- Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480804280
感想・レビュー・書評
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美しい“グリーン“を描いた爽やかな表紙。ハーブのようは清涼飲料水のような梨木香歩さんの文章。
主人公のジャーナリスト“棚“は、若い頃、アフリカにいたことがあり、今は東京で犬のマースと暮らしていた。ある日、マースの子宮に悪性ではないが大きな瘤のようなものが出来ていて、苦しめていることが分かり、手術をするのだが、その病気の犬への“ペットに対する飼い主“目線ではなく、親子でもない、友達でもない“同士“のような目線の愛情が普通の血縁とは違う別の温かい血を分け合った愛情のようで心地よい。
マースとの散歩の途中で、いつも通る公園。池に何種類かの鳥がいて、“渡り“の季節にある時集団で一つの種類がいなくなっている様子を見守る。なんらかの理由で、仲間たちの“渡り“に同行できなかった、一羽二羽が、他の種類の鳥たちの仲間に入って暮らしている様子を見守る。生き物というものはどういう形であれ、“群れて“生きることが本能であると考えながら。
ある日、マースの診察を待つ間に、昔アフリカで知り合った人が書いたアフリカの呪術医療についての本を見つけた。その本の中にマースの症状に似た“ダバ“という症状を見つけ興味を持つ。そして、その本の筆者が既に亡くなっていることを知り、筆者の足跡を辿ることも含めて、危険なアフリカ旅行をする。旅の途中で、その筆者(片山海里)だけでなく、そのアシスタント的な人物二人も最近不可解な死に方をしていたことを知る。
呪術医に関わるということは、自分の身に危険を及ぼすことでもある。危険を感じながらも棚はアフリカの深淵を旅していく。
人間も動物も逞しいアフリカ。感情表現がむき出しのアフリカ。旱魃か洪水かという極端な気候のアフリカ。そして、呪術などという怪しいものに未だに医術を頼るアフリカ。
棚は、片山海里の足跡を辿る途中で、ナカトという女性に合い、彼女は子供の頃にゲリラに連れ去られてしまった双子の姉を探していて、片山海里の呪術医としての最初のクライアントだったと話す。そして、海里が亡くなる前、ナカトに「“みどり“という女性がババイレ(双子の姉)を見つけてくれる」と言っていたことを棚に打ち明けた。棚の本名は(翠)。不思議な運命に恐ろしさを感じながらも、受け入れるしか無い棚。そして、棚はナカトとババイレを再会させた。ババイレは人間ではなく、“木“となっていたが。
自然の深淵には自然の感情が渦巻いていて恐ろしい。いや、恐ろしいだけか?誰かが死んだら悲しいのは都会の文明社会でも、より自然が剥き出しのアフリカのような所でも同じなのだ。そんな時、都会の文明社会では死者を厳かにあの世に送り出した後、残ったものはなるべく早く前を向いて、歩き始める努力をするように思う。棚の訪れたアフリカの奥地はちがう。生きているものの魂、死んでいるものの魂、木の魂、鳥の魂…がそれらすべてを守る水や空で繋がり…。
棚の「生まれ変わったら木になりたい」という子供のころの希望は、なんてナチュラルで謙虚なのだろうと思った。この本を読んで、「努力すれば不可能なことはない」とか、そういう「成功者」の座右の銘みたいなことばが、自然という“神“に対する身の程知らずなことばだと感じた。
棚が日本に帰国してから書いた物語の中の“ピスタチオ“は“鳥検番“として慎ましやかにその命を全うした。
「ピスタチオ、お前が,この世でしたことは、人がこの世で出来ることで、一番ましなことだったよ。お前の命は正しく巡っていく」木になったピスタチオを撫でながら、母親は優しく言った。
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一日の終わりに、今日は何度空を見上げたかな、と思う。
空を見上げて、風の方向を感じる。
風が強くても弱くても、空気の流れを感じるのが好きだ。
雲に閉ざされることがあっても、その向こうにある光を感じるのが好きだ。
そうして、緑が萌えたり大気が入れ替わるのを肌で感じるのが好きだ。
梨木さんの作品は、新しくページをめくるたびに不思議な懐かしさにあふれている。
そのことにいつも、驚かずにはいられない。
自分が語っているわけでもないのに、まるで自分がそこにいるかのように錯覚してしまう。
「棚」というペンネームを持つ主人公が、まるで導かれるようにアフリカにたどり着き、そしてまた水が流れるようにごく自然に人に会い、語り合い、その中で自分の役割に目覚めていく。
「符号」という言葉で作品のなかでは表現しているけれど、それって本当にあるものだ。
わたしが思いあぐねていたことや、何となく感じてはいるけれど言葉に表せなかったことなどが、見事に符号してこの作品のなかにある。
こんなにもシンパシーを感じて読める作家さんには、今後出会えないかも知れない。
「ピスタチオ」というのは、「棚」がアフリカで得た体験から生まれた、小さな物語のタイトル。
その物語の主人公の名前でもある。
最後に登場するこの物語が何故生まれたのか、きっと読み手は引き込まれて読むことになるだろう。
霊的な出会い、とでも言うような静かな感動が、読後に待ち構えている。
そしてそのときから自然に、目が樹木に向いてしまうだろう。
木に止まる鳥のさえずりに、耳を傾けてしまうだろう。
繰り返し読むことが決定してしまった、そんな一冊。 -
そんな準備もせずに、なんとはなく読んでいるうちに、気がついたら随分深いところへ分け入ってきてしまった。そんな感じの小説。結構前に読んだ、「沼地のある森を抜けて」も同じような感じだった。主人公が旅するアフリカの地で、人間の原点ともいうべき何かに触れる。科学とか知識だとかそういったものとは真逆の、太古からある生命の根源のようなものになんだか迫っているような気になった。特に激しい展開があるわけではない。あえて言えば、少し途中にミステリータッチの雰囲気があるけど、そこじゃない。この小説の良いところはそこじゃない。少し、難解なところもあるが、読み終えたあとについこの小説は何をテーマにしていたのかとじっくり考えてしまう、力を持った物語だった。
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『棚』は、ライターである翠のペンネームです。
画家・ターナーと頭の中の棚をイメージしています。
そんな棚の愛犬・マースに腫瘍が見つかり手術に踏み切るのですが、棚自身、「これでいいのか…」とすっきりしないでいます。
そこに、アフリカ取材の話が持ち上がり、単身渡ります。ここから、物語が大きく動いていきます。
アフリカの大地、人々を取り巻く精霊、伝統医、ダバ(身体に巣くう黒い塊)の除霊、宴会療法!?
アフリカの空気感とスピリチュアルな感覚に魅かれます。
棚自身、マースの病気とリンクしながらも次々と衝き動かされるように、ウガンダを巡ります。
最後に、帰国した棚が書いたお話が載っていますが、アフリカを後にしたところで、お腹一杯になっていたので疲れました。
棚の中で、一連の出来事が集約された話なので、ここだけ、後で読んだ方が良かったかもしれません。
でも、『沼池~』は苦手だったのですが、好きなタイプの作品でした。 -
【推薦文】
ピスタチオ。
ピスタチオ。
いい一生を生きた。
安心してお休み。
そして
死者は、
物語を抱いて眠る。
ライターの「棚」は見えないクライアントに導かれ、
武蔵野からアフリカの奥地へと、死者の物語を解放しに旅をする。
梨木香歩の文章のもつ圧倒的な包容力と、優しくも強い言葉たちに、
いつも通り、”もっていかれます”
(国際文化学研究科 M2)
【配架場所】
総合・国際文化学図書館 2F 国際文化学図書館学生選書 913-6-N -
ライターの仕事をしている棚は、アフリカのウガンダに取材に行くことになった。なーんてあらすじでは全く語れない、紗を一枚通したような世界が描かれた物語でした。本当の名前ではない「棚」というペンネームを通して見た世界、それが自分の望んだ、希望している世界という感じがしました。母親とも近くに住んでいても遠く、恋人と結婚するわけでもなく、理解できる部分もできない部分もあり、そして興味を持った人たちは既に死んでいて、取材先では翻訳を通じないと会話もできない。全てが直接の触れあうものではなく、何か一枚の膜を介さないと触れあえず、それでも、それを通して世界を見る。伝えていく。
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どんな風に死んでいった命にも、どんな風に生きていかなきゃいけない人間にも、まるで地雷を避けながら歩いているような私にも、その意味はあると、分からなくてもあるのだと、強く前を向かせてくれるような物語でした。
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なかなか気分が乗らず、読む気になれず、読んでも犬の話が少々しんどかったのですが、まさかのアフリカ話でした。たしかに帯にそう書いてるけど。後半の求心力がすごくて最後が怒涛だった。不思議な不思議な、相変わらず意味不明ともいえる部分もあるけど、とても好き。
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言語化できない。すごい深い体験をしたのに。ウガンダ。一致。夢のようだ。意味はすぐには分からないが、迫力がある。生々しい。