- Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480813855
作品紹介・あらすじ
「人並みの幸せを追い求めるのはやめようね」それが渋沢龍彦の口ぐせだった-「おにいちゃん」と呼んだかつての伴侶との十年の結婚生活を偲ぶ珠玉のエッセイ十七篇。
感想・レビュー・書評
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独特の世界観人生観を覗けた。
からっとしていない。日光を浴びていない。おそらくは和洋折衷の室内で、深々と溜まってゆく体温と体臭に悩みながらも、独自の都会性を目指している。
いい資料であるだけでなく独特なエッセイ。
気持ち悪いと言い切ってしまうこともできるくらいの切迫があるが、筆力のゆえに心地よい読書となる。
ほんとうに独特、というのが一番の感想だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本を読むと澁澤さんのことが嫌いになります。
でもまた読んじゃう。 -
矢川さんの繊細な心。透明感のある美しい文章。
読んでいると、切なくなり。今は亡き矢川さん
に「もう、寂しくはないですか?哀しくはない
ですか?」と心の中で訊いてしまいます。 -
2015年1月8日読了。
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なんでだろうね、こういう本を読むといつだって人は個でしかなく、対人、対世界と共有し合えるのはいくつかの点でしかないのだと確信してしまう。一見その点が多ければ多いほど滑らかな線を描くような気もするのだが、実際そうでもないのだと思わされた。あちこち夜空に光る星のように散らばってるんだね、点って。私が常に抱いていた矢川澄子への恐怖心が、違うベクトルに進もうとしている。
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復刊される気配はないと思うので古書で購入。この2人の間にあった事は知識として知っていたので特に驚きはしなかった。澁澤を「ネオテニー」と評したのは種村季弘だが、この本を読んで「永遠の少女」矢川澄子には「フラジャイル・ネオテニー」という言葉が浮かんだ。
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結局、なにがいいたかったんだろうと思った。いいたいことはなんとなくわかるんだけど、でも、なにがいいたいのだろうと。最後のエッセイの中に含まれる中絶のことが、いちばんいいたかったことではないと思うのだけれど、最後に持ってこられているし、このような目にあった同性の方の一助になれば的なあとがきもあるし、そこのインパクトが全体の中で浮き上がってしまっている。たぶん、中絶の苦しみや女性としての屈辱だけではなくて、自分と少年の間にはこういうことがあって、それは夢のようにすばらしいものでもあって、でも、そこにとどまり続けることはできなかった。キツイ表現でいうなれば、少年と少女の幸せな生活は、複数回の人工妊娠中絶や少女が少年の母の役割を兼ねることによって成立していて、少女はイタミに耐え切れず長くは続きませんでした。そして、いまも傷は甘く切なく痛々しく癒えておりません。ということかしら。幸福と不幸を同時に味わったってことかな。もちろん、さまざまな芸術・文化・文学エッセイとして、澁澤作品の背景として読む価値アリ。
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最期の澁澤龍彦に会うところなんかほんとうにいやな女のひとだな、と思う よい思い出としての素敵なことはあるけどそれだけは感じるといっておきたい この人の中でも澁澤竜彦の中でも出会って付き合っていたことはある大きな出来事だったのは間違いない、自慢はされないけどそこがにくらしい つきあいはじめのころに対しては共感とか理解の入り込む余地があるけど別れるのはいくら説明してもされても二人の間の空気感とか時間とかが再現しにくいし伝わりにくい その後はなおさら わたしたちにしかわからないこともあるのは仕方のないことだけれどどうにも許せない そこまで含めて二人の関係をやわらかく笑うことはできない 本気の や き も ち ! あとは、澁澤龍彦について思い返すこと、これをしてたころこうだったとかペンネームの変遷とかあとたまのはなしとか 死後の人を語るというところでは龍子や妹の話なんかもすごく家族ということをかんじさせるけど、これはなんというかおにいちゃんと呼んでいるのに家族というよりもっと押しあい受け入れあう若い気持ちでつながっていたのだなあと感じさせて、あこがれのあの先輩と付き合っているあのこがにくい だけど澁澤龍彦のいいところ、かわいいところもかかれていたり、ちゃんとこれはひとむかし、という風になっていたり、心の中の言葉を頭の中から出していてかつ心とよりそっている言葉の感じがすごく繋がっていてまるで夢にいるみたいに、感傷的なところがすごくよくて、夢みたいにかわいい二人の写真とかを思い出して心がきゅっとする