教科書で読む名作 夏の花ほか 戦争文学 (ちくま文庫)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480434135

感想・レビュー・書評

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  • 教科書に掲載されている「戦争文学」のアンソロジー。
    原爆文学の代表作とされる「夏の花」(原民喜)を読むのはもう何十年ぶりか。いま読むと、この文章が伝えてくるものは「原爆の悲惨さ」という言葉でまとめられるようなものでは到底ない。
    「灌木の側にだらりと豊かな肢体を投げ出して蹲っている」婦人の「魂の抜け果てた顔」、肩に担いだ兵隊が吐き捨てるように呟いた「死んだ方がましさ」という言葉、「一種の妖しいリズム」を含んでいる死体、人々が次々と死にゆき、誰もがそわそわと救いのない気持ちで歩いている中で嚠喨と吹き鳴らされている喇叭と、筋道だった理屈にも文章にも収まらないイメージたちがある。しかしこの文章全体には「夏の花」という涼し気なタイトルが付されているのだった。そして冒頭に思い起こされているのは、先だった妻の墓に水をかけて手向けた、小さな黄色の花束と、線香の香りなのである。筋道だった、人間の世界であったものの記憶。
    そのほかの収録作品は、中国戦線でふとしたはずみに人を殺した青年を描く「審判」(武田泰淳)、「夏の葬列」(山川方夫)、「空缶」(林京子)、アウシュビッツ訪問記「カプリンスキー氏」(遠藤周作)、「待ち伏せ」(ティム・オブライエン)など。
    なかで、今回はじめて知って最も強く印象に残ったのは、三木卓の「夜」だった。満州国の首都に暮らす少年の日常は、ある日の夕方、突如として崩壊を始める。いつものように母親がジャガイモを煮る臭い、ポケットのラムネ玉。その日常の中に、不意に不吉なニュースが落下する。それはただ敗戦というひとつの終わりなのではない。抵抗どころか、逃げ惑うという行為主体性さえ意味をなさない、それが植民地における植民者であるという真実が、今や皮をむいたように剥き出しにされている。市民を守る国境防衛隊はいない。市民を逃がす汽車は来ない。だったら護衛のいなくなった御料林にピクニックにでも行ってみるかと、土台から芝居のようなものでしかなかった植民者の「日常」の中に、笑いを浮かべながら後退していくしかない一家。いつものようにおやすみなさいと言いあって眠りにつく、その戦慄すべき倦怠感。戦争は語っても植民地を語ることの少なかった日本文学の中で、注目すべき一篇であるように思われる。

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著者プロフィール

1905年広島市生まれ。慶應義塾大学英文科に進学し、「三田文学」などに短編小説を発表。帰省中に広島市の実家で被爆した。直後の市内の様子を書き留めたノートをもとに47年に「夏の花」刊行するなど、被爆後の広島の惨状を詳細に残していった。51年に『心願の国』を遺し自殺。

「2019年 『無伴奏混声合唱のための 魔のひととき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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