- 本 ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480440112
作品紹介・あらすじ
けむりにたゆたうひと時だった愛おしい――もはや絶滅寸前といわれる煙草飲みたちが、煙草への想いやあこがれ、禁煙の試みなどを綴ったユーモアとペーソスあふれるアンソロジー。「僕は体の健康よりも魂の健康や」「私は幼稚園に上がる前から煙草を吸ってゐる」などの名言も飛び出す、プカプカたのしい一服エッセイ。
感想・レビュー・書評
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ちくま文庫編集部・編『もうすぐ絶滅するという煙草について』ちくま文庫。
最近、風あたりの強い煙草について、小説家や漫画家、芸能人など各界の著名人がしたためたエッセイ集である。
喫煙者にとっては住みにくい世の中になってしまった。飲酒が許され、喫煙がいけないというのは納得がいかない。自分は酒を止めて10年以上になる。煙草は大学生から吸い始め、数年前から電子タバコに変え、未だに続けている。
昔は職場の席でも仕事をしながら普通に煙草が吸えた。就職して配属されるや喫煙することを告げると社名の入った灰皿が支給された。何より、食堂、居酒屋、パチンコ店、列車や新幹線、飛行機、公共施設などでも普通に煙草が吸えた。大学の教室でも講義中を除き、煙草が自由に吸えた。
しかし、日本は高度経済成長を経て、国民の興味が健康至上主義へとシフトするや、間接喫煙、副流煙による受動喫煙はイカンとなり、会社には喫煙室が設置され、食堂、居酒屋などは分煙、列車や新幹線、飛行機は完全禁煙となってしまった。
かつて一箱200円程度だった煙草は見る間に600円にまで値上がりし、喫煙者は多大なる税金を収めているにも関わらず、喫煙者に対する風あたりは強くなり、喫煙の場所を失ってしまう。食堂や居酒屋、パチンコ店までもが禁煙が当たり前。公共施設や病院も禁煙がデフォルトになってしまった。
自分の会社などでは最近、喫煙室すら撤去され、駐車場の端に屋根も無い喫煙場所が設定された。誰が好き好んで、わざわざ外に出て駐車場の端まで行って煙草を吸うのかと思ったら、休憩時間になるとその喫煙場所にはまあまあの人が集まっているようだ。
自分はアホらしくなって会社での喫煙を完全に諦めた。今では自宅と往復の車の中でしか吸っていない。
本当に煙草が絶滅する日も近いのかも知れない。多様性とか様々な思想が欧米から流入し、LGBTQなる性的嗜好に対する考え方が過激化するのと同様に喫煙に対する考え方も必要以上に過剰になっているように思う。多様性を唱えるなら、喫煙者の権利も認めて欲しいものだ。
大体にして、電子タバコ愛用者を喫煙者と呼ぶのは間違いだ。電子タバコは火を使わず、水蒸気と共にニコチンを摂取しているのだから、喫蒸者と呼ぶべきなのだ。
芥川龍之介『たばこすふ煙の垂るる夜長かな』。煙草をテーマにした短編と言えば、芥川龍之介には『煙草と悪魔』という傑作があるのに何故か俳句を収録。
第I部
開高健『人生は煙とともに』。煙草に関する開高健へのインタビュー記事。確かに煙草と本が無かったら、気が狂いそうになる。煙草への風あたりが強くなったことを開高健も嘆いているが、煙草以外に食べ物で身体に悪い物はたくさんある。
中島らも『喫煙者の受難』。大麻所持違反で刑務所に収監された中島らもの渇望は煙草だけだったようだ。中島らもの時代に既に喫煙者が犯罪者扱いされていたのか。
遠藤周作『タバコと私』。5歳の時に初めて煙草を吸ったという遠藤周作の煙草のある人生を面白可笑しく綴ったエッセイ。昔は家庭の応接間や会社の応接室には大理石の灰皿とライター、煙草入れが置いてあった。
高峰秀子『私とタバコ』。女優の高峰秀子は演技する上で必要に迫られて煙草を吸ってから喫煙者になったようだ。
檀一雄『けむりの行衛』。太宰治と煙草の思い出、戦時中、煙草に飢えていた時代の思い出。
松浦寿輝『煙草』。松浦寿輝の語る煙草を吸う者と吸わぬ者の平和的な共存はいつの間にか破綻してしまったようだ。
夏目漱石『「文士と酒、煙草」』。ビール一杯で真っ赤になるほど酒が弱かった夏目漱石は煙草を嗜んだ。安い敷島を日に二箱吸ったようだ。
久世光彦『煙草の人たち』。胃の調子が悪くなり、検査入院した久世光彦は空腹は我慢出来るが煙草の欲求だけは我慢出来なかったようだ。久世光彦はショートピースを日に50本吸うが、上には上が居た。
ヒコロヒー『仕事終わりに髪からたばこの香りが鼻をかすめるこの人生も気に入っている』。ヒコロヒーは、平成生まれの無頼派女性芸人といったところか。なかなか面白い文章を書くではないか。
荒川洋治『ぼくのたばこ』。詩人らしい独特の表現が面白い。煙草が読書の友とは良く言ったものだ。全く自分も同じだ。主人公の名前を覚えられない時に記憶の仕切り直しをするために一本。佳境に入った時に呼吸を整えるために一本。だらけてきたら一本。そして、終章で一本。
米原万里『喫煙者にとっても非喫煙者にとってもうれしいタバコ』。電子タバコが世に出る前に既に電子タバコを予言していたようなエッセイ。電子タバコでも喫煙者として弾圧されているのだが。電子タバコは水蒸気とその中のニコチンを摂取しているのだから、喫煙と呼ぶのは不正解である。正確に言えば喫蒸だろう。
吉田健一『乞食時代』。戦後、米の担ぎ屋、シケモク拾いなどを経験し、一番割の合うのは乞食とばかり、実際に乞食をした吉田健一の貧乏時代。
佐藤春夫『たばことライター』。煙草を好み、さらにはダンヒルのライターを愛用していた佐藤春夫。最後のなぞなぞは御愛嬌か。
赤塚不二夫『我が苦闘時代のたばこ』。新人漫画家時代の赤塚不二夫は困窮し、当時既に連載を抱えていた石ノ森章太郎に食事や煙草を集っていた。若い頃、金が無く、煙草銭にも困るという時があった。
丸山薫『煙草あれこれ(抄)』。古今東西の煙草にまつわる面白話の数々。
杉本秀太郎『パイプ』。煙草には紙巻きとパイプで吸う物があるがが、パイプの愛用者はなかなか見ない。パイプは扱いが難しく、手入れも必要なのだろう。
澁澤龍彦『パイプ礼讃』。パイプの話には必ずと言って良いほどボードレールが登場する。澁澤龍彦もパイプ愛用者であったか。
安西水丸『パイプの話』。煙草と違いパイプは高級感がある。しかし、元々は労働者が使っていた物で、気取った物ではないと言う。
あさのあつこ『憧れのパイプ、憧れの煙管』。パイプへの憧れはシャーロック・ホームズに憧れてのことだったか。確かに女性が使う煙管というのも粋な物だ。
杉浦日向子『色里の夢は煙か』。煙草入れと煙管は色里へのパスポートなのだとか。漫画家にして江戸風俗評論家の杉浦日向子の蘊蓄エッセイ。
安岡章太郎『葉タバコの記憶』。昔は専売公社がタバコ農家を周り、1枚1枚タバコの葉を数えていたのだとか。安岡章太郎の少年時代に既にタバコの高騰が始まっていたのか。タバコの価格の殆どが税金で、増税が行なわれる度に標的にされるのが許せない。40年前に180円ほどだったタバコは今や600円だ。何故、タバコに比べて、ビールや酒の増税が軽いのか。タバコはJT一社なのにビールや酒は星の数程の企業が手掛けているので、政治家の献金や票集めのために増税しないのだろう。
堀口大學『煙草ぎらひ』。堀口大學は煙草が嫌いだと言う。堀口大學の時代は喫煙がポピュラアだったようだ。
第Ⅱ部
谷川俊太郎『煙草の害について』。この前、亡くなった谷川俊太郎の詩である。煙草の害を散々並べて、煙草を憎むかのかと思えば、そうした愚かさを持つ人間をいとおしいと言う。この場合のいとおしいとは可哀想という意味だろうか。
なぎら健壱『嫌煙』。果たして、なぎら健壱は禁煙者なのか、喫煙者なのか。確かに昔は映画館でも映画の上映中に煙草が吸えた。今では、テレビや映画で登場人物が喫煙するシーンを殆ど見ない。そればかりか、タバコのCMというのが一切無くなった。飲酒運転による痛ましい交通事故は無くならないのにビールや酒のCMだけは未だに健在であることが信じられない。
山田風太郎『けむたい話』。80年以上前の夏目漱石の喫煙に関する逸話から始まり、健康志向の高まりから嫌煙運動の始まりと喫煙者には有り難くない話が続く。
常盤新平『たばこ』。世界の喫煙弾圧の状況を面白可笑しく綴ったエッセイ。飛行機で喫煙したいがために老紳士がジェット機を購入したというのはなかなか素晴らしいアメリカン・ジョークである。
別役実『喫煙』。確かに喫煙という行為は合法と非合法の間にある。そこまで喫煙者を弾圧するのなら、一層のこと煙草を禁止にしてくれれば良い。勿論、酒も禁止だ。
池田晶子『たばこ規制に考える』。たばこ規制を哲学的に述べられても、変な言い訳にしか聞こえない。
内田樹『喫煙の起源について。』。なるほどと思ったのが、個人の健康のために共同体の存続を犠牲にすることが正しいのかという疑問を呈したことだ。
柳家喬太郎『煙管の雨がやむとき』。行き過ぎた嫌煙運動は落語や映画、文学の表現にも影響する。
第Ⅲ部
安部公房『タバコをやめる方法』。余程の大病でもしない限りタバコは止められないのかも知れない。
島田雅彦『禁煙の快楽』。様々な禁煙方法があるようだ。
東海林さだお『非喫煙ビギナーの弁』。禁煙の苦しみを東海林さだおらしく面白可笑しく描いている。
小田島雄志『禁煙免許皆伝』。禁煙の切っ掛けは病気らしい。入院すれば否が応でも禁煙せざるを得ない。
中井久夫『煙草との別れ、酒との別れ(抄)』。やはり、禁煙の切っ掛けは病気か。
斎藤茂吉『禁烟』。斎藤茂吉も禁煙に苦しんだクチか。禁酒よりも禁煙の方が難儀だというのはよく解る。自分も禁酒は何の苦しみもなく、10年以上も続いている。禁煙しようと思ったことは一度も無い。禁煙するとしたら、年金生活になった時だろう。経済的な事情で嗜好品や趣味は諦めざるを得ないだろう。
赤瀬川原平『タバコと未練』。無頼派と思っていた赤瀬川原平も節煙に走るとは。
いしいしんじ『元煙草部』。禁煙しても喫煙には未練を感じるようだ。
内田百閒『煙歴七十年』。節酒、節煙は禁酒、禁煙より難しいと云うらしい。禁酒、禁煙はゼロイチの世界だが、節酒、節煙には明確な基準が無いのだ。
いしいひさいち『ののちゃん 7218』。今の世の中、まさにこれ。いしいひさいちの4コマ漫画である。喫煙所は減らされ、どんどん遠くなる。これは実話なのだが、埼玉の某企業が屋外にある喫煙所でボヤを出し、喫煙所が使用禁止になった。昼休みになるとその企業の喫煙者が近くのコンビニの喫煙場所にたむろし、大問題になり、企業の屋外喫煙所が復活したらしい。問題の本質と解決策を間違えた面白い事例である。
三國連太郎『時の流れと煙草と』。名優、三國連太郎が煙草と人生について素晴らしい文章で綴る。
本体価格800円
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愛煙家による「煙草LOVE」なエッセイだけで構成されていないところが、さすがちくま文庫。面白い。
禁煙に失敗した方、逆に成功した方、分煙推進派、禁煙運動アンチ派…いろんな人のいろんな考えが、その人の生きた時代背景を感じさせる語り口で並べられている。今はすっかり嫌われ者の喫煙者と煙草だけれど、一昔前にはこんなスパスパ吸えてたんだな…みたいな驚きもありつつ、その時の情景がありありと思い浮かべられる。これはひとえに錚々たる執筆者の方々の文章力ゆえの楽しみだと思う。