか技術なんて、誰も人に教えようがないのだ。それはそれぞれが生きていく中で、運が良ければ、見つかるのかもしれない。

    『道ができている場所では』タゴール
    『空気草履』古今亭志ん生
    『大寅道具ばなし』斉藤隆介
    『新橋の狸先生』森金先三
    『ハリー』サローヤン
    『饒舌について』プルタルコス
    『結婚生活十則』サーバー
    『ある「共生」の経験から』石原吉郎
    『権利のための闘争』イェーリング
    『レッスルする世界』ロラン・バルト
    『ニコマコス倫理学』アリストテレス
    『みずから考えること』ショーペンハウアー
    『気ちがい病院からの出発』チェスタトン
    『ケニヤ山のふもと』ケニヤッタ
    『サーメの暮らし』ユーハン・トゥリ

  • 時間をかけてのんびり読みたい一冊。
    急いでは読めないいろんな人との出会い。
    ひっかかるものがあれば程度だけど。

  • 20121111 いろいろな考え方がある。タイトルから意味を追うしかなかったが普段読まない作者を楽しめた。

  • ますは引用をいくつか。

    ・空気草履/古今亭志ん生
    人間てえものは、くだらないところで、つまらん意地をはって、身を滅ぼしてしまう。だから落語を聞きに来るような人はたとてい出世がはやい。しらずしらずのうちに世渡りのコツがわかってくる。
    頭を使うところ。客の相を知る。はなに何か言って、探りを入れて見る。

    ・みずから考えること/ショーペンハウアー
    人はただ知っていることだけを熟考してみることができる
    考えることは本来、そうそう意のままにならない
    読書は、精神がその瞬間に持っている方向や気分にとって縁遠い思想を強制的に精神に押し付ける。全面的強制。
    之に反して自ら考える場合は精神はおのずから沸き起こる。
    あまりに多くの書物を読むと精神の弾力性を損なう
    直接に世界を読んだ人、天才。
    読書から得た他人の思想は他人の食物の残滓。
    守護神に導かれる人は、羅針盤をもつ。
    人はただ自分の思想が停滞した時にのみ、読書をするようにせねばならない。
    自分自身の原動力たる思想を追い払って書物を手にとるのは、神聖な精神に対する冒瀆。
    おまえがおまえの先祖から受け継いだものを。おまえのものとするには、さらにそれを獲得せにゃならん。
    みずから考える人は、自分の考えに対する権威者の証言を、後日になってから初めて悟る。
    みずから考える人は、外界が思索する精神を受胎させ、この精神がそのあとにこれを懐妊し、分娩してできたのだから、生きて生まれた人間と同じ。
    考えることは意志に従属しないこと。くるのを待たねばなりません。
    無理やりに考えようとしないで、考えようとする気分がおのずから生ずるのを待たねばならない。このくりかえし、ゆるゆると進むなりゆき、それは決心の成熟。

    随想録/モンテーニュ
    断定とがんこは、ばかの証拠。
    自分が率直に断定されるのを聞くには、きわめてつよい耳を持たねばならぬ。

    以上三作品より、抜粋。
    特に感銘を受けたショーペンハウアーのみずから考えることに関しての要約を少し。

    思索とは外界からの触発により、精神に宿る、自然発生的な赤子である。
    つまり初めに体感なのである。
    現実世界という外界における体感が、
    名も知らぬ精神を内界に宿らせ、
    われわれは、受胎する。懐妊させる。悩むという作業を踏むことによって。
    意図せず留まり、記憶を強制される言葉。
    それはあたかも受胎を待ちわびる卵のようなものである。
    待ちわびているのだ。
    過去の人間が体感し懐妊し言葉としたそれを、
    精神が体感する日を。
    受胎し、懐妊され、再び言葉とされる日を。
    遺伝子はすべてを知っているのである。
    すでに遺伝子が知っているそれを、
    獲得すること。
    それこそが生きることの情熱を担保する条件なのではなかろうか。

    停滞時に、精神を奮い立たせる機縁としての読書
    すでに知っていることを、「知る」読書。

    前者は他者への変容であり、
    後者は自己把握である。

    おそらく自己把握を終えた時、人間は自己の限界を目撃し、他者を求めに外界をさまよいにいくのであろう。

    啓蒙や教育に言葉が大いに関わるということ、その要因を最後に列記するとすれば

    自己の現在点を目撃できるということが一点。経験知の整理、現状把握である。限界の知覚である。

    そして、外界への関与の仕方に関して、羅針となる精神や意志を「知覚」させることが出来るということ。

    その方法に関しては今後思索の必要ありと記し、結びとする。

    以下はその半年後に読んだ際の引用。

    読んでいるばかりで読まれることはなかった
    人はただ自分の思想の源泉が停滞した時のみ、読書をするようにせねばならない
    自ら考えるための機縁と気分は書を読むよりも、現実世界を観る場合に比較にならぬほど、ずっとしばしば現れる

    考える機縁というのは、おそらく規制の規範の解除と、新たな盲目性の獲得というところに、その源があるとして間違いないと感じる。それは思想の停滞とも名づけられるものではなかろうか。

  • この手のものは評価をするのが難しい。石原吉郎やジブラーンなど既読のものもあれば、ロラン・バルトがプロレスについて書いたものなんて初めて読んだ。長い間、鞄に入っていたけどやっと読了。抄録を読んで「老子」をじっくり読んでみたくなった。

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著者プロフィール

922−2015年。哲学者。1942年、ハーヴァード大学哲学科卒。46年、丸山眞男らと「思想の科学」を創刊。65年、小田実らとベ平連を結成。2004年、大江健三郎らと「九条の会」呼びかけ人となる。著書に『アメリカ哲学』『限界芸術論』『アメノウズメ伝』などのほか、エッセイ、共著など多数。『鶴見俊輔集』全17巻もある。

「2022年 『期待と回想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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