ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.81
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本棚登録 : 342
レビュー : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480429902

作品紹介・あらすじ

ひとは服なしでは生きられない。流行に巻き込まれずに生きることもできない。流行(モード)という社会の時間と身体の感覚とがせめぎあうその場所で、"わたし"という存在が整形されてゆくのだ。ファッションやモードを素材として、アイデンティティや自分らしさの問題を現象学的視線から分析する。独自の哲学的なモード批評を切り拓いた著者による、ファッション学のスタンダードテキスト。

感想・レビュー・書評

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  • 久々の鷲田清一、その難解さを読み解くのに前提知識が足りず、消化不良気味である…
    タイトルの通り、人が纏う「服」や「化粧」について何故?を問うた本。
    「ランウェイで笑って」を読んで、服について知りたくなったので手に取った。
    人は最も重要な顔を含め、かなり広範囲で自分が見えない。自分で見えないものの上に、着飾るのはどのような意味があるのかを掘り下げていく。
    多方面からの分析が続くので総括しにくいのだけど、自分で着る服を選んだり、ピアスを開けたりする事で、これまでのアイデンティティを脱ぎ捨て、在らなければいけなかった今日は区間からの脱却。人が服を選ぶのではなく、着た服に人がフィットする。とかの話は納得感が大きかった。

  • 著者がさまざまな機会に発表したファッションについてのエッセイを収録している本です。

    ファッションは、個人性と社会性が交差する場所だと著者はいいます。われわれは、イメージとしての自分自身を他者に発信するために服装や化粧に工夫を凝らし、また他者が私に対していだくイメージを受け入れながらセルフ・イメージをかたちづくっていきます。記号論は、こうした観点からファッションを論じるために適した装置を提供しているということができるでしょう。

    著者もまた、記号論的な分析を手法の一つとして取り入れてはいます。しかしそれ以上に、皮膚感覚のようなもっともプリミティヴな場面に密着しながら、そこにたたみ込まれている個人性と社会性との交錯をひろいあげていくような記述のしかたが、本書の特徴になっています。良くも悪くも、著者のこうした叙述はほとんど名人芸のようなものだという気がします。

    また本書では、世界を舞台に活躍した日本人デザイナーについての批評も含まれています。三宅一生の「一枚の布」というコンセプトには、他者に対する遮蔽膜だった衣服を他者への開口部へと変換するという意味があると著者は主張しています。また川久保玲のラディカリズムには、時代の感受性と自己意識を構成している「物語」を次々と脱ぎ捨てていく永久革命の意味が認められることになります。さらに山本耀司の作品に対する態度に、服を着るひとが他者に向けて「顔」を差し出したり他者の「顔」を迎え入れる行為を支える、いわば「衣服のホスピタリティ」と呼べるような仕事のありかたが見いだされています。

  • この本を読む上で一番大事なのは1998年に出版された本だということ。現代の価値観で読むといろいろと認識のズレを感じてしまうような気がした。
    面白かったのは三宅一生は「着る」とはどういうことかという探求から服をつくっているという話。ファッションに関する思想についてこれまで何も触れてこなかったけど、普段着てる服が実はだいぶ深いところから生まれているのかもしれないなと思うと、服に袖を通す気持ちも随分変わるような気がしました。

  • 穴=感覚器官を被うもの
    自分とは何かを考える鷲田哲学を 服の分野に応用したものだと感じた。 自分の姿を自分で見ることはできない。 名付けられるファッション  下着=インナー  化粧=メイクアップ  デザインされる肉体= 現代のダイエットのことか

    マネキンの項は読み応えあり

  • 第一部 ひとはなぜ服を着るのか
     気になる身体
     衣服という皮膚
     <わたし>の社会的な輪郭
     モード化する社会
     コスメティック――変身の技法
     ハイブリッドという現象
     一枚の布――三宅一生の仕事
     モードの永久革命
     からだが変わる
     テクスチュア感覚
     ファッション、メディア、アート
     衣服のホスピタリティ
    第二部 <衣>の現象学――服と顔と膚と
     顔の渇き
     もっと時間を、もっと虚構を。
     見えないファッション
     身体と匂いと記憶と
     からだは孔が空いている
     下着という装置
     マネキンという現象
     デザインされる肉体
     <モード>、モダンともう一つの形象
     スタイルの力
     モードのお勉強

  • 季節の変わり目や、出かける時には服装のことを考え、暇があればゾゾタウンなんか見てるもんだから、ふと服についていつもより深く考えることをしてみたいと思い読んでみた。

    比較的、平易な文章で書かれていると思うけど、やはり哲学的なアプローチになると難しく感じてしまうなあ。

    ココ・シャネルや川久保玲についての記述はとても興味深かったので、一度、体系的な歴史を調べてみたいと思った。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784480429902

  • 「衣服を触媒として、ひとはじぶん自身の身体的な存在と、まるではじめて出会ったひとと語らうかのように対話を始めます」(P89)など、何という哲学的な文章か!哲学者の観点から「衣服という皮膚」肌触りによる自分自身の認識、私たちの心情の変化を微細に表現している顔を無防備にさらすことの危険性、接触する初の環境である(そして自分自身のようでもある)下着、マネキンの持つ個性のなさという象徴性、人間の穴が持つ危険な意味合いなどを解き明かしていく。三宅一生、山本耀司、川久保玲らのファッションを語る深さにも圧倒される。そしてファッションのどこか底知れぬふまじめさ、まじめさへの告発!だから権威からは嫌われる。という説明は見事な喝破。(P241) 最後にこれからのお洒落の基本は「歓待(ホスピタリティ)」の気持ちで締めくくる。今ブームの「おもてなし」である、
    なお、寺山修司の化粧についてのすてきな文章としての引用が印象的。「一言でいってしまえば、私は化粧する女が好きです。そこには、虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。そしてまた化粧はゲームでもあります。顔をまっ白に塗りつぶした女には「たかが人生じゃないの」というほどの余裕も感じられます。」(さかさま恋愛講座・青女論より)

  • 身体と見せることと成長願望

  • 実は私たち人間は、
    自分の身体をよく知ってはいないようです。

    手や足やお腹などは、
    目で見えるのでどんな状態か分かりますが、
    顔はどうでしょう?
    背中は見えますか?
    髪形をきめていると思いますが、崩れてませんか?


    つまり私たち人間は、
    断片的な印象のデータをまとめ上げ、
    イメージとして
    自分の身体を認識しているにすぎないというのです。

    http://www.tv-aichi.co.jp/bp/wadatti/?p=8960

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著者プロフィール

1949年京都生まれ。お寺と花街の近くに生まれ、丸刈りの修行僧たちと、艶やかな身なりをした舞妓さんたちとに身近に接し、華麗と質素が反転する様を感じながら育つ。大学に入り、哲学の《二重性》や《両義性》に引き込まれ、哲学の道へ。医療や介護、教育の現場に哲学の思考をつなぐ「臨床哲学」を提唱・探求する、二枚腰で考える哲学者。2007~2011年大阪大学総長。2015~2019年京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。せんだいメディアテーク館長、サントリー文化財団副理事長。朝日新聞「折々のことば」執筆者。
おもな著書に、『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫、サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(ちくま学芸文庫、桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、読売文学賞)、『くじけそうな時の臨床哲学クリニック』
(ちくま学芸文庫)、『岐路の前にいる君たちに』(朝日出版社)。

「2020年 『二枚腰のすすめ 鷲田清一の人生案内』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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