向田邦子ベスト・エッセイ (ちくま文庫)

著者 :
制作 : 向田和子 
  • 筑摩書房
4.19
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  • (3)
本棚登録 : 1898
感想 : 100
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  • Amazon.co.jp ・本 (373ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480436597

作品紹介・あらすじ

いまも人々に読み継がれている向田邦子。その随筆の中から、家族、食、犬と猫、こだわりの品、旅、仕事、私…、といったテーマで選ぶ。解説 角田光代

感想・レビュー・書評

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  • 本の読み疲れか、物語がいまいち頭に入らない状態で気楽に読めるものをと手に取る。

    エッセイなのだけれど読んでる頭に風景が浮かんでくるすごさ。
    親から叩き込まれた礼儀作法が嫌というほど身になっているため、型を崩すことについて触れてる。でも、結局自分に染みついたルールに縛られてたりする。

    気性が荒いと思いきや、気配りや食や食器へのこだわりなど反するものが並ぶバランス。

    生き方が、生活の中にある小さな所作や選択に繋がっている話などもあり。沁みる。

  • 江戸っ子らしい、さっぱりした向田邦子さんの人柄が現れているエッセイ。どれも味わい深かったが、家族のことを書いた「ごはん」「お辞儀」「字のない葉書」が特に良かった。戦時下の空襲を生き延びた家族の、常に中心にいたお父さん、お母さんの在り方が胸に迫る。
    「食らわんか」ではサッと作る酒の肴など、かなりの料理上手を連想させる。
    「中野のライオン」「新宿のライオン」は嘘??と思うけどホントの話らしい。笑える!

  • “でも、この頃、私は、この年で、まだ、合う手袋がなく、キョロキョロして、上を見たりまわりを見たりしながら、運命の神さまになるべくゴマをすらず、少しばかりけんか腰で、もう少し、欲しいものをさがして歩く、人生のバタ屋のような生き方を、少し誇りにも思っているのです。
    (p.364、「手袋をさがす」より)”

     向田邦子の妹の和子さんが選んだ、ベストエッセイ集。
     向田邦子の書くエッセイは、まさに「名人芸」である。大袈裟に言えば、生きていると悲喜交々あるけれど、それでもやっぱり人生って良いもんだなぁ、と沁み沁み思わせるような魅力が、彼女の文章にはあると思う。自分も、歳をとってからこんな風に人生を語れるようになりたいものだ。

     好きが高じて最後には自ら料亭を開くことになったという食いしん坊の話や、一目惚れして譲ってもらった愛猫の話、そして脚本家の仕事の話など、僕からしてみればよくもまぁこんなに沢山エピソードがあるものだと思ってしまうが、読み終えて一番心に残ったのは、彼女の家族の話だった。
     ときに手が出る厳格な父親と、慎み深く家を支える母親。そして、喧嘩しながらも仲の良い四人の兄弟姉妹。たしかに、今の価値観からすると言いたいことがあるし、特に、「昭和の父親」を美化しすぎるのは危険である。だが、これで上手くいっていたのだとしたら、あれこれ口出すのは余計なお世話というものだろう。不器用な示し方ながらも父親から贈られた愛を、家族が確かに受け取り(あるいは、受け取ったと思い)、今度はそれを父親に返していた、ということが何より大事なのだと思う。そう、向田邦子のエッセイを読んで僕たちが覚える心地良さは、彼女が他者に向ける眼差しの暖かさそのものなのだ。

     実は向田邦子のエッセイ集は既に2冊読んでいて、記憶にあった作品も多かった。初読の作品の中から一つ挙げるとすれば、「手袋をさがす」が印象に残った。他の作品とはかなり毛色が異なり、彼女が大人になって働き始めてからの日々を内省的に振り返った内容となっている。人生哲学のようなものはあまり語らない向田邦子だが、この作品では彼女の、芯が強く、自立した女性としての一面が見られる。アンソロジーを締めくくるに相応しい好作と思う。

  • もう表現のしようがない。素晴らしい文章。豊かな感性と表現力に裏打ちされた作品。向田さんのエッセイを読むのは何回目なのだろう?ただ、久し振りなのは事実だ。前回読んだのは数十年前だったはず。しかし、読み始めるとその時にも浮かんできたであろう情景が再度(再再度?)頭の中に鮮明に広がっていく。

    本書は向田さんが書かれたエッセイを、主に妹の和子さんが選ばれた作品集。向田さんが残された多くのエッセイのエッセンスが凝縮されている。向田さんの経験された様々な時代や場所、社会、仕事、人間関係が向田さんの目線でとても良いリズムで描かれており、読者の心情をあちらこちらへと持っていく。時代を超えて頷くしかない。

    やはり優れた文章というものは時代を超えて感動を与えてくれるものだと唸るしかない。ただ、どのように感じるのかは読み手である自分自身のその時の在り方によって異なっているのだろう。残念なことに前回読んだ時にどのように感じたのか?何も残していない。前回読んだときは、私はまだ青年?であったと思う。向田さんは素敵な大人の女性であった。

    今回はまず、「父の詫び状」をはじめとしたご自身の幼少期の思い出の描写に胸を打たれた。戦前・戦中・戦後の中流家庭(上流に近いと思われるが?)の様子が鮮やかに蘇る。社会の状況や家族の生き方。現在の日本の家庭では考えられないような当時の家族の在り方、親の在り方、人情の機微。確かに存在していたのだ。やはりご自身の経験をもとにしているのでリアリティーがある。

    今回読んでいる中で、私は戦前の一般家庭で育った子どものオヤツの豊富さに少し驚いてしまった。今とほとんど変わらない。向田さんの手にかかると、オヤツだけではなく当時の食文化全体が芳醇に思えてきて羨ましくなる。

    しかしそれなりに豊かだった暮らしぶりが、戦争によりあっという間に生死の境を彷徨うような生活に陥ってしまう。今を生きている我々も身を引き締めなければならない。老人国家となっている我が国は極めて危うい状況だろう。

    本書はベストエッセイ集といいうことで、向田さんが様々な時代や社会に思いを馳せて書いてこられた作品集。久しぶりに再読できて本当に良かった。ほとんど全て「確かに昔読んだことがある」と様々な思いを振り返りながら読んだのんだけれど、最後の「手袋をさがす」という小編は記憶になかった。ご自身のことを自己分析しておられる内容。この作品を本書の最後に持って来られている。これが本書の締めくくりとしてとても良かった。また、角田光代さんの解説もとても良かった。

    今や写真でしか見ることができない向田さん。彼女は51歳から歳をとらない。しかし写真で見るお姿も文章も色褪せない。いまだに私にとっては素敵な大人なのだ。
    何だかずるいな、と思ってしまうのでありました。

  • 向田邦子と言えば、父の姿だ。

    ただ、今の中学生に字のない葉書や、父の詫び状を読ませて、どんな共感が得られるんだろう、とは思う。

    そして、そんな父の姿ばかりが妙に鮮烈に、人々の記憶に残っていくことを、向田家の人々は、いや父自身はどう思っているだろう。

    父親像というものが移り変わっているのには違いないけれど、でもそれは一体何が原因なんだろう。

    そういえば。
    このエッセイ集には、母の姿も描かれている。
    「お辞儀」を読むと、そこには私にも覚えのある母の姿が映し出されていた。

    飛行機には持ち込めない大型の裁ち鋏を持ってきてしまい、邦子に怒られ、しゅんとする母。
    そこで邦子が可哀想に思い、花屋で三千円を二五百円に値切って蘭のコサージを作ってもらい、母にプレゼントする。

    「何様じゃあるまいし、お前はどうしてこんな勿体ないお金の使い方をするの」

    と怒り、親子げんかが始まるのである。

    でも、きっとウチもそうだろうなと思う。
    喜ばせたい、慰めたいと思ったことが、大人になればなるほど、色んな手で表現できるはずなのに、子どもの頃のようには喜ばれない。
    それは少し、寂しいことだなと思っていた。

    父の典型、母の典型。
    そんなものがあるのかは分からない。
    結局は、人と人との関係性のことのはずだけど。

    読んでいると、やっぱり色んなことを思い出す。
    それが、向田邦子の随筆のすごさだと思う。

    幾つかの文章に、飛行機が落ちないでほしいとか、悪いことをしてバスに乗ると神様が見ていて事故を起こしたとか、どうしても最期を彷彿とさせることも書かれている。

    すると、飛行機に乗っている中で、どんなことを考えたろう、何を思い出したろうということが、妙にリアリティを持ち出して、怖くなった。

    うまく描け過ぎることは、怖いことなのかもしれない。

  • 向田邦子のエッセイといえば、昭和の家族を中心に描いたもの(父の詫び状等)というようなイメージがありますが、こうしてベスト版?みたいな感じでまとめられると、家族のこと以外に暮らしのこと、食のこと、仕事のこと、性格のこと、考え方のこと、いろんなエッセイを書いており、生きるということをいろんな角度からいろんな形で切り取られていて、その集積で向田邦子という人間の形が見えてくるような編纂になっており、それはすごく素敵だなと思った。
    やはり冒頭の「父の詫び状」や、東京大空襲に直面した家族の様子を描いた「ごはん」などは紛れもない傑作だと思いますが、わたしは今回は「手袋をさがす」にすべての心を持っていかれてしまった。回想系のエッセイや40代での暮らしのエッセイが多いので、わたしの中では穏やかで虚栄心が少ない可愛らしい人、みたいなイメージだったのだけれど、このエッセイには痛々しく苛立っていた20代の向田邦子が、「手袋」というありきたりな日常のアイテムからハッとするほど鮮明に描かれている。わたしも「自分が本当に気に入っている手袋でないなら、はめないほうがいい」と考えてしまう質であり、そのことで常々苦しんできたので、救われたような気持ちと、でもやはり苦しいなと思ってしまう気持ち。「足るを知る」「与えられているもので満足する」ということの美しさと、「常に貪欲で、足りない足りないと何かを探し回っている」ということの強さは両立しうるのか、というところが目下の課題です。
    ところで、冬にはめる手袋が見つからなかった、というところからここまで人生の話を展開させる手腕はやはり素晴らしい。いろんな作家がいろんなエッセイを書いているが、遠いものをつなぎ合わせる飛躍の切れ味は群を抜いているように思う。飛躍を1本にまとめあげる力技には、やはり文章の力が必要で、この人も平易な言葉で大変難しいことをしていた人なのだった。

  • 素晴らし!これが本物のエッセイというのですね。流れるような文章、思わずにんまりしてしまう内容に参りました。
    最高です。少し他の作品も読んでみます。

  • アイデンティティーがしっかりある人だと思った。
    私はこれがいいというこだわりを持ち続けること。
    短所をなおすのではなく、短所をいかすという生き方が素敵だなと思った。

  • 向田邦子さんの文章を読んだ。初めて読んだ。
    多くの人がお手本にしたい文章とっていることがよくわかった。
    とても読みやすいし、読者に不快な思いをさせない、面白いエッセイばかりだ。
    今の時代では想像すらできないくらいの珍事も、向田さんの前にやってくる。
    都内でライオンを目撃したり、人が落ちてきたり(大丈夫です。怪我していません)、文章以外のところでも何かを引きつける天性のものがあったのだろうか?
    しばらく、本屋で向田邦子さんの書籍を物色することになるだろう。
    楽しみだ。

  • もともと黒柳徹子さんのドラマで向田邦子さんを知ったけど、飛行機事故で51歳で亡くなられた事以外生き方などをあまり知らなかった。
    飛行機の話が出てくると事故と重なり悲しい気持ちになったけど、ライオンを飼っている人に出会ったり理不尽な父親の話がおもしろくて少し自分に重なる部分もあったりしてとても楽しかった。40代で自分の生き方を振り返り悪い所を悪いと思えるのが素敵だなと思った。素敵な言葉はたくさんあったけど、「記憶や思い出というのは一人称である。単眼である」という言葉が1番印象に残った。
    中野のライオンと手袋をさがす が好きだった。
    ずっと大切に何回も読みたい本だった。

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著者プロフィール

向田邦子(むこうだ・くにこ)
1929年、東京生まれ。脚本家、エッセイスト、小説家。実践女子専門学校国語科卒業後、記者を経て脚本の世界へ。代表作に「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」。1980年、「花の名前」などで第83回直木賞受賞。おもな著書に『父の詫び状』『思い出トランプ』『あ・うん』。1981年、飛行機事故で急逝。

「2021年 『向田邦子シナリオ集 昭和の人間ドラマ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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