- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480689795
感想・レビュー・書評
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物語の成り立ちについて勉強したくて読んだのですが、人間が物事を認識する上で因果関係を求め、物語として捉える。また思い込みなど「何故自分だけ」という理想の物語を描き苦しむ習性やストレスへの対処なども簡潔に説明している良い本でした。
わかりやすく説明してくれているため章ことにスラスラ読んでしまうのだけれど、印象に残った部分以外ポロポロ抜け落ちてそうなので気になったところを再読してメモを取っておこうと思う。
内容とは関係ないけど、ちくまプリマー新書の紙質…好き。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「将来の夢は?」とか「弊社に入ったら何を(達成)したいですか」とか、そう聞かれて「特にありません」と答えると、つまらない・取るに足りない人だと思われる。その人が物語を持っているかどうかで判断されることは少なくない。それも、聞いた側が納得できる物語を持っているかどうか。
物語をそのまま生きていけるならいいけど、それができないと生きるのはとても苦しくなる。この本が登場するのはここ、その苦しさが現れた時。自分が苦しんでいるのは誰の、何のせいなのか。それは自分が作った物語のせいかも知れないよ、という視点をもたらしてくれる。
もしも、自分を苦しめているこの物語は自分が作ったのではない、周りが要求するものなのだと思っていたら、その時点でその物語を受け入れてしまっているのと同じこと。この本の内容に抵抗があると感じたら、自分の物語に“こだわり”を持って自ら苦しんでいる人かも知れない。
物語に巧妙な仕組みがあることを知れば、その枠組みの外側に立つこともできる。物語の便利なところはおいしく利用し、そうでないところはさっさと放棄して楽に生きよう。“自分らしく”生きることにムキになって苦しんでいた何年か前の自分のような、この本の言葉が届かない届きにくい人にこそ届いてほしい。淡々としてドライに思えるかも知れないけど、こんなに優しい本はないよ。 -
三度目くらいの再読。
人間は、頭の中で否応なしに物語を合成してしまう生き物らしい。人間にとって物語とは、世界を認識するための形式。出来事の因果関係を説明し、意味を付与する。そして、物語の作りかた次第では、生きることがとても苦しくなったりする。
……というような物語にまつわるあれこれの話が、章ごとにテーマを立ててざっくばらんに論じられている。人間と物語の関係を考える上で参考になる本が多く紹介されており、次の読書にもつながりやすい。
自分がどんな物語を無意識に受け入れて生きているのかを自覚するのは、むずかしいけれど、何かが苦しいと思ったら、一度立ち止まって、心の奥に刷り込まれた物語を発見する旅に出てみるのが良いんだろうと思う。
そして、他人に強いてしまっている物語にも自覚的でありたい。お風呂のお湯を出しっぱなしにして遊ぶ子供に注意をしようとして、手についた泡がお湯とともにゆっくり流れていくのをじっと見つめる彼の表情に気がつき、出かかった言葉を引っ込めた。子供にも、子供の物語がある。
どのような方向にせよ、この本を起点に色々と考えていけると思う。
以下は抜粋。
・できごとの因果関係が納得できるものであるとき、人間はそのできごとを「わかった」と思ってしまうらしいのです。「わかる」というと知性の問題だと思ってしまうかもしれません。しかし、このように考えてきた結果、「わかる」と思う気持は感情以外のなにものでもないということが見えてきました。(p.55)
・言われてみれば自分は、自覚せぬまま人生や他人に皮算用的ストーリーを期待し、要求し、期待したストーリーを世界がどれくらい満たしてくれるのか、一喜一憂、いや一喜百憂くらいのペースで採点してきたともいえるなあ、と思ったわけです。自分が苦しいのは無自覚なストーリー作りのせいだったのか。なるほどね、と。(p.107)
・なんであれひとつのストーリーメイキングを正しいとして執着したとたん、足元に〈懸崖(クリフ)〉があらわれる。怖いけど、しがみつかずに手を放す選択肢はいつでもあります。(p.211)
追記:
物語には型がある。「ねばならない」という形をした物語が常に心の奥底に流れていて、感性や思考、行動を制約してきたと思う。
幼少期から青年期にかけては「男らしくあらねばならない」とか、仕事を始めてからは「デキる人材にならなければならない」とか(cf.『僕たちはガンダムのジムである』)、今ならば「良い親でなければならない」とか、内容はさまざまであるけれど、形はどれもよく似ている。
多少は人生経験を積んで、極端でない考え方ができるようになってきたかな、と思える瞬間もあるのだが、結局最後には「ねばならない物語」が生まれてきてしまう。あれだ、魔王を倒しても、第二第三の魔王が生まれてくるやつ。
「ねばならない物語」は、うまく回っているうちは充実感があって楽しかったりするけれど、大抵、どこかで行き詰まって苦しくなる。この鋳型を壊してしまいたい。
追記の追記:
「ねばならない物語」のさらにその先に、「〜してさえいれば安泰である」という打算の物語が見えた。何が安泰なのか? 自分の存在の意味が。
意味という、この無意味なものを、どうやって遠ざけられるか。意味も無意味も超えて、ただ在りたい。
ニーチェは厨二臭いと思ってなんとなく避けてきたけど、一度きちんとニヒリズム思想と向き合ったほうが良いのかもしれない。 -
タイトルは内容を正確に表していない。正確を期すならば「人はなぜ『物語』としてできごとを理解しがちなのか?そのしがらみから逃れるヒント」とでもなろうか。
色々な論者の言葉を数多く引用しつつも、筆者の主張はきわめて貧弱。私が示したタイトルに尽きてしまう。その上、思い込み、さらにはパラダイムから逃れる処方箋もほのめかす程度。ちくまプリマー新書とは言え、これを読む若者は気の毒だ。
しかし、末尾の読書案内の書籍、本文で引用されている原著に直接あたれば、実りある読書ができる点は救いだ。物語に過度の期待を抱かない世界観をきちんと創造したい。 -
人間は「わからない」のが不安だから、情報の空白を埋めるように因果関係を作って、無自覚なままストーリー形式で世界を把握している。その心の癖の落とし穴や危うさを丁寧に読み解いてあり、考えさせられた。
認識の枠組みである物語に、自覚的でありたい。
「二度生まれの人」の話が印象に残った。人生それ自体にたいする「なぜ?」という深刻な問いに取りつかれ、煩悶し、もう一度生まれ直す必要があるタイプの人、のような意味合い。「崖から手を離す」とともに、念頭に置いておきたい。
あと、巻末の読書案内が参考になった。 -
物語消費の話を想定していたが、そうではなくて人間の認知の話が主軸。認知、認識する上での因果関係の推定、それによるいわゆる「物語」の構築、依拠が発生するというような論旨。ソフトな文体で読みやすくありつつ、種々の文献を引いて印象論に終わっていないのが好感だが、認知という側面では物足りなさも感じるので、認知科学あたりの本を並行で読んでみると理解が深くなりそう。本書で引かれていた『生ける屍の結末』は読んでみたい。
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かねてより人はとにかく「物語性」のあるものが大好きで、そこに物語がなければ自身で作り出すほどに物語が好きだよなぁと思っていたため、タイトルに魅かれ読了。
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物語学(ナラトジー)の入門。世の中を理解するのに物語が必要であり、出来事を述べることには何かもっともらしい理由がないといけない。時系列で起こったことにはそれぞれに理由があるべきであると考え、無理やりにでもでっち上げる。べき論は概ね感情的なものであり、さらに、それが一般論と一致すると納得感が増す。自分のしたことでさえ、説明的な一般論で納得してしまう部分がある(実際は何の理由すらないかもしれない)。
期待という放物線の予測はありがちなものであり、これをなくすことで物語から自分が解放されうる。