ケータイ小説は文学か (ちくまプリマー新書 85)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (127ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480687852

作品紹介・あらすじ

ケータイ小説を大胆にも文学として認め、その構造を徹底分析。小説の「読み」「書き」に起こる異変を解きあかしポスト=ポスト・モダンという新しい境地を見出す刺激的アプローチ。

感想・レビュー・書評

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  • ケータイ小説についての考えがあって、とても深かった。1度ケータイ小説を読んだ事があるので興味深く読んだ。

  • ケータイ小説のセオリー。
    「少女の恋愛物語である」
    いじめ、裏切り、レイプ、妊娠、流産、薬物、病気、恋人の死、自殺未遂、リストカットといった「定番悲劇イベント」(最後には真実の愛に目覚めるパターンが多い)
    「ハイテンポ」
    「すかすか。文章が短く、改行が多用される」
    「日本語の間違い、描写の粗雑さ、表現の稚拙さ」

    あくまで男性中心主義の枠の中で語られる。

  • 新書は初めて読んだ。
    内容も文章も読みやすく、スラスラと読了。

    ケータイ小説、今で言うネット小説にあたるジャンルの徹底分析。
    他の著者のケータイ小説やケータイ小説の新書の内容などを批評する文があるのだが、それが率直で面白かった。
    また、的を得た説明がとても面白かった。

    書店にもラノベ(ライトノベル)のコーナーが広く展開されているし、この2008年の石原千秋の「ケータイ小説の可能性」はこのような形で進化を遂げたのだと思う。
    ケータイ小説とラノベは別物だが、似たようなジャンルだとは思う(こんなことを言っていたら石原さんにすぐにも文学的批評で否定されそうだが)。
    共通点は娯楽を重要視した文学だということだと思う。

  • 9784480687852

  • ホモソーシャル、ロマンティックラヴイデオロギーが近代家族を支えていた時代だったんだね、10年前って...。

  • 910

    ケータイ小説は読んだことはなかったけど、この機会に書籍化されたケータイ小説を読んで論じてみました、という本。
    ケータイ小説は文学でない、という言われ方をするし、文壇からは無視される存在だけど、こういう形をとっているから、もうこれは文学だという立場でスタート。
    さらに、ケータイはケータイで読まなくてはならないという田中久美子説も否定。
    有名どころのケータイ小説『恋空』『DeepLove』『赤い糸』をストーリーを追って、その分析をしてくれてますが・・・


    私の感想としては、そもそも基本の部分で違うような気がしてしまう。ケータイで読んでこそケータイ小説、というのは、読み方としてもそうだけど、書く方の目論見もケータイならではの下心がはいる。つまり、検索してもらいやすいように、女子高生が気になるワードを放り込んでくる必要がある。それがつまり、いじめ、エンコー、レイプ、妊娠、純愛・・・
    話のパターンも王道に、純愛とかをテーマに、ちょい真実味プラスするといいのもケータイ小説という形態を生かしたやり方だし、

    第一、
    ケータイでUPされた時にはもっと、ドギツイ場合も、書籍化するにあたって、マイルドにしている・・・らしいので、
    やはりケータイ小説はケータイで楽しむものなのだと思う。
    なぜ書籍化するのかって?ケータイ買ってもらえない子のためにか、学校の朝の読書で本を読まなきゃならない子たちを救済するために、または出版社が「売れそうなモンは全部ためしてみる」姿勢だから。

    ではないだろうか。

    出だしの頃ほどのミリオンセラーはでないにしても、ケータイ小説みたいなのしか読めない、と言う生徒もいる。
    ハーレクインしか読まないとかいうのと、同じじゃね?

    あと、『本屋さんのダイアナ』で、文学書とかは読むけどケータイ小説とかは全く読まなかったような彩子は、世間知らずで育って大学でレイプされちゃうけど、
    読んどきゃ良かったんじゃないの、ケータイ小説!
    聖も俗もない、上等も下等もない。いろいろ読んでいいんじゃないかな〜
    問題は、これしか読まないって態度、だとおもいますね。

  • 漱石研究の第一人者が、文学テクスト論を駆使して、ケータイ小説の構造を読み解いた本です。取り上げられている作品は、Yoshi『Deep Love』、Chaco『天使がくれたもの』、美嘉『恋空』、メイ『赤い糸』の4作品です。

    デリダの「誤配」や「ホモソーシャル」の問題といった分析装置が駆使されており、ロラン・バルトによって「作者の死」が宣告された文学シーンの中で、ケータイ小説の「テクスト」が占める位置価を測ろうとした試みとして読みました。

    著者は、ケータイ小説が記号化されたアイテムを並べているにすぎず、「リアリティ」が希薄であることを指摘するとともに、それがいかに荒唐無稽に見えようとも実話に基づいているという断り書きが付されており、「リアル」に接続することを志向していることにも触れています。ここには、内面を持った「作者」と作者の内面を表現している「作品」によって構築される近代文学的な枠組みはありません。著者は『天使がくれたもの』を例にとって、ケータイ小説というテクストが、「少女が書く」ということと「少女に届く」との間で小さなループを形成していることを指摘し、その意味で『天使がくれたもの』はケータイ小説の成立過程そのものを小説化した「メタ・ケータイ小説」の意義を持っていると論じています。

    ただし、そうした意義が認められるのは、ケータイ小説という「テクスト」を読み解く著者であって、ケータイ小説の書き手やケータイ小説を受け入れた読者ではないという気がします。ケータイ小説の書き手と読者は、「少女が書く」ということと「少女に届く」との間で形成された小さなループを、現代的な「コミュニケーション」の形態として「ベタ」に生きているにすぎず、そうしたループを「メタ」な視点から捉えているわけではないように思えます。

    ケータイ小説の「テクスト」を分析するよりも、ケータイ小説現象の社会学的考察の方がおもしろいように感じます。

  • 代表的なケータイ小説を例にとりながら、その共通項を明らかにして、結果、文学といえるかどうかを検証する。何となくチープな感じがして、ほとんど手に取ることのないジャンルだけど、この本の中から共通項が見えてくると、なおさら興味を惹かれない自分に気付いた。読者対象を限定すれば、文学ってことになるんでしょうか、結局。

  • ケータイ小説を論じているので、横書きになっているのが面白い。

  • 2008年に出版された本なので、現時点(2013年)とはちょっと違いますが、勉強になりました。

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著者プロフィール

1955年生。早稲田大学教授。著書に『漱石入門』(河出文庫)、『『こころ』で読みなおす漱石文学』(朝日文庫)、『夏目漱石『こころ』をどう読むか』(責任編集、河出書房新社)など。

「2016年 『漱石における〈文学の力〉とは』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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