氷 (ちくま文庫 か 67-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480432506

感想・レビュー・書評

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  • 基本的には優しく一途だが本質的には相手のことを理解しておらず、自分の気持ちが届かないと相手の責任だと拗ねてしまう男と、自分が求めずとも周りが放っておかずに常に拠り所となる特定の相手が存在して、先の本命が拗ねて離れて行った時にはその時々の相手に依存できる女との、別れては復縁を繰り返す愛の物語。現代的に言えばこんな感じの二人の関係を、世界の滅亡が迫ると共にお互いが確かめあっていく。

    読み終えてみてこのように感じた。この感じ方は正しいか正しくないかは人それぞれありそうだが、なにせ読んでいる途中でちょっと気を抜くと場面が変わっていたり、(物語の中の)現実か非現実か戸惑うこともあり、登場人物のセリフや行動すら不確かなようにも思えたからだ。

    反面、タイトルでもある「氷」はこの物語の中では確実で絶対のものであり、世界が氷に覆い尽くされていく。ただこれも物語の後半あたりから急速に展開されていくもので、そこまでの話は主人公がどこまでも少女を追い求めていく内容である。二人の関係性は一時として穏やかに落ち着くことがないように、物語全体としても雪や夜など寒々しく不穏な印象が強い。不思議な没入感はあるのだが、個人的にはなかなか読み通すのに苦労した。だが、心の中には強く残る。この世界観に酔いしれるのが良いのかもしれない。

  • 私とは、少女とは、一体何なのか、冷艶な世界に追われながら人々は何故争っているのか。
    目まぐるしく移り変わる場面や視点に煽られる不安感、あっという間に読了。
    1967の作品、カウンターカルチャーはまりそうです。

  • 氷が世界を終末に導こうとしている世界。
    そこで曾て冷淡な母親の元から、彼に託された少女を追う男。そして、男と同じように少女に執着して彼から少女を奪う男である長官。

    何度も繰り返される、追跡と逃亡。

    彼女は時に逃れ、時に奪われ、時に男を拒絶する。

    まるで混乱を極める世界そのもののように。

    彼女が傷ましくて悲しい。

    少女と男を通して、かくも世界は冷たく哀しいと、カヴァンは訴えたかったのだろうか。
    わからない。

  • 『氷』というタイトル名の本は同時期に、これとソローキンのものが出ている。アナーキーなぶっ飛びかたではソローキンのほうが上を行くとは思うけれど、「『氷』、復刊するってよ!」と読書好きの間で情報が駆けめぐり、今の時点では『氷』というとこちらのアンナ・カヴァンの作品を指すことになっている。私もどちらにしようか迷ったが、流行りというか、「これだけ復刊が話題になるってどういうことだろう」とこちらを手にとってみた。直球勝負の表紙と邦題。

    大きな戦争で使われた(らしい)兵器のとばっちりで、氷に急速に覆われていく世界と、以前会ったある少女を追い求める男性の話。甘いボーイ・ミーツ・ガールの物語かと思いながら読み進めていくが、男性が少女に抱く思いというのは、愛情というよりは何らかの執着なのではないだろうかと思うくらい、理由に乏しい。フランス語でいうところの「クー・ド・フードル(雷の一撃=一目ぼれ)」なのかとも思わないこともないが、同じく少女に執着する「長官」を利用しようとして近づくにつれてシンパシーを感じ、少女に対して彼と同じ力をふるいたいと感じる局面が肥大したりと、生やさしいものではない。か弱い乙女を苦界より救いたいというよりも、手があと少しのところで届かないから追うということが目的になり、誰にも安息が与えられずに話が進む。しかも、荒れた世界を氷が飲み込みながら支配範囲を広げていく荒々しさが、冷え冷えと描かれて強烈なインパクトがある。特に、水辺の波が一瞬にして氷結していく土地のさまは、凶暴ですらある。

    少女を追う男性の視点がはさまれていつつも第三者の視点で描写されているように思うが、時系列が前後していたり、目撃したものの真偽がはっきりしないなど、これは小説世界の中の「事実」を男性の目線から描いたものではなく、男性の意識が作り上げた妄想世界なのではないかと思う箇所が多々あった。

    すっかり氷におおわれてしまった辺境の地や地方武装勢力の支配地域、まだ氷に覆われるには時間がある世界と、読み終わると意外にロードノベル感が印象に残った小説だった。ラストシーンもハッピーなのかそうでないのかは抜きにして、そこまでの緊迫感とは異なり、すうっと「遠くへ」という抜け感のある作品だったように思う。

    序文のクリストファー・プリーストによる「スリップストリーム文学」というカテゴライズと論も「ほうほう」と面白く読んだ。プリーストが挙げる作家はいずれも、その作品の飛ばしっぷりから、「これがスリップストリームというやつか」と納得できるものがほとんどなんだけれど、オースターと村上春樹が挙げられているのが「えっ、そこですか?」と、ちょっと不思議なような気もした。

  • 氷に覆われた世界で少女を探す主人公の私。
    私の行く手を阻む、某国の長官。氷に覆われ終末へ向かう世界を舞台に、それぞれの行動と記憶が綴られた小説。

    最後まで読んだが、これがよく分からない。描かれた時代や場所は?いつどこなのか。現在か過去なのか。主人公の私や少女はそもそも何者なのか。この物語自体、主人公が見ている夢ではないのか。全てが曖昧なまま、文明と人が氷に征服され、世界は荒廃し崩壊していく。
    ただ、分からないからつまらないのかというと、全く違う。むしろ頁をめくる手が止まらなかった。

    魅了された理由は何か。それは「氷」です。
    迫り来る氷。寒波を逃れるため、食料を求めて人々は争う。暴動が生まれ、殺戮が起きる。人心が荒廃する。氷によって生物は死に絶え、文明も人間も堕ちる。駄目になる。破壊される。世界と人間が破滅してゆく。
    氷によって朽ちていく世界。その過程を描写した文章があまりに美しい。なぜか読んでいてとても心地いい。
    破壊の享楽性と言い得るかもしれない。
    崩壊を描くことが逆に創造的であるという稀有な小説。そこに魅かれ、訳が分からないまま、最後まで読んでしまった。

  •  作品を評する際に、美しく、かなしい物語、という形容詞をつけるのは陳腐すぎるだろう。しかし、少なくとも美しさに関して言えば、この小説は私が今まで読んだどんな物語よりも美しいと感じた。
     得てして美しい物語というものは、解説や感想を述べづらい。人間の最も根源的な感情に侵入してきて、言語化することを妨げるからだ。加えてカヴァンの氷は、序文や解説で述べられているように、明瞭な筋道が存在しない。物語は不連続かつ不確実で、フラッシュバックのように脈絡のない文章が、一行空きもなく差し込まれる。そのため読者は絶えず混乱しながらページを捲ることになる。
     時代や場所、登場人物の経歴などは作中に一切提示されない。軍部が力を持ち、おそらく核兵器も存在するようだが、「王」や「竜」といった単語も登場し、中世的なメルヘンの様相も帯びている。そもそも筋がめちゃくちゃなのは先に述べたとおりだが、視点すらも定まっていない。「私」が主軸の一人称単数の文体のはずなのに、主人公は見ていないはずの風景も、あたかもそこに存在するかのように語っている。神のように。そうなると、これは惑星自身が死の直前に見る走馬灯なのではないかとすら思えてくる。
     作中のなかで、唯一確かな存在といえるものといえば「少女」だけである。少女はあらゆる時代と場所に存在するようだ。何度となく損なわれたはずなのに、完全に消え去ることはなく、主人公の心を惹きつけ続ける。しかし、主人公が少女を手に入れることはできない。
     少女は脆く、儚い。常に被害者であり、虐げられている。主人公は少女を追い求める。絶対的な真理を求めるかのように。しかし、それが叶うことはない。加えて、主人公の最終的な目的は、少女を守ることではなく、少女を手に入れて傷つけるためだ(主人公が少女を守ることを決めたのは物語の最終盤である)。では、なぜ主人公はそんな目的を抱いたのか? 二人の関係性は? もちろん、作中でそれが明示されることはない。少女とは何者なのだろう。何かのメタファーなのか。
     少女とは対比的に描かれているのが「氷」だ。氷は絶対的、圧倒的な存在で主人公(と人類)を追い詰める。カヴァンの緻密かつ、過剰な文章によって、氷の、その無機質で究極の恐ろしさが描写されている。読んでいるだけで息が詰まりそうになる。そして、それは絶対的であるからこそ美しいとすら感じてしまう。

    と、その時、驚異的なものが現われた。この世のものとは思えない超常的な光景。虹色の氷の壁が海中からそそり立ち、海を真一文字に切り裂いて、前方に水の尾根を押しやりながら、ゆるやかに前進していた。青白い平らな海面が、氷の進行とともに、まるで絨毯のように巻き上げられていく。それは恐ろしくも魅惑的な光景で、人間の眼に見せるべく意図されたものとは思えなかった。その光景を見下ろしながら、私は同時に様々なものを見ていた。私たちの世界の隅々までを覆いつくす氷の世界。少女を取り囲む山のような氷の壁。月の銀白色に染まった少女の肌。月光のもと、ダイヤモンドのプリズムにきらめく少女の髪。私たちの世界の死を見つめている死んだ月の眼。
    ――アンナ・カヴァン『氷』P212

     氷は死の表出なのか。あるいは、死、そのものなのだろうか。いや、氷は死をもたらすだけで、死そのものではないはずだ。限りなく抽象的なのに、どこまでも現実的で、鋭く、触れれば痛みを伴うもの。心とか、愛とか、そういったものに近い気もしてくる。
     それでは少女は生の象徴か? いや、どちらかというと少女の方が「死」の具現のように思える。長官は少女を屈服させ、従属させようとする。だが、それは不可能だ。死を超越できる人間がどこにいるのか。
     やはり、読者は主人公はなぜ少女を追うのだろう、ということに根本の疑問に行き着く。少女的死と氷的死には違いがあるのか。少女の甘美さと無垢さは、死そのものを追い求めるほどの力に変換されるのか。幻想、孤独、真理。
     もしかしたら、人間というのは、完璧な死を望むものなのかもしれない。死という最終的なゴール、その一瞬を完全なものにするべく人は生きているのかもしれない、なんてことすら考える(そういえば、凍死が一番美しい死だと述べていたアーティストがいた)。

     と、ここまでつらつら文章を書いてみたけれど、感想にも考察にもなっていない。この小説は一度通読した後、適当にページを開いて、そこに書かれてある文章をただただ受け入れるというのが、正しい鑑賞方法のような気もする。カヴァンの徹底的な描写力。これがこの小説のキモなのだから。

     終末系SFであり、壮大な叙事詩であり、セカイ系であり、心の底からの絶唱である。セカイ系のラストとしては、円満なオチだ。世界は終わるし、主人公は愛を手に入れる。カタストロフィックでドラスティックなのに、最後だけは暖かく静かに終わる。
     チョコレート、インドリ。こういうアイテムが出てくると、この世界は我々の世界と地続きなのだ、と思えてくる。しかし、この世界がはるか昔なのか、遠い未来なのか、現在の平行世界なのか。いや、これはどこまでも現実なのだ。暴力はやまず、犠牲者は増え続け、そして『氷は必ずやってくる』。

     彼は時空間の幻覚について語った。過去と未来が結びつくことで、どちらも現在になりうる、そして、あらゆる時代に行けるようになる、と。私が望むなら、自分の世界に連れていってあげようと言った。彼と、そして彼と同種の人たちはすでに、この惑星の終末と人類と言い種族の終焉を見ていた。人類は今、集合的な死への願望と自己破壊の衝動によって、この地上で死にかけている。ただ、生命そのものは終わらずにすむかもしれない。この地での生命は終わった。だが、別の地で生命は続き、大きく広がっている。そのより後半の生命に我々人類も加わることができる。我々がそれを選ぶならば。
    ――アンナ・カヴァン『氷』P201

    https://www.youtube.com/watch?v=FjdFG_MV2MU

  • ずっと気になっていた作品。
    ジャンルは全く不明。終末を描いたSFなのか?
    個人的な感覚としては、もの凄く抽象的な物語。
    "氷"を、"戦争"や"環境問題"などの社会的な問題に置き換えても成り立ちそう。
    登場人物の名前が分からない点も抽象的。
    読者の感性と想像力次第で、評価が分かれそう。
    カヴァンの作品を、"あまりに一般的でない"という理由で出版されていなかったというエピソードも正直納得。

  • アンナ・カヴァンが『氷』を描いた当時(1967)、気候変動と言えば専ら寒冷化を意味していた。氷の壁が迫り来る情景は、半世紀を経て温暖化が人類存亡の危機とまで評される現代からみると中々イメージしづらいが、当時はリアルな恐怖だったのであろう。
    文章の途中で何度も視点が切り替わるため極めて読みづらく、通読してもあまり自分の解釈が合っているのか自信がない。
    初め主人公はインドリの研究員だと思っていたら読み進めると軍人になったり、少女は北欧神話に擬えた氷の侵略を阻むための竜への生贄だと思っていたら長官の娼婦になったり。回収されない伏線が多すぎて文章が非常に混乱している。
    ただ、カミュの『ペスト』やサラマーゴの『白の闇』のように、危機的な閉鎖空間に於ける集団心理を描いているというよりも寧ろ、主人公が抱く少女への執念、焦燥、愛憎といった感情が壁の接近と共に湧き上がる、そうしたレトリックとして氷は使われている気がした。

  • この『氷』という小説を一言で言い表すなら、「暴力的な美しさ」だろう。
    暴力的であり、かつ美しいのではない。
    美しさが暴力的なのである。

    この小説は私たちに楽しみ余裕など与えてはくれない。
    私たちはまず物語を追うのに必死になるだろう。
    情景を思い浮かべることに苦労するだろう。
    何故なら、
    世界は壊れかけていて、
    主人公は壊れかけていて、
    主人公視点で展開する文もまた、壊れかけているからだ。
    壊れゆく世界の中で今更自分を取り繕う必要はなく、
    今更体裁を保つ必要もないからだ。

    世界の混乱と「私」の混乱はそのまま文章化され、私たちもまた混乱を余儀なくされる。
    「私」が氷と少女のイメージに溺れ迷子になっている時、
    私たちもまた活字の上で迷子になっている。
    この奇妙な一体感は「私」が「長官」に対して感じたそれに酷似している。
    何が現実で何が夢なのかも分からなくなる。
    しかしそんな混乱した世界の中で、世界を覆い尽くす氷の圧倒的なイメージと、アルビノの少女だけが確かな存在感を持ってそこに存在している。
    きっと、それだけでもう著者の思惑通りなのだと思う。

    正直、読んでいるときは面白いとは思わなかった。
    しかしラストシーンを追体験し、本を閉じた時、
    温かな冷たさに満たされているのを感じた。
    きっとそれだけが「私」と少女にとって、真実だったのだと思う。

  • 真夏にもう一度読みたい。
    川上弘美の解説も最高なのです。

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著者プロフィール

1901年フランス生まれ。不安と幻想に満ちた作品を数多く遺した英語作家。邦訳に、『氷』(ちくま文庫)、『アサイラム・ピース』(国書刊行会)などがある。

「2015年 『居心地の悪い部屋』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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