- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480437365
作品紹介・あらすじ
「みんな一緒」から「それぞれ一人一人」になったこの時代、新しい大人になるため、生きるための自分だけの戦略をどうたてるのか? 解説 古市憲寿
感想・レビュー・書評
-
35歳に向けた今後の考え方やマインドセットを教える本。
モチベーションが高まるきっかけにはなるので、定期的に読んでみたいと思えた。
人と一緒が良いと育てられてきた環境から今は、ひとりひとりの時代になってきている。その中で、自分が会社も肩書きも無しで戦えるものは何か。
改めて人生を考えるきっかけになる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
みんな同じから、一人一人の時代への移行にどれだけ順応していけるか。
「今、テレビが5センチ薄くなって幸せですか?」には不覚にも笑ってしまった…本当にその通りだな。飽和状態の世界から何をどのように取捨選択していくかを考えることが大事。
テレビのキャスターやコメンテーターの言説に「あれ?それおかしくない?」と言えるかどうか。鵜呑みにせず自分で確かめていく。調べていく。
「「正解主義」で正解の相手を求めるのではなく、結婚してから「修正主義」で試行錯誤していく」
結婚にとどまらず、色んな人生の決断にも当てはまる言葉だな。正解を選べなかったから負け組なんじゃなくて、どれだけ修正できるかで人生の彩りが変わったり、良い意味で前向きに、簡単に最初は走り出してしまってもいいのかもしれないと思えた。 -
子育て本の中で紹介されていて読んだ
40.50代をただ流されて生きるのではなく、自分の意見を持ち考えて生きていくために大切な考え方や行動を示した本
天才は1万時間の時間を費やしているというところが印象に残った
育児により夫婦は他人であることがより浮き彫りになるということで家族間でもベクトル合わせが必要と再認識した
今まで時間を費やしてきたことは事務仕事と家事なので、それと組み合わせて繋がるような何かを一つ始めてみたいと思った
40、50代を豊かにするために今から何ができるか考えてぼーっと時間を無駄にしたくないと思った -
なんだか前に読んだ気もするけど。
40代以降に何をしていくか、軸を増やすのに何が良いか、仕事以外の時間をしっかり取っていこうと思った。
あとナナメの関係の重要性を最近とても感じる。
仕事や家族以外のゆるいコミュニティの優先度を自分の中であげようと思う。
私はおそらく藤原さんのいうところの寄業人なので、そこを意識しながら仕事すると、無駄に焦らずに済む気もした。 -
35歳の時に読むべきでした。
35歳を過ぎて、仕事や社会でありがたいことに色々経験をした今となってはあまり驚きがなくなってしまいました。瑞々しい感性があり、ギラギラした頃に読んでいたら、また変わっていたでしょう。
1つ覚えておきたいのは、肩書きにとらわれないで勝負すること。この姿勢は意識して明日から仕事に臨みたい。 -
人生を俯瞰して見ることの大切さが分かる。
参考になる点。
○名刺交換せずに、仕事、役職、セクションなど肩書きなしで相手に自分をPR出来るか?
○会社外で通用する技術の習得、会社以外に打ち込めるものを探す
○10000時間の法則。 -
納得できることもあり、「そうは言っても…」もあり。
ちょうどタイトルの35歳になったので手に取ってみたけれど、私は少し想定されている読者層とズレているのかも?という気も。
マインドセットと必要なリテラシーは参考になった。虚飾なしで私に残るものは、なんだろう。 -
最近よく聞く言葉たちではありますが、キャリアとかこれからの生き方を考える参考になりました。
なりたい自分をロールプレイングして強くなれ。
無理して違うキャラを演じて居心地悪くすることはないけれど自分の役割を正面から受け止めてがんばるのは悪くないなと。
相手のベクトルと自分のベクトルを合わせる。
自分と相手のシナリオが一致するところにツボがある。相手の身になって相手がどんなシナリオなら動くか考える。 -
これからの時代、
✅多様化
✅複雑化
✅変化
を受け入れて楽しめるマインドかそうでないかによって、
人生は大きく変わってくる。
自らのライフプランを主体的にデザインしていきたい人たちにとって、
現代は最高の時代かもしれない。
(わがままでいい。わがままだから実現できる)
つまり、「努力」が前提の世の中ということ。
毎日、酒を飲んでゲームをして寝てるだけの人に自由など手に入らない。
そういった意味で平等な社会。 -
最近、自己啓発本しか読んでないせいか非常に既視感があった。会社の肩書をなくした時に本当の実力が試されるというが、ほとんどの人は肩書に生きているわけで、一人一人詳細に判断する時間はないからレッテルを貼ったりイメージで判断したりしてしまう