先生はえらい (ちくまプリマー新書)

著者 :
  • 筑摩書房
3.82
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本棚登録 : 1414
レビュー : 208
  • Amazon.co.jp ・本 (175ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480687029

作品紹介・あらすじ

「先生はえらい」のです。たとえ何ひとつ教えてくれなくても。「えらい」と思いさえすれば学びの道はひらかれる。だれもが幸福になれる、常識やぶりの教育論。

感想・レビュー・書評

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  • タイトルと内容はイメージが違う。
    先生とは何か、すごい先生ってどんなだ、など書いてある話と思いきや。タイトルはキャッチフレーズで。
    もっと深い話でした。

    人間のコミュニケーションの根源の話であり、文学の話でもあり、発展すると芸術の話だとも思う。

    この本で書かれているのは
    ファーストフードのようにあらかじめ決められたものをお金で買うようなコミュニケーションには人は退屈してしまい、何も発展しないということ。

    だから、「すごい先生」というのはあらかじめ存在するのではなく、生徒が見つけるということ。

    お互い何かわからない、誤解が発生するような部分が含まれたコミュニケーションの方が、お互いの興味が湧き、本当のことに近付くという。
    哲学的な話が容易に書かれている。

    小説でいえば、筆者と読者そして何らかの第三者(それを村上春樹は「うなぎ」と呼んでいる)がいて、そこから小説が立ち上がる。というところが非常に面白かった。

    語り口が口述筆記のよう(講演なのですかね?)で、話がどんどん膨らんでいて、センセイの話していない方が多いけれど、飛んだ話がたとえ話含めて全て面白い。
    これは内田さんの知識が豊富なのと、一つのテーマ(人と人がコミュニケーションすること誤解が興味を、新しい何かを生み出すこと)に即した上での話が飛んでいるので、安心して、それでいてドキドキして読めるのだろう。

    自分が高校生の頃に読んだら、かなり理解できない部分も多かったと思うが、なんだか変なこといってるけど面白いなと断片的な印象が残るのだと思う。
    その後の人生で、何かのきっかけでこの断片の印象が思い出され、あ、このことだったのか!となる。
    そんな感じの本です。

  • 内田先生の本は私にとって読む薬。本を読み飽きたら読む本。自分の考えを補強したり、新しい視点を仕入れたり、どれを読んでも安心してワクワクできる、という効果があります。この本で私にツボだったのは次の3点。コミュニケーションの目的はメッセージの正確な授受ではなく、コミュニケーションすること自体であること。
    先生とは、あらかじめ何らかの知識や技術を持っていて、あたかも商品のようにそれを伝授する存在ではない。「先生は何を伝えたいのか?」という問いを発するのは問う者自信であり、それが「学びの主体性」であるということ。
    解釈者である限り、必ず負けるということ。つまり、相手がどう出るか待ちの状態になるということは、絶対に相手の先手を取ることができない、ということ。これは、問題が起こってからそれに対処していると後手後手に回る、とか今のサービスをどう改良しようか、と考えているうちは決して創造的なものは生まれない、とかそんな自分の状況の理由が腑に落ちた一節だった。
    などど、これを解釈してるうちは、まだまだですな。これ、中高生向けの本らしいけど、読んで、どんな感想を持つだろう。子供の時と大人の時とで、読み比べてみたい本。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「本を読み飽きたら読む本。」
      飽きるコトはないけど、読み疲れたら、気分転換にパラパラ捲ります(迎え酒的な本)。。。
      「本を読み飽きたら読む本。」
      飽きるコトはないけど、読み疲れたら、気分転換にパラパラ捲ります(迎え酒的な本)。。。
      2013/08/22
  • 子ども向けの本にしては、内容が深遠すぎると思う。もちろん悪い意味ではなく。この本を読んで子どもがどう思うのか、単純に興味もあるし。
    お互いのコミュニケーションにひらけた人間関係は、この本で取り上げられている師匠と弟子に限らずすごく重要だと思います。
    めちゃくちゃ昔にこの本は一度読んだことがあるのですが、今回再読してみてやはり内田さんの思想に影響された部分はたくさんあるんやなあと再認識しました。この人の本に出会えてよかったと思う。

  • ちくまプリマリー新書は中学生や高校生を対象とした本のよう。
    けど、大学生にこそ読んでもらいたいと思った。
    今度、学生講義で紹介しようかな。

    以下、本文より。

    ・みなさんはもしかすると「学ぶ」ということを、先生が有用な知識や技術を与えてくれる対価として、生徒がしかるべき対価を払うことで成立する「取引」のようなものだと考えてやしませんか?

    ・学ぶというのは有用な技術や知識を教えてもらうことではありません。

    ・弟子達は先生から決して同じことを学びません。ひとりひとりがその器に合わせて、それぞれ違うことを学び取ってゆくこと。それが学びの創造性、学びの主体性ということです。

    ・「学びの主体性」ということで私が言っているのは、人間は自分が学ぶことのできることしか学ぶことができない、学ぶことを欲望するものしか学ぶことができないという自明の事実です。

    ・コミュニケーションというのは、要するに、何かと何かを取り替えることです。そして、沈黙交易のところで明らかになったように、何かと何かを取り替えたいという欲望が最も亢進するのは、そこで取り替えられつつあるあるものの意味や価値がよくわからないときなのです。

    ・私が皆さんに理解できないような仕方でお話しするの場面があるのは、わざとは言いませんが、実は明白な意図があるのです。この誤解の幅によってこそ、皆さんは、私の言っていることについていけると思うと、言うことができるのです。つまり、皆さんは不確かで曖昧な位置にとどまっておれるのです。そして、それがかえって訂正への道を常に開いておいてくれるのです。
     言葉を言い換えて言えば、私がもし、簡単に解ってもらえるような仕方で、皆さんが解ったという確信をすっかり持てるような仕方で話を進めたら(中略)、誤解はどうしようもないものになってしまうでしょう。

    ・師が師でありうるのは、師がいかなる機能を果たすのものであるかを、師は知っているけど、自分は知らないと弟子が考えているからです。

    ・弟子は、師は私の知らないことを知っているはずだと想定したことによって、何かを(しばしば師が教えていないこと)を学んでしまいます。そして、何事かを学びえた後になってはじめて、その学習を可能にした師の偉大さを思い知るのです。

    ・自身の問いに答えを出すのは弟子自身の仕事です。師は「説教檀の上から」出来合いの学問を教えるのではありません。師は、弟子が答えを見いだす正にその時に答えを与えます。

    ・私たち(弟子)が「あなた(師)はそうすることによって、私(弟子)になにを伝えたいのか?」という問を発することのできる相手(師)がいる限り、私たちは学びに対して無限に開かれています。私たちの人間としての成熟と開花の可能性はそこにあり、そこにしかありません。
     私が「先生はえらい」ということばで言おうとしたのはそのことです。

  • この本から私が勝手に学んだことによると、レビューなんて果たして微妙なものなのだけれど、いつかの他我のために書きます。
    先生と生徒の関係は、買物のようにお金を払ったらその決まった対価がでてくるものではない。だから先生も、いい教師というのが事前にいて、そこで生徒が学ぶということではない。寧ろ結果と手段は逆転しているのだ。つまり生徒の学びは無限であるのだ、そう「先生は偉い」と一言信じれば!
    中学生高校生向けだそうだが、筆者は中学生高校生の知識をちょいちょい馬鹿にし過ぎじゃないだろうか。面白いからいいけど。しかしたぶん実際に高校生のときに読んだらイラっとすると思うのでそれ以上の人に勧めたい。

  • 「先生はえらい」
    内田先生は本当に素敵な文章を書く。
    また、中高生向けにかかれたため、内田先生の他の本より平易にかかれているのもとっつきやすい。オススメ!

    # 心に残った話1: プロとは
    プロとは、技術には無限の段階があり、完璧な技術には到達することができないことを知っている人。
    ex. 自動車教習所の先生とF1プロドライバーの教え方の違い
    教習所の先生は、「これでいい」を教える。
    F1プロドライバーは、「先には先があることを」教える。

    # 心に残った話2: 学びの極意「張良の話」
    張良は、師匠の黄石公が、靴を落としたことから「兵法の極意」を学んだ。
    師が語る以上を弟子は勝手に誤解して学ぶことができる。

    # まとめ
    「先生はえらい」と感じるところから学びは始まる。
    教えてもらうのではなく、学ぶ。

  • 教えることを、知識や技能を伝えることではなく、コミュニケーションの問題に帰結して語る本です。
    コミュニケーションの本質を誤解に見ていて面白い。
    素晴らしい先生と言えるのは、生徒側が勝手に妄想を逞しくして、勝手になんらかのことを学んで行く誤解が生じたときだという結論だけど、はてさて、これもやはり誤の上で学んだことなのでしょうか。

    完全に哲学的なお話で、先生は偉いんだよ!と子供達を諭す内容ではありません。
    一応、子供向けに話はしているんですが。

    なにかを学ぶ、会得するためには誤解が生じる必要がある。文学や哲学がわかりにくいのは、あえて誤解を与え、解釈の余地を作るため、というのは面白い。
    わかりやすいことがいいことのように言われていますが、教えることをしていると、わかった瞬間思考停止になり、じつは大したことが身についていないのではないかと思っていたので、納得できる話だった。
    わかりにくいと、個々の人で解釈が生まれる、だからわかりやすいものはすぐに忘れられてしまうが、わかりにくいものはしこりのように残って、新しい解釈を人の数だけうんでいく。
    なるほど。

  • この本を読んだことに深い意味はない 笑。そのひとからなにを学ぶかは明確でそのひとがわたしに何を教えるか明確だ。しかしある時、思ってもいなかったことも学んでいることに気がついた。それはわたしが勝手に学んでいる。こんなことまで学ぶのかと驚いた。師弟関係は本質的には弟子の美しい誤解やら妄想に基づいて成り立ち、それにより学び成長をする。笑。内田氏、すんごい遠回りして最後に「先生はえらい」でしめてくれている。見事!

  • 初めての内田樹でした。ちくまプリマー新書は分かりやすい本が多いイメージですが、この本も高校生向けとあって非常に説明が丁寧です。
    なんだか講演会に来ているような感覚で楽しめました。
    人から学ぶということの本質みたいなものを解くのが主題ですが、私は素晴らしいと思っている先生がいらっしゃるので重ね合わせてみたからか、より中身が伝わりやすかったかな。
    教わることって教える側の知識が全てではない。
    自分自身の思考をフル回転させて授業に挑みたいものです。

  • 寺子屋塾推奨文庫ゆえに、読んでみる。

    正直、一度読んだだけではなにが書いてあるのか、
    意味が分からない一冊。
    中学・高校生向けにこの内容は、すごいです。

    対話は、第三者によってなされる?
    伝わりにくいほうが、良い会話?
    意味が分かりません。。。がこのフックにより日常のいろんな場面で考えるきっかけになる。

    若いうちに一度読み、この引っ掛かりを糧に人生を重ねて、
    ある程度の年齢になった時に、再度読み返したくなる一冊。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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