氷 (ちくま文庫)

制作 : Anna Kavan  山田 和子 
  • 筑摩書房
3.80
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本棚登録 : 609
レビュー : 50
  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480432506

感想・レビュー・書評

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  • 『氷』というタイトル名の本は同時期に、これとソローキンのものが出ている。アナーキーなぶっ飛びかたではソローキンのほうが上を行くとは思うけれど、「『氷』、復刊するってよ!」と読書好きの間で情報が駆けめぐり、今の時点では『氷』というとこちらのアンナ・カヴァンの作品を指すことになっている。私もどちらにしようか迷ったが、流行りというか、「これだけ復刊が話題になるってどういうことだろう」とこちらを手にとってみた。直球勝負の表紙と邦題。

    大きな戦争で使われた(らしい)兵器のとばっちりで、氷に急速に覆われていく世界と、以前会ったある少女を追い求める男性の話。甘いボーイ・ミーツ・ガールの物語かと思いながら読み進めていくが、男性が少女に抱く思いというのは、愛情というよりは何らかの執着なのではないだろうかと思うくらい、理由に乏しい。フランス語でいうところの「クー・ド・フードル(雷の一撃=一目ぼれ)」なのかとも思わないこともないが、同じく少女に執着する「長官」を利用しようとして近づくにつれてシンパシーを感じ、少女に対して彼と同じ力をふるいたいと感じる局面が肥大したりと、生やさしいものではない。か弱い乙女を苦界より救いたいというよりも、手があと少しのところで届かないから追うということが目的になり、誰にも安息が与えられずに話が進む。しかも、荒れた世界を氷が飲み込みながら支配範囲を広げていく荒々しさが、冷え冷えと描かれて強烈なインパクトがある。特に、水辺の波が一瞬にして氷結していく土地のさまは、凶暴ですらある。

    少女を追う男性の視点がはさまれていつつも第三者の視点で描写されているように思うが、時系列が前後していたり、目撃したものの真偽がはっきりしないなど、これは小説世界の中の「事実」を男性の目線から描いたものではなく、男性の意識が作り上げた妄想世界なのではないかと思う箇所が多々あった。

    すっかり氷におおわれてしまった辺境の地や地方武装勢力の支配地域、まだ氷に覆われるには時間がある世界と、読み終わると意外にロードノベル感が印象に残った小説だった。ラストシーンもハッピーなのかそうでないのかは抜きにして、そこまでの緊迫感とは異なり、すうっと「遠くへ」という抜け感のある作品だったように思う。

    序文のクリストファー・プリーストによる「スリップストリーム文学」というカテゴライズと論も「ほうほう」と面白く読んだ。プリーストが挙げる作家はいずれも、その作品の飛ばしっぷりから、「これがスリップストリームというやつか」と納得できるものがほとんどなんだけれど、オースターと村上春樹が挙げられているのが「えっ、そこですか?」と、ちょっと不思議なような気もした。

  • この『氷』という小説を一言で言い表すなら、「暴力的な美しさ」だろう。
    暴力的であり、かつ美しいのではない。
    美しさが暴力的なのである。

    この小説は私たちに楽しみ余裕など与えてはくれない。
    私たちはまず物語を追うのに必死になるだろう。
    情景を思い浮かべることに苦労するだろう。
    何故なら、
    世界は壊れかけていて、
    主人公は壊れかけていて、
    主人公視点で展開する文もまた、壊れかけているからだ。
    壊れゆく世界の中で今更自分を取り繕う必要はなく、
    今更体裁を保つ必要もないからだ。

    世界の混乱と「私」の混乱はそのまま文章化され、私たちもまた混乱を余儀なくされる。
    「私」が氷と少女のイメージに溺れ迷子になっている時、
    私たちもまた活字の上で迷子になっている。
    この奇妙な一体感は「私」が「長官」に対して感じたそれに酷似している。
    何が現実で何が夢なのかも分からなくなる。
    しかしそんな混乱した世界の中で、世界を覆い尽くす氷の圧倒的なイメージと、アルビノの少女だけが確かな存在感を持ってそこに存在している。
    きっと、それだけでもう著者の思惑通りなのだと思う。

    正直、読んでいるときは面白いとは思わなかった。
    しかしラストシーンを追体験し、本を閉じた時、
    温かな冷たさに満たされているのを感じた。
    きっとそれだけが「私」と少女にとって、真実だったのだと思う。

  • 解説では本作品を「スリップストリーム」というジャンルに分類していた。私は最初SFなのかと思って読み始めたが、幻想小説と呼ぶ方が近いかな?はっきりしたストーリーは無く、エピソードの断片が脈絡無く続いていくが、どの断片もフラッシュバックのような強烈な印象を残す。欲望と恐怖の感情表現が非常にリアルで恐ろしい。女に対する男のストーカーのような執着、滅亡に直面して生き残ろうとする人間達の争い、暴力への恐怖。人間はこんなにも救いのない生き物なのか……。
    エピソードの断片が続く間にも「氷」だけは着々と世界を蝕んでいく。夢の断片をリアル世界が覆い尽くしていくようだ。とうとう氷に追いつかれ、生をあきらめた瞬間に、欲望と恐怖にとりつかれた男女がようやく和解して安寧を得るのだが、このシーンは何だかとってつけたようで違和感があった。最後まで人間の欲望と恐怖を、人間の身もふたもないリアルな本能を見せ続けてほしかった気がする。
    だとしても、この作品がどんなジャンルにもカテゴライズ不可能な唯一無二の作品であることは間違いない。

  • 何が現実で何が幻覚なのかわからない、どこにいるのかわからない不安。その中で氷と少女の存在感だけが、鮮やかに浮かび上がっている。読んでるときはなんだこれって思うけど、後から思い返すとじわじわ来るタイプ。

  • 氷に覆われた終末へと向かう世界を舞台に、ある少女を執拗に追い続ける男の、狂気に満ち満ちた追跡行。明らかにぶっ飛んでキレてる男の行動だが、なまじ一人称で話が進行してしまうが故に、読者は(というか僕は)「哀れな儚い少女を救うために苦難に立ち向かう勇者」的なもを何かの拍子に持ってしまったりする(途中でただの狂人の行動であったことがわかりショックを受けた)。そしてだんだんと、なんで男がこの少女を追っているのか、果てはそもそも少女は生きているのか?実在しているのか?ひょっとしたら全部妄想なんじゃないか?とすら思えてきて、何がなんだかわからなくなる。
    とりあえず、すごい作品であることは確か。

  • 12/26 読了。
    生殺与奪権と区別のつかなくなった愛。苛烈で眩惑的な終末のヴィジョン。「氷に覆われた世界に佇む全身純白の少女」というイメージはこの上なく美しく、美しいと感じること自体がすでに暴力を孕んでいるのだと教えてくれる。

  • 場面は不安定に変転してやまない。だから戸惑った。
    それだけではない。
    残虐さ、醜悪さ、冷酷さが目に余る状況のもと、世界を覆い尽くそうとする氷に魅惑されてしまうことに。張りつめてくる冷気に皮膚がちりちりと警告を発しているのに、まだそこから離れたくないと切望していることに。束の間の平安に疑念を抱き、心のどこかで破滅を待望している自分に戸惑ったのだ。

    私には、この作品を好きと嫌いの二元論で語ることができない。ひとつ言えるのは、発作的に読み返すだろう、ということ。傷痕が灼かれるような熱を帯びて疼き出したら、手にすると思う。

    氷は私の内にもある。逃れようのない渇きのように。
    《2015.10.06》

  • イギリスの女性作家、アンナ・カヴァンの代表作とされており、初めて聞く作家だったが帯に寄せられた川上弘美の「見たこともないような美しく残酷なものに、からめとられる」という推薦文に興味を持ち購入。

    作風としては、確かにカフカに近く、「城」や「審判」のような、執拗に反復される悪夢を想起させる。ただし、文章は極めて美しく、タイトルにもなっている氷の描写が様々な形態で描かれ、悪夢を美しく彩ることに成功している。また、文明が崩壊し、世界が終末へ向かっていくさまは、コーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」の世界観にも近いかもしれない。いずれにせよ、アンナ・カヴァンの描く終末の方が美しいけれど。

    物語の時系列も極めて複雑で、いきなり過去の回想が織り込まれたりもするが、悪夢的な雰囲気は全く変わらず、違和感なく読み進めていくことができる。なかなかないタイプの作品であり、不思議な読書体験をしたい人にはお勧めできるし、そうでない人は読まない方が適切。

  • 圧倒的な存在感を持つ小説でした。
    あまりにも美しいものから、時に近寄り難さや冷たさを感じてしまうのに似ている。
    そして、この装幀。
    世の中に、いかに無駄な装飾に満ちた本が溢れているかと思い知らされてしまう。

    40年来に亘ってヘロインを常用した作家が、(恐らくヘロイン中毒で?)死ぬ前年に書かれたというこの作品。
    脈絡も時間軸も無茶苦茶で、川上弘美さんの解説にあるように「作法」も「定番」も無視した展開に初めは戸惑いしかなかったのだけれど、
    ある時点で「これはもしかして、麻薬中毒患者の見ている幻覚なのではないか?」と気付いてからはするすると読めた。

    これは理解しようとしてはいけないのだ。

    読中のBGMには、ベルリオーズの「幻想交響曲」が合いそうだと思った。
    失恋による絶望の発作からアヘンを飲んで自殺を図った音楽家が、薄れゆく意識の中で見た幻覚の風景を音楽にしたという曲である。
    もしくは、ゲーテの「ファウスト」を思い浮かべたりした。

  • 迫り来る氷、逃げる男、男と長官から逃げる少女。少女は「愛の渇き」に出てきたあのかわいそうな少女に似ていて、きっとカヴァン自身の少女期が投影されているのだろう。情報を統制された終末の地球で彼らは最初、当たり前のように他人同士だったのに、最後は何故か似てくるというか、それぞれの感覚が煮崩れを起こして行く感じ。SF的条件付けや解釈は何もなされない。誰もが理由なきまま冷徹になった氷の世界。

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著者プロフィール

1901年フランス生まれ。不安と幻想に満ちた作品を数多く遺した英語作家。邦訳に、『氷』(ちくま文庫)、『アサイラム・ピース』(国書刊行会)などがある。

「2015年 『居心地の悪い部屋』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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