ひきこもりはなぜ「治る」のか?: 精神分析的アプローチ (ちくま文庫 さ 29-4)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480429957

作品紹介・あらすじ

「ひきこもり」の治療や支援は、どのような考えに基づいて行われているのだろうか。その研究の第一人者である著者が、ラカン、コフート、クライン、ビオンの精神分析家の理論を用いて、「ひきこもり」の若者かたちの精神病理をわかりやすく解説する。なぜ、彼らはひきこもるのか?家族はどのように対応すればよいのか?「ひきこもり」に対する新たな視点が得られる。

感想・レビュー・書評

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  • 非常に参考になる部分が多かった。今まで、やってはいけないことをたくさんやっていたなと。
    昨年、わたし自身がカウンセリングに少し通って「傾聴」を学んだのはよかった。今は少しいいほうに向いているけど、停滞もしている。

    ・ひきこもりの人は自信がないのにプライドが高い。いや、自信がもてないからこそプライドにしがみつく。
    ・一見傲慢にみえるけど、彼らくらい自分に否定的な人はない。
    ・自前の理想を持てずにいる。
    ・両親からの承認は他者からの承認としては弱い。
    ・相手の人格やさまざまな機能のコピーを自分のなかに作っていって、それを利用しながらより安定した自己の構造を組み上げていく。
    ・目につくところに求人誌や病院のパンフを置くなどということはトラップ。陰謀と同じ。
    ・ルール、交渉、将来設計。
    ・促し方:ほどほどの距離感。神さまにお願いをするように。座敷童だと思って。
    ・カウンセリングは必ずしもよいわけではない。
    ・治療者がカリスマになってはいけない。治療美談を求めない。
    ・短所を長所とみる。「ひきこもり能力が高い」非常に我慢強い。

    もうひとつ、さらに実践的な本も読んでみよう。

  • ・影響を与えられないことを気にせず、影響を与えられることに注力する。やがて影響を与えられる範囲は広がり、関心があるだけだったことにも影響を与えられるようになる。そんな態度が大切なのだ思いました。

     人は誰しも、生きていくうえで「自己愛」を必要とします…「自分は自分である」という当たり前の感覚、これが自己愛です。行動や考えの出発点に「自分」があること、これも自己愛です…他者への愛情も、思いやりも、犠牲的精神も、その出発点はすべて自己愛です……。

     最近わかったことですが、私は結構ひとみしりです。好きな人と嫌いな人とのギャップが激しいのです。好きな人は、自分の自己愛を満たしてくれる人です。自信を与え、プライドを支えてくれる人です。嫌いな人は、根拠を感じない自信を持ち、プライドのために人を利用する人です。

     第三者の介入が有効で、その第三者は、犬や猫、はたまた、フェアなルールでも良いとのこと……。そういわれてみると、我が家のベルや縞子も、家族の自己愛を満たす存在として、大きな役割を担っているような感じもします。

     スティーブン・コヴィー博士の『7つの習慣』の中に、「関心の輪と影響の輪」という話があるのですが、関心はあるが、影響を与えられないことに関与するより、影響を与えられることに注力することで、やがて影響を与えられる範囲が広がり、関心があるだけだったことにも影響を与えられるようになる。そんな態度が大切なのだ思いました。

  • 著者のまえがきによると、これまでのひきこもり関連の自著では実践的な内容が主だったのでこの本では根本的な理論の部分について書いた、とのことですが、実際はラカン、コフート、クラインら著名人の理論がざっくりと紹介されているだけで、ひきこもりに対する著者自身の考えはあまり書かれていない点が残念でした。現代の精神科医でフロイトやクラインのようなビッグネームの影響を受けていない人はいないとは思いますが、それでも物足りなさを感じました。

    また、本書も『社会的ひきこもり』も、ひきこもりの家族や治療者へのアドバイスが主な内容になっており、ひきこもり当事者の視点に立った内容はほとんど書かれていないので、当事者が読んでも得るものはあまりないと思います。
    数年前にNHKで見たひきこもりを扱ったドキュメンタリー番組で、斎藤氏の著書を読んだひきこもり当事者が自身の家族に「理解と協力」を求めるも無視される、という場面を見たことがあります。

    本書や『社会的ひきこもり』で述べられているのは、(ひきこもりの)家族が本人への共感を示して働きかけを行うことによってひきこもり状態を改善していこう、ということですが、そもそもそんな風に素直に子供と向き合うことができるような親のいる家庭だったなら、大した問題には発展していないのではないでしょうか。
    ひきこもりについての著書や手記など読んでて思うことですが、ひきこもりは本人の家族・家庭にどこかしらおかしなところがある場合が多いと感じます。(そして悲しいことに、今の日本社会ではそういう「病んだ家庭」は珍しくもない)
    しかし著者は家族や社会などのひきこもりの背景にある事柄についてはほとんど述べておらず、表層的な部分しか考察していないと感じました。

    また少し気になった点として、『社会的ひきこもり』でも同様の記述がありましたが「異性からの承認」が重要だという発言は単なる著者の価値観の押し付けでしょう。恋愛に価値を置くかどうかは人によりけりなのだから。

    ただ、上記のような気になる部分はありますが全体的にはまあ無難なことを述べていると思うし、ひきこもりという言葉がまだメジャーではなかったころから活動してきた方であり、ひきこもり問題の認知に貢献している点は評価したいです。
    しかし、パイオニアには偉大なパイオニアとそうでもない人がいますが、斎藤環氏は残念ながら後者ではないか、というのが正直な感想です。

    ひきこもりの考察なら、本書でもちらっと名前が出てきますが斎藤学(さとる)氏の方がはるかに鋭い事を述べていると思うのでそちらをお勧めします。

  • 名前は女性の様だが,おっさんだ~ひきこもりの相談相手をしている理論はラカンから拝借。欲望は他人の欲望だという名言から,人と接触することが事態を改善させる最良の方法だと気が付いて,グループワークを重視している。コフートの「野心」と「理想」もヒントになる。コフリートは三種類の「自己-対象」が必要だと考え,「鏡自己-対象」「理想化自己-対象」「双子自己-対象」の3つだ。クラインは恨み半分,感謝半分もよく理解できる。ビオンの集団は一つの実体をもった存在であり,単なるメンバーの心理的集合体ではないとの論も参考になる~確かに野心は下から突き上げてくるエネルギーで,理想は引っ張り上げるエネルギーだ。ラカンの「去勢」というイメージは掴みにくいなあ。彼は気に入ってるようだが。双極自己ってのも,もう少し丁寧に読めば解るんだろうけど,今は念入りに読む気力がない。母親と子の関係って大切だと言うことは解ったけどね。自分の事を精神科医だと言っているのはあとがきの一カ所だけで,本文では治療者と呼んでいる。確かに精神病ではないので,引きこもりの相談相手を務めるのは医者じゃなくて,カウンセラーだろう。文庫本用のあとがきで,一番キュートなひきこもり本と喜んでいる。キュートな名前だが,61年生まれのおっさんだ

  • 欧州の青年対策の上限が25歳なのに対し、日本は35歳。これは政府が成人年齢を35歳であると宣言したのと同じ。との事だが、自分も35歳成人説というのは結構いい線だなって気はする。が、35歳以上の引きこもり対策の方が厄介で重要なのかもしれない。現状は何の対策もないようだが。
    引きこもりとニートの違いは対人関係の有無。これはわかりやすい。ここから他者の重要性に論点が置かれる。
    ラカンの「欲望は他者の欲望である」というのはわかりにくいのだが、「他者と関わらなければ欲望もない」と逆に考えてるとちょっとわかりやすくなる。また他者がいないと義務と欲望の判別がつかなくなり動けなくなるというのは臨床経験ならではの見解という印象。要するに欲望の自覚のために他者に会えという事なんだが、これは引きこもりの解決手段であって、人間に欲望が必要なのか?というのは別問題なのだろう。
    コフートの「自信(理想自我)」と「プライド(自我理想)」、「理想」と「野心」の関係性・違いも面白い。親は子供に自信を与える事はできないというのは当然と言えば当然だ。双極自己の発達のために「適度な欲求不満」が必要との事だが、この適度のコントロールは中々難しいだろう。
    引きこもりは悪でも病気もない。が、親や本人が苦しむ場合がある。精神科医はその苦しみを取り除くために治療をする。でも、そもそも「なぜ苦しむのか?」の答えは本書にはない。この問題の追及は精神科医の仕事ではないのだろうけど。

  • ふむ

  • 対処法というよりは、前段階の考え方、理論の本。
    専門的で少し難しかった。

  • 私自身が会社を辞め、気づいたら1年以上ニートをしてしまい、ひきこもり能力上昇中だったので、タイトルが気になり読んでみました。

    理論的な所はイマイチよくわからない部分もしばしばありましたが、勉強になったり考えさせられる部分もあり面白かったです。

    元気になることを目指すってなんか良いなと思えたのと、対人関係を作っていくことが重要なんだなぁと改めて思いました。

    ひきこもりは神様のように扱いましょう。的なくだりのとこはちょっと笑ってしまった。

  • ひきこもりを精神分析的に解説するという点に興味を惹かれて手に取った。ラカン、コフート、クライン、ビオンと、精神分析の中でも異なる学派から多角的に説明がなされている。

    とくに、ラカンをベースにした二者関係から三者関係への移行の必要性とその方法、「欲望は他者の欲望」といった考え方は勉強になった。自身の欲望が生み出されるには他者が必要であることと、コフートの双子自己-対象の考え方に照らし合わせると、他者の存在がどれほど重要かがよくわかる。そこに漕ぎ着けるまでが、思いのほか大変なのだが…。

    目標は、元気=より良い状態になること。

  • 端的にいや治る。でなきゃいけなくなるから。リスペクトする人物はやいうちにみつけたじょうがいい。コンプレックスなんてださい時代。

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著者プロフィール

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。著書に『社会的ひきこもり』『生き延びるためのラカン』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』ほか多数。

「2023年 『みんなの宗教2世問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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