聞書き 遊廓成駒屋 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
4.00
  • (5)
  • (8)
  • (3)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 143
感想 : 12
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480433985

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • どえらいものを読んでしまった、知ってしまった

  • 読了。遊郭の華やかな部分ではなく、ふだんの生活や経営のことが気になっていたのでちょうど良かった。語り口にハードボイルド感があるのは好きずきが出るかもしれない。

    遊郭では娼妓は湯たんぽに入れるお湯すらも割高な料金でツケ購入しており、積み重ねによって借金がどんどんかさんでいく仕組みになっていたという話には、ビジネスモデルゥ…と唸る思いだった。

    遊郭では登廓時間を線香の本数で数えるのは有名な話だが、時計の普及や物価の高騰によりそれが形骸化し、結果線香の本数が実態から離れて(帳簿上)増えていったというのは興味深かった。同じ系列の花街でも最小単位の一寸間(30分)は明治10年には線香1本。これが昭和10年代には8本になっている。
    実際に線香が燃える時間の方ではなく、線香1本いくらの方がベースになっていることが分かる。

  • 下手な小説よりもドラマチック!
    気の遠くなるような丁寧な
    聞き取り調査が、売買春の実態や
    そのまわりの人間関係を描き出す。
    著者も書いているが、
    個性的でアクの強い人たちと
    心を通わせる姿勢が、
    難しい主題をここまで魅力的な本に
    したのだと感じた。

  • 名古屋駅西口にあった中村遊廓(名楽園)の民俗学的解説/ 中村遊廓といえば大門町に本部を持つ〝高村〟という博徒の名跡がある/ 後に高村の所属する稲葉地一家の本部が隣に越してきたことでも有名だ/ 高村は費場所であるこの場所に賭博場(盆)を持ち名楽園と称されていた/ 今では寂れたソープ街である中村であるが、かつては日本最大の遊廓があった/ 性産業とヤクザは切っても切れない感じがするが、高村がいつからここにあったのか興味があり関連本を当たっていた/ 博徒の話は出てこなかったが、遊廓の一店舗に住み着いて女郎のヒモになっているテキヤの話が出てきて、思いのほかよかった/ 名古屋熊屋五代目(本家熊屋分家なのかな?)の隠居が若い頃にその女郎屋でヒモにしていた女が親兄弟にたかられ続けあちこちの遊廓に売られていく/ ついに日本を出て満洲の遊廓に売られるというときに、女が名古屋まで別れの挨拶を言いに来た/ 国外の遊廓に行くというのは、ただでさえ悲惨な女郎の中でも最も転落した末路である/ そのとき若いテキヤは男気を出してあちこちに話をつけ金を集めて女を引き取り名古屋で古着屋を持たせてやった/ この話が本当に良い/ 女房もいるし自分だって女の借金でこづかいを貰っていた身なのに、付き合っていたという情があって助けてやる/ いったん女郎になると住み込み生活で、遊廓の外にも出られない/ 買い物は全部お店の主人経由で、主人は当然余所の業者が持ち込む商品を三倍にして女郎の借金に上積みする/ 前払い金を返すために売春産業へ身を投じたのに、毎月赤字で借金は減らない/ これが典型的な遊廓のシステムで、一度入り込んだら金持ちに身揚げして貰わなければ、一生時間と性を搾取され続ける/ そんな話が詳細に載っている名著/ 本当に読んで良かった/

  • 遊郭についてネットでしか情報収集をしてこなかったので、本を読んで理解したいと思って手に取った一冊

    とてもわかりやすく驚いた。

    いつの時代も吉原遊郭が最大だと思っていたので、中村遊郭(存在も本書で知った)が最大だった時期があると読み驚いた。
    また、娼妓の人たちは遊郭から外に出て買い物に出れると思っていたのだがそうではなく遊郭内に商人が来て通常の倍以上の値段で売ってきたと知り驚いた。何故借金をなかなか返せないのだろうと思っていたが、そういうカラクリがあったとは…娼妓たちを縛り付けておくためとはいえエゲツないことするなと…

    ただ、途中でお秀さんが言っていた、普通の会社も社長や取締役の接待会食費は経費から落ちるし働いた分の給与が全部もらえるわけではないというのは確かにそうだなと思った。割合はエゲツないけど…

    お秀さんと著者がページを追うごとに砕けた感じになっていくのは、解説の井上さんがおっしゃっていたように著者と一緒に旅をし話を聞きに行っている気になりなんだかほっこりした。

    p126で「そういった娼妓たちの心情を哀れとみるか、それともしたたかとみるか、それこそ所詮は部外書の淡い感傷というものかもしれない」という一文がとても胸に残った。

    その時代、その場所で生きたものにしかわからない感情や空気があり、そのことを人に話す時点できっとフィルターにかけて言語化すると思うので、本当のところは当事者にしかわからない。
    遊郭でしか生きれなかった人も遊郭にいったことで亡くなった人も遊郭外の世界と同じようにいるんだろうなと割合はもちろん違うと思うが。

    売春が何故悪いのか、遊郭の成り立ちなど疑問に思うことが増えた。

    中盤で「遊郭残酷物語」にはしたくないといっていた著者の人間性と文章に惹かれたので他の本も読んでみたいと思う。

    遊郭の一部ではあるが僅かながら理解することができたのでとても良い本だった。

  • 当事者たちの声が収録された貴重な記録。どんな環境でも、人はその中で少しでも楽しく生きる工夫をせずにいられない。そのささやかな営みまでなかったことにしたくはないと思った。

  • 1989年のハードカバー版で読んだ。1977年に名古屋駅裏で発見した取り壊し中の遊郭の建物をきっかけに、文献やモノ史料に基づく考察と、生き証人からの聞き取り。著者は民俗学の研究者。淡々とした調子で戦前戦後の名古屋中村遊郭の様子が述べられる。

    内容は細々した話から、かなり過酷なものも含む。前者としては「花山帳」は線香の本数を記帳しているが既に形骸化していたこと、後者としては娼妓に贅沢な私物や日用品を買わせて借金を増やす仕組み。湯たんぽの湯まで有料だった。また病気の話、検査逃れのため薬で意図的に高熱を出させる方法があったそう。
    口入屋の実態について、テキヤ人脈を辿って親分に話を聴きに行く。戦前とはいえ人身売買は禁止なため、女性本人の意志による斡旋という名目を保つための三文芝居があったそう(p184)。放っておくと残されにくい分野の話の貴重なオーラルヒストリー。

    全体に中立的な記述だが、その観察者的な冷静さ自体が残酷に思える時もある。たとえば、元娼妓の女性に会いに行ったが、意欲が湧かず話を聴くのをやめたくだり(p156)がある。その理由として、相手に「魅力が感じられなかった」としている。評される側はいい面の皮。
    [ https://booklog.jp/item/1/4480818316 ]と比べた時の温度差は、ルポと学問書の違いか、著者の性の違いか。

  • 民俗学のひとが書いた本で、割と価値観中立、情報よくまとまっていた。
    学術的な正確性を期すべく参考文献等をつけようとしたが、断念したらしい。一般向けの書籍としては、それでも良いかと考え、星5とした。

    価値観中立とはいえ、『遊郭のくらしってどういう風だったのだろう』という事実の聞き取り内容には、やはり手放しで浪漫を感ずるわけにはいかない。
    学者の筆はミソジニーもミサンドリーもこじらせずに、かつ、学術のためならという押しつけがましさや、傲慢さもない。『ひと』を相手にしている、という礼儀正しさと、押し付けがましくならないよう、そっと寄り添うように思いを汲み上げる丁寧さがある。

  • 民俗学の手法「もの」から人の暮らしが見えてくる。
    それだけでなく、関係者 お秀さん に話を聞いて傍証している。聞き書きによる綿密な傍証は圧巻である。
    お秀さんが娼妓のことを「こども」と言っているのが強く印象に残った。

  • ・以前から名古屋の中村遊郭がどこにあつたか気になつていゐた。このご時世、インターネットでちよつと検索すればすぐに分かりさうなものだが、それもせずにゐた。そんな時、神崎宣武「聞書き 遊郭成駒屋」(ちくま文庫)が出た。その最初のあたりにかうある。「閑散としたその一帯をぬけ、駅を背にして通りを西下すると、間もなく鮮魚市場(椿町市場)や、乾物・漬けものを扱う市場がある。」(34頁)私が現在通院してゐる病院は中村区役所の裏にある。ここは名古屋駅新幹線口から歩いて15分程度、「駅を背にして通りを西下」して行くから、この一帯を通ることになる。やはりこのあたりにあつたのかと思ふ。ところが、ここでは終はらないのである。「二〇〇メートルあまり行き、アーケードの尽きたところで大きな交差点(則武本通り)に出た。そこを横ぎり、さらにまっすぐ西に向かう。そのあたりから、私は、奇妙な町並みに入ったことに気づいた。」(同前)区役所は則武本通りに面する。筆者の書く通りは、区役所や私の病院の少し北の通りであるらしい。名古屋駅から来て則武本通りを越えると「奇妙な町並み」があり、「そこが『名古屋中村』であった。」(40頁)といふ。地図でみると、私の病院から500メートルほどで大門のあたりに着くらしい。駅から徒歩20分はかかる距離だからそれほど交通の便が良いとは言へないが、昔なら十分に歩いて遊びに行ける距離であつたのであらう。私に知る範囲のすぐ外といふ、意外に近いところに中村遊郭があつたのだと知れた。本書初版は平成元年、ここにまとめられるまでに14年はかかつてゐる(「あとがき」 288頁)らしい。ならば、この聞き取りが行はれたのはほとんどが昭和50年代であらう。筆者撮影のその頃の写真が(ほとんど)載らないのが残念なところ、地図も、例へば名古屋駅からの地図なども載らない。さういふ点では不親切である。初版時はまだその記憶が生々しかつたのであらうか、いかなる事情であれ、地理的な情報や景観を示す写真資料等は最大限載せてほしかつたと思ふ。以上は私の個人的な事情からくる興味本位な感想でしかないのかもしれない。しかし、インターネットでこのあたりの近影をみるにつけ、さうしたものはやはり必要だと思ふ。ただし、最近よくある、古い写真を集めた書には載つてゐるのかもしれない。さういふのも見る方が早いかとも思ふが……。
    ・本書の内容は巻末の井上理津子氏の「解説 遊郭に生きた人たちと」の次の一文が端的に示してゐる。「私にとっては『なるほど』という納得と、『そんなにも』という驚きの連続だった。」(299頁)遊郭を当事者が語るのである。語り手はお秀さん、当時は所謂トルコ風呂の経営者であつた。この人は遊郭では仲居、いや、やり手婆であつた。遊女経験なしのやり手、経営者の娘であつた。主でなくとも、遊女よりは遊郭の仕組みについて知つてゐる人である。やり手婆と はそれこそ時代劇の世界のやうだが、吉原も中村も同じであつたらしい。そんな人が語るのである。そして、その知らないことを他に当たつたりしてきちんと穴埋めしてゐるのが筆者の優れたところ、とにかく疑問は解消するのである。このおかげで、例へば大量の医薬品の謎が解けたりもしてゐる。やり手は遊女が性病かどうかを見分けることはできても、その検査をくぐり抜けさせることはできない。そのための医薬品であり、それを語れるのは医者しかゐないのである。それ も遊郭にはもぐりの医者が……さすがの井上氏もこのあたりは「想定外」(300頁)であつたらしい。そんなわけで「なるほど」と「そんなにも」の連続なのである。

全12件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

神崎 宣武(かんざき・のりたけ):1944年岡山県生まれ。民俗学者。武蔵野美術大学在学中より宮本常一の教えを受ける。長年にわたり国内外の民俗調査・研究に取り組むとともに、陶磁器や民具、食文化、旅文化、盛り場など幅広いテーマで執筆活動を行なっている。現在、旅の文化研究所所長。郷里で神主も務めている。主な著書に『大和屋物語 大阪ミナミの花街民俗史』『酒の日本文化』『しきたりの日本文化』『江戸の旅文化』『盛り場の民俗史』『台所用具は語る』などがある。

「2023年 『わんちゃ利兵衛の旅 テキヤ行商の世界』 で使われていた紹介文から引用しています。」

神崎宣武の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
谷崎潤一郎
エラ・フランシス...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×