こちらあみ子 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.77
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本棚登録 : 1686
レビュー : 199
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480431820

感想・レビュー・書評

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  • 『十分間の休み時間のあとにはまだ授業が残っていたが、お腹が減ったと感じたので家に帰ることにした』

    …という一文を読んであなたはどの部分に引っ掛かりを感じるでしょうか?私なら『まだ授業が残っていたが』という部分に引っ掛かりを感じます。まさか『お腹が減った』という部分が重要で『腹が減るのはずいぶん久しぶりのことだった』とあたかもそんな感覚が一切の躊躇なく優先してしまう感覚は普通には理解ができません。では、

    『前歯が三本ない。暗い穴が空いているように見える』

    …という一文を読んであなたならどうするでしょうか?私なら歯医者さんに行って一日も早く歯を入れてもらいます。まさか『歯茎と穴のでこぼこが気に入ったのでべつにもう歯はいらん』などと思ったりはしません。では最後に、

    『母が寝てばかりいるのはこころの病気のせいなのだと、父からは聞いている』

    …という一文を読んであなたはそんなお母さんのことをどう思うでしょうか?私ならお母さんは大丈夫だろうか、病院で診てもらっただろうかと思います。まさか『年取った大人が、料理も作らず掃除もせず、骨折したわけでも手術したわけでもないのに、それだけの理由で部屋を占領している。父は母のことを少しは叱りつけてもよいのではないか』なんて、自然な感情として思ったりはしないでしょう。

    ここに、あみ子という少女がいます。彼女には、彼女にしか見えないものがあります。彼女にしか聞こえない音があります。そして、彼女にしか分からない世界があります。残念ながら、私たちはそんな彼女の側の世界、言うなれば向こう側の世界には決して立ち入ることはできません。でも、小説ならそんな向こう側の世界からこちら側を見ることだってできるのです。では、そんな彼女から見たこちら側の世界にはどんなものが見えるのでしょうか?どんな音が聞こえるのでしょうか?そして、そこにはどんな世界が待っているのでしょうか?この作品は、そんな向こう側からこちら側を見る少女・あみ子の視点から見た普通の日常が描かれていく物語、今村夏子さんのデビュー作です。

    『スコップと丸めたビニル袋を手に持って、あみ子は勝手口の戸を開けた』という冒頭。そんな あみ子は『家の裏手の畑へと続くなだらかで短い坂』を上り、『柿の木のそばまできてから腰を下ろし』ます。『持ってきたスコップをぐっと土に差しこんで、すみれを根こそぎ掘り起こ』す あみ子。再び坂を下りるところで『さきちゃんが竹馬に乗ってやってくる』のを見た あみ子は数日前のことを思い出します。『あの花を持って帰りたい』と『畦道に咲く毒花』を指差す さきちゃん。『駄々をこね』るので持たせてやったものの、翌日『お母さんに怒られました』と言う さきちゃん。『今度はこの子のお母さんにも喜ばれるような花を持って帰らせてあげなくては』ということですみれを用意した あみ子。『さきちゃんはきっと、あみ子のことが好きなのだ。あみ子も同じように、さきちゃんのことを好きだ』と思います。そんな あみ子は『十五歳で引っ越しをする日まで』のことを振り返ります。『父と母、それと不良の兄がひとりいた』という家族。『母は自宅で書道教室を開いていた』という小学生の頃。『赤いじゅうたんが敷きつめられたその部屋のことを、あみ子は「赤い部屋」と呼んで』いたものの、『立ち入ることは母から固く禁じられていた』ために『襖の陰からのぞくことしかできなかった』という思い出。『ふと生徒のひとりがこちらを見ているのに気がついた』あみ子。『丸い大きな瞳でじっと』あみ子を見る男の子は筆を置き『半紙を手に取って、自分の顔の高さまで上げて見せ』ます。『そこには「こめ」と書いてあった』という次の瞬間、『あみ子じゃ』『あみ子が見とるよ。先生』口々に喋る生徒たち。『入っとらんもんね。見とっただけじゃもん』と赤い部屋に立ち入っていないことを主張する あみ子に『あっちで宿題してなさい。宿題終わってない子はお習字してはいけません』と言う母は『毎日学校にも行ってお友達とも仲良くして先生の言うことをしっかり聞いてお行儀よくできるならいいですよ』と続けます。『できますか?授業中に歌を歌ったり机にらくがきしたりしませんか?できるんですか?』と あみ子に詰め寄る母は、言い返せない あみ子の前で襖を『ピシリと閉じ』ました。そんな あみ子は『小学校の同じクラスに赤い部屋で見た男の子がいる』ことを知ります。先生に男の子のことを聞く あみ子は学校にあまり行かないので知らなかっただけで『のり君なら、初めから、ずっといたよ』と教えてくれました。あみ子のことを見ていたあの男の子。『「のり君」、はっきりと声にだして言ってみた』あみ子。そんな あみ子の小学校、そして中学校時代の物語が描かれていきます。

    独特な方言が印象的なこの作品では、そんな方言に印象的な描写が加わって時代感の分からないとても不思議な世界が描かれていきます。必ず兄と一緒に下校する あみ子。そこで兄は『墓じゃ。あみ子、親指隠しんさい』と『墓地の前に差しかかると、兄はいつも同じ文句を口にした』というシーン。”親の死に目に会えなくなる”ということから霊柩車や墓地の前で親指を隠すということを子供の頃された方もいらっしゃると思います。そこにこの『○○しんさい』という方言が絶妙にマッチします。広島の方言だと思いますが妙に独特な雰囲気を感じさせます。また、『くさい教会じゃ。あみ子、鼻つまみんさい』と今度は『老朽化した小さな教会の前に差しかかったとき、これもまたいつも通りの文句を兄が口に』します。こちらは特に意味があるものではないと思いますが、そんなある意味で決まりきった日常の繰り返しがなされる中に『その日はそれどころではなかった』と あみ子が感じる出来事がありました。それは『のり君が後ろをあるいていたから』というその理由。書道教室でじっと見られた経験がいつまでも尾をひく あみ子。それは、あみ子が経験した”初恋”の気持ちでした。この作品では、そんな”初恋”に揺れ動く あみ子が見せる行動がその起点から、終わりまでじっくりと描かれていきます。”初恋”を描いた作品と言うと、そういうのはちょっと…と敬遠される方もいらっしゃるかもしれませんが、この作品でポイントとなるのは、そんな”初恋”をする主人公 あみ子という登場人物のキャラクター設定です。

    この作品を読み始めた読者は何か不自然な感覚、感情がずっと付き纏うことに気づきます。深刻なはずの場面が妙に軽く、それでいて何のことはない場面が重量級の印象を持って描写される不思議感。作品中で直接的な表現は一切出てきません。しかし、上記したような冒頭部分の違和感のある感覚。『保健室で寝て過ごしたり図書室でマンガを読んだりと、授業には参加せずに独自の方法で下校までの時間を潰す』というような記述から、あみ子は恐らく知的な障害があるというような設定なんだとは思います。しかし、作品中そんな表現は一切登場しません。今村さんは、そのような一言で あみ子を切り離したりはせずに、あみ子側に軸足を置いた第三者視点で物語を描いていきます。そんな あみ子の視点から見る世界は不思議な美しさを纏います。『小さな町に溢れるすべての音がまるで幻のように遠くで聞こえる夕方だった』と唐突に登場するハッとするような情景描写。それは『見上げた屋根の上には高いところから降りてきた雲があった。そこに射しこむ昼間の太陽の残りが、平たい雲を金色に輝かせてみせていた』と続きます。そんな風に目の前の世界を見る あみ子。でも一方で『おれいよいよ限界』と、隣の席の男の子が『風呂入れって言っとるじゃろ、まじで』と言われてもよく理解できない あみ子。そもそも『ほんでなんで裸足なん。上履きは?いやその前に靴下は』とそもそもの自身の身なりに全く気が回らない あみ子。もしくは、気を回すという発想のない あみ子。一方でそんな あみ子の頭の中は”初恋”の相手である のり君のことでいっぱいでした。そんな あみ子の感情が言葉となって現れる瞬間、『あみ子の言葉がのり君をうち、同じようにあみ子の言葉だけがあみ子をうった』という『破壊力を持つのはあみ子の言葉だけ』という予想外の結末へと展開していく物語に、あみ子視点にいる身にはなんとも言えない切ない思いだけが残りました。

    解説の町田康さんは『あみ子はまともに生きていけない。仲間はずれ、いじめ、家族からの隔離。でも、本人にはその状況さえよくわかっていないらしい』と書かれている通り、この物語に描かれる あみ子の感情は読者に何かしらの違和感を抱かせるものが多かったと思います。そのような行動をとることでの結果論が見えない、もしくは読めない あみ子のもどかしさを感じるその物語。しかし一方で、あみ子は美しいものを素直に美しいと感動できる純真無垢で、常に真っ直ぐに、一途に物事を捉えていく、そんな内面を持っていました。残念ながら、その両者が交わることはありません。現実世界は あみ子のような人間にとってとても生きづらい世界でもあります。そんな現実に立ち返る結末、あみ子のいる向こう側の世界からこちら側に引き戻される結末には、読者の中に何か妙な引っ掛かりが残るのを感じます。こちら側からは違和感の象徴でしかないあみ子、しかし、その あみ子の側の世界を見てしまった読者は、それを違和感と単純に切り捨てることが出来なくなっています。これが、いつまでも読者の中に引っ掛かりとして残り続ける、それがこの物語なのだと思います。

    三編からなるこの作品ですが、正直なところ、〈こちらあみ子〉の読後に感じる妙な引っ掛かり感によって、続く二編の印象がすっかり薄くなってしまいました。〈こちらあみ子〉、圧倒的なインパクトを持つこの作品。こんな作品がデビュー作!という驚きと共に、あみ子のことをいつまでも考えてしまう自分がいる、何か引っ掛かりをいつまでも感じてしまう自分がここにいる、そんなとても不思議な印象の残る作品でした。

  • あみ子は自然体すぎて、周りの状況がうまく把握できない。
    母のことも、兄のことも、学校での出来事も、きれいごとは何一つ書かれていないのに、あみ子自身が不満を持っている様子はない。周りに対する憎しみも出てこない。
    あみ子の心の中は誰よりも澄んでいる。純粋すぎて痛い。

    「ピクニック」は、あるお笑いタレントと付き合っているという七瀬さんと、同じ店で働くルミたちの友情。だけど、読んでいくうちに、だんだん胡散臭く思えてくる。
    一気読みして、あれ、何だったんだろうって、ちょっと可笑しくなってくる話。
    「チズさん」にもドキッとさせられた。

    奥が深い作家さんだ。次に何を書いてくれるのか楽しみです。ちょっと怖いけれど。

  • こちらあみ子、ピクニックの2編。こちらあみ子、読んでいてあまりの救いようのないあみ子の天然(?)ぶりと、振り回されるまわりの人に辟易。イライラ、ドキドキ、けれど先が気になって最後まで読み通した。あみ子目線で綴られる物語は新鮮(?)な感覚の物語でした。ピクニックは、七瀬さんは果たして「春げんき」さんの婚約者だったのか?謎のまま彼女は消え、残された職場の面々のピクニックのシーンで物語は終わる。謎のラスト。
    今村夏子さんの小説は毎度、不思議な気持ちに持っていかれます。今回も期待に違わずでした。

  •  表題作の「こちらあみ子」を読み終えたとき、言葉にできない違和感が残りました。そして、その違和感の原因を考えれば考えるほど「この話ってとんでもない話なのではないか」という思いに囚われていったのを、覚えています。

     この話の主人公のあみ子は、いわゆる人の感情の機微や、その場の空気が読めない女の子です。彼女自身に悪意はないのですが、その言動ゆえ家族やクラスメートたちも、振り回されます。

     それでも穏やかに見えたあみ子の日常は、家族に起こったある不幸と、あみ子の純真な思いから起こした行動によって、壊れてしまいます。

     しかし、人の感情の機微も、家族内の不穏な空気も読めないあみ子は、日常が崩れた中でも自分だけは、のんきにいつも通り過ごしていくのです。

     そんなあみ子の鈍さと純真さは、クラスメートにも襲いかかります。初恋の相手に迷惑がられていることにも気づかず、あみ子はずんずん相手に踏み込みます。

     純真さがはらむ暴力性、壊れた家族の日常、分かり合えない者に対する人の反応、初恋の相手と家族が最後に取った行動、いずれもとんでもなくシリアスなのですが、あみ子の語り口からは、そのシリアスさを感じません。それすらも普通のことと彼女は捉えるのです。

     あみ子と周囲の人々の埋めようのないギャップこそが、違和感の原因であり、そのギャップをシリアスになりきらず、あくまであみ子の視点で語りきったことが、この話に「とんでもなさ」を感じた理由だと思います。

     それでいて家族や初恋の相手の感情も、読者に想像させる余地を残して描いているのもとんでもない……。だからこそ、あみ子の存在は自分の心をざわつかせたのかもしれません。もし自分の周りにあみ子のような存在がいたら、自分はどうなってしまうのだろうと。

     表題作の他に二編の話が収録されているのですが「ピクニック」も色々な解釈のありそうな話です。自分には芸人の彼氏がいると話し、彼との馴れ初めや日常を幸せそうに語る七瀬さんと、その同僚の短編。

     七瀬さんが語るお話を楽しそうに聞く同僚たち、でもその一方で、その真偽を疑う後輩の子もいて……

     読めば読むほどに、同僚たちの行為は善意なのか悪意なのか、判別がつかなくなっていきます。七瀬さんにとって完璧な空間を作り出す同僚たちの姿が、気味悪くもあり、そしてラストの作り出されたような、とってつけたような爽やか風味のラストも気持ち悪くあり……

     収録作品3編とも、語り口や話の雰囲気自体は軽く読みやすいです。しかしその一方で、読み終えた時、言葉にしがたい違和感を残します。その違和感はきっと社会や人の残酷さを、語り口や話の雰囲気の裏側に、宿しているからだと思います。

     直接的な表現を使わず、あくまで読者の解釈に物語の意味を預ける、そんなイメージの作品集でした。

    芥川賞の作家さんってちょっと苦手なイメージがあったのですが、今村さんの著作は、もっと追いかけてみたいと思いました。

    第26回太宰治賞
    第24回三島由紀夫賞

    • さてさてさん
      とし長さん、はじめまして
      私もこの作品を読みました。なかなかにレビューが難しいと思って、他の皆さんのレビューを見せていただきました。とし長さ...
      とし長さん、はじめまして
      私もこの作品を読みました。なかなかにレビューが難しいと思って、他の皆さんのレビューを見せていただきました。とし長さんの書かれたレビューで、あっ、これ、と思ったのが”鈍さと純真さ”と書かれた箇所でした。この二つの感覚って実は漢字のつくりなんですね。”屯”という字を使って一見全く異なる意味合いですが、よくよく考えると、どことなく交わるところもあるようなそんな気もしました。私もあみ子の感覚の世界、向こう側の世界と書きましたが、その世界の側からこちら側を見た不思議な感覚に魅了されました。とし長さんも書かれていらっしゃいますが、この辺りがざわつかせる感覚につながるのかなとも思いました。
      いずれにしてもとても興味を惹かれた作品でした。
      突然に長々とすみません。
      今後ともよろしくお願いします。
      2020/10/10
    • とし長さん
      さてさてさん、初めまして。

      “鈍”と“純”の字のつくりのお話は、コメントいただいて初めて気がつきました。
      大人のように周囲のことを気...
      さてさてさん、初めまして。

      “鈍”と“純”の字のつくりのお話は、コメントいただいて初めて気がつきました。
      大人のように周囲のことを気にしない、感情も思考も全て思ったまま言動に出してしまうのが、“純真”でもあり、一方で“鈍い”と感じたのかな、と思います。
      この二つに同じ字が使われていること、確かに何だか示唆的かもしれません……

      さてさてさんのおっしゃるとおり、現実世界からはうかがい知れない、あみ子の世界を描ききった、『こちらあみ子』のすさまじさ。コメントいただいて改めて思い出しました。

      こちらこそよろしくお願いいたします。
      2020/10/10
    • さてさてさん
      とし長さん、ありがとうございます。
      私も芥川賞の作家さんにはどことなく抵抗感を感じていました。ただ、綿矢りささん、そして今回今村夏子さんの作...
      とし長さん、ありがとうございます。
      私も芥川賞の作家さんにはどことなく抵抗感を感じていました。ただ、綿矢りささん、そして今回今村夏子さんの作品を読んで少しハードルが下がったと感じています。今村さんの心をザワザワさせられる感覚とか、綿矢さんの言葉の面白さとか、とても面白い世界だなと思います。
      今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
      2020/10/10
  • すごく好き。読んで数日たった今もずっとあみ子が頭の中にいる。

  • 芥川賞候補になった作家だから、言葉をこねくり回して無理に難解にする系の小説なのかと思いきや、話に引き込まれ一気に読んだ。「こちらあみ子」はおそらく忘れられない小説になるだろう。知的障害者の目線で捉えた話で多くの人に読んでもらいたい。自閉症や多動症の子供は芸術的に天才が多く、その彼らがどんな風景を見てるのかを、正しいかどうかわからないが垣間見えると思う。

    • chie0305さん
      あみ子とのり君の例のあの会話の時、怖くなりました。分かり合えない。ここまでくると、もうホラーだわ…と。どちらが悪いというわけではないけど。私...
      あみ子とのり君の例のあの会話の時、怖くなりました。分かり合えない。ここまでくると、もうホラーだわ…と。どちらが悪いというわけではないけど。私も、この本は心に残りました。
      2017/10/31
    • kakaneさん
      チエさん。コメントありがとうございます。自分の心のままに行動し、発言する障害者に健常者はどう接すればいいのか?難しいけど
      理解していかなけれ...
      チエさん。コメントありがとうございます。自分の心のままに行動し、発言する障害者に健常者はどう接すればいいのか?難しいけど
      理解していかなければいけませんね。みんなが考えさせられる傑作だと思います。
      2017/10/31
  • 小説にはたいてい一人の語り手が存在し、読者はその語り手の目を通してしか、物語の中の世界を見ることができない。

    「こちらあみ子」の語り手であるあみ子の目を通して見る世界は、とても異質なものに思えた。
    たとえばあみ子にはのり君しか見えていなかった。唯一あみ子と対等に話をしてくれた隣の席の男の子が坊主頭だと知ったのは、卒業間際のこと。それまでその男の子の顔が、あみ子には本当に見えていなかったのだろう。
    この物語にただよう不気味さや不安感は、自分がいつも見ている世界とあみ子が見ている世界があまりにも違いすぎることから来ているのかもしれない。
    自分はあみ子にはなれないけれど、物語を読んでいる間は確かにあみ子として世界を見ていて、だからこそすごく居心地が悪かったのだけれど、こんな体験をさせてくれる小説って多分そんなにない。

    語り手に翻弄される感覚は、併録されている「ピクニック」にも共通していた。
    語り手であるルミとその仲間たちが七瀬さんと過ごした時間は、確かにピクニックのようにちょっとした非日常感のある、心躍るものだったのだろう。ルミたちにとっては。
    だけど七瀬さんにとってはどうだったのだろうか。
    途中まで、七瀬さんとルミたちとの関係は、少し歪ではあるけれど素敵なものに思えていた。少なくともルミはそう思っていたから、読者である自分もそう信じていた。
    だけどそこに他者の目が加わった時、自分がルミの目を通して見ていた世界は正常ではなかったことに気づかされた。
    ルミたちにとってはピクニックのようだった世界。でも七瀬さんの目にはどう映っていたのだろうか。七瀬さんがこの物語にタイトルをつけるとしたら、どんな言葉を選ぶのだろうか。
    少なくとも「ピクニック」ではないだろう、ということしかわたしにはわからない。

    凄い小説を読んだのだなあと、読み終えてから時間が経つごとにじわじわと実感している。

  • むらさきのスカートの女を読み、今村夏子さんに興味がわき他も読んでみたいと思った。(おそらく)心身に障害を抱えた(今でいう発達障害?)あみ子はピュアすぎるゆえ、行き過ぎた言動で周囲の人々を傷つけトラブルが絶えない。
    家族までも崩壊してしまう。ある出来事がきっかけで継母は心を病んでしまい、兄は不良に。一般的でいう普通と奇抜(異物感?)が共存すれば、避けられない成り行きだった。そういう子だからと、大目にみる感があれば対処の策もなくはない。というのは実際関わってないからいえることで、限度を超えてるのだろう。
    あみ子も純真無垢さが増せばますほど、人が傷ついてゆく。
    こちらあみ子、応答せよ。あみ子は何度も呼び掛けるのだが、なにも返答はない。
    救いなのは、のり君という少年に恋する気持ちが芽生えたこと。
    むらさきの・・がふわりと不思議な感覚としたら、こちらはなまりのように重かった。

    次の編のピクニック。面白かった。七瀬さんはとても不可思議。
    言ってることがおかしい。周りは徐々に気づいてゆきます。嘘か虚言癖か?
    だけど、憎めない。周りも巻き込んで(巻き込まれて楽しんでるみたいな)テンポよくてわりと好きです。

  • 本作は衝撃の連続だった。
    あみ子に無性に腹が立ち、周りの人間に同情する。
    自分がやったことに対して、何故相手が悲しいのか、何故怒っているのかがわからない。
    でもあみ子に悪気は全くない。
    寧ろ前向きなのである。
    しかしながらそのうち周りは崩れ出す。
    離れていく。
    あみ子はそれが何故なのかわからない。
    そして最後の「教えて欲しい」の台詞にあみ子の全てがこもっていたと思う。
    確かに皆、あみ子に言ったところで分からないだろうと、皆あみ子に「教える」と言うことをスルーしてきた。
    その気持ちも分からなくもない。
    恐らく言ったところであみ子は理解できない。
    それでもあみ子は教えて欲しかったんだなと、伝えて欲しかったんだなと、あのシーンを読む度胸が熱くなる。
    憎たらしいあみ子、でも愛しいあみ子。

    ラストが衝撃的だった「あの子」って誰?
    わたしの小さな脳みそから振り絞った答えがあみ子のことなのかなと。
    「あみちゃん」、そう自分の本当の名前を祖母から呼ばれた瞬間、あみ子は自分が誰なのか思い出したのだと思う。
    これはわたしの一方的な妄想に過ぎないが、祖母の元へ引っ越してから、あみ子はあみ子らしさ(子どもらしさ又は子どもの脅威、子ども故の残酷さなど)が欠如したんじゃないかなぁと。
    あみ子が落ちたのではないかと。
    でも、以前の様になりたくはなくて、昔の自分から逃げている。
    その描写がラストなのかなぁ…なんて。
    もう、分からなすぎて、でも気になりすぎて、何度も何度も読みました。
    今村夏子さんの作品は「むらさきのスカートの女」を読んだことがあるが、惹き込まれる、何度でも読み返してしまう不思議なある意味魔女の様な作家さんだと思いました。

  • 小学校時代、クラスに1人とは言わないまでも、学年に何人かはこんな子がいました。ただ落ち着きのない子みたいに済まされていたけれど、今は病名が付与される時代。本人にしてみれば、見えるもの聞こえるものに正直なだけ。好きな子には好きと言い、面白いものを追いかける。いわばKYで、実際に目の前にいたら、たぶん私はうざいと思ってしまう。なのにこうしてそんな子の頭の中を見せられたかのような作品に出会ったら、妙に切ない。読んでいる間は不愉快だったけど、読後感はそうじゃない。生きるのが下手でもいいじゃないかと思えます。凄い作家。

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著者プロフィール

今村夏子(いまむら なつこ)
1980年広島県生まれ。2010年「あたらしい娘」で第26回太宰治賞を受賞。「こちらあみ子」と改題、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で2011年に第24回三島由紀夫賞受賞。2016年、文芸誌『たべるのがおそい』で2年ぶりの作品「あひる」を発表、同作が第155回芥川龍之介賞候補にノミネート。同作を収録した短篇集『あひる』で、第5回河合隼雄物語賞受賞。2017年、「星の子」で第157回芥川龍之介賞候補ノミネート、第39回野間文芸新人賞受賞。 2019年、「むらさきのスカートの女」が第161回芥川龍之介賞を受賞した。

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