増補 日本語が亡びるとき: 英語の世紀の中で (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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レビュー : 30
  • Amazon.co.jp ・本 (460ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480432667

感想・レビュー・書評

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  • 私は本書の著者に対して偏見がある。夏目漱石の未完の小説
    『明暗』の「その後」となる『続明暗』を発表したことにより、
    「余計なことをしてくれるな」と思ったから。

    『明暗』は未完のままでいいのだと感じていたのだもの。だから、
    『続明暗』も手に取る気はさらさらないし、著者の他の小説も
    読んでいない。

    なので、私は本書をかなりの確率で誤読しているはずだ。でも、
    読み手がどんな反応を示すかはそれこそ十人十色なのではないか
    と思う。

    グローバル化が進む世界で英語は世界共通の普遍語になりつつある。
    英語が世界を席巻したら、日本語は地域語に成り下がる。では、
    日本語が国語として生き延びる為にはどうすればいいか。

    学校教育で徹底的に近代文学を読ませることだ。「読まれるべき言葉」
    は近代文学にこそあるのだ。

    かなり乱暴にまとめてしまった・要は12歳で父の仕事でアメリカに
    渡り、日本語に接する機会が極端に少なくなった著者の慰めが父の
    蔵書にあった日本の近代文学の作品だったから…とのかなり個人的な
    体験がベースになっている気がする。

    「近代文学、最高っ!現代文学は糞」みたいな書き方になっているの
    が非常に気になっていたら、文庫化に際してのあとがきでこの部分を
    相当に言い訳している。

    「そんなつもりじゃなかったんです」と後から言われても、漱石ほどの
    頭脳の持ち主が現代に生まれたら小説を書こうと思っただろうかなんて
    書かれたら、「そんなつもりじゃん」と受け取ってしまうのよ。

    「英語の世紀」との副題は分からないでもない。日本の企業でも社内
    の公用語は英語にしている企業もあるくらいだからね。

    ただ、グローバル化=英語のひとり勝ちではないと思う。漫画や
    アニメを媒介として日本語を学ぶ外国人も増えているのだから。

    高いところから「このままでは日本語は亡びる」って言われても
    なぁ。だって、言葉って時代と共に変化すると思うのよ。

    本書で何かと比較対象として名前が出て来る漱石だって当て字を
    多用しているしね。

    近代文学にしろ、現代文学にしろ、小説って結局は娯楽だと思って
    いるので、本書のような作品を読んでも「何もそんなに危機を煽ら
    なくてもいいのに」と感じてしまった。

  • 刊行当初からおおいに反響を呼び、第8回小林秀雄賞も受賞した話題作だが、読んでみて正直ガッカリした。たしかに、示唆的な内容も多く含まれているし、たとえば「社内英語公用語化」や近年の教育改革などにおいて、まるで英語さえできればすべて良しとするような傾向は眼に余る。それよりはまず日本語や日本文学をシッカリ学ぶべきであるという著者の主張には頷けるものがある。しかし、だからといって、日本近代文学こそ至高であるというような考えかたはいかがなものか。夏目漱石が国民的で模範的な作家であることは否定しないが、近代文学といっても玉石混淆である。文法などがまだ確立していないために、今日の規範でいえばどうかという箇所もままある。とうてい絶対的なものとは呼べないであろう。著者はけっきょく、漱石や鷗外など、もともとすばらしいものを同語反復的にすばらしいといっているだけなのではないか。全篇にわたってこういう著者の思い込みにも似た主観ばかりが登場するので、読んでいて疲れてしまう。曽野綾子にはわたしはまったく共感しないが、文章の感じは似ているように思う。曽野は近ごろ話題の「反知性主義」を代表するような人物だが、この本もまた「なんちゃって知性」で色づけしただけで、内容的には曽野と同レヴェルではないか。この作品しか読んでいないので、著者を全否定するつもりもないが、文章もまったくおなじ文末表現の文章を無意味に重ねるなど、ハッキリいってぜんぜんうまくない。文学賞を受賞しまくっている作家が書いている文章とは思えない。こういう作品を自信満満で上梓されると、問題提起以前の問題であるという気がする。

  • 第8回小林秀雄賞受賞作。
    『続明暗』を書いた作者として名前は知っていた。
    この文量を書ききった感が、すごい。凄まじい。

    国語=日本語の定義が、崩れつつある。
    英語が「普遍語」となった現代、ビジネスチャンスやグローバルコミュニケーションを求めるものは、況や英語を話せることを目的とするようになった。

    日本人にとって、何語で話し、何語で書くかというのは大きな問題提起であると思う。

    「〈学問〉とは本来、〈普遍語〉で読み、〈普遍語〉で書くものだという〈学問〉の本質が、否定しがたく露呈してきた」

    文学の世界にとっては更に切実である。
    世界の第一線で活躍する日本の作家といえば、私はまず村上春樹を思い浮かべる。
    彼の作品はすぐに翻訳され、あたたかい内に世界へと提供され、ノーベル文学賞の候補にも度々名を連ねる。
    水村美苗氏はそこまで言及はしなかったけれど、では、村上春樹がいわゆる日本的な作家かとすると、やはり隔たりがあるように思う。

    本が出れば大ヒットを獲得する彼の魅力を、果たして私たちは皆「分かって」いるんだろうか、と時々疑問に思うことはある。
    日本の文壇が、どのような方向性で居場所を見つけるかは、きっと考えが必要なのだろうと思う。

    本を殆ど読まなくなった日本人。
    書店は苦しい戦いを強いられ、新聞はデジタル化の一途を辿る。
    読める環境にいながら、読まない選択をし続ける我々が、国語の議論をすること自体、刻一刻と難しくなっているのかもしれない。

    再読前提。

  • あらすじが優秀なので記入します。
    日本語は、明治以来の「西洋の衝撃」を通して、豊かな近代文学を生み出してきた。いま、その日本語が大きな岐路に立っている。グローバル化の進展とともに、ますます大きな存在となった<普遍語=英語>の問題を避けて、これからの時代を理解することはできない。われわれ現代人にとって言語とは何か。日本語はどこへいくのか。

  • 招かれて乗せてもらった飛行機がビジネスクラスじゃないから家畜輸送。日本家屋を、木と紙でできた小さな家と言う。国外講習で笑われる自虐と思えば、ギリ譲れる。

    でも、三味線や舞踊ができる祖母を、オムレツを作らない、欧州小説を読まないなど、自分の思う分野に触れていない事で"学が無い"とするのは、僕には冗談にも聞こえない。

    もしかしたら、なんたら賞とってるし450頁もあるから最後まで読めば…と100頁は耐えた。が、本題の兆ししか感じない。あ、このパターン、自伝に売れるタイトルが付いたヤツだ…。

    ぜひ、本のタイトルは変えて頂いて、この人の自伝を読みたい方に届けばいいなと思います。

  • 文学を中心とした日本語教育に力を入れろという主張。
    文学教育と言語教育は別次元で議論するべきだと思うので、わたしは反対。

  • 英語圏で長く暮らした筆者の、いまや「普遍語」となった英語にたいする強いフラストレーションと、危機感。

    英語などヨーロッパ語とは全くことなる言語を母語とすることに対する悲しみは日々感じているところだが、日本語が滅びていくことに対する危機感は正直薄かった。

    この本に感化されて三四郎を読み始め、その危機感の端っこをつかめた気がしている。

  • 1章 アイオワの青い空の下で“自分たちの言葉”で書く人々
    2章 パリでの話
    3章 地球のあちこちで“外の言葉”で書いていた人々
    4章 日本語という“国語”の誕生
    5章 日本近代文学の奇跡
    6章 インターネット時代の英語と“国語”
    7章 英語教育と日本語教育

  • ことば
    文学

  • 言語、普遍語、現地語、国語の歴史・国ごとの違いそして日本が今後どうやって英語と日本語の共存を考えていくかまとめた一冊。

    英語との併用は大いに考えるところ。
    二か国語の取得は難しいと言われているけれども、それを再確認させてくれる。
    その中での国語の重要性そして英語に関してはバイリンガルは特定の人でいいという提案。

    面白かったです

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