戦争とは何だろうか (ちくまプリマー新書 258)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480689566

感想・レビュー・書評

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  • 人類が犯してきた戦争という悲劇を冷静に振り返り、戦争を避ける為の示唆を期待したが、はじめから安部政権への非難を羅列する政治色の強い本で幻滅した。
    国連は戦勝国の集まりだったと解説しながら、戦勝国が敗戦国を裁く裁判のあり方に何の疑問も示さない。南京大虐殺には触れるがソビエトや中国共産党の虐殺には触れない。
    何度もカミカゼと自爆テロを同じものと繰り返す。どちらも自爆攻撃という常軌を逸した攻撃だが、戦争で敵の戦艦を攻撃することと、平時に一般人を標的にした9.11テロを同一視するのは、自分の都合のよい側面のみに注視し持論に不都合な側面は意図的に無視しているように感じる。
    アメリカによるテロとの戦争を非難し続けるが、テロリストへの非難はほとんどない。あるいはテロリストによる攻撃にどのように対処すべきかという提言もほとんどない。
    どうして右も左も自分の主張に都合のよい話ばかりする学者が多いんだろう。

  • 2016年に書かれた本。
    この著者はどちらかというと私と考え方が近いと思うし、2022年2月24日にロシア・ウクライナ戦争がはじまるまでは違和感なく読んだと思う。

    でも、戦争を起こさず平和を保つために必要なら、戦力を持つこともやむを得ないのではないかという問いが現実の問題として問われている今、この本に書かれていることは非現実的に感じられてしまう。

  •  世界の状況とともに「戦争」のあり方がどう変遷してきたかが簡単に論じられていて面白かった。
    以下の点は良い気づきを得られた。
     核兵器を使用することは、戦争の正当性を失うという指摘。
     日本軍は一度も主権者として自発的に戦ったことがなく、それゆえ他国にはない「軍隊もの」という文学ジャンルの作品があるという指摘。

  • カタカナ用語が多々あり意味を調べた。「テロ」とは何かについて考えるきっかけになった。

  • すごい本

  • 積読本から発掘した。おそらく、ご本人の講演会に行ったんではないか?その時購入したんではないかと思う。だが、何を話されたか全く覚えていなかった。

    ちくまプリマー文庫というのは、若い方から学びなおしの大人の方まで、という感じで展開されているシリーズらしい。
    おかげで、非常に理解しやすい言葉で、集中したとはいえ2日で読み上げることができた。

    この本は、そもそも戦争とは・・という定義から、第1次、第2次世界大戦、さらには近年の「テロとの戦い」にまで言及している。さらには、その向こうに見え隠れするグローバル企業にまで。
    政治や国際情勢を考えるうえで、入門テキストとして読んでおいていい本ではないかと思った。

  • 戦争とは何か、哲学的・歴史的な観点から丁寧に説く一冊。ウェストファリア体制が確立し、その後なナポレオン戦争後に国民戦争となった戦争。それが意図せずに起きた一度めの「世界戦争」、わかってて起きた二度めの「世界戦争」、核によって起こさなかった三度めの「世界戦争」。3つの世界戦争後には国家間の取り決めなどである種の制限があった戦争が、対テロ戦争というある意味無制限の暴力の行使が可能になり日常が潜在的な戦場になる新しい戦争形態が現れてしまった。
    著者の見方でハッとさせられたのは近代日本の軍はヨーロッパの国民軍と違って義勇軍といった形から産まれたのではなかったために主権者として自発的に戦う兵士であったことがなかったこと。イスラーム国と「美しい国」は本質において何も変わらないのではないのかということ。西洋諸国に対テロ戦争という常軌を逸した戦争を始めさせたのはコナトゥスなき存在への恐れではないかという指摘も。

  • 借りたもの。
    17世紀半ば~現代の“戦争”の概念の変容を歴史の流れから理解するには良いと思う。
    現代のテロ事件の根底にあるものが、歴史の中で連綿と受け継がれているわだかまりである事が理解できよう。

    よく言われる「狩猟民族の発想が戦争を引き起こす」ではなく、「農耕による定住と蓄えが、その集団内部で管理や分配に関する争いが生まれる」という視点に、「狩猟民族が扱うものは、そのまま武器となる」という先入観でしかないという事に気づかされる。(農具である鍬・鋤や手鎌も武器になり得るのだから)

    戦争の定義――人と人がかかわる限り争いは必ずあるものだが、殺人が解禁されるという究極的な非常時への言及から、それが近現代の国家間戦争へと規模が大きくなったことを簡単にまとめている。
    無法状態と思われる戦争にも“法”があることなど。
    ウェストファリア体制について。

    そこから見出されるものは、「国とは何か」「平和とは何か」という秩序の根本を問うものだった。
    一定の領土と領民を有し一元的な国王=国家という体制の主権国家の成立から、和平と相互承認秩序によって成り立っている。

    ただ、著者は軍事力とは異なる“もの”で平和を守るのか、明言はしていない。

    911テロが、アメリカにとって「カミカゼ」の再来のようなものであったという指摘は腑に落ちる。
    自殺攻撃という「狂気」――「生存への執着」「存在への固執」「自己保存の原理」という意味の「コナトゥス」という西洋哲学からくるもので、それは「善」ではない、すなわち「悪」――への怒り、拒絶があるという視点は、目から鱗だった。

    イスラーム過激派の手段が、戦時中の日本に似ていると……確かに終戦間際は未熟な兵を起用していたのかもしれない。しかし、女性や子供、被戦闘員に爆弾を巻き付けるというそれは、果たして同義なのか?
    死んでしまった人達から、真意を聞くことはできないのだが……

    本書の最後で、“日本を再び戦争をする国にしようとする人たちが理想とするのはそういう国でしょう(p.181)”は、話が飛躍しすぎているように思えた。
    その理由がロジカルに書かれていない。
    感情論だった。

    この国の為政者が軍をどうしたいのか、著者も誰も、理解していないという印象が強くなっただけだった。

    日本の戦後反省とは、必ずしも過去にたち戻るものではないと思う。
    それすら、私が信じているものに過ぎないのかもしれないが……

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著者プロフィール

西谷修(にしたにおさむ)
哲学者。1950年生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。明治学院大学教授、東京外国語大学大学院教授、立教大学大学院特任教授を歴任したのち、東京外国語大学名誉教授、神戸市外国語大学客員教授。フランス文学、哲学の研究をはじめ幅広い分野での研究、思索活動で知られる。主な著書に『不死のワンダーランド』(青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『夜の鼓動にふれる――戦争論講義』(ちくま学芸文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『戦争とは何だろうか』(ちくまプリマー新書)、『アメリカ異形の精度空間』(講談社選書メチエ)などがある。

「2020年 『“ニューノーマルな世界”の哲学講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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