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本 ・本 / ISBN・EAN: 9784480814586
感想・レビュー・書評
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この本に出てくる農家のアライさん夫婦の話が好きだ。泰然自若としていて、おごることなく自然と向き合い暮らしている。どんな時も慌てず、騒がず「そうだノウ」とのんびり構えている。
ミツバチを飼っているフルヤさんはキリストと同じ顔と体をしている。神様みたいに静かな人で、大切なはちみつを佐野さんにタダでくれた。栗の花と野の花のはちみつ・・舐めたらうっとりするほど美味しかったと言う。水あめを混ぜた市販品を食べている全国の人たちに向かって「あっははは」と笑いたくなるほど、それは素晴らしかったそうだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
佐野洋子さんは無邪気だなあと思う。いい歳をして、子供だなあと思う。そこがめちゃくちゃ羨ましい。
★人間ってすごい丈夫だよねェ、六十年も動きつづける機械はないよ。毎日使っているんだよ。内臓なんて寝てても一秒も休まず働いているよ。時々手入れなんかすると百年も動きつづけるよ。百年も走る車ないよねェ。
★人間は少しも利口になどならないのだ。そしてうすうす気が付き始めていた。利口な奴は生れた時から利口なのだ。馬鹿は生れつき馬鹿で、年をとって馬鹿が治るわけではないのだ。馬鹿は、利口な奴が経験しない馬鹿を限りなく重ねてゆくのだ。そして思ったものだ。馬鹿を生きる方が面白いかも知れぬなどと。
★いつ死ぬかわからぬが、今は生きている。生きているうちは、生きてゆくより外はない。生きるって何だ。そうだ、明日アライさんちに行って、でっかい蕗の根を分けてもらいに行くことだ。それで来年でっかい蕗が芽を出すか出さないか心配することだ。そして、ちょっとでかい蕗のトウが出て来たらよろこぶことだ。いつ死んでもいい。でも今日でなくてもいいと思って生きるのかなあ。この日本で。
★男ってみんなガキなのだ。鈴木宗男を見ているとガキの顔してやってるなあと思う。男が一心不乱になるとみんなガキになる。ワールドカップの男たちが、ちんこいボール一つに文字通り生命をかけて必死の形相でかけ回る。ガキの美しい形相に感動する。昔子供の草野球でも男の子はあんな形相をしていた。ガキの情熱がこの世を作って来たのだ。エジソンもピカソもガキの顔付きで自らに没頭して来たのだろう。小市民もガキの情熱で、つつましく生きているのだ。
★大衆芸能というものは、大衆が望むから生れるものだろうし、もう大衆は浪曲を必要としなくなったのだろう。しかし私達は、吉本のタレントのバカ話を本当に望んでいるのだろうか。テレビは悪いなあ、どんどん人心を荒廃させていく。誰も人の道など説かない。説く奴はうさんくさい。時代と共に滅んでいったものが戻って来ることは決してない。失ったものの代わりに、私達は豊かな物質生活を手に入れただけなのだろうか。
★アライさんはひどく記憶力のいい人で、私は「アライさんは学者になれるね」と時々思う。そのアライさんが「俺は、同じ話を同じ人にしないようにしている」と云うのでますます感心したが、「俺は、同じ話を同じ人にしないようにしている」と少なくとも三回は私に云った。そして子供の時十円を盗んで山の木にしばりつけられたという話を、私は何度も聞いている。そのたびに面白いのだが、あのアライさんでさえもの忘れが多少はあるのだ。ああ、他人がもの忘れをするとどうして私はこんなに嬉しいのだろう。
★私が超美人だったら、きっとひどい嫌な人間になっていたにちがいない。私はブス故にひがみっぽい人格になっている事を忘れて、力弱く我が身をはげまして一生が過ぎようとしている。そして、しわ、たるみ、しみなどが花咲いた老人になって、すごく気が楽になった。もうどうでもええや、今から男をたぶらかしたりする戦場に出てゆくわけでもない。世の中をはたから見るだけって、何と幸せで心安らかであることか。老年とは神が与え給う平安なのだ。あらゆる意味で現役ではないなあと思うのは、淋しいだけではない。ふくふくと嬉しい事でもあるのだ。
★日本中死ぬまで現役、現役とマスゲームをやっている様な気がする。いきいき老後とか、はつらつ熟年とか印刷されているもの見ると私はむかつくんじゃ。こんな年になってさえ、何で、競走ラインに参加せにゃならん。わしら疲れているのよ。いや疲れている老人と、疲れを知らぬ老人に分けられているのだろうか。疲れている人は堂々と疲れたい。
★私は深くしみじみ腹のもっと下の方から幸せだなあ、こんな幸せ生れてはじめてだなあ、今日死ななくてもいいなあ、と思うのだった。意味なく生きても人は幸せなのだ、ありがたい事だ、ありがたい事だと、ヘラヘラ笑えて来た。 -
著者63歳~65歳くらいまでのエッセイ。
初老の不機嫌な心境(決して暗く描かれてはいない)が太いタッチで描かれている。
大変面白くて一気に読んでしまった。
また同じ著者の本を読みたい。 -
絵本「百万回生きた猫」の作者。面白いな〜。いいな〜。直接的で、はっきりしていて、さばっとしている。いいエッセーを読みました。
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田舎暮らしのサノさん。近所の人との交流、日々の雑感、旨い物。曰く「日々飯を食い、糞をたれ、眠った」。市川悦子の言葉を思い出した。というより同じことを言っている。強いお人だ。
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読みやすかった。
ふるさとについての記述にぐっときた。ひとはみな、1人。でも、根無し
草ではやっていけないのだ。土台みたいなものを求め、大切にしながら生きることで、強くもなれるのだ。
人とのつながりを大切に育みながら、今日を噛み締め、身の丈で生きていくということ。
頑張ろう。 -
ぐじゅぐじゅしてなく、小気味いい、男っぽい
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ときどきクスっと笑える、でもめちゃめちゃ興味がある感じではなかったです^^;
アタシは60歳になってもオンナであり続けたい 笑 -
なんて風通しのいい方だったのだろうと思う。裏表どころか前も後ろも横もなく、全方位ただ佐野洋子そのものであるというような。当時60代の著者、もう人生降りて死に向かって緩やかに下降していきたいと書きつつ(そして心底思っていたのであろうことはわかる)それでも花や山や人に心を寄せながら西軽井沢で過ごす日々が描かれている。山荘というシチュエーションもあるかもしれないけれど、佐野さんと武田百合子さんにどこか似通った部分を見る。媚びないウソ言わない感じたままを口にする、というあたり。
長嶋有さんが登場してちょっとびっくり。そういえば表紙、佐野さんだったなぁと思い出した。
飼い猫の死について書いた一編が心に残る。
著者プロフィール
佐野洋子の作品





