私たちはどう学んでいるのか: 創発から見る認知の変化 (ちくまプリマー新書 403)
- 筑摩書房 (2022年6月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480684318
作品紹介・あらすじ
知識は身につくものではない!? 実は能力を測ることは困難だ!? 「学び」の本当の過程を明らかにして、教育現場によってつくられた学習のイメージを一新する。
感想・レビュー・書評
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学ぶという行為を「練習による上達」や「発達」「ひらめき」というキーワードで解説。身体化、という言葉も分かりやすい。英語やゴルフなど、反復学習により、身体が馴染む。しかし、言葉で理解するのではなく、身体で理解する事が効果が高い。例えば、日本で学ぶ英語は身体化されていない。英語圏で学ぶ子供の英語は自分の経験を構成する様々な感覚と結びつき、身体化されている。従い、修得が早い。
繰り返しにより脳内回路を強化し、型を修正しながら身につけていく。マルコム・グラッドウェルの1万時間の法則は、やはりある意味では正しい。それは反復により身体化すると言うことで、ある意味では人間がロボットのように自己プログラミングと自己教示をする行為。身体化はつまり機械化であり期待される機能を果たすための生産性を上げるという事だ。しかし、何故だろう、そこには「努力が報われる」という意味での希望や優しさが存在している気がする。そしてその希望こそ、学習のモチベーションにおける源泉となる。
勘違いしてはいけないのは、人間は自らを機械化することに喜びを感じているのではない。社会性動物として、集団に貢献できることに喜びを感じるのであって、結果的に自らを機械化することがその期待に応える事と同義に重なるという事だ。期待に応えることで賞賛され、承認欲求が満たされる。社会構造における自己保存こそ、学びの根源だと、改めて。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
学習と知識の転移について、たまたま同じタイミングで読んだマンガ「アオアシ」29巻がまさにこの回とリンクした。
知識は簡単に転移しない。意識的に考えることはもちろんだが、無意識が勝手に蓄え続けた他の知識や意識が棄却したさまざまなパターンとの結びつきも存在する。だから認知パターンを増やすことはとても重要。揺らぎが創発を誘発する。
何度も例題を解けば転移の可能性は高まるが、限定的。望ましい状態と現状を一致させるため、原因系を探り、自ら問題自体を創発していく。こうすることで知識が得られる。
アオアシ29巻。ただ先輩の意見を聞くだけでも、質問をするだけでも真の成長にはつながらない。ひよっ子でも自分の意見を臆せず伝えられる選手であることで、創発が生まれる。頭を作り替える瞬間が描かれている。
それを受け止める選手たちも、チームメンバーがより良い動きをする事が結局人のためでなく自分のためになるから、話を聞き、より良い方法を提示する。環境が創発に影響する場面。
これは攻殻機動隊の荒巻課長の名言、「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。 有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ」にも繋がるなと。
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久しぶりにちょっと興奮しながら後半を一気に読んだ。ツイートをたどっていこう。能力は虚構なのだ。思考力、判断力、表現力や非認知能力など、~力をあまり安易に使うべきではなかったのだ。文脈依存性が強く、安定もしていない。算数・数学の授業をしていると例題をすぐ再現できる子と、そうでない子がいる。どうして数値を変えるだけなのにできないのかと思っていたが、自分なりの考えに基づいて試行錯誤しながらやっているのかもしれない。結果的にはその方がしっかり身に付くのかもしれない。すぐできる子は真似(結果マネ)をしているだけで長続きしないとも言える。このあたりはちゃんと経過を見ていかないといけない。というか、いろんなパターンがあるのであって、このタイプはこうだなどと安易には決められないということなのだろうなあ。「平均は発達過程の揺らぎを平準化し、1つの数値へと還元してしまう。そして還元されてしまったあとには、その数字以外何も残らない。次の段階への発達の芽は平均値の算出過程でごみとして捨てられてしまったのである。揺らぎを捨てされば、発達がわからなくなる。」その通りだと思う。形と型、近接項と遠隔項、表コンセプトと裏コンセプト、結果マネと原因マネ。この図6.2はなんかよくわかる、しっくりくるなあ。宮台真司の感染動機、齋藤孝のあこがれの連鎖。他にもいろんな人がいろんな言い方をしていると思うが、まあみんなだいたい同じことだろうなあ。「教師自身が探求を愛する探求者そのものでなくてはならない。」私は「学問のファンクラブ会長」であり続けたい。教育とは知っていることを整理して伝えることではない。教師と学習者の知的協力、相互作用が必要なのだ。ところで、著者の師匠である佐伯胖が寝るという話でおもいっきり吹き出してしまった。1対1で研究報告を聞いているときにだ。ただし、そのあとの注がいい。自分自身がおもしろいと思った場合は、何が素晴らしいかを1時間くらいかけて独演状態で話し続けた。師匠って感じだな。ところで、どうしてこの著者のことを見逃していたのだろうかと思っていたのだが、ちゃんとブルーバックスの「認知バイアス」も読んでいた。意識にのぼっていなかっただけか。今回の本の方が圧倒的に自分には強い印象を与えた。プリマーだからって中高生にだけ読ませておくのはもったいない。
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【請求記号:141 ス】
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TEA-OPACへのリンクはこちら↓
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00604335 -
いまは2月だが、この本が、今年一番影響を受けた本になるという予感がする。
学びやある分野について技能の習熟について興味があるなら、これまで素朴に思っていたことが、どんどん違うのではないか?と提示され、試してみたくなるだろう。
オススメする。 -
筆者が言いたいことについては「確かにそうだな」と思うことがたくさんあった。教育に関しては、社会が積極的に関わるような関係性を作っていくことが非常に大切になるのではないかと思う。子どもが色々な大人と出会い、それぞれの生き方を知ることで創発の可能性は伸びるのではないか。そんなことを思った。
あとは、内発的な動機付けをどのように行っていくか、が自分にとっての課題であると思う。 -
知識の獲得、上達、発達、ひらめきのメカニズムやプロセスが語られ、教育や教師の役割について論じられている。人が成長する仕組みに興味があったため、こういうことだったのかとたくさんの発見があった。が、まだ「身体化」されるほどには「認知の変化」が起こっていない。再読し、他の角度からも理解を深めたい。