- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480435798
作品紹介・あらすじ
「歪み真珠」すなわちバロックの名に似つかわしい絢爛で緻密、洗練を極めた圧倒的なイメージを放つ15編を収めた作品集。解説 諏訪哲史
感想・レビュー・書評
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タイトルの歪み真珠とは「バロック」の語源であるらしい。頽廃的なまでの絢爛さを特徴とする西洋美術の一様式の名を冠する山尾悠子『歪み真珠』は、15編の掌編・短編を収めた幻想小説集だ。ギリシア神話などの古典文学や絵画に着想を得て紡ぎ出される優美にして残酷な作品世界は、存命の日本人作家としては他に類を見ない。その世界観を伝えるには個々の作品タイトルをそのまま記すのが手っ取り早いだろう。なお、数字は筆者が便宜的につけたものである。
1. ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠
2. 美神の通過
3. 娼婦たち、人魚でいっぱいの海
4. 美しい背中のアタランテ
5. マスクとベルガマスク
6. 聖アントワーヌの憂鬱
7. 水源地まで
8. 向日性について
9. ドロテアの首と銀の皿
10. 影盗みの話
11. 火の発見
12. アンヌンツィアツィオーネ
13. 夜の宮殿の観光、女王との謁見つき
14. 夜の宮殿と輝くまひるの塔
15. 紫禁城の後宮で、ひとりの女が
目の眩むようなペダントリーを遺憾なく発揮しながら、その真髄は衒学ではなくあくまで独自の奇想にある。個人的ベスト5は 3, 4, 7, 12, 15だろうか。12は破滅的な作品で、無垢な少女を奈落へ突き落とす容赦なさは絵本作家のエドワード・ゴーリーのようだ。3はラストの祝祭的狂騒が一枚の絵画のような印象を与える作品。7は物語らしい筋のない作品だが、読了後コバルトブルーの湖に浮かぶボートのイメージが頭から離れなかった。4、15はいわば同じテーマの作品で、女であるばかりに片翼をもがれてしまったヒロインが残る翼で飛翔する話と読んだ。
先だって山尾悠子を存命の日本人作家としては他に類を見ないと述べたが、これほどの高山が単独で屹立しているはずがなく、近くは渋澤龍彦、遠くはボルヘスなど、過去や海外にまで視野を広げれば山尾作品は孤立どころか雄大な山脈に連なる峰であることが知れる。なかなか手強い高峰だが、本書に収録されている作品は比較的攻略しやすいものばかりだ。入門には最適ではないだろうか。
日常生活のあいま、つかの間のトリップを楽しむのにぴったりな一冊。ビターなエスプレッソなどを添えて。 -
美文。
文庫化してくれてありがとう、ちくま。
幻想こそが文章になるべくして生まれた物語だと思っている。世の中には色々な表現方法がある。その中でも、文章によってしか表すことのできない物語というのが幻想というジャンルの一つの特徴だ。(映像化できるものはファンタジーに分類される)
硬質で端正。まるで宝石、いや鉱石のような。 -
夢を見ているような不思議なお話が15篇。
「歪み真珠」とは、ポルトガル語由来で、バロックの語源なのだそうだ。
ただ幻想的で美しいだけではなく、その中にダークさを感じられる。
ギリシア神話とか絵画がモチーフになっているお話もあり、その独特の世界観がよかった。
どのお話も、雰囲気たっぷりで、不思議な世界を楽しむことが出来た。
ドロテアの首と銀の皿がよかった! -
面白かったです。バロック。
幻想的ですがシビアな世界で好きです。ふわふわでなはなく、ダーク。
「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」「火の発見」「紫禁城の後宮で、ひとりの女が」が好きでした。
「火の発見」は《腸詰宇宙》のお話で嬉しかったです。
「紫禁城の~」はラストシーンが美しくて力強くて好きです。これからは、纏足でなく自身の足で歩ける喜び…それが人間の足でなくとも。
充たされた時間でした。 -
ちくま文庫から3冊目の山尾悠子!そこそこ売れっ子の作家さんでもすべての作品が文庫化されるわけではない昨今の出版事情を思うに、山尾悠子をせっせと文庫化してくれるちくまさんには感謝しかない。もちろん前の2冊がそこそこ売れた実績あってこそだと思うので、今回もしっかり購入、この調子で絶版本も復刻してくれるといいなという期待もこめつつ。
今回は掌編集。唯一、短編というべき長さ(でも40頁弱)になる「ドロテアの首と銀の皿」は、『ラピスラズリ』で描かれていた「冬眠者」のシリーズで、収録作品の中ではやや物語性が感じられた。ほとんどの作品は、主観や感情を挟まない、こんな国がありました、こんなことが起こりました、という客観的事実だけを淡々と述べるタイプのお話。この感情移入という俗っぽい感傷を拒否した感じが、山尾悠子の作品に鉱物的な印象を与えているのだろうと思う。
お気に入りは、なぜか脳内イメージはポール・デルヴォーの絵だった「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」、天使を見る少女とラストでわかるタイトルの意味がすとんと落ちる「アンヌンツィアツィオーネ」、誘惑に打ち勝っても救われない「聖アントワーヌの憂鬱」あたり。そしてかなり初期作品だという「ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠」も蛙の王様と蛇の女王どちらも妙な魅力があり好きでした。
※収録
ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠/美神の通過/娼婦たち、人魚でいっぱいの海/美しい背中のアタランテ/マスクとベルガマスク/聖アントワーヌの憂鬱/水源地まで/向日性について/ドロテアの首と銀の皿/影盗みの話/火の発見/アンヌンツィアツィオーネ/夜の宮殿の観光、女王との謁見つき/夜の宮殿と輝くまひるの塔/紫禁城の後宮で、ひとりの女が -
一話一話が短く、かつ濃いから、通読するには負荷のかかりようがはんぱではない。世界を把握しかけたと思ったら物語が終わってしまう。
読みながらまるで、「時間」を吹き込まれた銅版画のようだと感じた。モチーフも神話的なものが多く、銅版画にぴったり。とても視覚的な小説集。
そのせいか本作は、ルリユールなどで、すごく美しい装丁の本に仕立て直したいという欲望をはげしく掻き立てる本だった。そしてふと思い立ったときに、その日気に入ったタイトルをもつ掌編のページを開いて、ランダムに味わいたい。
2度、3度と読む話があってもいいし、1度も読まれない話があってもよい。そんな読まれ方がよく似合う。 -
この世界のどこでもないどこかで名前の無い誰かが見た夢のような一幕。今いる世界に疲れた、少しだけ喧騒から離れたい。そんな人におすすめしたい幻想の短編集。
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青く冷たく閉ざされた永遠が、雷鳴の音とともに目を覚ます。花開く午後の静けさと清らかさを、瞳の奥に飼い慣らし、古い歌を口ずさみながら。ピンヒールの踵を高く鳴らす音が、振り返ると、足は尾びれに、水は近く尊い夕暮れに。
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雨の日や夜読みたい本。全てを理解出来てるとは思わないが、圧倒的な雰囲気に酔いしれる。澁澤龍彦の『高岳親王航海記』や宮内悠介『超動く家にて』を読んだときのような世界に浸った。
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山尾悠子三作品目。なんだかんだ癖になるところがある。
こちら今まで読んだ作品の中でもさらに読みやすかった。各作品は絶対に全て理解できない(感覚的にも)という感覚がクセになってきそう笑
また何か既存の作品を念頭に小説というアプローチを取ることが、僭越ながらそれなら自分にもできるかもしれないと思わせるので、少し親近感がわく。
特に好きだったのは、「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」「向日性について」「アンヌンツィアツィオーネ」の三作品。
「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」夢の棲む街を思い出しつつ、セイレーンの歌声を聞いたような感覚に
「向日性について」純粋に発想にうなった
「アンヌンツィアツィオーネ」美学的には一番好きだった。羽が髪の毛に編み込まれている様子など。
ーよもや竜(ドラゴン)と戦う天使ではあるまい。剣をお持ちではなし…天使を見た日の夜、編んだ髪をほどくとそこからは必ず数片の白い羽毛がこぼれ出した。…
ーあのかたとわたしとのあいだには約束がある。
ーどのような結末を迎えることになるのか皆目見当がつかないにしても、人としてのわたしの人生はすでに神ではなく天使の領域に侵犯されている。…
「美神の通過」最後に触れられているようにエドワード・バーン=ジョーンズの作品にまんまの一枚がある笑
「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」
「美しい背中のアタランテ」ギリシャ神話より
「マスクとベルガマスク」フォーレの曲より
「聖アントワーヌの憂鬱」フローベールの文学で、それに触発された絵画など
「水源地まで」勝手に夜叉ヶ池を思い出していた
向日性について
「ドロテアの首と銀の皿」聖女ドロテア。首は銀の皿と相場が決まっている。トマジ!
「夜の宮殿の観光、女王との謁見つき」「夜の宮殿と輝くまひるの塔」夜の宮殿!
なんと、この本、文庫になっていたのですね。
私は国書刊行会版の函入り本で読みました。
結構重かったです(笑)。
なんと、この本、文庫になっていたのですね。
私は国書刊行会版の函入り本で読みました。
結構重かったです(笑)。
さすが、幻想小説は網羅されてますね〜(*´∇`*) そうなんです、つい最近文庫になったみたいなんですよ。国書刊行会...
さすが、幻想小説は網羅されてますね〜(*´∇`*) そうなんです、つい最近文庫になったみたいなんですよ。国書刊行会のは装幀がシックで素敵ですよね!近所のツタヤとか文教堂には、こうゆうマニアな単行本は売ってなくて悲しいです(/ _ ; ) 文庫があっただけでも奇跡的な感じです。