こちらあみ子 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.71
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本棚登録 : 7201
感想 : 657
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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480431820

作品紹介・あらすじ

愚直であることは人の美点だと思う
『こちらあみ子』は、とても面白かったです。僕はあみ子ほど純粋ではありませんでしたが、はみ出し方や失敗の仕方に近いものを感じ、自分の子供の頃と重ねて読んだ部分がありました。忘れられない一冊です。――又吉直樹

第26回太宰治賞、第24回三島由紀夫賞W受賞の衝撃デビュー作

あみ子は、少し風変わりな女の子。優しい父、一緒に登下校をしてくれる兄、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいる母、憧れの同級生のり君。
純粋なあみ子の行動が、周囲の人々を否応なしに変えていく過程を少女の無垢な視線で鮮やかに描き、独自の世界を示した異才のデビュー作。
書き下ろし短編「チズさん」を収録。
解説: 町田康・穂村弘

いつか、たった一人の読者の手によって、ボロボロになるまで繰り返し読んでもらえるような物語を生み出すことができたら、どんなにか幸せだろうと思っています。そういう物語は、書く側が命懸けで臨まない限り決して生まれてこないのだと、今更ながら思い知った次第です。
――今村夏子 (太宰治賞受賞の言葉より)

感想・レビュー・書評

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  • 『十分間の休み時間のあとにはまだ授業が残っていたが、お腹が減ったと感じたので家に帰ることにした』

    …という一文を読んであなたはどの部分に引っ掛かりを感じるでしょうか?私なら『まだ授業が残っていたが』という部分に引っ掛かりを感じます。まさか『お腹が減った』という部分が重要で『腹が減るのはずいぶん久しぶりのことだった』とあたかもそんな感覚が一切の躊躇なく優先してしまう感覚は普通には理解ができません。では、

    『前歯が三本ない。暗い穴が空いているように見える』

    …という一文を読んであなたならどうするでしょうか?私なら歯医者さんに行って一日も早く歯を入れてもらいます。まさか『歯茎と穴のでこぼこが気に入ったのでべつにもう歯はいらん』などと思ったりはしません。では最後に、

    『母が寝てばかりいるのはこころの病気のせいなのだと、父からは聞いている』

    …という一文を読んであなたはそんなお母さんのことをどう思うでしょうか?私ならお母さんは大丈夫だろうか、病院で診てもらっただろうかと思います。まさか『年取った大人が、料理も作らず掃除もせず、骨折したわけでも手術したわけでもないのに、それだけの理由で部屋を占領している。父は母のことを少しは叱りつけてもよいのではないか』なんて、自然な感情として思ったりはしないでしょう。

    ここに、あみ子という少女がいます。彼女には、彼女にしか見えないものがあります。彼女にしか聞こえない音があります。そして、彼女にしか分からない世界があります。残念ながら、私たちはそんな彼女の側の世界、言うなれば向こう側の世界には決して立ち入ることはできません。でも、小説ならそんな向こう側の世界からこちら側を見ることだってできるのです。では、そんな彼女から見たこちら側の世界にはどんなものが見えるのでしょうか?どんな音が聞こえるのでしょうか?そして、そこにはどんな世界が待っているのでしょうか?この作品は、そんな向こう側からこちら側を見る少女・あみ子の視点から見た普通の日常が描かれていく物語、今村夏子さんのデビュー作です。

    『スコップと丸めたビニル袋を手に持って、あみ子は勝手口の戸を開けた』という冒頭。そんな あみ子は『家の裏手の畑へと続くなだらかで短い坂』を上り、『柿の木のそばまできてから腰を下ろし』ます。『持ってきたスコップをぐっと土に差しこんで、すみれを根こそぎ掘り起こ』す あみ子。再び坂を下りるところで『さきちゃんが竹馬に乗ってやってくる』のを見た あみ子は数日前のことを思い出します。『あの花を持って帰りたい』と『畦道に咲く毒花』を指差す さきちゃん。『駄々をこね』るので持たせてやったものの、翌日『お母さんに怒られました』と言う さきちゃん。『今度はこの子のお母さんにも喜ばれるような花を持って帰らせてあげなくては』ということですみれを用意した あみ子。『さきちゃんはきっと、あみ子のことが好きなのだ。あみ子も同じように、さきちゃんのことを好きだ』と思います。そんな あみ子は『十五歳で引っ越しをする日まで』のことを振り返ります。『父と母、それと不良の兄がひとりいた』という家族。『母は自宅で書道教室を開いていた』という小学生の頃。『赤いじゅうたんが敷きつめられたその部屋のことを、あみ子は「赤い部屋」と呼んで』いたものの、『立ち入ることは母から固く禁じられていた』ために『襖の陰からのぞくことしかできなかった』という思い出。『ふと生徒のひとりがこちらを見ているのに気がついた』あみ子。『丸い大きな瞳でじっと』あみ子を見る男の子は筆を置き『半紙を手に取って、自分の顔の高さまで上げて見せ』ます。『そこには「こめ」と書いてあった』という次の瞬間、『あみ子じゃ』『あみ子が見とるよ。先生』口々に喋る生徒たち。『入っとらんもんね。見とっただけじゃもん』と赤い部屋に立ち入っていないことを主張する あみ子に『あっちで宿題してなさい。宿題終わってない子はお習字してはいけません』と言う母は『毎日学校にも行ってお友達とも仲良くして先生の言うことをしっかり聞いてお行儀よくできるならいいですよ』と続けます。『できますか?授業中に歌を歌ったり机にらくがきしたりしませんか?できるんですか?』と あみ子に詰め寄る母は、言い返せない あみ子の前で襖を『ピシリと閉じ』ました。そんな あみ子は『小学校の同じクラスに赤い部屋で見た男の子がいる』ことを知ります。先生に男の子のことを聞く あみ子は学校にあまり行かないので知らなかっただけで『のり君なら、初めから、ずっといたよ』と教えてくれました。あみ子のことを見ていたあの男の子。『「のり君」、はっきりと声にだして言ってみた』あみ子。そんな あみ子の小学校、そして中学校時代の物語が描かれていきます。

    独特な方言が印象的なこの作品では、そんな方言に印象的な描写が加わって時代感の分からないとても不思議な世界が描かれていきます。必ず兄と一緒に下校する あみ子。そこで兄は『墓じゃ。あみ子、親指隠しんさい』と『墓地の前に差しかかると、兄はいつも同じ文句を口にした』というシーン。”親の死に目に会えなくなる”ということから霊柩車や墓地の前で親指を隠すということを子供の頃された方もいらっしゃると思います。そこにこの『○○しんさい』という方言が絶妙にマッチします。広島の方言だと思いますが妙に独特な雰囲気を感じさせます。また、『くさい教会じゃ。あみ子、鼻つまみんさい』と今度は『老朽化した小さな教会の前に差しかかったとき、これもまたいつも通りの文句を兄が口に』します。こちらは特に意味があるものではないと思いますが、そんなある意味で決まりきった日常の繰り返しがなされる中に『その日はそれどころではなかった』と あみ子が感じる出来事がありました。それは『のり君が後ろをあるいていたから』というその理由。書道教室でじっと見られた経験がいつまでも尾をひく あみ子。それは、あみ子が経験した”初恋”の気持ちでした。この作品では、そんな”初恋”に揺れ動く あみ子が見せる行動がその起点から、終わりまでじっくりと描かれていきます。”初恋”を描いた作品と言うと、そういうのはちょっと…と敬遠される方もいらっしゃるかもしれませんが、この作品でポイントとなるのは、そんな”初恋”をする主人公 あみ子という登場人物のキャラクター設定です。

    この作品を読み始めた読者は何か不自然な感覚、感情がずっと付き纏うことに気づきます。深刻なはずの場面が妙に軽く、それでいて何のことはない場面が重量級の印象を持って描写される不思議感。作品中で直接的な表現は一切出てきません。しかし、上記したような冒頭部分の違和感のある感覚。『保健室で寝て過ごしたり図書室でマンガを読んだりと、授業には参加せずに独自の方法で下校までの時間を潰す』というような記述から、あみ子は恐らく知的な障害があるというような設定なんだとは思います。しかし、作品中そんな表現は一切登場しません。今村さんは、そのような一言で あみ子を切り離したりはせずに、あみ子側に軸足を置いた第三者視点で物語を描いていきます。そんな あみ子の視点から見る世界は不思議な美しさを纏います。『小さな町に溢れるすべての音がまるで幻のように遠くで聞こえる夕方だった』と唐突に登場するハッとするような情景描写。それは『見上げた屋根の上には高いところから降りてきた雲があった。そこに射しこむ昼間の太陽の残りが、平たい雲を金色に輝かせてみせていた』と続きます。そんな風に目の前の世界を見る あみ子。でも一方で『おれいよいよ限界』と、隣の席の男の子が『風呂入れって言っとるじゃろ、まじで』と言われてもよく理解できない あみ子。そもそも『ほんでなんで裸足なん。上履きは?いやその前に靴下は』とそもそもの自身の身なりに全く気が回らない あみ子。もしくは、気を回すという発想のない あみ子。一方でそんな あみ子の頭の中は”初恋”の相手である のり君のことでいっぱいでした。そんな あみ子の感情が言葉となって現れる瞬間、『あみ子の言葉がのり君をうち、同じようにあみ子の言葉だけがあみ子をうった』という『破壊力を持つのはあみ子の言葉だけ』という予想外の結末へと展開していく物語に、あみ子視点にいる身にはなんとも言えない切ない思いだけが残りました。

    解説の町田康さんは『あみ子はまともに生きていけない。仲間はずれ、いじめ、家族からの隔離。でも、本人にはその状況さえよくわかっていないらしい』と書かれている通り、この物語に描かれる あみ子の感情は読者に何かしらの違和感を抱かせるものが多かったと思います。そのような行動をとることでの結果論が見えない、もしくは読めない あみ子のもどかしさを感じるその物語。しかし一方で、あみ子は美しいものを素直に美しいと感動できる純真無垢で、常に真っ直ぐに、一途に物事を捉えていく、そんな内面を持っていました。残念ながら、その両者が交わることはありません。現実世界は あみ子のような人間にとってとても生きづらい世界でもあります。そんな現実に立ち返る結末、あみ子のいる向こう側の世界からこちら側に引き戻される結末には、読者の中に何か妙な引っ掛かりが残るのを感じます。こちら側からは違和感の象徴でしかないあみ子、しかし、その あみ子の側の世界を見てしまった読者は、それを違和感と単純に切り捨てることが出来なくなっています。これが、いつまでも読者の中に引っ掛かりとして残り続ける、それがこの物語なのだと思います。

    三編からなるこの作品ですが、正直なところ、〈こちらあみ子〉の読後に感じる妙な引っ掛かり感によって、続く二編の印象がすっかり薄くなってしまいました。〈こちらあみ子〉、圧倒的なインパクトを持つこの作品。こんな作品がデビュー作!という驚きと共に、あみ子のことをいつまでも考えてしまう自分がいる、何か引っ掛かりをいつまでも感じてしまう自分がここにいる、そんなとても不思議な印象の残る作品でした。

    • naonaonao16gさん
      さてさてさん

      違和感は人を成長させる、という話ですが、以前の職場で、言葉に詰まった時に「続けて、その違和感大事だよ」と言ってくれた人がいた...
      さてさてさん

      違和感は人を成長させる、という話ですが、以前の職場で、言葉に詰まった時に「続けて、その違和感大事だよ」と言ってくれた人がいたんです。
      で、周りが上手く言えなかった部分をフォローしつつ言葉にしてくれたりして、結構すっきりしたことがあったんですよね。同時に、自分の思ってたことは思っててよかったことだったんだなーと思ったりもして。
      それ以来、自分が感じた違和感を大事にしていたら、物事を深く考えすぎて、社会生活ではめんどくさい人間になってしまいましたが…

      これからも今村夏子さんの作品、注目していきたいですね!
      こちらこそ、お話できて嬉しかったです!ありがとうございました^^
      2022/02/27
    • さてさてさん
      naonaonao16gさん、違和感の起源についてありがとうございます。
      そうですね。その違和感を自分の中でどう消化するかということですね...
      naonaonao16gさん、違和感の起源についてありがとうございます。
      そうですね。その違和感を自分の中でどう消化するかということですね。こだわりということとの兼ね合いでしょうか?
      そういう意味では、少し違うかもしれませんが、ブクログのレビューも違和感に接する一つの場ですよね。自分がこんな風に感じて涙したと書いた作品でも、全く違う見方でけちょんけちょんに書かれている方もいて、それは双方に相手が違和感なんだと思いますが、見方が広がるということはありますよね。
      人と人が色んな形で関わり合って、それで成長していく、違和感を拒まない姿勢も大切ですね。
      こちらこそ、どうもありがとうございました。
      2022/02/27
    • naonaonao16gさん
      さてさてさん

      こだわりとの兼ね合い。
      どうなんでしょう。難しいけど、そういうことだと思います。

      レビューはまさにそうですね。ほんとに、自...
      さてさてさん

      こだわりとの兼ね合い。
      どうなんでしょう。難しいけど、そういうことだと思います。

      レビューはまさにそうですね。ほんとに、自分がすごく感動した作品でも、他の方がめちゃくちゃけなしてること、ありますよね笑
      そういう人もいるんだなぁ、と、受け止めていきたいですよね、拒むのではなく。
      2022/02/27
  • 主人公が普通で、周りが風変わりで、という作品に触れてきたことが多い。例えば伊坂幸太郎さんの作品や東野圭吾さんの作品だ。

    一方で、主人公がぶっ飛んでて、実は周りがまともでした!みたいな作品は、例えば金原ひとみさんが該当する。歳を重ねる中で、こういう作品の方に惹かれるようになってきた。

    この作品を描いた今村夏子さんは、まさに後者を描く作家さんだ。
    しかも、さらにすごいのが、主人公にぶっ飛んでるって視点が全くなくて、突如現れたモブキャラみたいな、流してしまうくらいちょっとしか出てこないキャラクターの態度や発言こそが一番「まともな主人公然」としてるところがある。ぶっ飛んでいる主人公と同じペースで、同じ温度感で物語に入っていると、必ずそこに存在する違和感。だけど主人公はそこに違和感なんて感じてないから、その違和感はなかったこととして物語は進む。わたしも流れに乗って読みすすめる。だけど違和感は違和感でしかない。この感じはまさに「むらさきのスカートの女」で感じていた、「あれ?もしかしてヤバいのってこっちの女なんじゃない?」っていう違和感だ。『こちらあみ子』も、まともそうな主人公の語りから始まるけれど、その語りの世界に入ると、どうやら語っている側がぶっ飛んでいることに気付かされる。

    ●「むらさきのスカートの女」は、こうしてできあがった/『こちらあみ子』

    あみ子は、とにかく「わからない」のだ。自分が見えていないものが、分からない。こう言うと当然のことなのだけれど。
    例えば、自分をからかってくる存在がいても、あみ子が見ているのはたった一人の男の子で、彼以外は、ほとんど見えていない。何か気になることがあれば、それしか見えない。だから、自分自身のことに目を向けることができない。だから、お風呂に入っていないことにも気づかない。
    例えば、人の心が分からない。だから、目の前にいる彼が、なんであみ子の前で口を聞かないのか、なんで母が泣いているのか、分からないのだ。
    でも、ラスト。その「分からない」への対応が、何ともスカッとして、みんなこんな風にできたら楽なのにな、と思った。
    さらに、作品の中で一生懸命に生きているあみ子の姿は、「私って変わってるんですよね」的な、自分に対する違和感や他者との比較が存在しないので、すごくかっこいいのである。穂村さんの解説にもあるけれど、「この子が同じクラスにいたらちょっと距離置くよなぁ」が、いつのまにか「かっこいいなぁ…!」になっているのだ。

    ●リドルストーリー版辻村深月/『ピクニック』

    やはり今村夏子さんは絶妙な違和感を描く天才だ。
    違和感はそのままに、突然作品は終わった、ように感じた。
    わたしはほとんど騙されていた。自分が「そっち側(ネタバレになるのでこう書いてます)」の人間なのかな、とふと怖くなる。

    辻村さんははっきりと「そっち側」を描く。今村夏子さんは、リドルストーリー的に「そっち側」を描いている。
    辻村さんの「かみ合わない会話と、ある過去について」で恐怖を覚えた人はたくさんいたはずで、あの恐怖感てなかなか忘れられない。
    『ピクニック』は、作品の仕掛けに気付いた瞬間、一気に恐怖心がやってくるタイプの作品だ。作品を読んでいる間は、「この人の作品、絶対なんかある!」と思って読んでいたからか、なんとなくの違和感には気付く。ページを重ねるにつれ、膨らんでゆく違和感。一体どこまでこの違和感が続くのか、と思ったタイミングで、種明かしがされる。これは再読の方がよっぽど怖い。

    『花束みたいな恋をした』に出てくるという『ピクニック』。何も知らずにただ手に取ったこの作品のレビューでそれを知った。
    読み進めていくうちに感じた「止められない感じ」は、どこかでわたしが主人公と一緒になって、「そっち側」にいることを楽しんでいるからではないか。『花束みたいな恋をした』で、「『ピクニック』を読んでも何も感じない人間」というセリフがあるようなのだけれど、もしかしたら自分は「何も感じない側」なのではないかと、読了後からずっと脅えている。

    ●短すぎる短編の中に、しかししっかりと、今村夏子の今村夏子感が閉じ込められている/『チズさん』

    これまでの自分の読書の仕方とか、読解力とか、そういったものを疑いたくなる。『こちらあみ子』に収録されている三編のうち、二編(『ピクニック』『チズさん』)も考察サイトの力を借りないと、納得するところまでいけませんでした。
    こんなに短い中に、散りばめられた「違和感の伏線」。作品が短すぎて回収できなかったわたし…
    あなたはこの15ページの短編の中から、いくつの「なんかおかしい」を見つけることができる?

    わたしは、違和感は人を大きく成長させる感情だと思っている。「気付き」の感情だからだ。
    その違和感に向き合えた時、どこか気分がすっきりする。自分なりの答えを持てた感じがするのだ。
    わたしも、この作品を通して自分が感じ取った違和感を見つめた。
    どうやらわたしは、自分を買い被りすぎていたようだ。
    違和感に気付いても、そこから先、一人では理解できなかった。
    他にも今村さんの作品を読んでみたいというワクワク感と、その先に広がっている世界のゾクゾク感。それがずっと、わたしの心を渦巻いている。

  • チョコチョコさんのおすすめにより。
    芥川賞作家・今村夏子さんのデビュー作&映画化作品。

    あみ子、やばかった。
    あみ子は、発達障害でぶざまなんだけど、読み進めるにつれ、共感を通り越して、もはや自分自身の一部になる。日常、あみ子にならないよう葛藤している自分がいるなあ、と気づく。

    「ピクニック」の七瀬さんも、やはり自分自身の一部。
    都合の良い物語の中に生きている。下手するとまわりを巻き込む真実を伴いながら、その実、空虚な自分。

    人生の、居心地の悪さ、というか、居た堪れなさ、が詰まった、とんでもない短編集。

    久々にすごいの読んだな。

    • naonaonao16gさん
      たけさん

      おはようございます。

      「あみ子にならないよう葛藤している自分」わかります!
      だからこそ、場面によってはすごくあみ子が羨ましく思...
      たけさん

      おはようございます。

      「あみ子にならないよう葛藤している自分」わかります!
      だからこそ、場面によってはすごくあみ子が羨ましく思えたり…

      今村さんの作品、癖になるんですよね~
      2022/08/26
    • たけさん
      naonaoさん、おはようございます。
      いつもコメントありがとうございます!

      わかってくれてうれしいです。
      感想書きながら、「全く伝わらな...
      naonaoさん、おはようございます。
      いつもコメントありがとうございます!

      わかってくれてうれしいです。
      感想書きながら、「全く伝わらない人もいるだろうな」と思ってましたから。
      でもね、あみ子は誰の中にもいるんだと思うんです。あれだけ、一途になれるのはすばらしいことだとも思うし。(まわりの人は迷惑なんでしょうけど)

      今村さん、癖になりますよね。
      この短編集読んで、改めてそう思いました!
      2022/08/27
  • デビュー作でこれを描けるなんて、、、
    凄すぎる。本当に今村夏子さんの作品好き。

    「あみ子」
    お母さん、お父さん、お兄さん、のり君、
    そしてあみ子。皆んなそれぞれの気持ちもわかる。
    でも、あみ子のことを悲しく、切なく感じてしまう。
    あみ子と他の人の普通が違う。
    あみ子はきっと「発達障がい」なのだろう。
    でもそれを誰も言わない。
    純粋なだけだから。

    私はあみ子の味方になれるだろうか。

    「人権」についても考えさせられる作品だった。

  • この難解な作品を映画化したようですね。

    「ピクニック」
    こちらは、この主人公の女性の絶妙な違和感が染み込んだ日常を面白く読みました。ラストに彼女が物語から退場した後のピクニックの情景になるのですが、これはもしかしたら、このラストを書きたい為の作品かなと思いました。
    「チズさん」
    この文庫の為の書き下ろし。状況の全てにズレがあるのに受け入れる準備をさせてしまう作品感。

    「こちらあみ子」
    底なしの素直と純粋。思うまま、言葉にする、行動に移す。それが、彼女。そして、凶器のような純粋が、まず母親をそして兄を妹を壊していく。
    このあみ子の異質さを純粋と受け取れなくて読後感が悪い。グレーゾーンを感じて良いのか、それは意図されていないように思うのだけど。
    読了して、作品について考えさせてしまうところが、パワーを感じます。
    他の作品も読んでみたいと思います。

  • 花束みたいな恋をした、きっかけで手に取りました。

    ピクニックというほのぼのしたタイトルに、すっかり騙されました。これは今村夏子さんならではの作品だと思いました。「むらさきのスカートの女」以上の、女の怖い部分を感じました。
    今村夏子さん流の直接的でない描かれ方が
    読み手側によって色々な感想につながってくるんでしょうね…

    「花恋」の映画にもセリフとして使われた、訳が読んでみて、わかりました―

    〇ピクニック
    七瀬さんは、仕事はしっかりするので、プライベートの話がいろいろと嘘のようであることを感じていても、仕事仲間であるルミたちは、話をあわせて上手く、コミュニケーションとっています。
    この話は、リアルにありそうな話ではないかなと思いました。
    あからさまに「嘘でしょ?」なんて、問い詰めたり、無視したりするようなことはしません。無視することは最大のいじめだと、言われていますので、あからさまないじめをしているわけでは無いのです。
    仕事仲間達は、複数で仲良く親切な行動している様子が展開して終わります…。
    でも実は恐ろしい、ゾワゾワする作品でした。

    〇こちらあみ子
    読んでいて苦しかったです。強烈な描写でした。
    発達障害のような障害のある、あみ子。
    あみ子によって家族は崩壊してしまい、読みながら悲しく感じました。
    確かにあみこは普通でないことばかりしでかします。
    家族なら、本当にものすごく大変だと思いました。

    あみ子の世界は、なかなか理解されなくて孤独でしたが、それなりに傷つくことも少なくて救われるのかもしれないとも、感じました。それでも孤独な気持ちになったりすると思います。
    祖母と、さきちゃん…と、優しい男の子が、いてくれて、良かった…と、救われた思いで読み終われました。

    さきちゃんのいつも…竹馬で「登場する」という…、描写が印象的です!!

    子供にしては遠い道を竹馬で…遊びに来るということ。
    描写を考えてみるとちょっと奇妙な、不思議な感じ、なんとなく可笑しい感じをうけたりしました(笑)
    そういう、細かいところも気になる面白い作品でした。

    今村夏子さんの小説はゾワゾワして強烈ですが、面白いです。
    不穏な物語の内側には、様々な問題をテーマにしているところがあると思います。
    そういった問題や、今村さんの言いたいことは何だろうなと、考えさせられます。

    この小説がデビュー作というのも、凄すぎますね。
    本当に読んで良かった本でした。

  • 今村夏子 著

    この前…初読した「あひる」短編集が、あまりに不思議な気持ちを伴いながら、胸を打った、希少で素晴らしい作品だったので、絶対この作家さんの他の作品も読みたいと手にしたこの作品 
    今回は違った作風の短編3作品「こちらあみ子」「ピクニック」「チズさん」だ!
    どの作品も圧倒されて
    言葉が見つからない しばらく、自分が受け止めたものも、何であるのか説明出来ないような放心状態になった。

    普通に受け止めにくいことも、まるで当たり前で、普通の事のように、淡々と描いてるように思えて、何だか 触れられないようなところに…ぐいぐいと、深く心をもっていかれてしまう。
    何だろう 考えるよりも感じる衝撃ようなことだろうか?

    「こちらあみ子」では、
    方言で話すあみ子の姿が目に浮かぶようでもあり、ほっこりするのだが、あみ子はあみ子自身のまま、小さな子どものまま、見たものをありのままに表現したり、相手に言われた事について、考えているうちに忘れてしまう女の子 
    かたや、利害関係の一部に取り込まれた普通の人とされる一般的な人たち
     普通とされる人間の生活や言動の中にあり得ない   ような、あみ子の姿は見えているのに見えていない者のように扱われる。
    それがいいとか悪いとかの問題ではなく、ただ、そうである事実だけを描写する。

    まだ、5歳にも満たない子どもが、よく親や、まわりに「どうして?」「あれは何?」
    って問うように 小さな子どもに対しては
    何回も同じ質問される事に、大人は煩わしくなりそうでも、丁寧に(時々は投げやりな物言いで^^;)問われた事柄や質問に説明の言葉を返す。

    しかし、成長しても、同じ質問を繰り返されると、そこで、はたと気づく”この子は少し頭が弱いのか?”とか…そこで、普通とされる大人の言動は大体決まっているような気がする

    親なら、辛抱強く、ちゃんと説明する場合も投げやりに返答する場合もあるが、身内でもない他人ならば、出来るだけ関わらないように無視をするか 表面上取り繕って分かったような顔で苦笑いするだろうか…。

    しかし…実態は親でさえも面倒みることを放棄してしまう場合だってある事実をこの作品を通して真正面から受け止めたいと思う。
     
    あみ子側の立場もあみ子を見る側の人のあり方も分かる気がするのは、相手の気持ちや言動を、推し量ることが出来ないからだ
    “普通、こういう時はこうだろう!”なんて事が通じない相手との接し方には、戸惑い、何と返したらいいのか分からない、それもありのままの事実かもしれない。
    それは、殆ど知能的に成長を見せないような
    子どものような、あみ子の場合に限った事ではないと思う 
    苦手とする相手、相性の合わないと感じる人は誰にでも、居るのだから。
    私自身だって、理不尽だと思う相手の言動に 自分の中にこんな怒りの気持ちがあったのか⁉︎と思うほどに、冷静さとは程遠い怒りに震えた事だってある。

    あみ子が父からのお誕生日プレゼントにもらった トランシーバー あみ子がとても欲しかったやつ。 記念すべき第一声。
    「おーとーせよ。おーとーせよ。」
    「おーとーせよ。こちらあみ子、こちらあみ子 おーとせよ」 
     そんな あみ子のトランシーバーに向かって…
    『声受けとりました。
     おーとーします!あみ子どの』
     応答したかったなぁ。
       何やろう 泣けてきた…、

    でも、祖母の家に引越しして、あみ子を気に入ってる、さきちゃんと友だちになれて良かった 友達を大切にしなくてはという思いがある あみ子 
    少し、お姉ちゃんみたいに成長した あみ子に 
    ちょっと、ほっとした。
    引越し前の過去はよく思い出せない 
    忘れることも人生 今を、今の自分を大切に生きることやね。


    「ピクニック」は、不思議な大人の女性が描かれている この時代背景はいつのことなんだろう?って時代錯誤にも陥りながら、
    一遍目の『こちらあみ子』とは、また違った作風で 捉え方、この感性に再び、驚き、不思議でありながら、そこに見える景色が、自分に起きていたような、どこかの事柄に通じるような気持ちになる
    何故?と思いつつ、何故とは思えないような
    全く反比例するような感覚なのだが…
    これはどうなるの?というよりも
    これはこういうことなのだと感じ、落ち着く
    この作家さんの喩えようがない力量に驚く。

    三遍目の「チズさん」は前に読んだ あひるの中の「おばあちゃんの家」を彷彿するような、おばあちゃんの本当に短いお話…
    本当に短編だ!もっと続きを読みたいと思わせるほどの短い文章なのだ。

    “また…置いてきぼりにされた”って気分とともに、怖いような、その怖さは、そこにある現実に存在するものを、客観視できないような本当があるからかもしれない。
    そして…生きる様々な人間の悲しさや姿の描写に、心が自然に浸透してゆくのだ。
    いずれにしても、何という稀有で素晴らしい作家さんなんだろう 
    読み継がれてゆくべき作品だと思う。

    今村夏子さんのこの作品は
    デビュー作にして、太宰治賞・三島由紀夫賞という衝撃デビュー作!
    デビュー作品とは…とても思えない才能に満ち溢れた作品だなぁと思う反面、よくよく考えたら、他の好きな、才能ある作家さんの作品でも、
    「これが…デビュー作⁉︎末恐ろしい!」なんて、驚愕することは、しばしば、ある。
    デビュー作品以前よりも、その作家さんの才能は輝きを放っており、満を持して、デビュー作として世に出たって事なんだろうと感慨深く思えた。

    素敵な心に響く作家さんに再び出逢った私も運がよい!
    ブクログさんたちのお陰だと思う(o^^o)
    感謝の気持ちと本当ブクログやっててよかったなぁと素直に思える。

    さて、今村夏子さんのこの作品を読了した
    私は、次の積読本の制覇に取り掛かりたいところだが、印象が強すぎて、今村夏子さんの他の作品を、もう一冊読むべきか?
    新しい作家さんの作品を読むべきか?思案しているところである 読みたい作品や作家さんが多すぎるのも考えものですねε-(´∀`; )

      でも…今、読める
    幸せをとても感じています。

  • あみ子は自然体すぎて、周りの状況がうまく把握できない。
    母のことも、兄のことも、学校での出来事も、きれいごとは何一つ書かれていないのに、あみ子自身が不満を持っている様子はない。周りに対する憎しみも出てこない。
    あみ子の心の中は誰よりも澄んでいる。純粋すぎて痛い。

    「ピクニック」は、あるお笑いタレントと付き合っているという七瀬さんと、同じ店で働くルミたちの友情。だけど、読んでいくうちに、だんだん胡散臭く思えてくる。
    一気読みして、あれ、何だったんだろうって、ちょっと可笑しくなってくる話。
    「チズさん」にもドキッとさせられた。

    奥が深い作家さんだ。次に何を書いてくれるのか楽しみです。ちょっと怖いけれど。

  • ⚫︎受け取ったメッセージ 
    あみ子が自暴自棄にならないことが唯一の救い


    ⚫︎あらすじ(本概要より転載)

    第26回太宰治賞&第24回三島由紀夫賞 W受賞
    読む人のたましいを揺さぶる、
    芥川賞作家・今村夏子の衝撃デビュー作

    あみ子は、少し風変わりな女の子。優しい父、一緒に登下校をしてくれる兄、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいる母、憧れの同級生のり君。純粋なあみ子の行動が、周囲の人々を否応なしに変えていく過程を少女の無垢な視線で鮮やかに描き、独自の世界を示したデビュー作。短編「ピクニック」「チズさん」を収録。
    解説:町田康・穂村弘

    「いつか、たった一人の読者の手によって、ボロボロになるまで繰り返し読んでもらえるような物語を生み出すことができたら、どんなにか幸せだろうと思っています。そういう物語は、書く側が命懸けで臨まない限り決して生まれてこないのだと、今更ながら思い知った次第です。」── 今村夏子(太宰治賞受賞の言葉より)


    ⚫︎感想
    苦しくなった。身近に障害者がいる場合といない場合に、評価が分かれる作品ではないかと思う。私にはものすごく重たく救いのない話だった。

    自分が好かれていないかもしれないとは、考えに至らないくらい、あみ子が人を嫌いになったりしないのだろう。それを純粋というのならばあみ子は純粋なのだろう…

    障害者と関わることは家族ですらとても難しい。あみ子の親ですら、どう彼女を扱っていいかわからないのだ。「親に言われたから」のり君はあみ子に対して最後の最後まで我慢していた。

    「むらさきのスカートの女」に通づる周りとうまくやっていけない人がテーマだと思ったが、むらさき〜の方は、大人であること、不気味さがミステリーチックにも思えたから、かわいそうという読了感にならずにすんだが、「こちらあみ子」はただただ子どものあみ子とあみ子をとりまくみんなが可哀想に思えてならなかった。

  • 久しぶりに凄い小説を読んでしまった。積読すること幾数年。まさか、こんなに凄い小説がひょいと手を伸ばせば届くところに埋もれていたとは…。

    本書は3編の中短編で構成されるが、やはり、表題作「こちらあみ子」に心が動く。主人公はあみ子という女性である。冒頭は祖母の家で暮らすシーンから始まり、過去の生活に遡る。読み進めるうちに、どうやらあみ子には何らかの発達障害があるらしいということがわかってくる。

    あみ子は自分の欲求の赴くままに生きている。眠たいと思えば眠るし、気分が乗らなければ学校にも行かない。気に入った男子生徒ができれば、着いて回る。あみ子には自分が他の人と違うという認識はない。しかし、家族や友人たちははっきりとそれを認識している。
    おそらく、あみ子はイジメに合っているが、陰湿な感じはない。それは、あみ子自身がイジメを認識していないからである。意識しているのは常に周囲の者であり、あみ子は周囲に興味がないのだ。そこには哀しいほどの断絶がある。

    この作品を読む人は、主人公あみ子に感情移入するのだろうか。私は、いつしか、のり君に感情移入していた。実は、彼ととても似たような状況を小学生の頃にしており、すっかり忘れていたのだが、物語を読むうちに、鮮明に思い出したのである。どうにもいたたまれなく、つらい気持ちになった。

    あみ子と坊主頭の少年のやり取りは本作品の救いである。しかし、一方で、歩み寄ってきた少年に、あみ子は関心を示さず、名前すら記憶することはなかった。断絶は埋まることなく、物語は終わる。そこに哀しさを覚えるのは傲慢だろうか。何度も読み返したくなる作品である。

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著者プロフィール

1980年広島県生まれ。2010年『あたらしい娘』で「太宰治賞」を受賞。『こちらあみ子』と改題し、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で、11年に「三島由紀夫賞」受賞する。17年『あひる』で「河合隼雄物語賞」、『星の子』で「野間文芸新人賞」、19年『むらさきのスカートの女』で「芥川賞」を受賞する。

今村夏子の作品

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