こちらあみ子 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 1241
レビュー : 151
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480431820

感想・レビュー・書評

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  •  表題作の「こちらあみ子」を読み終えたとき、言葉にできない違和感が残りました。そして、その違和感の原因を考えれば考えるほど「この話ってとんでもない話なのではないか」という思いに囚われていったのを、覚えています。

     この話の主人公のあみ子は、いわゆる人の感情の機微や、その場の空気が読めない女の子です。彼女自身に悪意はないのですが、その言動ゆえ家族やクラスメートたちも、振り回されます。

     それでも穏やかに見えたあみ子の日常は、家族に起こったある不幸と、あみ子の純真な思いから起こした行動によって、壊れてしまいます。

     しかし、人の感情の機微も、家族内の不穏な空気も読めないあみ子は、日常が崩れた中でも自分だけは、のんきにいつも通り過ごしていくのです。

     そんなあみ子の鈍さと純真さは、クラスメートにも襲いかかります。初恋の相手に迷惑がられていることにも気づかず、あみ子はずんずん相手に踏み込みます。

     純真さがはらむ暴力性、壊れた家族の日常、分かり合えない者に対する人の反応、初恋の相手と家族が最後に取った行動、いずれもとんでもなくシリアスなのですが、あみ子の語り口からは、そのシリアスさを感じません。それすらも普通のことと彼女は捉えるのです。

     あみ子と周囲の人々の埋めようのないギャップこそが、違和感の原因であり、そのギャップをシリアスになりきらず、あくまであみ子の視点で語りきったことが、この話に「とんでもなさ」を感じた理由だと思います。

     それでいて家族や初恋の相手の感情も、読者に想像させる余地を残して描いているのもとんでもない……。だからこそ、あみ子の存在は自分の心をざわつかせたのかもしれません。もし自分の周りにあみ子のような存在がいたら、自分はどうなってしまうのだろうと。

     表題作の他に二編の話が収録されているのですが「ピクニック」も色々な解釈のありそうな話です。自分には芸人の彼氏がいると話し、彼との馴れ初めや日常を幸せそうに語る七瀬さんと、その同僚の短編。

     七瀬さんが語るお話を楽しそうに聞く同僚たち、でもその一方で、その真偽を疑う後輩の子もいて……

     読めば読むほどに、同僚たちの行為は善意なのか悪意なのか、判別がつかなくなっていきます。七瀬さんにとって完璧な空間を作り出す同僚たちの姿が、気味悪くもあり、そしてラストの作り出されたような、とってつけたような爽やか風味のラストも気持ち悪くあり……

     収録作品3編とも、語り口や話の雰囲気自体は軽く読みやすいです。しかしその一方で、読み終えた時、言葉にしがたい違和感を残します。その違和感はきっと社会や人の残酷さを、語り口や話の雰囲気の裏側に、宿しているからだと思います。

     直接的な表現を使わず、あくまで読者の解釈に物語の意味を預ける、そんなイメージの作品集でした。

    芥川賞の作家さんってちょっと苦手なイメージがあったのですが、今村さんの著作は、もっと追いかけてみたいと思いました。

    第26回太宰治賞
    第24回三島由紀夫賞

  • 以下ネタバレ注意。

    「こちらあみ子」
    周りからも、家族からも、変わった言動をすると見なされている、あみ子。
    継母の習字教室には参加させてもらえないし、学校でも先生に怒られてばかりいる。

    継母の死産は、家族みんなにとって、大きな出来事だった。
    けれど、あみ子が気を利かせて作った「弟の墓」をきっかけに、継母は精神を病み、父は遅くまで帰って来なくなり、兄は不良の仲間入りをする。

    正常の反対には、気持ち悪さという異質があった。
    中学に進学したあみ子が、「お前には気持ち悪い所が沢山ある」と言われることを、正常に受け止めるシーンがある。
    そこで、正常に受け止めたことを察した同級生の男の子は、その内容に踏み込まない。

    それを言えば、あみ子を傷付けるかもしれない、と同じ舞台に立ったからだと思う。

    あみ子は、それを言われても傷付かなかったかもしれない。
    また、彼女が逆の立場なら何も考えず、気持ち悪さの中身を説明してあげることを、正常としていたかもしれない。

    白痴の純真さが、世界を壊してゆく。
    でも、あみ子は世界が壊れてゆくことに、気付けないわけではない。
    いなくなっていく人々を前に、あみ子なりに世界の修復を望む姿を見るのが、切ない。
    読んでいて、空気感に浸ってしまう、良い作品だった。

    他、「ピクニック」「チズさん」。

  • 小学校時代、クラスに1人とは言わないまでも、学年に何人かはこんな子がいました。ただ落ち着きのない子みたいに済まされていたけれど、今は病名が付与される時代。本人にしてみれば、見えるもの聞こえるものに正直なだけ。好きな子には好きと言い、面白いものを追いかける。いわばKYで、実際に目の前にいたら、たぶん私はうざいと思ってしまう。なのにこうしてそんな子の頭の中を見せられたかのような作品に出会ったら、妙に切ない。読んでいる間は不愉快だったけど、読後感はそうじゃない。生きるのが下手でもいいじゃないかと思えます。凄い作家。

  • 菫の花に、赤い部屋。鼻を優しく撫でる墨の香りは、静謐さと賑やかさを同時に思い出させてくれます。君の一言に、サツマイモの欠片でさえ黄色い宝石のように、私の中に華やかな1頁を刻み咲かせてくれました。この世界の全てから歌が聴こえた瞬間。雲が流れるメロディ、陽が射す囁き、スキップの笑い声は不規則だけれど楽しい。だけれどその美しき音楽は何時しか自由過ぎるカプリッチオとして耳を脳を侵食していきました。皆が笑う理由が、私が泣いているからだなんて、知らなくても良かった。何一つ伝わってなどいなかった。伝わらぬ言葉はもうそれですらないと。それでもいつも真っ直ぐに突っ走ることしか知らなかった私は、最後の最後に、自分を認識してくれていた優しい目に気付いたのでした。

  • 『こちらあみ子』

    多数派の中に生きる異物を、異物の視点から描いている物語である。

    あみ子が小学1年生から中学を卒業するまでの日々。
    あみ子は重度ではないが知的障害、多動などがある女の子。感情をコントロールできず衝動的で、社会性はなく人の気持ちを考えられない。
    幼いころは風変わりで済まされていたが、他の子供たちが社会の中に馴染んでいく中であみ子だけが取り残される。周囲はあみ子に振り回され、疎み、敬遠する。
    あみ子はいじめを受けたりバカにされたりするがその意味を理解できない。
    また、あみ子自身も多くの人に迷惑をかけ、傷つけるがそれが悪いことだと気づけない。

    あみ子の母は書道教室を営んでいて、あみ子は教室にやってくる同じクラスののり君に恋をする。嫌われて疎まれても正面からぶつかって行く。
    こののり君への恋心と、母が物語のキーである。

    あみ子の母は子供を死産するが、それを発端とするあみ子の行為から母は心が壊れてしまった。
    あみ子は自分の行動が及ぼす影響と結果を想像できない。母がどうしてそうなってしまったかわからず、事態はひたすら悪化して行く。

    最初は独特のズレたテンポと発散するあみ子の言動についていけないのだが、
    意図的に隠されていた母の事情がわかってからは一層深味が増す。
    最初ぐだぐだに感じたあみ子の混沌が物語世界にどんな影響を与えるのか想像し、捉え方が変化する。

    三人称で書かれているが、頭の回らないあみ子のレベルで物語は紡がれる。だが読者は世界を拡大して想像することができる。
    書かれていない登場人物の心理変化、決定的な破滅を察し、あみ子に苛立ち、他の登場人物に同情する。
    物語世界をつぶさに描く小説が、世にあるほとんど全てだけれど、これは書かれていない部分を読者が想像することで補完し完成される。高度な話だ。逆に読者の想像力に依存する部分もある。

    あみ子は正常な世界において明らかな異物であるが、当然本人は自分と他者の差に気づかない。
    あみ子は邪魔者扱いされボロボロになっていくのだが、そうなるにつれだんだんと不思議な愛しさを感じてしまう。

    頭の弱い子だからしょうがない、我慢しよう、という諦念が、あみ子を排除し、正常な世界を運営するために必要なのだと判断する物語の中の人々に、そしてそれは当然だと思ってしまう私自身から守ってあげたくなる。
    そういう心理になると、さらっと描写された内容のひとつひとつにあみ子と世界の壁を感じる。
    最後は父もあみ子を諦めてしまうのが、それすらあみ子には理解できない。
    世界を共有できない人と一緒に生きるのは難しいのだと残酷にも納得してしまうのだ。

    朝日新聞に掲載されたほむほむの書評が収録されているが、それも秀逸。
    あみ子は正常な世界で生きていくことは出来ないと感じながらも、世界の外側に行ける彼女に少し憧れてしまう感情。


    『ピクニック』
    あみ子とは逆に、異物ばかりで構成された世界に、正常な人間が”空気がよめない子”として登場している。


    正直表題作がずば抜けているため他の2作が霞む。

  • あみこ、おそるべし。
    その真っ直ぐ生きる強さは羨ましく思う。
    私はけしてあみこが可愛そうとは思わない。
    しかし、あみこに翻弄される周囲のみんなは哀れとしか言いようがない。
    現に翻弄されず上手く関われている少年もいたのだから。
    知的障害があるなしに関わらず、当たり前に固執すると、ありのままを受け入れられない、そんな人が、振り回され疲れはてるのではないか。
    それって例外なくだれにも当てはまる。そんな人間の解決できない矛盾?悲しい性?みたいなものを今村さんの作品には感じる。

    壮絶なシーン描写に度肝を抜かれ、思いがけないタイミングで小出しにされる登場人物の背景のネタバレに、読んでてうっかり声がでる。時には吹き出す。
    「ピクニック」もありえへんけど、大なり小なりどこにでもありそうな。。
    あみこもルミたちも結局は同じ、本音を隠さず孤立するか、人とうまくやるべく本音を隠して束になるか。どっち側になるか、人って誰しも本来そういう部分があるんじゃないかと。
    そしてどっちがどうとも言えない。
    孤立すると周囲からは変な奴扱いされるが自らが卑屈にならなければ自由でストレスもない。
    本音を隠して多数に潜り込むと、他者から攻撃されず一先ず安泰だが、船頭が誤れば変な方向へ止めどなく流される。
    皆と絶対うまくやらなきゃいけないの?通じあえなきゃ可哀想なの?
    人って厄介な生き物だ。
    むらさきのスカートの女でもそう思った。
    この方の作品は、読み始めたらとにかく一気読み!

  • ほんの少しの悪意の欠片だってなく、ただ純粋さからの言動だと頭では理解していたとして、それでも傷付きその痛みをやり過ごすことができなかったら、どうすればいいのだろう?その傷をもたらした相手を責め、遠ざけようとせずにいられるだろうか?あみ子の邪気のない振る舞いは読んでいて痛ましい。(そんなものはこちらからの同情に過ぎないのだけれど。)あみ子の呼び掛けに応えてくれていた(筈の)人の心は離れていってしまう。雑音しか聞こえてこなかったトランシーバーがやっと応えてくれたと思ったのに、結果は無残なものに終わる。今はあみ子を好いてくれている(筈の)さきちゃんは、いつまであみ子に会いに来てくれるのだろう。家の中からあみ子の名を呼ぶ祖母の声は、ずっと変わらずにあみ子を呼び続けていて欲しいと思った。

  • 純粋であることと暴力的であることは表裏一体なのだとつくづく思った。研ぎ澄まされているのに透明な薄い膜の中を覗いているような感覚で、怖いです。

  • 周りから見ると、とても変わっている。
    でも、当人は至ってまじめ。
    自分が変わっているなんて、つゆほども思っていない。
    その落差に、おかしみが生じる。
    昔から、そんなキャラクターに心惹かれます。
    古くは織田作之助「六白金星」の楢雄、ごく最近だと村田沙耶香「コンビニ人間」の古倉恵子、惜しくも亡くなりましたが赤染晶子「初子さん」の初子さんも、そんな人物でした。
    そして、あみ子―。
    あみ子は相当に変わっている。
    給食のカレーライスを手で食べる。
    どうやら風呂にもほとんど入らない。
    下駄箱に上履きがないからと言って、裸足で授業を受ける。
    というか、ほとんど授業には出ず、保健室で過ごしている。
    今度生まれて来る弟と遊ぼうと、トランシーバーを手に入れる。
    その弟が流産して死んでしまうと、小さなお墓を作る。
    金魚の墓の隣に…。
    あみ子は、同級生の男の子ののり君に恋をしている。
    だが、そんなあみ子だから、愛情の伝え方がとても不器用だ。
    ある日、保健室でのり君と2人きりになる。
    あみ子は「好きじゃ」と告白する。
    のり君は「殺す」と言う。
    あみ子は火がついたように「好きじゃ」を繰り返す。
    のり君も負けじと、「殺す」を繰り返すが、どうやらこちらの方が分が悪いようだ。
    あみ子は、のり君にぶん殴られる。
    そこの描写がすごい。
    「のり君が目玉を真っ赤に煮えたぎらせながら、こぶしで顔面を殴ってくれたとき、あみ子はようやく一息つく思いだった」
    あみ子は相当に変わっている。
    だが、これが人の本来の在り方ではないかと思わせる、強い何かがある。
    強い何かは作品全体に漂っている。
    読者は強い何かに背中を押され、次へ次へとページを捲る。
    そして、読み終わった時、何だかそわそわして居ても立ってもいられなくなる。
    これは恐らく長く読み継がれるであろう傑作だ。
    脱帽。

  • 思考のズレを柔らかな容器で満たした作品。

    表題作「こちらあみ子」はマイノリティから見たマジョリティ、
    「ピクニック」ではマジョリティからマイノリティ
    を表現しているとも言えなくもないが、
    もっと違った愛とか、絆をテーマにしているようでもある。

    作者からの一方通行ではなく、
    読者の感情で様々な解釈が思い浮かぶのは
    キャラクター(特にあみ子)の描き方が
    すこぶる異形だからなのかもしれない。

    常人とはかけ離れた人物の切り取り方が
    この作品、この作者の魅力の源なのかな。

  • デビュー作にして太宰治賞、三島由紀夫賞を受賞した表題作ほか2編。

    知的もしくは発達障害と思われる「あみ子」は、突拍子もない言動で周囲の人たちを疲弊させていく。悲しいことに、彼女のまっすぐで情熱的な思いは、好きな男の子にも両親にも受け入れてはもらえない。
    そんな重い題材を取り上げながら、暗くならず、むしろカラリと力強く進むところがいい。

    芥川賞候補ということで手に取った『星の子』に魅了され、『あひる』、本作と出版順を遡るかたちで1週間に3冊読んだ。中毒性のある特異な世界にどっぷり浸り、早くも次作が読みたくなる。今のところはこれしかないのが残念。
    それにしても、これがデビュー作とは畏れ入った。一度読んだら忘れられない作品だ。久し振りに新しく追いかけたい作家が出てきて、わくわくする。
    私の薦めで寝る前にあみ子を読んだ母は、度肝を抜かれ悪夢を見たそうで。さもありなん!

  • あちこちで「衝撃作」と評価されているのを目にし、またそんな大袈裟な、ありきたりな煽り文句を、と心の隅で思っていたのだけど、これは、どえらいものを読んでしまったとざわざわする気持ちが治まらない。
    町田康、穂村弘の解説も良い。

  • 一風変わった性格の主人公を持つ表題作、「ピクニック」、「チズさん」を収録。変わったストーリーだなと思ったが、町田康の解説を読んで納得。たしかに、主人公は一途なのだった。一途を突き詰めると、こうなってしまうのかもしれない。もう1つの解説が穂村弘なのも、いわゆる世間とのずれを意識する人(穂村さん)と意識しない人(あみ子や七瀬さん)の対比が出ていて、選定の妙を感じた。

  • ものすごい傑作を読んでしまった。あみ子の訳のわからなさ加減が半端ない。本人はそれぞれの行動にちゃんと理由があるけど、誰もそれを理解できない。理解できないけど悪気がないのは分かってるから、周囲はどうにもならない。あみ子の存在が周りに負のオーラ出しまくりなのが何とも切ないのだが、あみ子と兄、あみ子とのり君、あみ子と両親それぞれの関係性の中に、言葉にはできない大事な核が確実にあるのは感じる。あみ子がトランシーバーで助けを求める場面は胸に迫るものがあった。あと、町田康の解説もとても良かった。

  • 芥川賞候補になった作家だから、言葉をこねくり回して無理に難解にする系の小説なのかと思いきや、話に引き込まれ一気に読んだ。「こちらあみ子」はおそらく忘れられない小説になるだろう。知的障害者の目線で捉えた話で多くの人に読んでもらいたい。自閉症や多動症の子供は芸術的に天才が多く、その彼らがどんな風景を見てるのかを、正しいかどうかわからないが垣間見えると思う。

    • chie0305さん
      あみ子とのり君の例のあの会話の時、怖くなりました。分かり合えない。ここまでくると、もうホラーだわ…と。どちらが悪いというわけではないけど。私...
      あみ子とのり君の例のあの会話の時、怖くなりました。分かり合えない。ここまでくると、もうホラーだわ…と。どちらが悪いというわけではないけど。私も、この本は心に残りました。
      2017/10/31
    • kakaneさん
      チエさん。コメントありがとうございます。自分の心のままに行動し、発言する障害者に健常者はどう接すればいいのか?難しいけど
      理解していかなけれ...
      チエさん。コメントありがとうございます。自分の心のままに行動し、発言する障害者に健常者はどう接すればいいのか?難しいけど
      理解していかなければいけませんね。みんなが考えさせられる傑作だと思います。
      2017/10/31
  • 太宰治賞と三島由紀夫賞をダブル受賞した表題作と、「ピクニック」「チズさん」を合わせた短編集。
    3つとも全部、読んでいてざわざわした。何とも言えない読後感。
    ざわざわ具合ではこないだ読んだ川上弘美さんの短編集と負けず劣らず。

    風変わりな女の子・あみ子は、かつて家族から愛されていた。優しい父、一緒に登下校してくれる兄。そして書道教室の先生をしている母のお腹には赤ちゃんがいた。
    純粋無垢すぎるあみ子の行動は、周囲の人々を否応なしに変えてゆき、いつの間にかあみ子はひとりぼっちになってしまう。

    主人公のあみ子は恐らく、何かの障害を抱えているのだろうと思う(作中にそういった記述はないが)。
    純粋すぎるからこそ、どういう言動が人を傷つけたり、嫌われる原因になるのかが分からない。だから思ったままに行動してしまい、それが周囲を傷つけたり煩わせたりして、学校でもあっという間に孤立する。
    物語だと分かっていてもぎょっとする場面もある。
    だけど…物語だから、なのかも知れないけれど、最初から最後まであみ子のことは憎めないし、そもそもそれを受け入れない社会の仕組みや常識が100%正しいと言えるのか、ということを考えてしまう。

    子どもの頃にプレゼントされた、壊れたトランシーバーを大切にし続けるあみ子。「こちらあみ子、応答せよ」
    応えて欲しい人は誰も応えてくれない。でもあみ子は気づかなくても、実はそっと応えてくれる人も存在していたりする。
    孤立していることにも気づかないあみ子はとても切ない。でもそれと同時に、自分の世界を完全に確立してその中で自分らしく生きているあみ子は、彼女的には不幸ではないのかもしれない。
    導入部とラストが繋がるとやはり切ないけれど…でも不思議な爽やかさも残る。
    “自分らしく生きること”の極みを見せつけられるような作品。
    帯の絶賛具合は嘘じゃなかった。

    ざわざわ具合で言うと個人的には「ピクニック」はさらに上をいく。
    淡々と進み、どこまでが本気?と思いながら読んだ。現実感を呼び寄せる登場人物がたった1人だけ、というのが何とも。1人しかいないからその人がやたらと冷たく映ってしまうのだけど、その1人がまともなのだということに気づくとはっとする。

    これがデビュー作みたいだからまだそんなにたくさん作品は出していないのだろうけど、アメトーークの読書芸人の回で「あひる」という作品が紹介されていた気がする。
    この空気感があるのなら、読んでみたい。

  • ここのところ怪奇幻想耽美デカダンみたいな本ばかり読んでいたのでちょっと息抜き・・・と思って読んだら、意外にもなんかこう、切っ先鋭いナイフを突きつけられてしまった。町田康の解説がとても面白かったのだけど、確かに、この本からは勇気も元気も貰えないし(与えるつもりもないだろうし)でも何かがぐっさり残ってしまう。そして主人公だけでなくあらゆる登場人物に感情移入が可能だし、いろんな読み方、いろんな解釈が可能で、読む人の年齢や性格、そのときの精神状態によってきっと読み返すたびに印象が変わるのだろうな。

    私自身は、裏表紙の紹介文にあるように、あみ子を「ちょっと風変わり」だけど「純粋」で「無垢」などとは全く思えず、ダミアンか!というほど邪悪な存在に思えて疎ましかった。・・・と、正直に言うと「ひどい!」と非難する人もいるだろうし「あみ子は悪くない」「ああいう子を許容できない現代社会の問題が・・・」という意見もあるでしょう。「あたしはあみ子みたいになりたい。自由で素敵」というアホもいるでしょう(暴言)でもきっとあみ子は鏡のようなものなんだろうなと思う。
    きっと私自身が邪悪で心が荒んでて鬱屈しているから、あみ子に対して攻撃的な気持ちになってしまうんだろうな。

    いろんな読み方ができると先にも書いたけれど、私はあみ子の「無邪気」が実は特定の対象(継母)に対しては明らかに悪意の方向に発揮されているのがとても気になった。「空気を読めない」のは仕方ない、彼女はなんらかの障害を抱えているのだろうし。しかし「他人を傷つけて平然としている」のはちょっと違う。障害のせいだから、無自覚だから許していいという問題ではない。お兄ちゃんは新しいお母さんの「ホクロ」のことをそんな風に言ってはいけないと必死に妹に諭す。すごく正しく優しいお兄ちゃんだったと思う。でもそんなお兄ちゃんでさえあみ子のせいでグレてしまった。お母さんは確かに、カメラの件では意地悪だったかもしれない。でもそうなる前は継子なうえに問題児のあみ子にも歩み寄る努力をしてくれていたはず。でもあみ子は、お母さんの弱点を敏感にかぎつけて、無邪気な優しさのふりをしてお母さんの心を粉々に壊してしまった。それでいてなおかつ、鬱で寝てばかりいる、入院もするお母さんを「自分ばっかりずるい」と思っている。ずっとやさしかったお父さんがついに音を上げて「引っ越しするか」と言ったとき、あみ子はそれをお母さんと「離婚する」のだと解釈する。つまりそれがあみ子の願望だった。

    のり君に対しても、これって「一途」で片づけられる問題なのかなあ?被害者のり君からしてみればあみ子は「気持ち悪いありえないしつこいストーカー」でしかないんですよ?これを美化したら、すべてのストーカーが純粋で一途で無垢ってことになってしまう。違うでしょ、相手の気持ちを無視して自分の要望だけを主張するそれは「自己中心」「自分勝手」というのです。のり君がついにあみ子に対してブチキレたとき、よくやった!と思ってしまった私はクズなのだろうか。お父さんがあみ子だけを「引っ越し」させたことを「当然の報い」と思ってしまう私は差別主義の人非人なのだろうか。・・・と、結果、短い小説を読み終えたあとに、自分の内面と向き合うことになります。怖い小説だと思う。

    併録されている「ピクニック」にも七瀬さんという独特の変わった女性が出てきますが、このひともあえて乱暴な言葉でいえば「ちょっと頭のおかしいひと」なんだけど、彼女はただ妄想の中に生きているだけで、他の誰のことも傷つけないので私は好きでした。こちらの小説はむしろ、彼女をとりまく側の問題。いっけん七瀬さんを受け入れて仲良くしているかのような「ルミたち」の偽善なのかおふざけなのか曖昧な悪意、生意気な「新人」のように七瀬さんにきつく当たるくらいのほうがもしかして人として正常な反応なんじゃないかとか。こちらもいろんな読み方できて怖い作品だった。

    ※収録作品
    「こちらあみ子」「ピクニック」「チズさん」

  • ・こちらあみ子
    ・ピクニック
    ・チズさん
    以上の3編が書かれています。
    …う〜ん…『面白かった』の表現は違う気がするけど、後を引くというか、どれもが『ギョッ』とする。
    私には少し難しかったかな(笑)
    感想で言葉にするのは難しいけど、評価は★4で☺︎

  • 「むらさきのスカートの女」を読み、この作者の別作品も読んでみたいとの思いから手に取った。本来は、読者サイドであったはずの「主人公」が次第に感情移入することのできないほど世間とズレた存在になっていく。その変化のスピード感が恐ろしいのに読むのをやめられない魅力がある作品。作者自身はどういう気持ちで、あみ子を描いていたのだろう。あみ子という少女は世間的には「異常」だが、本人は自分の感情に素直に生きているだけなのだと思うと、その純粋さがただただ怖い…。むらさきのスカートの女が好きな人はこの作品も気に入るだろうな、と思う。

  • タイトル作を含む3本の短編作品集。どの作品も世間から浮いている女性が主人公。最近の作者の芥川賞受賞作「むらさきのスカートの女」を楽しく読めない読者は、この3作品は読まないほうが良いかもしれない。

    で、タイトル作「こちらあみ子」。主人公のあみ子は今で言う発達障害。彼女の純粋で周囲に強調しない発言や行動は家族や同級生たちをひたすら傷つける。そして、彼らはあみ子から離れたり、いじめたり、前歯を折るほど殴ったり。

    が、あみ子には受ける行為の理由がわからない。だから、辛くもないし、悲しくもない。わからないことが多すぎるが、自分が生きづらい世界に住んでいることだけはわかっている。壊れたトランシーバーに呼びかけた世界へあみ子は助けを求めたのか、そちらへ行きたいのか。

    本作品を読んで考える。もし、あみ子のような子供と出会ったら、どんな態度を取れるだろうか。トランシーバーで会話をしてあげられるだろうか。

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著者プロフィール

今村夏子(いまむら なつこ)
1980年広島県生まれ。2010年「あたらしい娘」で第26回太宰治賞を受賞。「こちらあみ子」と改題、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で2011年に第24回三島由紀夫賞受賞。2016年、文芸誌『たべるのがおそい』で2年ぶりの作品「あひる」を発表、同作が第155回芥川龍之介賞候補にノミネート。同作を収録した短篇集『あひる』で、第5回河合隼雄物語賞受賞。2017年、「星の子」で第157回芥川龍之介賞候補ノミネート、第39回野間文芸新人賞受賞。 2019年、「むらさきのスカートの女」が第161回芥川龍之介賞を受賞した。

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