ラピスラズリ (ちくま文庫 や 43-1)

著者 :
  • 筑摩書房
3.66
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本棚登録 : 1611
感想 : 111
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480429018

作品紹介・あらすじ

冬のあいだ眠り続ける宿命を持つ"冬眠者"たち。ある冬の日、一人眠りから覚めてしまった少女が出会ったのは、「定め」を忘れたゴーストで-『閑日』/秋、冬眠者の冬の館の棟開きの日。人形を届けにきた荷運びと使用人、冬眠者、ゴーストが絡み合い、引き起こされた騒動の顛末-『竃の秋』/イメージが紡ぐ、冬眠者と人形と、春の目覚めの物語。不世出の幻想小説家が、20年の沈黙を破り発表した連作長篇小説。

感想・レビュー・書評

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  • 千野帽子さんの解説を読むまで迷路に迷い込んだような気持ちでいた。中世の冬眠者が存在するディストピア小説だと感じていたが、自分の集中力が欠如して、誰の言葉なのか?どこにいるのか?場面が違うのか?と自問して迷子になることが頻繁に起こった。
    不思議な世界観。読者を迷路に導く構成。独特な言葉選び。闇へ、冬へ、死へと誘う小説から聖フランチェスコの再生へと。記憶に残る不思議な小説だった。

  • 稀少石のきらめきを思わせる硬質な文章。薔薇窓のように装飾的な舞台装置。山尾悠子の小説を読むのは、ゴシック様式の大聖堂の内部を探索するのに似ている。緻密で入り組んだ構造は、一度で全体像を把握するのを困難にしている。暗がりには冷気が漂い、陰気な亡霊の棲まう気配まで感じるようだ。それだけに、天窓から太陽の光が降りそそぐ時、来訪者は天上の光を仰ぎ見るような感覚にうち震えることになる。

    『ラピスラズリ』は、冬になると眠りにつく習性を持つ〈冬眠者〉をめぐる5つの物語である。物語の舞台は、深夜の画廊、中世西欧のシャトー、未来の日本の片田舎、13世紀のイタリアなど、場所も時代もまちまちだ。それぞれの話は微妙につながっているが、説明が極端に少なく、しかも不意に途切れてしまったりするので、読者は想像力をフルに働かせて行間を補わなければならない。そういう作業が苦にならない人しか読破できないが、一度読破したら麻薬のように中毒になる、そういうタイプの作品だ。

    *「銅版」/深夜の画廊を訪れた〈私〉は3枚の銅版画に見入っている。絵のタイトルは〈人形狂いの奥方への使い〉〈冬寝室〉〈使用人の反乱〉という。店主の説明を聞きながら、〈私〉は幼いころ母と訪れた画廊で見た別の銅版画のことを思い出す。そのタイトルは〈痘瘡神〉〈冬の花火〉〈幼いラウダーテと姉〉というのだった。

    *「閑日」/――これがおまえたちが知ろうとしない〈冬〉なんだよ。大晦日の雪の日、主人の〈冬眠者〉一族が眠るシャトーに向って少年は叫んだ。一方、冬眠の途中で目覚めた少女ラウダーテは夜を彷徨う一人の亡霊と出会う。

    *「竈の秋」/シャトーでは冬の棟開きが目前に控えていたが、今年は例年になく不穏な気配があった。何百体ものビスクドール、痘瘡の予兆、シャトー差し押さえのための使者。そんな中、成長したラウダーテは別の亡霊と出会う。ラウダーテの弟トビアは病弱な体に倦み疲れ、輪廻転生を夢見ながら眠りにつく。

    *「トビアス」/文明が衰退して数世紀たった日本で、冬眠者の少女は自分の来し方を回想する。いなくなった母、春を待たずに死んでしまった犬のことなど…。

    *「青金石」/1224年、アッシジ近郊。死期の近づいた聖フランチェスコのもとに一人の青年が訪れる。冬になると眠ってしまう体質のせいで結婚できず、家族を持つことを望めない青年は、懺悔の後で不思議な体験談を語る。瑠璃色の光に包まれて、春の天使が降臨してきた奇蹟のことを。

    「閑日」と「竈の秋」の2篇が物語としてまとまっており、分量からいってもこの2つが本書の中核であることは疑いない。しかし最後の「青金石」を読んで私ははっとした。筋らしい筋はなく、純粋なイメージと言葉だけで紡がれた物語。眠りの底から這い出る際の不快感と、その苦痛を打ち消して余りある目覚めの朝の素晴らしさ。〈冬眠者〉の長い物語が必要だった理由に、ここにきて初めて思い到る。冬眠だけではなく、そのあとに続く〈春の目覚め〉までが主題だったのだ、と。『ラピスラズリ』は、限りなく死に近い仮死のあとに訪れる復活の恩寵を描いた作品ではないだろうか。

    そしてそれは、20年の休眠期間を経て執筆活動を再開した、作者自身の心境にも重なるところがあるのかもしれない。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      佐藤史緒さん
      後から出る文庫は、オマケが付いたりするので、それも期待しています!
      佐藤史緒さん
      後から出る文庫は、オマケが付いたりするので、それも期待しています!
      2020/09/20
    • 佐藤史緒さん
      猫丸さん、
      あっ、おまけ、そういえばついてますね!楽しみですー♡
      猫丸さん、
      あっ、おまけ、そういえばついてますね!楽しみですー♡
      2020/09/22
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      佐藤史緒さん
      勝手なコト書きましたが、ボーナス・トラック(本の場合には使わない?)あると良いなぁ〜
      佐藤史緒さん
      勝手なコト書きましたが、ボーナス・トラック(本の場合には使わない?)あると良いなぁ〜
      2020/09/23
  • 幻想小説というらしい。全体を通して、本当に幻想を見ているような雰囲気。美しい絵を見ていて、いつの間にかその絵の中に自分が入り込んでしまったような感じ。その絵の中でふわふわ漂っている。
    冬眠者という、冬に冬眠する一族とゴースト、使用人達…どこからが本当でどこからが幻か分からなくなる。不思議な感覚。
    最後のアッシジの聖フランシスコと冬眠者の話が特に良かった。

  • 作者という幻視者にしか見えない幻想が、読者の想像力をもって読者だけの姿で浮かび上がるという読書の快感。現実を喪失させる嬉しさを存分に味わうことができる。
    それこそ小説という媒体、映像のような実像ではない、文章が導く言語化できない幻想の世界がこの本にはある。
    極端に言えばそれを味わうことができれば満足できて、考察とか解説とか、この本には必要ないとすら思っている。

  • 山尾悠子が2003年に発表した2作目の書き下ろし長編小説の文庫版。旅の途中、深夜に訪れた画廊で見かけた銅版画から始まる物語です。極限までそぎ落とした文章で、おいそれと簡単には物語に近づくことのできません。じっくりと考えながら咀嚼して味わうことを要求されます。日本にも、こんなに素晴らしい幻想文学が存在するのかと驚きました。

  • 「山尾悠子はいいぞいいぞ」と周囲から言われつつ、遠巻きにしていた。幻想文学好きには美しい函装の単行本版が必須アイテム(らしい)なのだが、今回は文庫版で。

    ギャラリーに展示された3枚の絵をキーに進む短編集だが、大きくいって「冬の眠り」をテーマにした短編集だと思う。春に穏やかな目覚めが約束されているかというとそうではなく、ひょっとしたらそこから目覚めないかもしれないし、その眠りをサポートするために眠らない人間もいる…と書きつつも、それは朦朧とした世界と筆致で作り上げられているので、自分が読みとったものが「本当にそういう世界」かというと、明言はできない。イラストを付けるとしても、イメージイラストは付けられるが、明確な舞台描写はできないと思う。解説で千野帽子さんがおっしゃるように、「小説は言葉で構築されたものであるということをその小説自体で教えてくれた作家」の作品。自分の言葉を読む力を総動員して楽しむ作品で、安易にキャラクタライズできないところが優美で美しい作品だと思う。これを萌えやらイケメンイラストを随所にちりばめて売り出すなんてことが起きたら、売る側と買う側の神経を本気で疑う。

    個人的には「銅板」の感触が好きだが(この1編ですぱっと完結してもいいような)、「閑日」→「竈の秋」はドラマチック。読みながらアンナ・カヴァン『氷』と、ポー『アッシャー家の崩壊』を思い出した。

    単行本から全面的に手が入れられているとのことで、読み比べ必須。

  • 格別敬遠していたわけではないが、
    この年になってやっと山尾悠子を読む気になった。
    が、遅すぎはしなかった――というより、
    人それぞれ、物事には適切なタイミングがあって、
    自分にもやっと、そのときが巡ってきたのだと思った。

    冒頭の語り手が深夜営業の画廊で銅版画の連作を目にし、
    イメージを膨らませていると、店主がそれらの絵解きをする。
    後の物語で、
    その銅版画のモチーフになったと思しい事件が叙述されるが、
    それらの物語が連続・連結しているとは限らない。
    ただ、某かの関連を持つことは窺えて、
    連屏風を眺めるような印象を受ける。
    もしくは物語同士が少し遠い血縁でもあるかのような。

    広大な屋敷には、
    冬眠する貴族と、彼らを世話する使用人たちの他に、
    亡くなって幽霊となった
    「ゴースト」と呼ばれる者が徘徊している。
    建物内の人間に招かれなければ入室できないというゴーストは、
    ひょっとして吸血鬼なのかと、チラと思ったが、
    読み進めると、
    長い眠りを貪って若さと美しさを維持する住人たちの方が
    よほど吸血鬼じみていると思えてくる。
    使用人たちが季節ごとのルーティン・ワークをこなして
    屋敷の秩序を維持する様は、
    まさに「種まきと刈り入れのメタファー」【※】であり
    「新年を迎えるための通過(パッサージュ)」【※】
    なのではあるまいか。

    【※】高山宏『殺す・集める・読む』
      「テクストの勝利~吸血鬼ドラキュラの世紀末」より引用。

  • 美しい文章で綴られる幻想的なお話。冒頭の「銅版」の話がいい。深夜営業している画廊という時点で現実離れしている。冬寝室と名付けられた銅版の絵のルーツを推測していく件に魅せられる。
    その後のエピソードはぼんやりと読んでしまったので、ぼんやりとした印象しかない。

  • 循環する物語。冬は生き物が静まる季節。しかし、やがて春が来る。夜になると、人は眠る。しかし、やがて朝を迎える。人も犬も、生きて死ぬ。しかし、やがて新たな生命が産まれる。死も夜も冬も永遠ではなく、いつか明けていく。眠りについた者たちの思いとともに、明日を生きよう。

  •  2003年刊。
     初めて読む作家の、連作短編集だが、とても不思議な作家・不思議な作品だった。非常に寡作な作家であるらしく、知る人ぞ知る作家、といった存在なのであろうか。3つの賞を同時に受賞した『飛ぶ孔雀』なる2018年の作品があるようだ。本作自体、20年の沈黙を破って、と書いてあり、本当にもの凄く寡作だ。それにしても本書は評価が難しい。
     幻想小説ということで、ファンタジックな設定に基づいているのだが、一般的なファンタジー小説のような、当たり前のわかりやすさは全然無い。全改行を乱発しカギ括弧の会話でストーリーを進めていくこんにちのエンタメ小説の流儀とは真逆のやり方で、8割ほどは地の文だし、会話らしいと思ったカギ括弧の連続の部分もよく読めば一人の人物が延々と喋っているだけだったりする。
     地の文は驚くほど文学的である。影響を受けているかどうかは知らないが、何と、古井由吉氏の文体を想起させる箇所もあった。文学的に高度な表現で詩的イメージを喚起させてゆくスタイルで、恐らくその面がこの作者の真骨頂であり、作品の価値を高めていると思われる。が、一応ストーリーは進行していく。特に長い「竈の秋」ではどんどん物語が進むのだが、これが非常に読みにくく、次々に視点となる人物が移り変わってゆく書き方も、妙に混乱させられる。この長い一編では登場人物が次々にたくさん登場するのだが、人物の大体の年齢に関して記述が無いため、イメージが掴めない。
     ストーリーテリングに関して、この作家はちょっと能力が低いのか、いや、そもそも、そのストーリー自体も、あまり意味のあるものでもないかもしれない。要するにこの作品が目指しているのはドビュッシー風なイメージの連鎖なのだろう。その意味では、巧みな部分が見られるものの、それならこんなに長く書く必要は無いような気がする。
     およそエンタメ界隈の読者には全く受けなさそうな小説で、むしろ芸術として理解するべきものと思うが、それにしてはメルヘンチックな設定が邪魔をしてそっち系の読者の注意を惹かなそうだ。ジャンルの面でのこうした曖昧さは、まるで私のワガママな音楽創作のようで、どっちつかずの領域にくすぶって結局ごく一部の受け手にしか評価されない、孤独な創作として閉じこもってしまうのである。
     この作品の評価は、私には難しく、読み始めて間もなく「これは凄くいいかも」と思ったものの、「竈の秋」の長さや分かりづらいストーリーテリングなどに接して、やはりどうもつまらないような気もした。

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著者プロフィール

山尾悠子(やまお・ゆうこ)
1955年、岡山県生まれ。75年に「仮面舞踏会」(『SFマガジン』早川書房)でデビュー。2018年『飛ぶ孔雀』で泉鏡花賞受賞・芸術選奨文部科学大臣・日本SF大賞を受賞。

「2021年 『須永朝彦小説選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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