- Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480436887
作品紹介・あらすじ
なぜ落ちは笑えない? どうして話が途中で終わるのか、などなど。落語に関する素直な疑問を解き明かしながら、落語ならではの大いなる魅力に迫る。
感想・レビュー・書評
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私は笑点をたまに見るくらいで落語好きとはいえないが、この本は面白い!
落語は「耳の物語」で口承文学の生き残りであること、「目の物語」との違い、結末を考えない展開で他の物語にはない自由さを持っていることなど、とても興味深い話題満載。
カフカの文学作品と「耳の物語」の法則でつながっている指摘にも膝を打った。
Q&Aという形で、落語の楽しみ方が紹介されており読みやすい。著者の落語愛がとても伝わる。
図書館で借りてきて読んだが、この本はあらためて購入し、手元に置いておきたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
べらぼうに面白い落語の本。
そんじょそこらの落語の蘊蓄を集めたような代物とは訳が違う。何しろ落語は滅びつつある世界の口承文学の貴重な末裔だってえ話なんだ。
牡丹灯籠やなんかの圓朝の作品が言文一致の文学運動に大きな影響を与えたってえ話から、落語は読むもんか聞くもんか、目の物語と耳の物語の違い、カフカや南米のマジックリアリズムへと繋がっていくって寸法よ。
落語が好きで、カフカが好きで、ガルシア・マルケスも大好きなこの俺だが、俺の好きな物語はどれもこれも耳の物語ってことで一本筋がピシッと通ってたってえことがよおくわかった。
p.143の「同じことが起きたら、同じ言葉で繰り返す」のが「耳の物語」ならではの表現形式だという話も肚に落ちた。
「ある声がフリーダと呼んだ。『フリーダ』と、Kはフリーダの耳元で言って‥…」というカフカの書き方。これを目の物語の翻訳者は何度もフリーダと続くのを嫌って、女中だの連れの女だのと訳し分けてしまうらしい。クンデラじゃなくたって、それじゃあダメだとわかりそうなもんじゃねえか。
落語家が書いたものも含めて落語の本はたくさん読んだが、これは二番目に素晴らしい。
一番は米朝の『落語と私』。著者も同意をしてくださるのではないかしら。 -
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目の文学、耳の文学という視点は非常にわかりやすく、腑に落ちた。確かに漱石の「吾輩」の面白さを言語化する難しさは相当なものだが、主人公さえコロコロと代わってしまう落語との近しさと考えれば合点がいく。
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落語は面白くない、分からなくても当たり前というのは初めて落語を聴く人には安心して入れるのではないかと思う。オチは必ず何かしらの言葉にひっかけたものなんだと思ってたが、話しが終わったのいうサインだと知れば、力をいれずに最後まで楽しめそう。「耳の物語」「目の物語」の話しは面白かった。「耳の物語」だからこそ世界も時代も超えて残る。落語は人間のダメな所を語ってるっていうのは談志師匠の「落語は業の肯定」と言うのに通づるなと思った。人間の普遍性を描いた作品はシェイクスピアしかり、長い間読み継がれ語り継がれていくものなのだと思う。
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落語の何が面白いのか、落語と漫才の違い、落語と小噺、漫談との違いもわかっておらず、タイトルに惹かれて購入し読み始めました。
落語は口承文学、その語り部は世界遺産並み。落語の落ちを聞いても面白くない。そこまでの過程にこそ楽しみがあること、噺家によって話の膨らみが違うことなど落語の楽しみ方を知ることができます。
さっそくYouTubeで落語を楽しんでます。 -
こりゃ絶やしちゃいけない伝統芸だと思った。生の落語を聴いてこの本に書いてあることを確認したくなり、寄席に通うようになった。21歳の秋。
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落語を聴いてみたけど面白くなかった私。10年以上前、ちょっとだけ聴いてみたことがある、それが誰のなんという演目の落語だったかさえ覚えていないが、なんだか繰り返しが多くてくどくて思ったほど笑えなくてあんまり面白くないなあ、と思ったことは、忘れていたけれどこの本を読んでいて思い出した。
この本は落語は繰り返しが多いこと、そもそもどっかんどっかん、大爆笑の連続というものではないということを丁寧に説明してくれている。
私が面白くないと思った点は落語の特徴であり、意味のあることだった。
世界の昔話と落語の関係についての指摘も興味深い。
「目の物語」「耳の物語」という物語の特徴についての指摘も、納得が深い。自分は「目の物語」によって物語を享受することに慣れすぎていたのだ。
この本で知ったことをふまえて、また落語を聴いてみたい。
著者プロフィール
頭木弘樹の作品






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