- 筑摩書房 (2025年5月10日発売)
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感想 : 8件
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784480440211
作品紹介・あらすじ
AI翻訳なんか怖くない!(ただし、当分のあいだは……)フランス文学の名翻訳者が、言語と思考の連環について考えた軽妙なエッセー。
みんなの感想まとめ
翻訳の奥深さとその魅力を軽妙なエッセイで綴った本書は、言語と思考の関係性を考察しながら、翻訳家としての著者の情熱が伝わります。原作を日本語に訳す際の工夫や、翻訳を通じて広がる文化の相互影響について深く...
感想・レビュー・書評
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エッセイの形で翻訳家としての想いが語られる本。
原作から日本語に訳すことにそんな工夫があるのかなど知ることができた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
もとは「文藝」に二年間連載したエッセイをまとめて河出書房新社からでていた単行本『翻訳教育』(2014)の文庫化。改題して、単行本化以降の11年分のあれこれをかいた新章を加筆。
たとえAI翻訳がどんどん追いついてこようとも世界を翻訳するという人間の営みに終わりはこない、という着地点はうれしい。言葉Aから言葉Bにかぎらず、あらゆるコミュニケーションは翻訳なんだなあと改めて思えた。そして、はじまりはヴィアンやトゥーサン、ネルヴァルといった(わたしにとっては未知の)フランス文学の話だったのにもかかわらず、ファウストや音楽へとテーマが自然に移ろっていつのまにか森鴎外の話になってその孫に当たるフランス語の恩師の話になり⋯とすべてのものが相互に結びつき影響し合って著者を形作っている、そのすべてが翻訳という仕事に結実しているという印象を受けた。
なにより、ずっと敬遠してきた森鴎外「渋江抽斎」「かのように」を読みたくてうずうずしてくるし、「ちいさな王子」(光文社古典新訳文庫)やこの間岩波文庫に入ったばかりの「夜間飛行・人間の大地」も拝読しないわけにはゆかないだろう(他にも読んでみたくなる本の芋づるがいっぱい…)。
で、この本を出しておいてちくま文庫の鷗外全集が品切れというのは片手落ちというものでは(=もったいなすぎる)、と思うのだった。「かのように」は手元のちくま日本文学全集に入っていてたすかったけど、「渋江抽斎」は古書を探してなんとか手に入れた。
(著者がセットで書いたという「赤ちゃん教育」のほうも読んだ気がするけれど、2011年以前のことで記録がない) -
ウエルベック、ボリス・ヴィアン、トゥーサン、何よりネミロフスキー「フランス組曲」(傑作)を訳した野崎さん。英語翻訳者の翻訳に関する書籍はそれなりにあるが、フランス文学は珍しい。ネミロフスキーがベートーヴェン、ワーグナーを愛し記憶の中で聞きながら(ナチの迫害を受け聞ける環境ではなかった)執筆していたことを知る。翻訳者としての森鴎外や堀口大學についての記載も面白い。鴎外訳のファウスト、少し引用されている箇所を読むだけでもなるほどメフィストの口調も軽快で読んでみたくなる。マーラーの千人に感動するクラシック音楽ファンなのも、おそらく同程度にライトなファンとして楽しんだ。
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文芸翻訳は産業翻訳と違って、客の為ではなく自分の為・ことばの為に翻訳できるのが羨ましいなあ…。仕事の中に「自分の為にもなる」部分が一部でもないと仕事は嫌になるなと痛感しているので、読んでいて泣けてくる。
しかし、実際最終章にも同人物が出てくるが、サン=テグジュペリを読んでいるときに私が感じた、「なんかこの人の前提となっている考え・世の中の捉え方は私のとは違うなぁ」という思いが本書を読んでいても浮かんできた。大人すぎて、しっかりしすぎていてしんどくなるというか…「人間愛!!しっかり生きよう!」の重さがある。私は人間を愛していないししっかり生きるのしんどいので… -
まだ読み途中ですが、
p.273の一節に深く感銘を受けました。
> 言葉とはその本性上、終わりがないものだ。
たえず言い換え、解釈し直す営みをとおしてのみ言葉は生き続けるのである。
人間がいなくならないかぎり、その運動が止まることはないはずだ。
書き手のことも読み手のことも、そして言葉そのものの力を信頼している—
そんな懐の深い文章だと感じました。
私は少し前、ある作品についての商業誌の『記録記事』で、事実関係の誤りや曖昧な表現が気になり、編集部に訂正を求めるやり取りをしていました。
編集部からの最終回答は、「解釈違いに苦しむなら、作品や雑誌から離れるのも選択肢の一つ」というものでした。
編集部が『記録記事』の誤りや曖昧な表現を「編集方針」と説明し、「解釈違い」を理由に読者を遠ざける姿勢に大変ショックを受け、困惑しました。
野崎さんの文章が対象とするのは文学的な作品の解釈の自由であり、本来、そういった作品の解釈は自由であるべきです。
『記録記事』の元となった作品も、ある程度の自由な解釈は許されるべきであり、その時点で、「解釈違い」の読者を遠ざける編集部の姿勢はおかしいとしか言いようがありません。
一方で、『記録記事』は、書き手と読み手の解釈が大きく食い違わないよう、内容の正確性が求められます。
読者の自由な解釈を認めず、書き手としての責任を放棄するような編集部の返答にモヤモヤが募っていましたが、元となった作品の主要キャラが翻訳に興味を持っていたから、という理由でこの本を手に取り、
興味深い一節に出会い、『解釈』について、理解と自信を深めることができました。
この気持ちを残しておきたく、読み途中での感想となってしまいました。
他のページもじっくり読みたいです。 -
内容よりも、文体が良かった。
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