あしたは戦争: 巨匠たちの想像力[戦時体制] (ちくま文庫 き 38-1 巨匠たちの想像力 戦時体制)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480433268

感想・レビュー・書評

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  • 「巨匠たちの想像力」シリーズの第一弾。誰が言い出しっぺの企画かは知らないが、現代への危機感が一杯の見事なアンソロジーでした。日本のSFは大好きなのですが、案外読んでいなかったことを思い知らされました。第一弾の「戦時体制」も10本のうち、手塚治虫の「悪魔の開幕」江戸川乱歩「芋虫」しか読んでいなかった。

    小松左京「召集令状」(1964)に先ず唸る。突然、各家に昔と全く同じ形式の「赤紙」が届くようになる。最初は性質の悪い冗談だと思っていた人々は、次から次へと若者が忽然と消えて、大騒ぎになる。この時代の親たちは全員戦争の記憶が真新しい。連日国会デモも起き、政府も困惑するだけだったが、やがて諦めが支配する。「考えてみりゃ、おれは前にいっぺんこういう時代を経験しているんだ。その時とちっとも変らんーそれが始まっちまえば、もう個人の力ではどうにもならんのさ。誰の力でもどうにもならん。こういう時代に生まれあわせたのが、不運ってもんだ」(31p)遂には兵隊経験のあった中年課長も召集されて、彼はそう豪傑笑いをするのであった。なぜそうなったのか、という種明かしは最後にはあるが、それがこの作品の意図ではないことは明らかです。

    筒井康隆の名作「東海道戦争」(1965)を恥ずかしながら初めて読んだ。突然鳴り響く戦車の響き。自衛隊の交戦。実は、自衛隊が東西に分かれて戦いだしたのである。これも、理由付けは重要ではない。文章の中に軍事用語が飛び交い、ホントに戦争したらどうなるか、筒井テイストで描く。

    既読の手塚治虫「悪魔の開幕」(1973)は、青年誌に掲載された、たった28pの短編。独裁首相の暗殺を試みようとする青年の話である。

    「丹波首相は自衛隊をはっきり軍隊と言いきり、国民のすべての反対を押し切って憲法を改正してしまった」「しかも!核兵器の製造に踏み切ったのだ。日本が中国やその他の国の圧力から東南アジアの勢力をまもるという名目でだ!」「この三年間、国民の反対運動はことごとく鎮圧されてしまった」「何万人かが官憲に殺され、罪を被せられた」「もちろん野党は丹波首相の非常大権のもとで、まるで手足をしばられた猫みたいなものだ」(112-113p)まるで「2016年このあと3年後の日本」のようではないか!正に「巨匠の想像力」である。アイロニカルなラストが待っている。

    海野十三「地球要塞」は名前だけ聞いたことがあった。この文庫本で147pも使う長編である。第三次世界大戦がテーマだし、オルガ姫という「火の鳥」に出てきそうなアンドロイドは出てくるし、原爆を彷彿させるような最終兵器も出てくる。でも言葉使いはかなり古臭いので、私は実は1950年代か、60年代の作品だと思って読み進めていた。そして、途中で解説を読んで驚愕するのである。興味ある方は少しググってみてください(^_^;)。

    辻真先の「名古屋城が燃えた日」(1980)は、一家の主人が4歳の頃に名古屋空襲に遭ったという設定。80歳に手が届くお母さんの話が、かなりブラックなのですが、最後の一行で作品全体をブラックにしてしまう作品。

    荒巻義雄「ポンラップ群島の平和」(1991)には、戦争「文化」を祭礼行事に組み入れて平和を維持する異星人の話が紹介される。

    私の何代か前の先祖は地球の日系人であるが、先祖たちの古い諺に、「負けるが勝ち」という逆説的レトリックがある。ポンラップ群島の島民たちの観念も、本質的には同質なのだ。
    ポンラップ群島語には、戦争を意味する言語は存在しない。彼らのほうこそが、われわれのいく倍も文明人なのである。(415p)
    2016年2月9日読了

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