教科書で読む名作 夏の花ほか 戦争文学 (ちくま文庫 き 41-3 教科書で読む名作)
- 筑摩書房 (2017年1月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480434135
感想・レビュー・書評
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「夏の葬列」のために借りた。戦争文学は、平和教育の一環としてもてはやされたが、実体験を伴わない時代に、この体験は伝わるだろうか。少女は生きていたか?というトラウマに対する謎解きの興味が優った。
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国語教科書で読んだ作品を読む
(個人的にシリーズ化)
これは高校の教科書なんですが
小学校のやつと違って
あんまり記憶がないぞ(笑)
なんだろう…内職してたからかな…
↑教科書の下で別の小説読んでた -
高校国語教科書でも使われた、戦争に関する8つの物語。
あまりに多くの人が亡くなる。それもただ、亡くなる必要のない、普通の生活をしている人達が亡くなっていく。救いのない戦争の世界がなんだか読んでいる僕の感情を少しずつ消してゆくようで。 -
教科書に掲載されている「戦争文学」のアンソロジー。
原爆文学の代表作とされる「夏の花」(原民喜)を読むのはもう何十年ぶりか。いま読むと、この文章が伝えてくるものは「原爆の悲惨さ」という言葉でまとめられるようなものでは到底ない。
「灌木の側にだらりと豊かな肢体を投げ出して蹲っている」婦人の「魂の抜け果てた顔」、肩に担いだ兵隊が吐き捨てるように呟いた「死んだ方がましさ」という言葉、「一種の妖しいリズム」を含んでいる死体、人々が次々と死にゆき、誰もがそわそわと救いのない気持ちで歩いている中で嚠喨と吹き鳴らされている喇叭と、筋道だった理屈にも文章にも収まらないイメージたちがある。しかしこの文章全体には「夏の花」という涼し気なタイトルが付されているのだった。そして冒頭に思い起こされているのは、先だった妻の墓に水をかけて手向けた、小さな黄色の花束と、線香の香りなのである。筋道だった、人間の世界であったものの記憶。
そのほかの収録作品は、中国戦線でふとしたはずみに人を殺した青年を描く「審判」(武田泰淳)、「夏の葬列」(山川方夫)、「空缶」(林京子)、アウシュビッツ訪問記「カプリンスキー氏」(遠藤周作)、「待ち伏せ」(ティム・オブライエン)など。
なかで、今回はじめて知って最も強く印象に残ったのは、三木卓の「夜」だった。満州国の首都に暮らす少年の日常は、ある日の夕方、突如として崩壊を始める。いつものように母親がジャガイモを煮る臭い、ポケットのラムネ玉。その日常の中に、不意に不吉なニュースが落下する。それはただ敗戦というひとつの終わりなのではない。抵抗どころか、逃げ惑うという行為主体性さえ意味をなさない、それが植民地における植民者であるという真実が、今や皮をむいたように剥き出しにされている。市民を守る国境防衛隊はいない。市民を逃がす汽車は来ない。だったら護衛のいなくなった御料林にピクニックにでも行ってみるかと、土台から芝居のようなものでしかなかった植民者の「日常」の中に、笑いを浮かべながら後退していくしかない一家。いつものようにおやすみなさいと言いあって眠りにつく、その戦慄すべき倦怠感。戦争は語っても植民地を語ることの少なかった日本文学の中で、注目すべき一篇であるように思われる。