ことばが変われば社会が変わる (ちくまプリマー新書 463)

  • 筑摩書房 (2024年7月10日発売)
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  • 本 ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480684875

作品紹介・あらすじ

ひとの配偶者の呼び方がむずかしいのはなぜ? ことばと社会のこんがらがった相互関係をのぞきこみ、私たちがもつ「言語観」を明らかにし、変化をうながす。



ことばと社会のこんがらがった相互関係をのぞきこみ、

私たちがもつ「言語観」を明らかにし、変化をうながす。



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言葉は社会を駆け巡り変化をもたらす。

本書はその旅路を見せてくれる。

――三木那由他さん(『会話を哲学する』『言葉の展望台』)

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ことばは社会の見方や価値観をゆるがす一方で、

社会もまたことばの使われ方に影響を与えている。

新しいことばのインパクトとそれに対する抵抗や躊躇、

こんがらがった関係を事例とともにのぞきこみながら、

私たちがもつ隠れた意識を明らかにし、変化をうながす。



【内容のほんの一例】

・ことばが社会を変化させるメカニズム

・ことばが変わることにはどの社会でも強い抵抗がある

・「伝統」や「習慣」をカラッと転換させるカタカナ語

・「男になる、男にする」と「女になる、女にする」

・なんでも略す日本人と「意味の漂白」

・「ご主人・奥さま」?「夫さん・妻さん」?

――ひとの配偶者の呼び方がむずかしいのはなぜ?

・「正しい日本語を話したい」と考えてしまう私たち

・既存の価値観がすべてではない

感想・レビュー・書評

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  • 言葉は社会を変えるし、社会は言葉を変える。この循環が、少しでも多くの人にとって生きやすい方向に働ければいいな、と思うきっかけになりました。

  • 社会言語学者によるプリマー新書二作目(一作目は『「自分らしさ」と日本語』)「セクハラ」という新語が変えたこと、「女子」という言葉の意味や使われ方の変化、人の名前やパートナーの呼び方と呼び名がつくる関係などのトピックを中心に、言葉と社会の密接な持ちつ持たれつを解明してゆく。
    「女子力」と英語の「girls power」の微妙な対応関係や配偶者の呼び方にしろ何にしろ日本語話者には自分の価値観や好み以上に「間違えたくない」「正しくありたい」という気持ちが大きいというのはなるほどと思えた。

    学生同士の呼び名の変遷は興味深いトピックだった。かつては男子は名字呼び、女子は名前呼びがスタンダードだったが、そうでもなくなってきているというのは気が付かなかった。いや、子どもを見ていると多様化している実感はあったが、子ども向けの物語などではまだまだ更新されていないことも多い感じがする。

  • 中村桃子先生の社会言語学の本。
    タイトルは「社会が変わればことばが変わる」ではなく『ことばが変われば社会が変わる』

    全体的にとても良く練られた構成で、章末には振り返りと次に考えることが示されていて非常に読みやすい。計算され尽くしている印象。

    内容はジェンダー関係の問題とことばの関係を様々な視点から読み解いて行くような進み方。前半は特にジェンダー関係のことば問題が多くを占めていて、ことばの本なのを忘れてしまいそうなほど。
    考えての上だと思うけれど、たまに著者本人の個人的な感情がポロっと書いてあったりして親しみやすい。
    言語学も社会学も言葉が…単語が難しい。でもこの本は、新しい概念は出てくる前に説明があるので安心して読めます。
    生活の中でのことばの問題に感心がある方には是非ともオススメしたい一冊です。

  • 「社会反映論」と「社会構築舗」
    「ことばの変化」と「社会の変化」の関係については、大きく二つの考え方がある。
    ひとつは、「社会が変わったからことばも変わる」という考え方(「社会反映論」)
    →「ことばは社会を反映している」という考え方だ。ことばと社会は別のもので、先に社会が変わってから、それに伴ってことばも変わる。

    もうひとつは、「社会構築論」とも呼べる考え方だ。この考え方を唱えたのが、哲学者のミシェル・フーコーだ。第一章でも見るように、フーコーは、ことばは単に社会の変化を反映しているのではなく、ことばで語ることによって、その語っている現象が社会的に重要な概念になると指摘した。この、「言語」が「社会」を「構築」するという指摘は、物事の見方が百八十度変わることを意味する「コペルニクス的転回」になぞらえて、「言語論的転回」とも呼ばれる。
    「セクハラ」の例で言えば、人々が「セクハラ」ということばを使い始めたことで、それまで長いあいだ放置されてきた行為が、被害者を苦しめる犯罪として社会的に重要な概念になった。
    社会構築論は、ことばと社会は別々なのではなく、両者は密接に関係しており、社会変化がことばの変化をうながすと同時に、ことばの変化も社会変化をうながすという形で、両者の変化がお互いに影響を与えて、ことばと社会が一緒に変化しうると説いてる。

    呼び方を変えるには看護婦から看護師のように国で決めてしまう(権威に阿る?)という指摘が興味深かった。

  • 本作品で帯にもあり、気になっていたのが他人の配偶者をどう呼ぶかという問題です。

    「ご主人・奥さま」?「夫さん・妻さん」?――ひとの配偶者の呼び方がむずかしいのはなぜ?
    この問題は第六章にて検証されていますが、全てがどんなパートナー関係を思い浮かべているかで大きく変わってくるということです。なかなか一筋縄ではいかない問題であることが、今回もはっきりしました。

    そのほかにもことばが変わることにはどの社会でも強い抵抗があること。「伝統」や「習慣」をカラッと転換させるカタカナ語の力。
    「男になる、男にする」と「女になる、女にする」の使い方の深い意味。
    日本人は意外に真面目で「正しい日本語を話したい」と考えてしまうこと。既存の価値観がすべてではないことなどが興味深い内容でした。

    久しぶりに教養新書を読んで、小説とは違う感覚を楽しみました。

  • 書店で気になり入手・読了。惹かれたのは帯の謳い文句で、人の配偶者の呼び方って悩ましいよな、ってこと。そのやり方に違和感がないことも無いんだけど、やっぱり国が統一見解を示すってのが、一番の早道なのかな。人口に膾炙しているとは言い難いけど、個人的に無難だと思えるのは、パートナーないしお連れ合い、かな。とはいえ、自分もとっさのときにはなかなか出づらい言葉だし、そこは練習ですな。あと興味深かったのは、”男”と”女”は完全な対義語ではない、っていう点。”~にする”って言った場合、確かに”女”の方には、性的ニュアンスしかないもんな。なるほど。

  • ◆意外に影響しあっている言葉と社会の関係

    本書のタイトルは『ことばが変われば社会が変わる』。
    一般的には、社会が変わるから言葉が変わるとイメージされがちです。
    たとえば「コンピュータ」は、その存在の誕生により、名前が生まれています。
    これに対して、言葉が変わることで社会が変わった事例を、社会言語学の立場か
    ら実証・分析しているのがこの本です。

    その代表例が「セクハラ」(セクシャル・ハラスメント)。
    この言葉の力を信じたグループの行動をきっかけに、
    セクハラ問題は日の目を見て議論となり、社会を変える原動力となり、
    遂にはセクハラ防止が雇用主に法的に義務づけられるまでになったのです。

    本書には政治家は登場しませんが、政治の世界では、なお一層言葉の影響力は大。
    ひとつの言葉が社会や世界を大きく変えることはよくあります。
    そういえば、飛ぶ鳥を落とす勢いだった新興政党の党首が「排除します」といった一言で、
    その後失速してしまったなんて話もありました(いま都知事をしているあの方です)。
    「セクハラ」は社会を変えるのに時間がかかりましたが、「排除します」は、
    事態をほとんど一瞬で変え、政治に影響を与え、社会も変えたとも言えるかもしれません。

    言葉を優先するこの考え方は、「モノが先にあり、それに名前をつけている」のではなく、
    「名前をつけることで、それが他から区別され、世界を成り立たせている」とする
    言語学者のソシュールの思想が源流にあります。

    本書でも、従来の「社会反映論」的考え方から、
    言語が社会を構築するというコペルニクス的転回をもたらした
    哲学者ミッシェル・フーコーによる「社会構築論」について冒頭で触れられています。

    この他にも、「社会言語学的変化」「意味の規制」「意味の漂白」「言語イデオロギー」など
    抽象的な概念が本書には多く登場し、必ずしも誰にでも読みやすい本とは言えません。
    しかし、「イケメン」「男になる、男にする」「おかま」「~女子」「パートナー」など、
    近年よく使われている言葉の実例を豊富に取り上げ、
    そこに含まれいてるニュアンスを丁寧に解読し、知的興味を大いにそそられます。

    著者は、同じ「ちくまプリマー新書」で『「自分らしさ」と日本語』という本を、
    本書の前に書いていることをあとがきで知り、こちらも読んでみたいと思いました。

  • 配偶者を何と呼ぶか問題。当事者同士。自分の配偶者。他人の配偶者。たしかに3つ目の他人の配偶者をどう呼ぶかが一番難しい。私もたいがいは奥さん、旦那さんって言う。自分の配偶者は妻、夫って言うことが多いのになぜだろう、を解き明かしてくれてすっきり。しかし、しっくりくる呼び方はないね。妻さん夫さんか。

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著者プロフィール

中村 桃子(なかむら・ももこ):関東学院大学教授。専攻は言語学。上智大学大学院修了。博士。著書に『「自分らしさ」と日本語』(ちくまプリマ―新書)、『新敬語「マジヤバイっす」??社会言語学の視点から』『翻訳がつくる日本語??「ヒロイン」は女ことばを話し続ける』(白澤社)、“Gender, Language and Ideology: A Genealogy of Japanese Women’s Language”(John Benjamins)、『女ことばと日本語』(岩波新書)などがある。

「2024年 『ことばが変われば社会が変わる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中村桃子の作品

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