僕のこころを病名で呼ばないで: 思春期外来から見えるもの (ちくま文庫 あ 43-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480429100

作品紹介・あらすじ

子どもや青年のこころの病気や障害への注目や関心は、彼らの症状や病名を見つける方に目を向けさせ、肝心の彼らのさまざまな思いや悩み、考えなど、こころの内面を見失わせてしまう。そして、彼らを孤立に追い込み、孤独に追いやってしまう。子どものあり方を、多様な個性や特徴として受けとめ、誇りをもって生きていくことを応援できないか、治療の現場で考える。

感想・レビュー・書評

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  • 本書に紹介されている、ミルトン・エリクソンは障害や病気の多い人だったが、自分自身の力で乗り越えた経験から、自分の中には回復する力があることを実感し、独自の精神療法を行った精神科医だ。エリクソンは患者にとって良いことを強化するという方針で治療するため、患者それぞれにアプローチの仕方が違った。だから最後まで自身の臨床を理論化せず亡くなるまで初心を持ち続けた人だった。この前向きさが、障害を財産だと言った言葉に現れている。著者はエリクソンと自身を重ね合わせ自身の考えを強くした。
    著者にも脊柱側弯という身体の問題があり、高校時代に大きな手術が必要だといわれた。その時に、医学的には病気というのかもしれないが、たとえ私を悩ませる問題ではあったとしても、その問題のある身体を自分で引き受けるかどうかということの方が重要だと考えた。手術によって何を得て、何を失うかを判断することが大事だと。著者のこの経験とエリクソンの生き方に力を得て、本書の主題がうまれた。

    健康と病気は同一線上にあり、両者の間に明瞭な境界がない。境界付近にはグレーゾーンが存在し、これが"「問題」ではあるが「病気」ではない"というゾーンだ。
    精神医学が発達し病気の知識が増えたことと精神科の敷居が低くなり精神科医にかかる人が多くなったことが、皮肉にもグレーゾーンを拡大したという。そして時代がグレーゾーンを病気としてとらえていく方向に進んでいるように思えると著者はいう。

    精神疾患に病名をつけることのメリットは、病名をつけることで自己の責任ではないということがわかり、病気に対して距離をとれるようになる。それまで自分でもよくわからなかった苦痛が、治療されるものとしてとらえることで変化の可能性を与える。
    しかし一方で病名をつけることへのデメリットの方が大きいことを著者は危惧する。こどもが病気の治療のために病院に通院するようになると、周囲の人からは病気を持っている子としてとらえられ、それは個人の問題だとみなされる。ところがこどものこころの病気は周囲の影響を強く受けていることが多く、社会的要因や家族的要因を軽視することにつながりやすい。また、こどもの問題が病気とみなされると診断や治療の対象としてしか見られなくなり、その改善は医師のみにゆだねられることになる。さらに悪いことには病気の子として見られることで、そのこどもそのものを見ることをおろそかにしてしまう。病名をつけることのメ
    リットとデメリットは疾患の種類やその人のとらえ方によっても違うが、人格障害(=パーソナリティ障害)のような疾患には注意を要する。外科的に治療するような病気であれば、治療は異物を切除すればよいというように病気との距離を保ちやすい。しかし、人格障害などになると病気と自己の距離が保てず、自分そのものが否定されているようにとらえる人が多い。

    医学的に治療の必要なこともあるが、人格障害はできる限り個性としてとらえた方がよいというのが著者の主張だ。グレーゾーンを病気ととらえるのではなく健康という範囲でとらえることで、医療の対象から社会が人を支える対象になる。
    人間には健康的な側面と病的な側面を併せ持つ存在としてとらえることで、人が人を支える社会を目指すことでもっと救われる人が多くなるだろう。

    ・居眠りのすすめ
    ・思春期の初めにはしばしばこどもは歴史や天文にのめりこむことの意味。
    (今まさに歴史少年がウチにいる)
    ・こどもを見る視点。こどもを月に例える。時代や文化で見方が変わる。
    ・こどもには3つの居場所が大事。
    1家族を感じる場所 2自分を感じる場所 3仲間を感じる場所。
    (親としては隠し事や親の目の届かないところで何をしているかわからないという不安はあっても、巣立つ準備なんだと思って、親の役目はこどもが戻ってくる基地を維持することなんだと思おう。)
    ・ケータイは、不便であったからこそ養われていた「孤独」と「待つ」を減らしてしまった。

  • 493.93

  •  この手の本の作りは大抵決まっている。筆者の臨床経験のなかから印象に残る「患者」たちを取り上げ、それらを帰納的に考えることで、問題の在り処を示そうとする。本書もそういった「お約束」に大きく外れない。しかし、他の本とはちょっと違う。青木さんはそこで示した話を、さらに抽象化して物事を論じようと試みるのである。
     本書はタイトルからもわかるとおり、心療内科や精神科といったフィールドの話がメインとなっている。ところが、気づくと本書の記述は「環境問題」や「歴史意識」、「民主主義」などに話が及んでいるのだ。
     こういった論の展開を大げさなものだと一蹴することもできよう。しかし、このような展開をする本はなかなか見ない。そこから考えれば、「オンリーワン」な一冊と言える。ならば、自ずと本書に価値があるということができるはずだ。


    【目次】
    第1章 居眠りの効用
    第2章 子どもたちは変わったのか
    第3章 思春期という危機
    第4章 この子は病気?
    第5章 親という幻想
    第6章 居場所探し
    第7章 ネット上の居場所
    第8章 ミルトン・エリクソンへの旅
    第9章 病名で呼ばないで
    第10章 支えること
    おわりに
    文庫版のあとがき
    参考文献
    解説 診断することの無念を抱えて(山登敬之)

  • 青年への眼差しが本当に温かい。思春期,青年期のクライエントに会っていくうえで,本当に大切なことがたくさん書いている。繰り返し読みたい本。

  • 青木先生のあたたかい視点の持ち方に励まされ、同時に、大人としてどうかかわるべきかについては背筋がすっと伸びる思いがしました。

    自分が支援で心がけていることは間違っていなかったのだなぁと、ほっと胸を撫で下ろすことができました。

    そのクライエントのよりよい未来のために自分ができることは何かをとことん考え抜くこと。

    技法や知識に惑わされることなく、「基本」を大切にこれからも実践を重ねていこうと思いました。

  • 何でもかんでも病名を付けるということに対する漠然とした不安感を持っていたが、本書を読んでその不安は確信に変わった。

    病気であるということが、本人にとってプラスに働くことはもちろんある。しかし、病名をつけることが、ある種の免罪符となったり、教育に携わる者の責任回避に使われてしまうのは避けなければならない。いま求められているのは、健康でも病気でもない人(グレーゾーンにいる人)を医療・教育・社会・福祉といった分野で包括的に支援していく必要がある、という著者の主張には大変納得できる。

    僕たちは忘れてしまいがちだ。
    100%健康な人も、100%病気の人もこの世界にはいない。健康と病気の間は断絶があるのではなく、滑らかにつながっているのだという当たり前のことを。

    だからこそ、僕たちは耳を傾け、問い直さなければならない。「僕のこころを病名で呼ばないで」と叫んでいる子どもたちがいないかどうか、「病人」にしてしまうことが本当にその人のためになるのかどうかを。

  • 個性が人格障害と呼ばれると大きな変化が起きる。
    人生に悩みと苦しみは必然である。

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著者プロフィール

公益財団法人慈圭会精神医学研究所所長・川崎医科大学名誉教授

「2020年 『こころの科学215』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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