発光妖精とモスラ

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (172ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480803290

感想・レビュー・書評

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  • 私のフォロワーさんで、「モスラの脚本は中村真一郎、福永武彦、堀田善衛」とレビューに書かれている方がいる。しかも『モスラ』本編を見ていないうちに、モスラの破壊した建造物にはこの三者の批判精神が込められている、と。これはよく知らない人が読めば、たぶん信じてしまうと思う。

    正しくは「原作が中村・福永・堀田」で、「脚本は関沢新一」です。フォロワーさんがなぜこういう間違ったことを書かれたのか、理由はわからない。しかし関沢新一さんが「消されたトロツキー」ならぬ「消された関沢新一」にされるのは嫌なのでわざわざ書きました。

    ブクログでは似たような間違いをたまに目にすることがある。
    「フォレストガンプが最近テレビ放映されないのは…」(←正しくは2年前にBS放映されている)
    「『ワンスアポンアタイムインアメリカ』のような話をアメリカ人が描くのは…」(←正しくはイタリア人。プロデューサーはイスラエル人、原作はウクライナ生まれのユダヤ系アメリカ人)

    Twitterはツッコミで訂正されやすいと思ってたけど、やはりウソを書く人が多い。共通点として、全員ドヤ顔で偉そうに書いていること(顔は見えんけど笑、文体がだいたい偉そう)。

    「女番長シリーズの監督は石井輝男」(正しくはもちろん鈴木則文)
    「グレッグイーガンの小説のカリーみたいに」(正しくはテッドチャン。読んだばかり)

    靖子「主水は女を殺してない」←NEW!

    間違いや思い違いは別にいい。私もよくします。しかし、少し調べればわかる基本的な情報を調べずに、間違ったことやウソを最初に論拠としてしまうのは我田引水、牽強付会になってしまって、話がまったく成り立たない。「ビートルズはアメリカ人のバンドで…」「『金閣寺』を書いた水上勉が…」などと言うのと同じ。

    というわけで、フォロワーさんの書かれていたことがきっかけで、きちんと検証するために『発光妖精とモスラ』を読んだ。原作は中村真一郎、福永武彦、堀田善衛がそれぞれ上中下を担当し、リレー形式で執筆しているようだ。
    この本がすぐれているのは、原作に加えて関沢新一の脚本第1稿と、さらに決定稿まで収録されている点。つまり『モスラ』が出来上がるまでに、どのような変化を経たかの過程がよくわかります。素晴らしい!

    結論から先に書くと、原作の段階では小河内ダムも横田基地も東京タワーも出てこない。鎌倉の街を破壊したのみ(大仏は破壊せず笑。関沢第1稿では破壊!!)。つまり原作者3人が考えたアイデアではないと思う。

    原作は、たった50頁ほどで短く、ほぼプロットのようなもの。先に書いた、破壊される建造物は第1稿でも出てこず、決定稿でようやく出てくる。これらのアイデアを出したのは誰か……この本だけではわからないが、本多猪四郎監督、円谷英二、田中友幸P、もしくは関沢新一……そのあたりの誰かかと思う。

    モスラが破壊したものに風刺、社会批判の意味があるかどうか、これは半々だと思う。というのは5年前の『空の大怪獣 ラドン』で西海橋を破壊してから、「できたばかりのランドマーク的建造物を破壊する」という流れがすでにあったからだ。このこと自体は風刺や批判ではない。
    (大きく「日本の戦後復興の象徴的建造物を破壊する」という意味はあるが、『AKIRA』などの破壊とは本質的に異なる。)

    因みに、フォロワーさんは「建設中の国立競技場」と書かれているが、旧国立競技場は1958年にすでに開場しており、1961年当時は建設中ではない。オリンピック用に建設されたのは代々木競技場(体育館)の方で、着工は2年後の1963年である。

    モスラが破壊するグラウンドは旧国立競技場にあまり似ていないがそこはいいとして、「オリンピック工事中と書いたミニチュア」なんて全く出てこない。

    他の東宝特撮だと、『ゴジラ』は国会議事堂を破壊(見返すとカットがよくわからないとこもあるが、定説では破壊している)。中では少し前のシーンで、たぶん与党の議員がゴジラの存在を国民には隠蔽しようとしている。そこに、たぶん野党の女性議員、菅井きんが追及のヤジを飛ばす。「ムコ殿!!」……とはまだ言わない。そんな議事堂を破壊する。当時の観客たちは拍手喝采だったそうだ。ほかに私が見たものだと『妖星ゴラス』は政治に対して、『マタンゴ』は社会に対しての風刺要素が強かった。

    ではモスラ原作には、風刺や社会批判の要素はないのか?

    これは「大いにある」。

    岸信介が強行した60年安保の直後で、これが原作モスラの骨格になっている。田中Pに「独立プロ(インディペンデント)の映画だなあ」と言われ、ラストシーンはニューヨークから霧島・高千穂に変更されて撮影されたが、海外配給のために、再度ニューヨークに戻されたそうだ。
    実は前年の『ガス人間第1号』にも、60年安保の時代背景を映したシーンがたしかあった(留置場のシーン)。モスラの繭を焼く原子熱線砲をロリシカ国が貸与するのも、安保を背景に書かれた原作のなごりだと思う。

    なので、破壊された建造物をもって原作者の批判精神や功績とするのは間違い。だが、原作には当時の時代背景がより色濃く反映されているのが、原作をちゃんと読めばよくわかる。


    ここからは、純粋に小説としての感想。原作よりも、改稿された関沢新一の脚本の方が断然面白かった。脚本の仕事とはなにか?と考えると、
    ・原作を膨らませて面白くする
    ・原作の矛盾・ツッコミ所を解消する
    ・上映時間の調整をする
    ……などだと思う。ちゃんと面白くなっています。原作には福田記者(フランキー堺)が独りでインファント島に密航するという無茶苦茶な展開があるが、ちゃんと整理・解消されている。

    堀田善衛の文章は、説明がわかりづらい(というか下手な)箇所がいくつかあった。もっとも面白かったのは福永武彦パートで、インファント島の神話を創造しているため(ゴジラの大戸島の伝説や、のちのウルトラQ第1話や、諸星大二郎的な流れ)。

    ほか、完成した映画とは細部であちこち違う。ロシア+アメリカ=ロシリカではあまりにも露骨なのでロリシカに。小美人は4人から2人へ。元々は小人ではなく巨人だったそうだ。妖怪巨大女やフェリーニやフジ隊員やメルトランディみたいで、それも面白い。原点は当然『ガリバー旅行記』。ミチ(香川京子)は言語学者・中条の助手から、福田記者のカメラマンへ。これは当時の女性の社会進出を表現している。原作では恋愛話が入るが、これも無くなった。

    モスラが繭を作る場所は、原作では国会議事堂。これは先にも書いた60年安保の風刺があるため。しかし映画では東京タワーに変更された。議事堂に繭を作るのは92年の『ゴジラvsモスラ』で実現したが、風刺の意味合いが異なっていて、映画としてはつまらなくなっていた。

    映画『モスラ』のインファント島の名前からは、幼児の純粋さを感じた。しかし原作を読むと、日本が主権を回復したのに、また安保でアメリカの核の傘という抑止力の庇護からは解放されない……日本という国が幼児で、モスラのように脱皮・羽化し、大人になっていく……そういう話のように感じられた。

    また、モスラを「日本を攻めてきた敵国」とすれば、「ケンカはよそでやれ」という話である。よそでやった結果→ニューカーク(ニューヨーク)を破壊。

    完成した映画版のインファント島は、太平洋戦争で日本が占領した南方の島国と、日本そのもののイメージ、どちらも重ねられていると思う。だから、ネルソンが群衆に襲われるシーンでは島民(日本人)がフラッシュバックするし、日本からやってきた巨大蛾がニューヨークを襲う。戦争の加害者と被害者、ふたつの見方ができるので、この点はほんとに素晴らしいと思う。

    しかし、あとがきの岡田茉莉子の話には私も閉口した。特撮作品が、当時いかに軽んじられていたか、ナメられていたかがよくわかります。脚本家・関沢新一の仕事を私が検証したかったのもこのため。


    「平和こそは 永遠につづく 繁栄への道である」
    (インファント島 石碑文より)

  • 1961年7月30日に公開された、東宝製作の怪獣映画『モスラ』。その公開に先駆けて映画脚本検討用シノプシスを同年1月、『発光妖精とモスラ』と題して「週刊朝日」において掲載された原案小説を1994年9月、筑摩書房より単行本化したのが本書であり、刊行にあたってこの小説を元に関沢新一による脚本の第一稿と細部を調整した決定稿も収録されており、文字で楽しむ日本初のファンタジー怪獣小説。
    先出の怪獣映画『ゴジラ』『ラドン』を成功させたプロデューサーの田中友幸は、東宝の森岩雄から「女性も観られる怪獣映画というのはどうだろうか?」と提案されたことがきっかけで、東宝映画文芸部の椎野英之のつてで純文学作家の中村真一郎を紹介され、中村が福永武彦、堀田善衛らに声をかけて基本的な設定をあらかじめ決めておき、序盤を小説家・文学評論家・詩人の中村、中盤を小説家・詩人・フランス文学者の福永、終盤を小説家・評論家の堀田が担当する三者連作という当時の日本小説・文学界ではまさに「ドリームチーム」という形でストーリーが随筆された。
    主人公の名前「福田善一郎」は、原作者3人の名前を組み合わせ、架空の軍事大国「ロシリカ」は冷戦のただ中、戦術核武装に明け暮れるロシア+アメリカのアナグラム(あまりに露骨なので映画では「ロリシカ」に改名されている)、悲劇の島「インファント島(infant:幼児、幼い、子供の意)」は欧米人から見た日本人の容姿印象など、随所で洒落とシニカルな「遊び心」は純文学作家による作品がエンターテイメントへ昇華する先駆けの姿を見て取れる。
    核実験によって高濃度の放射能によって死の島となったインファント島に生存する原住民にみられる設定には、島の洞窟が「核シェルター」の役目を成して全滅を免れ、島に繁殖する果物の汁によって放射能障害から守られていたとするくだりは映画公開当初の昭和30年代、海外から輸入される南洋の果物のバナナや缶詰ではない生のパイナップルが高価ながら街の青果店の店頭に並び始めた時期であり、慢性的なビタミンC不足の日本人にとって、まさに南洋の果物は「健康食品」以上の羨望の目で見られた時代背景には、日本人の「南国待望論」もその深層心理にあるのだろう。また、インファント島で核実験を行っただけでなく、小美人を興業目的で連れ去るロシリカ国民であり悪役のネルソンの言動は、日本に原爆を落とし、表向きは「救済医療処置」とするも、その実、被爆者のデーターを収集する「生体研究」を行い、度重なる核実験のみならず核武装に走る「戦勝国アメリカ」の身勝手な傲慢さを暗に描くなどファンタジックで明るい表のストーリーに隠されたメッセージはシニカルな社会批判であり、被爆国である日本人が描ける作品としても非常に興味深い一作となっている。

    • bandit250fさん
      いつも面白い本を教えていただき有難うございます。とっても面白く読み終えました。まえすとろさんの様に学術的に読み解く事は出来ませんが、ロリシカ...
      いつも面白い本を教えていただき有難うございます。とっても面白く読み終えました。まえすとろさんの様に学術的に読み解く事は出来ませんが、ロリシカのアナグラム的発想、インファント島の指し示す物、南洋植物への憧れ等、なるほどそうなのかと納得する事しきりです。
      両親、特に父親がSF好きだったので生まれて始めて見た映画が「渚にて」二本目が「モスラ」と聞いているのでこの作品に対する思い入れは人一倍有ります。また大画面で見てみたい作品ですね。
      2014/02/10
  • 「MM9」の他に怪獣小説無いかなぁと検索して発見しました。初代モスラの原作と脚本、映画の写真が載ってて豪華です。読みながら暫し、モスラの歌の色んなVersionを聞きましたがザ・ピーナッツさんのが一番でした。全バージョンのモスラの歌のCD欲しいな。小美人の最初の設定が4人で倍の大きさだったのに驚きでしたし原作者さんたちに一銭もお金が入ってこなかったのもビックリです。

  • 大好きな怪獣映画です。
    殺伐とした怪獣ではなくて暖かい怪獣映画ですよね。昔々はお正月の晩にテレビで放映してました。それくらい目出度い映画だったんです。
    小美人を救うため、本能で一直線に東京に向かう。結果、やむを得ず街を蹂躙してしまう。
    街並みを破壊しながら進むシーンは初期東宝怪獣映画の中でも屈指の出来だと思います。
    何しろデカイからね。
    原作が有るのは知らなかった、しかも本が出ているとは。
    映画を思い出しながらじっくり読了。
    小説の他にシナリオ第1稿と決定稿も付いてて違いを探すのも面白い。最初は小美人4人なんだね?配役どうするつもりだったんだろう。
    久し振りに映画見たくなりました。傑作ですよ!

    • まえすとろさん
      bandit250fさん、メッセージありがとうございました。「女性も楽しめる怪獣映画」としてSF色を脱し、ファンタジーとしてストーリーを仕上...
      bandit250fさん、メッセージありがとうございました。「女性も楽しめる怪獣映画」としてSF色を脱し、ファンタジーとしてストーリーを仕上げた発想と明るい画作りの演出は、先達の新たなジャンルへの挑戦と娯楽に徹したサービス精神にただただ「脱帽」の一言です。クリエイター達の紡ぐエンターテイメント精神とエネルギーは今なお生き続けるパワーを放っています。
      朝日ソノラマ刊、井上英之著『検証・ゴジラ誕生―昭和29年・東宝撮影所』も面白い本でした。機会があれば是非お勧めします。
      2014/02/11
  • ◆読友さんに原作が中村真一郎・福永武彦・堀田善衛の連作小説だと教えていただき、探して読みました。◆初出『週刊朝日・別冊』1961年1月号。映画「モスラ」のスチール写真42点。シナリオ第1稿・決定稿併録。◆(上)「草原に小美人の美しい歌声」中村真一郎(中)「四人の小妖精見世物となる」福永武彦(下)「モスラついに東京湾に入る」堀田善衛。固有名詞などに見られる緩い遊び心にクスリと笑わせられる。水爆実験場であるインファント島や小美人の歌声・姿態を描写する中村の筆が思いのほか美しく、映画に活かされていないのが残念。◆読んで「なるほど」と道理がわかる記述やセリフに限って、映画では割愛されている。説明は映像には向かないのかな。◆植物由来のドロドロジュースを飲むだけで放射能障害をまぬかれるというのは、現代では違和感ありまくりかも。◆あとがき中村による回想「モスラ」の、身もふたもないぶっちゃけ話はなんだかなぁと思いながらも興味深かった。

  • 本日、中村真一郎生誕93年を迎へます。皆気付いてゐませんが、この人は凄い人ですよ。
    さて、1961(昭和36)年の東宝映画「モスラ」(本多猪四郎監督)は、この『発光妖精とモスラ』が原作です。
    中村真一郎・福永武彦・堀田善衛の純文学者3名が合作で書いた小説であります。

    リレー形式で、[上]「草原に小美人の美しい歌声」・[中]「四人の小妖精見世物となる」・ [下]「モスラついに東京湾に入る」の3編を、それぞれ中村・福永・堀田の順で執筆。皆普段の仕事とは違ひ、肩の力を抜き愉しんでゐるやうです。
    ちなみに主人公「福田善一郎」は、この3人の名前から付けられてゐます。
    成功のポイントは、やはり巨大蛾の三段変化と、小美人の存在でせう。

    後半は関沢新一によるシナリオ「第一稿」と「決定稿」が収録されてゐて、原作との相違を確認するのもよろしい。
    小美人が四人から二人に減員されたり、ロシリカ国(米国を仮想)がロリシカになつてゐたり。さらに完成された映画では、米国側の要請で「ニューカーク・シティ」の破壊シーンが挿入されたりしてゐます。ちよつと紙工作みたいなセットでしたが。

    映画「モスラ」は、それまではゲテモノ扱ひされてゐた怪獣映画の地位を向上させた存在と申せませう。気鋭の文学者に原作を依頼したり、新人ではなく大物俳優を主演に据えたり、田中友幸プロデューサーの心意気が感じられるのでありました。そんな「モスラ」を満喫できる一冊です。

    http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-223.html

  • 1961年に公開された映画「モスラ」の原作とシナリオ第一稿と最終稿。
    原作がこういう風にシナリオになるのか。
    「モスラの歌」の動画を探してしまった。モスラーヤッ。

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著者プロフィール

中村真一郎(なかむら・しんいちろう)1918年、東京生まれ。東大仏文科卒。42年、福永武彦、加藤周一らと「マチネ・ポエティク」を結成し、47年、『1946文学的考察』を刊行する一方、『死の影の下に』で戦後派作家として認められる。以後、小説、詩、評論、戯曲、翻訳と多分野で活躍。王朝物語、江戸漢詩にも造詣が深い。作品に『回転木馬』、『空中庭園』、『孤独』、『四季』四部作、『頼山陽とその時代』、『蠣崎波響の生涯』他多数がある。

「2019年 『この百年の小説 人生と文学と』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中村真一郎の作品

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