裁判所ってどんなところ?: 司法の仕組みがわかる本 (ちくまプリマー新書 267)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480689733

感想・レビュー・書評

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  • 仕事のための読書。
    裁判所の組織の概要が、雑学感覚で楽しく身につけばいいな、と期待して読み出すも、はじめの数頁で難しさにその思惑はこっぱみじんに。
    そりゃそうだよね、楽に身につく知識なんかないよね……(遠い目)。
    というわけで、気持ちをただして、読み始める。

    元裁判官、現役の弁護士である著者が、裁判所という組織を解説した本書。
    解説といっても、裁判所の種類、働いている人たちと組織の構成、民事・刑事といった取り扱う事件の種類etc、現実的な運営に関する説明は、本書のごく一部。
    それよりも読んでいて全体から感じるのは、裁判所が法学的、政治学的に、どのような思想や問題点を抱えながら歩んできのかを包括的に解説しようとする、著者の強い意気込みである。
    が、いかんせんこちらは三権分立くらいはなんとかわかるかな……という身。
    “裁判所の組織としての性格は、自由主義的原理と民主主義的原理の兼ね合いで決まります”、と書かれていても、そのくだりを3回くらい読み返してはじめて次が読めるという感じなので、遅々として頁が進まない。
    それでも、
     ・ 東洋の法は命令、西洋の法は合意
     ・ 国家権力はつきつめれば暴力
     ・ 法の世界はすべてが発展過程
     ・ 現実問題として社会は不平等
    などの言葉にはっとさせられる。
    裁判所が社会の中でどのような役割を果たしているか、問題点も含めて手加減せずに書かれていて、いっそのこと清々しさを感じる。
    この本に、進路選択の際に巡り会えた学生は、とても幸運だと思う。

    裁判所や、それを取り巻く社会のシステム、政治って、複雑な論点が入り雑じりながらも、どこか現実に抗えずになし崩しで運営されている面もあって、一筋縄ではいかないな。
    裁判所を理解するどころか、広い海に放り出されたような読後感。
    それでも法学、政治学の味わい深さや広がりが感じられて楽しい一冊でした。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/712918

  • 公民の勉強をし始める中学生に「裁判所」はどんな人がいてどんな場所でどんなことを行うのかなどを知ってもらいたい。

  • 「法学・経済学・社会学の分野で幅広い業績を残したマックス・ウェーバーは、国家権力を「暴力の独占体」と定義しました。いくら、「福祉国家」とか「法治国家」などと言ってみたところで、国家権力(立法・行政・司法)は、つきつめれば、暴力、実力なのです。
    法廷は、その原始的な姿があらわになる場でもあります。そのため、常に、国民による監視が必要になります。」p.38

    「裁判所によって論理が大事なのは、法を原理として理性的に活動する国家機関であることが、国家の権力構成上大きな意味を持っているからです。「真実の裁きを目指して法の論理で動く司法権は、そのほかに、力を発揮しようとする意思を持たない」と言えるからです。
    これによって、権力(国家権力)であるにもかかわらず、国民の信頼を得ることが可能となります。」p.143

    「判決(判決書、判決文)は、必ず、法的三段論法(判決三段論法)と呼ばれる論法形式で書くことになっています。法的三段論法とは、法規(R)を大前提、事実(F)を小前提として、大前提に小前提を当てはめて、結論(D)を出す形式を指します(「F×R=D」)。裁判の結論が論理的に導かれたものであることを明らかにするために、不可欠とされます。」p.145

    「2013年に最高裁判所は、非嫡出子(シングルマザーの場合で認知を受けた子どもなど)の相続分に関して、民法の規定を違憲と判断しました。民法では、ずっと非嫡出子の相続分は「普通」の場合(嫡出子)の半分とされてきました。これは、法律婚(正式の結婚)を推奨する趣旨でした。しかし、嫡出かどうかというのは、子どもから見ると、本人にはどうすることもできない「生まれ」に関することですから、最高裁判所は、民法の取り扱いは憲法の保証する平等に反するとしたのです。」p.158

    「2001年には、先進国で区別を残すのは日本だけになっていました。欧米各国では、非嫡出子の割合が50%を超えた国もあって、民意に基づく立法措置が次々にとられたのですが、日本の場合、非嫡出子の割合は、2パーセント程度でした。「立法による多数決原理にゆだねて解決」というわけにはいきませんでした。
    ここでは、裁判所は、日本では非嫡出子は固定的な少数者であり、これ以上、差別的措置を続けるならば「民主的専制」「多数者支配」に陥ると判断しました。そのため、裁判所が「人権の砦」として登場することになったのです。」p.158

    「国民やメディアの裁判批判は、かつては最高裁判所長官から「雑音」などとして迷惑視されていましたが(1950年代)、現在では、批判内容の説得力が裁判の結論に影響することは、司法権の独立の反するとはされていません。むしろ、「権利のための闘争」「法の動態」として、あるべき姿と考えられています。」p.161

    「あらかじめ提出しておいた書面(「準備書面」)を「陳述しますか」「はい、陳述します」というやり取りで、民事の法廷弁論はほぼ終わりです。あとは、せいぜい、次の進行についての訴訟指揮がある程度です。実際に要する時間は、三分から五分程度です。」p.183

    日本の三審制を、「三回チャンスがある」と解釈していた外国出身の人に、いやそれはちょっと違うぞ?とちゃんと説明したくて借りた。

    日本で教育を受けると、このあたりのことは義務教育で習って、ものすごくわかってるわけじゃないけど、なんとなくは了解している気がしてる。

    でも、移民はそうよね。移住した先の法律や制度を学ぶ暇も方法もほとんど無い中で生き続ける必要があるんだ。

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著者プロフィール

1959年東京都生まれ。東京大学法学部卒。東京地裁、大阪地裁などの裁判官を務め、現在は弁護士として活動。裁判官時代には、官民交流で、最高裁から民間企業に派遣され、1年間、三井住友海上火災保険に出向勤務した。著書に『司法殺人』(講談社)、『死刑と正義』(講談社現代新書)、『司法権力の内幕』(ちくま新書)、『教養としての冤罪論』(岩波書店)ほかがある。

「2015年 『虚構の法治国家』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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