こちらあみ子 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 1170
レビュー : 142
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480431820

感想・レビュー・書評

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  •  表題作の「こちらあみ子」を読み終えたとき、言葉にできない違和感が残りました。そして、その違和感の原因を考えれば考えるほど「この話ってとんでもない話なのではないか」という思いに囚われていったのを、覚えています。

     この話の主人公のあみ子は、いわゆる人の感情の機微や、その場の空気が読めない女の子です。彼女自身に悪意はないのですが、その言動ゆえ家族やクラスメートたちも、振り回されます。

     それでも穏やかに見えたあみ子の日常は、家族に起こったある不幸と、あみ子の純真な思いから起こした行動によって、壊れてしまいます。

     しかし、人の感情の機微も、家族内の不穏な空気も読めないあみ子は、日常が崩れた中でも自分だけは、のんきにいつも通り過ごしていくのです。

     そんなあみ子の鈍さと純真さは、クラスメートにも襲いかかります。初恋の相手に迷惑がられていることにも気づかず、あみ子はずんずん相手に踏み込みます。

     純真さがはらむ暴力性、壊れた家族の日常、分かり合えない者に対する人の反応、初恋の相手と家族が最後に取った行動、いずれもとんでもなくシリアスなのですが、あみ子の語り口からは、そのシリアスさを感じません。それすらも普通のことと彼女は捉えるのです。

     あみ子と周囲の人々の埋めようのないギャップこそが、違和感の原因であり、そのギャップをシリアスになりきらず、あくまであみ子の視点で語りきったことが、この話に「とんでもなさ」を感じた理由だと思います。

     それでいて家族や初恋の相手の感情も、読者に想像させる余地を残して描いているのもとんでもない……。だからこそ、あみ子の存在は自分の心をざわつかせたのかもしれません。もし自分の周りにあみ子のような存在がいたら、自分はどうなってしまうのだろうと。

     表題作の他に二編の話が収録されているのですが「ピクニック」も色々な解釈のありそうな話です。自分には芸人の彼氏がいると話し、彼との馴れ初めや日常を幸せそうに語る七瀬さんと、その同僚の短編。

     七瀬さんが語るお話を楽しそうに聞く同僚たち、でもその一方で、その真偽を疑う後輩の子もいて……

     読めば読むほどに、同僚たちの行為は善意なのか悪意なのか、判別がつかなくなっていきます。七瀬さんにとって完璧な空間を作り出す同僚たちの姿が、気味悪くもあり、そしてラストの作り出されたような、とってつけたような爽やか風味のラストも気持ち悪くあり……

     収録作品3編とも、語り口や話の雰囲気自体は軽く読みやすいです。しかしその一方で、読み終えた時、言葉にしがたい違和感を残します。その違和感はきっと社会や人の残酷さを、語り口や話の雰囲気の裏側に、宿しているからだと思います。

     直接的な表現を使わず、あくまで読者の解釈に物語の意味を預ける、そんなイメージの作品集でした。

    芥川賞の作家さんってちょっと苦手なイメージがあったのですが、今村さんの著作は、もっと追いかけてみたいと思いました。

    第26回太宰治賞
    第24回三島由紀夫賞

  • 以下ネタバレ注意。

    「こちらあみ子」
    周りからも、家族からも、変わった言動をすると見なされている、あみ子。
    継母の習字教室には参加させてもらえないし、学校でも先生に怒られてばかりいる。

    継母の死産は、家族みんなにとって、大きな出来事だった。
    けれど、あみ子が気を利かせて作った「弟の墓」をきっかけに、継母は精神を病み、父は遅くまで帰って来なくなり、兄は不良の仲間入りをする。

    正常の反対には、気持ち悪さという異質があった。
    中学に進学したあみ子が、「お前には気持ち悪い所が沢山ある」と言われることを、正常に受け止めるシーンがある。
    そこで、正常に受け止めたことを察した同級生の男の子は、その内容に踏み込まない。

    それを言えば、あみ子を傷付けるかもしれない、と同じ舞台に立ったからだと思う。

    あみ子は、それを言われても傷付かなかったかもしれない。
    また、彼女が逆の立場なら何も考えず、気持ち悪さの中身を説明してあげることを、正常としていたかもしれない。

    白痴の純真さが、世界を壊してゆく。
    でも、あみ子は世界が壊れてゆくことに、気付けないわけではない。
    いなくなっていく人々を前に、あみ子なりに世界の修復を望む姿を見るのが、切ない。
    読んでいて、空気感に浸ってしまう、良い作品だった。

    他、「ピクニック」「チズさん」。

  • 小学校時代、クラスに1人とは言わないまでも、学年に何人かはこんな子がいました。ただ落ち着きのない子みたいに済まされていたけれど、今は病名が付与される時代。本人にしてみれば、見えるもの聞こえるものに正直なだけ。好きな子には好きと言い、面白いものを追いかける。いわばKYで、実際に目の前にいたら、たぶん私はうざいと思ってしまう。なのにこうしてそんな子の頭の中を見せられたかのような作品に出会ったら、妙に切ない。読んでいる間は不愉快だったけど、読後感はそうじゃない。生きるのが下手でもいいじゃないかと思えます。凄い作家。

  • 菫の花に、赤い部屋。鼻を優しく撫でる墨の香りは、静謐さと賑やかさを同時に思い出させてくれます。君の一言に、サツマイモの欠片でさえ黄色い宝石のように、私の中に華やかな1頁を刻み咲かせてくれました。この世界の全てから歌が聴こえた瞬間。雲が流れるメロディ、陽が射す囁き、スキップの笑い声は不規則だけれど楽しい。だけれどその美しき音楽は何時しか自由過ぎるカプリッチオとして耳を脳を侵食していきました。皆が笑う理由が、私が泣いているからだなんて、知らなくても良かった。何一つ伝わってなどいなかった。伝わらぬ言葉はもうそれですらないと。それでもいつも真っ直ぐに突っ走ることしか知らなかった私は、最後の最後に、自分を認識してくれていた優しい目に気付いたのでした。

  • 『こちらあみ子』

    多数派の中に生きる異物を、異物の視点から描いている物語である。

    あみ子が小学1年生から中学を卒業するまでの日々。
    あみ子は重度ではないが知的障害、多動などがある女の子。感情をコントロールできず衝動的で、社会性はなく人の気持ちを考えられない。
    幼いころは風変わりで済まされていたが、他の子供たちが社会の中に馴染んでいく中であみ子だけが取り残される。周囲はあみ子に振り回され、疎み、敬遠する。
    あみ子はいじめを受けたりバカにされたりするがその意味を理解できない。
    また、あみ子自身も多くの人に迷惑をかけ、傷つけるがそれが悪いことだと気づけない。

    あみ子の母は書道教室を営んでいて、あみ子は教室にやってくる同じクラスののり君に恋をする。嫌われて疎まれても正面からぶつかって行く。
    こののり君への恋心と、母が物語のキーである。

    あみ子の母は子供を死産するが、それを発端とするあみ子の行為から母は心が壊れてしまった。
    あみ子は自分の行動が及ぼす影響と結果を想像できない。母がどうしてそうなってしまったかわからず、事態はひたすら悪化して行く。

    最初は独特のズレたテンポと発散するあみ子の言動についていけないのだが、
    意図的に隠されていた母の事情がわかってからは一層深味が増す。
    最初ぐだぐだに感じたあみ子の混沌が物語世界にどんな影響を与えるのか想像し、捉え方が変化する。

    三人称で書かれているが、頭の回らないあみ子のレベルで物語は紡がれる。だが読者は世界を拡大して想像することができる。
    書かれていない登場人物の心理変化、決定的な破滅を察し、あみ子に苛立ち、他の登場人物に同情する。
    物語世界をつぶさに描く小説が、世にあるほとんど全てだけれど、これは書かれていない部分を読者が想像することで補完し完成される。高度な話だ。逆に読者の想像力に依存する部分もある。

    あみ子は正常な世界において明らかな異物であるが、当然本人は自分と他者の差に気づかない。
    あみ子は邪魔者扱いされボロボロになっていくのだが、そうなるにつれだんだんと不思議な愛しさを感じてしまう。

    頭の弱い子だからしょうがない、我慢しよう、という諦念が、あみ子を排除し、正常な世界を運営するために必要なのだと判断する物語の中の人々に、そしてそれは当然だと思ってしまう私自身から守ってあげたくなる。
    そういう心理になると、さらっと描写された内容のひとつひとつにあみ子と世界の壁を感じる。
    最後は父もあみ子を諦めてしまうのが、それすらあみ子には理解できない。
    世界を共有できない人と一緒に生きるのは難しいのだと残酷にも納得してしまうのだ。

    朝日新聞に掲載されたほむほむの書評が収録されているが、それも秀逸。
    あみ子は正常な世界で生きていくことは出来ないと感じながらも、世界の外側に行ける彼女に少し憧れてしまう感情。


    『ピクニック』
    あみ子とは逆に、異物ばかりで構成された世界に、正常な人間が”空気がよめない子”として登場している。


    正直表題作がずば抜けているため他の2作が霞む。

  • あみこ、おそるべし。
    その真っ直ぐ生きる強さは羨ましく思う。
    私はけしてあみこが可愛そうとは思わない。
    しかし、あみこに翻弄される周囲のみんなは哀れとしか言いようがない。
    現に翻弄されず上手く関われている少年もいたのだから。
    知的障害があるなしに関わらず、当たり前に固執すると、ありのままを受け入れられない、そんな人が、振り回され疲れはてるのではないか。
    それって例外なくだれにも当てはまる。そんな人間の解決できない矛盾?悲しい性?みたいなものを今村さんの作品には感じる。

    壮絶なシーン描写に度肝を抜かれ、思いがけないタイミングで小出しにされる登場人物の背景のネタバレに、読んでてうっかり声がでる。時には吹き出す。
    「ピクニック」もありえへんけど、大なり小なりどこにでもありそうな。。
    あみこもルミたちも結局は同じ、本音を隠さず孤立するか、人とうまくやるべく本音を隠して束になるか。どっち側になるか、人って誰しも本来そういう部分があるんじゃないかと。
    そしてどっちがどうとも言えない。
    孤立すると周囲からは変な奴扱いされるが自らが卑屈にならなければ自由でストレスもない。
    本音を隠して多数に潜り込むと、他者から攻撃されず一先ず安泰だが、船頭が誤れば変な方向へ止めどなく流される。
    皆と絶対うまくやらなきゃいけないの?通じあえなきゃ可哀想なの?
    人って厄介な生き物だ。
    むらさきのスカートの女でもそう思った。
    この方の作品は、読み始めたらとにかく一気読み!

  • ほんの少しの悪意の欠片だってなく、ただ純粋さからの言動だと頭では理解していたとして、それでも傷付きその痛みをやり過ごすことができなかったら、どうすればいいのだろう?その傷をもたらした相手を責め、遠ざけようとせずにいられるだろうか?あみ子の邪気のない振る舞いは読んでいて痛ましい。(そんなものはこちらからの同情に過ぎないのだけれど。)あみ子の呼び掛けに応えてくれていた(筈の)人の心は離れていってしまう。雑音しか聞こえてこなかったトランシーバーがやっと応えてくれたと思ったのに、結果は無残なものに終わる。今はあみ子を好いてくれている(筈の)さきちゃんは、いつまであみ子に会いに来てくれるのだろう。家の中からあみ子の名を呼ぶ祖母の声は、ずっと変わらずにあみ子を呼び続けていて欲しいと思った。

  • 純粋であることと暴力的であることは表裏一体なのだとつくづく思った。研ぎ澄まされているのに透明な薄い膜の中を覗いているような感覚で、怖いです。

  • 周りから見ると、とても変わっている。
    でも、当人は至ってまじめ。
    自分が変わっているなんて、つゆほども思っていない。
    その落差に、おかしみが生じる。
    昔から、そんなキャラクターに心惹かれます。
    古くは織田作之助「六白金星」の楢雄、ごく最近だと村田沙耶香「コンビニ人間」の古倉恵子、惜しくも亡くなりましたが赤染晶子「初子さん」の初子さんも、そんな人物でした。
    そして、あみ子―。
    あみ子は相当に変わっている。
    給食のカレーライスを手で食べる。
    どうやら風呂にもほとんど入らない。
    下駄箱に上履きがないからと言って、裸足で授業を受ける。
    というか、ほとんど授業には出ず、保健室で過ごしている。
    今度生まれて来る弟と遊ぼうと、トランシーバーを手に入れる。
    その弟が流産して死んでしまうと、小さなお墓を作る。
    金魚の墓の隣に…。
    あみ子は、同級生の男の子ののり君に恋をしている。
    だが、そんなあみ子だから、愛情の伝え方がとても不器用だ。
    ある日、保健室でのり君と2人きりになる。
    あみ子は「好きじゃ」と告白する。
    のり君は「殺す」と言う。
    あみ子は火がついたように「好きじゃ」を繰り返す。
    のり君も負けじと、「殺す」を繰り返すが、どうやらこちらの方が分が悪いようだ。
    あみ子は、のり君にぶん殴られる。
    そこの描写がすごい。
    「のり君が目玉を真っ赤に煮えたぎらせながら、こぶしで顔面を殴ってくれたとき、あみ子はようやく一息つく思いだった」
    あみ子は相当に変わっている。
    だが、これが人の本来の在り方ではないかと思わせる、強い何かがある。
    強い何かは作品全体に漂っている。
    読者は強い何かに背中を押され、次へ次へとページを捲る。
    そして、読み終わった時、何だかそわそわして居ても立ってもいられなくなる。
    これは恐らく長く読み継がれるであろう傑作だ。
    脱帽。

  • 思考のズレを柔らかな容器で満たした作品。

    表題作「こちらあみ子」はマイノリティから見たマジョリティ、
    「ピクニック」ではマジョリティからマイノリティ
    を表現しているとも言えなくもないが、
    もっと違った愛とか、絆をテーマにしているようでもある。

    作者からの一方通行ではなく、
    読者の感情で様々な解釈が思い浮かぶのは
    キャラクター(特にあみ子)の描き方が
    すこぶる異形だからなのかもしれない。

    常人とはかけ離れた人物の切り取り方が
    この作品、この作者の魅力の源なのかな。

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著者プロフィール

今村夏子(いまむら なつこ)
1980年広島県生まれ。2010年「あたらしい娘」で第26回太宰治賞を受賞。「こちらあみ子」と改題、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で2011年に第24回三島由紀夫賞受賞。2016年、文芸誌『たべるのがおそい』で2年ぶりの作品「あひる」を発表、同作が第155回芥川龍之介賞候補にノミネート。同作を収録した短篇集『あひる』で、第5回河合隼雄物語賞受賞。2017年、「星の子」で第157回芥川龍之介賞候補ノミネート、第39回野間文芸新人賞受賞。 2019年、「むらさきのスカートの女」が第161回芥川龍之介賞を受賞した。

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