はじめて学ぶ生命倫理: 「いのち」は誰が決めるのか (ちくまプリマー新書 167)
- 筑摩書房 (2011年10月5日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480688682
作品紹介・あらすじ
医療が高度に発達した現在、自分の生命の決定権を持つのは、自分自身?医療者?家族?それとも法律?生命倫理学が積み重ねてきた、いのちの判断をめぐる「対話」に、あなたも参加してみませんか。
感想・レビュー・書評
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相模原の介護施設の事件から、生命倫理って分野に興味をもち手始めの一冊。医療が高度に発達すると、様々ないのちを、誰がどうするかって考えさせられる場面が現れてしまうんだなあ。複雑。
自分の命の終わらせ方は自分で決められる?とか人の命が動物よりも大事かとか、精子バンクで優秀な子どもを産むとか。物理的には可能だけども、倫理的には問題がある場面では1人1人の考えが問われることに。いのちを見つめ直すいいきっかけになりました。
余談としては、GTOとブラック・ジャックが読みたくなりました詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
医学生が生命倫理を学ぶって当たり前だが、意外と一般人は知らないんじゃないかと思う。私も法学や心理学などは学ぶだろうなと思っていたが、「生命倫理学」という学問があることも知らなかったくらいだ。
そして、この本を読むと、医師は患者とその家族の命や生き方に(時にはかなり深く)関わるのだから、医師になる前にこれを学ぶのは絶対に必要だということがわかる。そして私たちは本書を読むことで、「いのち」という概念がいかにあやふやなものであるかを知る。
人間はいつから人間なのか?という問に、受精の瞬間と考える人もいれば、着床した時(受精しても着床するのは20%というのは初めて知った。)と考える人もいる。胎内で人の形になったら人だという人もいれば、胎児には「潜在的人格」はあるが、「現実の人格」とは言えないと考える人もいる。胎児は母親の一部だと考えれば、妊娠中絶は許される(プロ・チョイス)。しかし人と考えるなら中絶は殺人である(プロ・ライフ)。これはどちらが正しいとは言えない問題である。
妊娠中絶は女性の権利である、と聞くとその通りだな、昔、生みたくなくても(レイプでできた子どもでも、自分の命が危うくなっても、避妊方法がなく既に子沢山で貧しくても)産まなくてはいけなかった時代のことを考えると、それが進歩だ、と考えていた。しかし、出産を楽しみにしていた妊娠中の女性が交通事故にあって胎児が死んだら、胎児に対して「致死罪」を認められないということに納得はできないだろう。しかし、これは両立できないのである。
そこまで考えたことがなかった。
結合双生児のケースもそうだ。
分離手術をしなければ二人とも死ぬ、すれば一人が死ぬという場合、どちらが正しいのがで、大きな議論となった。(両親がカトリックで、神から授かったいのちに、人間が手を加えるべきでないと考えていたため、さらに議論を呼んだ。)
同じ結合双生児でもインドのラクシュミと呼ばれた少女は、結合している片方には頭がなかったため、分離手術に反対するような議論は起こらなかった。
しかし、頭がなければ殺しても良いのなら、脳が全く機能していない(恐怖も痛みも感じない)人にも同じことができるのか。
この議論に「正解」はなく、家族、医療者、法学者、ありとあらゆる人々が話し合い、着地点をケースごとに見つけるものだ。そのために必要なのが「生命倫理学」であるということがよくわかった。
これまでアメリカなどの妊娠中絶反対運動が報道されてもどこか他人事だったが、これは胎児の問題にとどまるものではなく、「いのち」という途方もなく大切なもののどこに線を引くかということなのだから、大きな運動になるのは当然だと思うようになった。
新しい視点を得られる本は素晴らしい。 -
この本を読んで、いのちのあり方はそれぞれの価値観によって大きく変わり、いのちの所有権などの「権利」が深く関わっていると感じた。
どちらのいのちが優先か?などのテーマが面白かった。双子の分離手術の話も読んでいて自分だったらどうするだろう、と自分に置き換えて読むことが出来、今まで考えてこなかった生命倫理について考えるきっかけをくれた。
いのちの質、という話も興味深くその質は誰から見た質なのか?その質が劣っていたら価値のない人なのか?など倫理的な問題も知ることができ勉強になった。
こういった問題を考えるのはとても難しいし、答えをひとつに決めるのはもっと難しい。しかし知っておくことで固定観念に流されず自分の価値観で自分のいのちを判断する事ができるならと感じた。 -
入門書としてとてもよく出来ていて、中学生でも読めるだろう。
入門書ではあるが、正しい回答のないモラルジレンマがたくさん提案される。
それが倫理学というもので回答のない学問ですね。
倫理的な話に対して、変に回答なんか出されたら反発を覚えることが多いので、安易に回答を出さずに読者に考えさせる本書はとても読後感がよい。
入門書なのでこれでいいのだけど、個人的にはもう少し歯ごたえがあってもよかったかな。 -
医学部分館2階書架:W 50/KOB:https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/opac/search?barcode=3410163401
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〈いのち〉に対して過度なまでに干渉できるようになってしまった現代だからこそ、その〈いのち〉についてじっくりと考えることが必要だと思った。
生命倫理の問題は、誰しもが直面するものだ。
自分はどんな選択をするのだろう。 -
なじみのない分野だけど興味があり、入口に立つ程度のやさしさのテキストが欲しくて購入しました。
さらりと読めて、けれどうんうん唸りながら考えるところが多かったです。
意外に思ったところは、この分野は哲学や医療、科学だけでなく、法律とも深い関わりがあるというところでした。世界で起きた事例などについて、実際の判例をもとに考えていきます。
知らないことばかりでした。とても良かったです。
p.190
倫理的に考えるということは、究極的な解答を見つけるというよりはむしろ、「何が正しいのか」という「正しさの追求」をしていくことです。そのために、多くの人びとが、さまざまな立場から、同じ問題について一緒に考えていくことが必要になります。生命倫理は、このような「対話」として展開されてきた学問なのです。
p.190
新たに登場してきた倫理問題
p.135
裁判長は、この問題については、全ての人を満足させることができる「正しい」答えはないと強調しました。
p.181
胎児は、親に望まれれば「人」、望まれず中絶される場合には「人」ではないモノとして見なされるのでしょうか。 -
医療技術が発達した現在、生命の始まりと終わりはいったい誰が決めるのか。倫理学は、心の中に芽生えた素朴な疑問について自分自身との対話からはじまる。あなたも、「生命倫理学」の世界をのぞいてみませんか?
2024年1月~3月18日期展示本です。
最新の所在はOPACを確認してください。
TEA-OPACへのリンクはこちら↓
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00492443 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/712035 -
「医療が高度に発達した現在、自分の生命の決定権を持つのは、自分自身?医療者?家族?それとも法律?生命倫理学が積み重ねてきた、いのちの判断をめぐる「対話」に、あなたも参加してみませんか。」
目次
第1章 いのちの「終わり」は誰が決めるのか
第2章 子どもの医療は誰が決めるのか
第3章 判断能力は誰が決めるのか
第4章 いのちの「質」は誰が決めるのか
第5章 双子の生死は誰が決めるのか
第6章 いのちの「優先順位」は誰が決めるのか
第7章 いのちの「始まり」は誰が決めるのか
著者等紹介
小林亜津子[コバヤシアツコ]
東京都生まれ。北里大学一般教育部准教授。京都大学大学院文学研究科修了。文学博士。専門は、ヘーゲル哲学、生命倫理学