先生はえらい (ちくまプリマー新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (175ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480687029

感想・レビュー・書評

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  • 2017年3月17日読了

  • 内田樹センセイ的 けむりにまく忍術。
    『先生はえらい』と言っても、
    そんじょそこらのえらさとは違うのである。
    『えらい』と誤解することで、えらさがわかるということだ。
    つまり、誤解する生徒が もっとえらいのだということらしい。
    先生はつねに謎をもっていてわからないことを知っているはずだ。
    そのように 生徒が 誤解してくれることで 先生は 成り立つ。
    内田樹センセイの 脱線力というか 雑談力が 実にある。

    どうも、ここでは 一般的な教育の場面での 
    先生と生徒を言っていないようだ。
    この本は 高校生中学生を対象にしていると言われるが、
    高校生中学生は 先生を選べない。
    そして ここでは『生徒』という概念は現れない。

    内田樹は『「えらい」の構造分析を通じて、
    師弟関係の力学的構造が解明』
    されれば、といっているので 
    『先生と生徒』ではなく 
    『師匠と弟子』との関係を語っているのだ。
    つまり、微妙に話を 変えているのだ。

    師弟関係を述べているので 本来この本の題名は 
    『師匠はえらい』と言うべきだ。
    それを間違えて 教師が 
    『先生をえらい』と誤解してくれることを見通している。
    本のマーケティングで言えば 
    『えらいと言われない先生』が顧客ターゲットだ。
    それで、なんとなく けむりに巻かれて 
    自分は それなりに えらかったんだと
    納得するのだ。大いなる誤解と言うべきなのだ。

    もう少しいえば 中高生に読ませるならば 
    『生徒はえらい』にしなければならないが
    それをしないところに 内田樹センセイのあざとさがある。
    『うざい』『だるい』『めんどくさい』
    という生徒が読むはずがないからである。

    弟子は 師匠を選ぶことができる。
    つまり、それは 教祖と弟子との関係にも広がっていく。
    張良と黄石公の沓を落とす話も、師匠と弟子の関係を説明する。
    弟子は 師匠のやっていることを 
    弟子が納得しやすいように 理解する。
    それを発展させれば、
    間違った教義を唱える教祖も えらいのである。
    多様性があっていいのだ。とさえ言い切ってしまう。
    謎めいている 教祖ほど えらい人はいないからである。
    なぜ、オウム真理教が 高学歴の弟子を 
    たくさんつくれたのかを ここでは解き明かしている。

    そのような危険性をはらんだ えらいの構造の説明なのである。
    結局 内田樹センセイが えらいんだ と思うことで、
    免許皆伝となるのだ。
    さぁ。するんだ。内田樹センセイに 五体投地を!

  • 主体的に学ぶとはどういうことか

  • 先生は、知識や技術を教えるだけではなく、生徒に課題を与えて、自らから考えさせることで、新たな考えを気づくことが大切であることが分かった。それは、コミュニケーション全般について言えることが分かった。張良への兵法伝授について、よく表していると思った。

  • 7誤解が生み出すコミュニケーションについて、教育を軸に展開する。言葉は常に過不足で、ちょっとしたズレや誤解が容認されるからこそ、開けた、生きたコミュニケーションが可能になる。今までの会話観を鮮やかに覆す。マルセル・モースの贈与論を説明するサッカーの例えも秀逸で、言われてみればサッカーのルールもとても面白いものに見えてくる。

  • 中学生向けに書かれたものということですが、あなどるなかれ。

    内田節がそこここに。

    簡単な語彙を使って書かれているけれど、これは思想の本です。「先生はこうこうだからえらい」という先生論ではなくて、「えらい先生に出会うためには、自らの努力が必要」という、学生の心の姿勢に訴えかける本。

    ラカンを噛み砕いてわかりやすく援用するところがさすが内田先生です。

    自ら主体的に知りたいと思うところに、意味は拓かれる。それはマニュアルやテンプレートに頼っていたのでは得られないもの。こういうことを義務教育の倫理教育で語ってくれる教員が必要だと思います。

  • 『待ち』に居着いている人間は、絶対に相手の先手を取ることができないからです。(中略) 謎を解釈する立場というのは、謎をかけてくる人に対して、絶対的な遅れのうちに取り残されるということです。

    やられたー!
    オレ、『居着いて』たわー^^;

  • 非常に読みやすい

  • 内田先生が中学生くらいに向けて書いている、先生という存在について。
    しかし、全教育関係者が必読だと思う。

    人によって、えらい先生は違う。それは同じことを言われても捉え方が人によって違うから。
    それゆえ、ある先生をえらいと思うかどうかは、受け手次第。「先生運」というものはない。

    コミュニケーションとは本質的に、誤解に基づいている。

    学びは何かの対価として得られるものではない。

    「定量的な技術」を教える場合と、「技術は定量的ではないということ」に気づかせる違い。
    定量的な技術を学ばせることが教育のすべてとなっている節がある。だから記憶に残る先生は少ないのでは?

    学ぶ側のスタンスについての話だが、学ばれる側にも問題は多い。

  • どんな先生がえらいんだろう。スーパーティーチャーなんていう制度を作っているところもあるそうですが、確かに、ものすごく授業がうまい先生がいます。話がおもしろい。分かりやすい。授業アンケートなんかを見てもほとんどの生徒に指示されている。しかし、どうも著者が考えているえらい先生とはそういうのではないようです。はじめの方はずっと恋愛の話です。「蓼食う虫も好き好き」とか「あばたもえくぼ」とか。きっとそうなんです、どんな先生であっても、受け手の生徒の側がその先生から多大な影響を受けるというようなことがあれば、その生徒にとってその先生はえらいという存在になるのでしょう。中盤から哲学の話になっていくのですが、優しいことばで書いてありながら、内容的にはかなり難しくなります。でも、そこらあたりがおもしろいところ。なんだかよく分からないからこそ、一生懸命読もうとか、授業を聴こうという気にもなるのでしょう。分かりきった授業なら、生徒は寝てしまいます。逆に全く分からないとまた寝てしまう。そのバランスが難しい。万人にとってえらい先生はそうそういないでしょう。でも、あなたにとってえらい先生なら、あなた自身の心の持ちようで、すぐ見つかるはずです。あなた自身が主体的に学ぼうとすれば、きっと「先生はえらい」と思えるようになるでしょう。卒業生のお母様から頂きました。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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