何のための「教養」か (ちくまプリマー新書)

著者 :
  • 筑摩書房
3.26
  • (1)
  • (6)
  • (9)
  • (3)
  • (0)
本棚登録 : 123
レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480683557

作品紹介・あらすじ

単なる“飾り”か、それとも“命綱”か。教養の力で人びとの合意形成を図る「地を這う哲学者」が斬り込む。すぐれた選択を導く知、思慮深さとはどういうもの?

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 400円購入2020-06-15

  • 「教養とは幸運なときは飾りであるが、不運のなかにあっては命綱となる」
    古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉です。

    筆者は東京工業大学リベラルアーツセンターの初代センター長。ジャーナリストの池上彰さんを東工大に誘われた方でもあります。

    東工大の多くの教員は、リベラルアーツセンターを、学生たちが将来海外で働くにあたって恥をかかないための「教養」を身につけるところと考えていましたが、桑子さんはこうした「教養」は飾り物でしかないといいます。

    再びアリストテレスを引きます。
    人類が直面する危機的な課題に立ち向かおうとしているとき、人は専門家として対応できても、一人の人間として対応できるとは限らない。
    科学技術を発展させることが、じつは社会に対して本当に利益になることをしているのだろうかと考えることが、困難な課題への対応力になるというのです。
    いわば、科学技術を「枝」とすれば、その根底にあるのは、「人間としての根っこ」です。

    アリストテレスは人間が備えるべき「知的能力」には二つあると考えていました。
    一つは科学的探究、学問的論証能力である「ソフィア」。
    そしてもう一つは行為の選択を行う際に発揮される思慮深さ「フロネーシス」です。

    2011年3月、日本を未曽有の大震災が襲い、その後の津波によって深刻な原発事故が発生しました。
    その際、最先端の科学技術に携わっていた関係者はみな一様に「想定外」という言葉を乱発します。
    しかし、桑子さんは言います。
    彼ら「専門家」は、「自らの行為選択の帰趨のすべてを視野に入れることができない。そうした事態へのそなえを視野の外に置いていた」ことを認めてしまったのだと。

    一人の人間として、自らが直面する課題に適切に当たれているか。知識だけでなく、思慮深さをもって当たれているか。
    自問するためのきっかけになる著作だと思います。

  • 【信州大学附属図書館の所蔵はこちらです】
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB2851596X

  • 「教養は幸運なときには飾りであるが、不運ななかにあっては命綱となる」とアリストテレスは言ったらしい。また、科学的能力の「ソフィア」と思慮深さの「フロネーシス」がある。現代社会において、前者のみが重視されているきらいがある。

  • 「教養とは、幸運なときは飾りであるが、不運なときは命綱となる」アリストテレス
    この言葉を知ることができただけで、読書の目的は達成された。
    命綱、つまり人間の根っこの部分であり、それは環境が悪化したときも樹木が朽ち果てないかのように、自分自身をしっかりと支えるものである。

    書店に行けば「教養としての●●」といった書物がゴマンと並んでいる。言葉は悪いが、いかに社交場でマウンティングに寄与するかといった、「根っこ」ではなく「花」の部分を彩る知識ばかりである。

    短いながら冗長に感じてしまったので星4としたが、読むに値する書籍である。

  • 図書館オススメ
    「2020年若い人に贈る読書のすすめ」本
    (公益社団法人読書推進運動協議会より)

    請求記号 002/Ku
    所蔵館  2号館図書館

  • 東2法経図・6F開架:002A/Ku96n//K

  • ●アリストテレスの言葉「教養は幸運な時には飾りであるが、不運のなかにあっては命綱となる」
    ●命のように「与えられているもの」を「所与」と呼ぶことにしよう。この命のもとで選択をする自由を与えられている。さらに人生には、所与と選択のどちらでもない広大な領域が広がっている。遭遇という領域である。
    ●ソクラテスの弁明。この弁明は、実は弁明ではなく、彼を裁判にかけた人々に対する糾弾の言葉であった。彼の言葉遣いの激しさは半端なものではなかった。人々が激怒するのも仕方がない。
    ●ソクラテスは、人間が誤った選択をするのは無知だからと言う。アリストテレスは、人間には意思の弱さというものがあり、だからこそ後悔したり反省したりする。と言う。
    ●遭遇する他の人々や事物との全体的な関係を「身体的な配置」と言う言葉で表現することができるとすれば、「所与」と並んで、私が朱子学から学んだ事は、「遭遇」と「配置」ということであった。

  • ふむ

  • 2020年3冊目。満足度★★★☆☆ 著者の「教養」にかかる考察の結論:「教養とは、すぐれた選択を導く総合的・統合的な知であり、思慮深さの基礎である。」

全14件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

くわこ・としお 1951年群馬県生まれ。哲学者。東京工業大学大学院教授、一般社団法人コンセンサス・コーディネーターズ代表理事。日本・東洋・西洋の思想をもとに、環境・生命・情報などの問題にかかわる価値の対立・紛争を分析し、合意形成プロセスの理論的基礎を明らかにするための研究を行う。実践面では、川づくりや地域づくりでの住民と行政、住民どうし、行政機関どうしの間の話し合いの設計、運営、進行を行いながら、参加型合意形成プロセスを含むプロジェクト・マネジメントの研究を行う。

「2016年 『わがまち再生プロジェクト』 で使われていた紹介文から引用しています。」

桑子敏雄の作品

何のための「教養」か (ちくまプリマー新書)を本棚に登録しているひと

ツイートする
×