十六夜橋 新版 (ちくま文庫 い-44-3)

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  • 筑摩書房 (2023年1月12日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (432ページ) / ISBN・EAN: 9784480438607

作品紹介・あらすじ

不知火(しらぬい)の海辺に暮らす人びとの生と死、恋の道行き、うつつとまぼろしを描く石牟礼文学の重要作。第三回紫式部文学賞受賞。解説 米本浩二うつつとまぼろし、生と死、恋の道行き――石牟礼道子、名著復刊。南九州・不知火(しらぬい)の海辺の地「葦野」で土木事業を営む萩原家。うつつとまぼろしを行き来する当主の妻・志乃を中心に、人びとの営み、恋、自然が叙情豊かに描かれる傑作長編。作者の見事な筆致で、死者と生者、過去と現在、歓びと哀しみが重なり、豊饒な物語世界が現れる。第三回紫式部文学賞受賞作品。解説 米本浩二【目次】第一章 梨の墓第二章 ほおずき灯籠第三章 十 六 夜 橋第四章 みずな第五章 

みんなの感想まとめ

生と死、恋の道行きを描いたこの作品は、不知火の海辺に暮らす人々の深い営みを美しく表現しています。精神を病む妻・志乃を中心に、彼女の記憶と過去の人々との関わりが重層的に描かれ、幻覚と現実の狭間での不安や...

感想・レビュー・書評

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  • 十六夜橋 新版 石牟礼 道子(著/文) - 筑摩書房 | 版元ドットコム
    https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784480438607

    筑摩書房 十六夜(いざよい)橋 / 石牟礼 道子 著
    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480034854/

  • 北から順に、

    長崎 ……お小夜がみずなとして遊郭に。直衛が仕事で(三之助を伴って)たびたび訪れ、お小夜を落籍。

    天草 ……志乃の出身。お糸と重左。

    葦野=水俣 ……萩原家。直衛。嫁いだ志乃。娘のお咲。婿入りの国太郎。孫娘の綾。

    薩摩 ……弟の三之助と姉のお小夜の出身。
    (すべて不知火海の近辺)

    という位置関係だと整理した。

    で、同じく著者の家族を題材にした「椿の海の記」で、以下のようにメモした。

    ・祖父。松太郎。天草の石。天草出身の石工。
    ・祖母。おもかさま。めくらさま。蓬髪。狂女。神経殿(どん)。漂浪(され)く。
    ・後妻。おきやさま。権妻殿(ごんさいどん)。
    ・大伯母。お高さま。祖父の姉。肉食を忌避。
    ・大叔母。お澄さま。おもかさまの妹。
    ・父。亀太郎。入り婿。焼酎。
    ・母。春乃。
    ・国人。春乃の兄。松太郎とおもかさまの子。跡取りだったが、29歳で死んだ。
    ・叔母。はつの。お洒落。
    ・わたし。みっちん。狐。
    ・弟。一(はじめ)。病死。
    ・ぽんた。末広の遊女。淫売。花魁。殺害される。
    ・髪結いの沢本さん。

    これを本作と対応させたら、

    直衛=松太郎。
    志乃=おもかさま。
    お咲=春乃。
    国太郎=亀太郎。
    綾=みっちん=著者。

    上の位置関係には書かなかったが、「椿の海の記」(1976)における、国人とか、お高さまとか、対応する人は本作(1992)にもいる。
    が、果たして、お糸と重左は、「椿の海の記」に出ていたか?
    綾にあたるみっちんに、育て役の青年っていたっけ? たぶんいなかった……と思う。
    ということは、おそらく、お糸と重左のような、高貴な娘に対する、使用人の青年の悲恋、が本作の意義。新たなステップ。
    しかも、重左が三之助に重ねられたり、お糸と志乃と綾が重ねられたりするように、歴史は繰り返す……ループする……輪廻転生する……しかも三之助が、噂として重左の存在を聞いて意識したり、志乃の認知の中で混濁したりするように、時間は単線だが、人(個人というよりは共同体の)の記憶の中では同時に存在することもある。
    中上健次は、相当初期の詩作で、「世界はいつまでもギリシア悲劇を上演している」と書いていたが、中期以降の作品でオバら(共同体)の噂話という、個人の集合体を語りの主体にした、つまり語りは騙りであると表明した。
    脱線したが、本作の「行きつ戻りつ」する、場所と記憶の記述って、中上に影響あったんじゃないかしらん?
    ひとつの小説として、ある場所のある共同体を描くわけだが、作中で語りの在り方が混交する……視点人物が特定人物ではなく、拡散していく……手法を取ることで、近代的小説という枠をはみ出そうとするような。
    石牟礼道子を読むことで中上健次に再入門できることの、僥倖。
    できたら、「椿の海の記」と「十六夜橋」の、発表年として中間にあたる、「あやとりの記」も、読んでみたい。

  • 不知火の海辺の町・葦野で土木業を営む直衛と精神を病む妻の志乃。
    海に抱かれた萩原家の記憶と生き様が重層的に織り成す美しい作品である。
    志乃の記憶は往時の親しき人達の死と彼岸に結び付き現在と行きつ戻りつ連なる。志乃が発する科白は、病のせいかそれとも過去の確かな記憶なのか。幻覚か現実なのか稀に掴めなくなり、がために夢とうつつの狭間に迷い込んだ不安と緊張を覚え幻惑的でさえあった。

    志乃にはお糸という大叔母がいた。意に染まぬ男と結婚させられたが、心に秘めた人と駆け落ちし舟の上で心中を遂げる。その叔母を血に染まった海から引き揚げ弔ったのは奉公人の重左。彼の記憶が志乃の往時を形造る。志乃と奉公人の重左の関係は、まるで輪廻転生のように志乃の孫娘である綾と石工の少年の三之助の関係に相似する。その三之助の姉の小夜は、心に秘めた薬問屋の奉公人である仙次郎と駆け落ちする。小夜と仙次郎の関係は、読む者にお糸の結末を想起させる不穏と相似の生の形を発見する。

    時を超えて繰り返す相似形の関係。人の恋と生き死と愚行の営み。輪廻が宿命であるとしても、その先に不知火の海がある。全てを受け入れる海がある。祈りや悲哀や呪詛を抱きしめる海がある。海に祈り抱かれることで萩原家の者たちは生きている。その海が存在するから人間はどこまでも生きていける。これを希望と言わずして何と評すればいいのか。
    文学は祈りではない。しかし叙情を湛えた自然描写で萩原一族の彼岸と此岸を分岐した物語に惹き込まれたならば、荘厳な寺院を前に感じる敬虔さで不知火の海を神々しく思う。

  • ひときわ悲哀を感じさせる物語で、余韻を噛み締めた。
    土木業を営む萩原家を中心として、その現在と過去が継ぎ目なく語られていく。夢か現か、次第にどちらでもよいように思えてくる。きっと志乃の生きている世界はこれに似ているのだろう。
    盲目で夢の世界に生きている志乃は、本人はあまり多くを語れないのにも関わらず、その存在感が強く印象に残る。ときどき正気に戻ったように喋るのが切ない。志乃と娘のお咲、孫の綾が愛情という絆で繋がっているようで胸が熱くなった。いつかあの世へ渡るとき、よき舟がこの親子のもとに迎えにきてくれたらいいのにな。
    土木業界の騒がしい宴会の場面から始まったために、荒々しい男性の世界という印象から始まったけれど、読み進めていくうちに守りに長けた男性も数名登場するのが興味深かった。十把一絡げではなく、それぞれの心をひらいて性格を示していくところに丁寧さを感じた。実直でしなやかな強さと奥ゆかしさを備えた重左と三之助にはやはり好感を持った。一族のお姫さまを守る役割を立派にこなし、かつ一族の土台を支えているような男たち。
    小夜のことも気になるし、まだまだずっと読んでいたい物語だった。

  • 最初に読みかけたときはうまくその世界に入って行けず、1章だけで放り出してしまった。半年ほど経ったであろうか。もう一度最初から読み始めると、すんなりと道子の世界に入りこむことができた。「椿の海の記」などで、道子の家族のいろいろなエピソードは読んでいた。それらと重ね合わせながら本作を読み進めることができた。基本的には創作であろうが、かなりの部分は道子自身の経験によるものが題材にされているようだ。僕は特に第三章「十六夜橋」で志乃と綾と三之助の3人がおおきな梨の木近くのお糸さまのお墓参りに行く場面に心を強く動かされた。また同じように、最終章の最後の場面でも心は揺さぶられた。お咲が、満潮に漬かりながら祈願している人々の中に志乃を見つける。声明は途切れない。お咲は思う。この中には合掌する手のない人も、口の溶けた人も、耳たぶを失った人もいる。ああわたしも、灯りなど打ち捨てて一緒にお祈りせねばと。これを映像で観たとするならどれほど衝撃的なシーンとなるのだろうか。さらには第四章。みずなと小夜が次第に重なり合っていく。直衛が準備した家で、姉と弟が出会う。2人はどのような思いであったのであろうか。直衛はどの段階で2人の関係に気付いていたのか。そして、弟の立場を考えると相当の決心が必要だったはずだが、小夜と仙次郎の駆け落ちはあまりにも唐突であったと一読者には思われる。その後の直衛の言動はあまり大きく取り上げられていないが、みずなのことはあきらめて、三之助を手元に置いておこうとする直衛は思っていたよりも心の広い人物であったと感じられた。そして何よりも、幼いころの道子自身を投影しているであろう綾が三之助と離れる場面で見せる姿には、切ないけれど心の温まる思いにさせられた。

  • 不知火の海辺の地で土木事業を営む萩原家。盲目で精神を病んだ当主の妻・志乃を中心に過去と現実を行き来しながら、彼等の愛や生が描かれる。生きることも愛することも儚く一瞬のうちに終わるかもしれないからこそ、もがき苦しみながらも求めていくのだと感じた。

  • たいへん美しい小説です。すごいものを読みました。
    人びとの、はかりしれない巡り合わせ。この世とあの世を繋ぎながら、連綿とつづくいのちの哀しみと愛しみ。すべてを大きく抱く海。
    私たち一人ひとりのなかに、無数の名もなきいのちが溶けあい、そうして人は誰もが(たぶん生きものは皆)宿命的に生まれ、畏れながらもただただ生き、還っていく。
    真の文学だと思います。

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著者プロフィール

1927年、熊本県天草郡(現天草市)生まれ。
1969年、『苦海浄土―わが水俣病』(講談社)の刊行により注目される。
1973年、季刊誌「暗河」を渡辺京二、松浦豊敏らと創刊。マグサイサイ賞受賞。
1993年、『十六夜橋』(径書房)で紫式部賞受賞。
1996年、第一回水俣・東京展で、緒方正人が回航 した打瀬船日月丸を舞台とした「出魂儀」が感動を呼んだ。
2001年、朝日賞受賞。
2003年、『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(石風社)で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2014年、『石牟礼道子全集』全十七巻・別巻一(藤原書店)が完結。
2018年2月、死去。

「2024年 『《新装版》花いちもんめ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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