橋本治と内田樹

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 259
レビュー : 29
  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480814982

感想・レビュー・書評

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  • 会社の人にお借りした本。私は橋本さんの本は二冊しか読んだことないが、「何が専門かわからん胡散臭い人」ってイメージがあって、概ね間違ってはなかったと(笑)。対談なのでもたつく箇所もあるが、所々すごい回転のかかることがあって、面白い。終盤の、「アメリカには土地神がいなくて気の毒」とか「一神教と多神教は二項対立ではない」とかのあたりは特に面白かった。
    橋本さんて、「オレはインテリとかじゃねえし…」て態度なのに、言動はインテリ以外の何者でもない人ですね。

  •  文化祭の古本市で200円だったため購入。

     ははは。内田さんって、相手の話をうまく汲み取って話を広げていくのがすごいうまいイメージだけど、


     この人に関してはすごい苦戦してる感じと言うか、ちょっとうまくかみ合ってないというか、っていうか橋本さんが言ったそばから180度違うことを言い出したりして大変だったろうなぁなんて思いながら読んでた。


     なるほどなーと思うところもしばしばありましたが、

     ちょっと笑っちゃったのが

     「ひと昔前は、拒食症とか、摂食障害になる人というのは、ちょっと美人だった。」という件。

     ちょっと美人が、「もう少し頑張れば」という落とし穴にはまってしまうのが、その病気だったのに、ダイエットという観念が一般化してしまったがために、

     「あなたは美人ではないのだから、『もうちょっと』で頑張ってもしょうがないのに、なぜ摂食障害になりました?」という種類の人が増えてきてしまった。

     らしい。


      自分を着飾り、自分をうまく演出し、「個性個性」と言いながら、外見表面表層を取り繕うだけで中身が空っぽの若者(私を含む)の、恐るべき自己愛というか、妄想に気づかされる気がしました。


     パブリックであるために、私はどのように自分をわきまえていったらいいのかな、なんて思う。

  • 買っていたのだが、なかなか読めていなかった一冊。なにしろ、東大入学が69年か、70年か、から始まるので「私はお呼びではない」感じがしていたのだ。

    だけど、小林秀雄に「呼ばれて」そこから偶然「小林秀雄の恵み」を発見して、これも読まなきゃ、と引っ張り出した。

    基本的には、内田先生が橋本治のへんてこさをひき出していく、というインタビューであり、対談ではない。文体についてこれでもか、と面白い話が満載である。この後、4万円以上かけて橋本本を注文してしまった、、、、源氏と平家だけですごい量なんだもん。

  • 橋本治。この天然記念物。

  • 橋本:「不幸でしかない」っていう事実を凝視して抱え込まない限り、「不幸はいやだ、不幸じゃない方向に行きたい」っていういちばん根本のモチベーションていうのは、うまれないんじゃないかと思うんですけどね。
    内田:不幸だとは思ってないんじゃないかな。
    橋本:そう。
    内田:これが普通だと思ってるんですよね。
    -『#2 うっかりするとね、「美しい」の上に「とても幸福だ」があるんですよ。それはあえてやってる。』

    人と人との間に生じる面倒くさいシガラミの不毛さに疲れてくると読みたくなるのが内田樹の書いたものなのだけれど、それは内田樹の振るう快刀のズバっズバっという慣性が知らずに沁みこんできて、まあそういうことで一丁やったるか、という気分になるからなのである(今も若干そういう気分なのだけれど)。一方で、橋本治の書くもの(といっても、それは橋本治の書くもののごく一部)を読むのも結構好きで、時々思い出したように手に取るのだけれど、その読書の効果は正反対に働く。橋本治の説明を聞いていると、うーん世の中なんて込み入っていて、知らないことばかりなんだ、としばらくは何も能動的に動き出せない気分になるのである。その二人が対談しているのであるから、もう読む前から脳がぐちゃぐちゃになるのは解りきっている。

    二人に共通するのは、東大文学部と喫煙家、ということの他に、取り敢えず自分が何を考えているか書き出して、それからみてみましょう、というところだと思う。頭の中に浮かぶ言葉なんて高が知れているから手を動かしてみないとね、ということなのだけれど、このことを最初に教わったのは橋本治だった。「脳」と「身体」が一緒くたになるようなことがあるっていうのは、一度、養老先生に直接聞く機会があったことがあるのだけど、脳の機能マップとしても「手」は思考を司る脳の部位に近いから、というのを聞いたことがある。つまりは、この二人の「わたしの身体は頭がいい」のだ。

    とにかく、他人のことなら簡単に解っちゃうので、それはこうですよああですよ、と外向きにエネルギーが向いている内田樹が、自分のこと以外はよく解らないからと言いながら、自分はそれはこう考えるけどまああなたがどう思うかは知りません、という内向きに(というのは言葉の綾で本当はそうじゃないと思うけど)エネルギーが向かっていく橋本治の対談であるのだから、それもこんなにたっぷりと頁があるのだから、とても面白い。でも案の定、頭はグルグルになる。

    それは内田樹がいつもの快刀乱麻で、橋本治はこうである(この対談は主に内田樹が橋本治を根掘り葉掘り探るという対談です)と、ズバっときって見せると、橋本治が忍法移し身の術でもって「へーん、俺はそこには居ないもんねー」と、次々と攻撃を交わしつつ議論を深い方へ引っ張って行ってしまうからである。普通の人なら「そんなに天邪鬼なら、もう知らん」となってしまいそうなものだけれど、そこは内田樹なので、かつ内田樹は橋本治が大好きなので、「ならばこれでどうだっ」とまたまた大きな網で橋本治を捕らえようとする。そこがとてもエキサイティング。

    二人のアプローチは一見すると随分と異なるようだけれど、対談を読んでいる限り実は同じ舞台に立っていてその思考の到達点はとても近いように思う。物事はじっくりじたばた付き合わないと本当のところは解らないよ、と、この二人にはいつも教えてもらっているような気がする。でもそれって本当体力の要ることだよね。

    ところで、自分たちの世代の不幸って本当の不幸を知らないことだっていう意識がずうっとあったのだけど、更に下の世代の不幸って不幸を感じ取れなくなっていることなんだね。納得です。

  • 「……」まで書き起こしている対談なんて初めて見かけた気がする。
    知的なお二人。大学教授の内田さん、作家の橋本さんと、共通項はあっても全く違って面白い。

    印象的だったもの
    ・太宰治『桜桃』の訳について(日本語の表現)
    ・子供のころ幸せだったということ

  • 多弁の内田樹さんが、珍しく聞き役に徹して、橋本治さんを必要以上にヨイショしながら、色々な話を引き出している。

  • 教養があればサブカルチャーもハイカルチャーも豊かに享受できる。
    ナチスドイツの一番の被害者は教育を受けられなかった子供たち。

  • 表題の通りの対談集。

    自分にはあまり伝わってこなかった。

  •  書名のとおり、橋本治と内田樹の対談本。

     読んでいて、いつもの内田氏らしくないという印象を受けました。内田氏は、どちらかというと対談相手に合わせつつ話を展開されるのが上手い印象があるのですが、今回はちょっと調子が出てない感じでした。

     推測するに、内田氏が橋本氏の大ファンということで、橋本氏に少し"居着いて"しまってたんじゃないでしょうか。橋本治という稀代の変わり者を前にして、何度も想定(話の流れ)を外されていました。
     ただ、内田氏も、養老孟司さんとのトークであれば「暴走老人を必死でなだめるおばさん」役に徹し(?)、ハチャメチャアリで楽しく対談を回されます。
     が、今回はあこがれの橋本治と中身の濃い対談にしよう、という気負いみたいなものがどこかにあったんじゃないでしょうか。読み進めながら何となくそう感じました。
     この点、橋本氏の方はフリーダムです。本文中でも後書きでも「こんなの本になるのかな?」という疑問を呈されていましたが、さりとて本になるように気遣う様子もなく、本当に自由に話されています。

     読んだ印象ばかりを書いてしまいましたが、内容としては随所に興味深い指摘があり、面白かったです。
     特に覚えているのが、「共同体には呼ばれないと参加できない」というくだりで、共同体のドアはこじ開けようとしても入れなくて、中から「お入り」と招いてくれる、その承認のプロセスを現代の人は理解できなくなっている、というものです。
     これは確かにそうで、共同体(といって大胆ならあるグループ)に呼ばれる人って、その内部の空気を察し、雰囲気を壊さないようにする気遣いができる人です。逆にこれが出来ない人は共同体に呼ばれませんし、何かの間違いで共同体内部に入ってくると見事に場がぶち壊されます。
     私の体験でも、サークルに仲間面して入ってきたときからでかい顔をしていた人がいましたが、その人は遂に仲間たり得ないまま去って行きました。喩えて言えば、適温の風呂に入っているところに、いきなり湯の温度も見ずに水をザバーッと入れ、ぬるま湯にしてしまうような感じです。
     空気を読む、ということに関しては昨今否定的な局面で登場する概念になりがちですが、そのせいで逆に空気を読むべき大事な場面で空気を読んだり察したりすることがなおざりにされているように思います。

     もう一つ、ドキッとしたのが橋本氏の以下の発言。

    《ちゃんとした紹介が最大の批評だと思ってるんです。いまは紹介の仕方が下手。私はこう読みましたというのが紹介になっているけれども、それじゃ感想文じゃん。帯に書いてあることを、ちょっと転載してみたり。「これはこういう本だから読むべきです」というのが、ちゃんとした紹介文なんです。紹介文が書けなくなっているんですよね。紹介文でさえ、感想文になってしまっているということが最大の問題だと思う。》

     これを読んで襟を正しました。とはいえ、ちゃんとした紹介ってのは、これはこれでなかなかに難しいですが、以降は精進しようと思います(汗)。

     とりとめもない対談のようで、だけど読み終わると橋本治という人のことが全体的によくわかる、そんな本でした。

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著者プロフィール

1948年、東京生まれ。イラストレイターを経て、77年小説『桃尻娘』を発表。『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で小林秀雄賞、『蝶のゆくえ』で柴田錬三郎賞を受賞。著書多数。

「2018年 『おいぼれハムレット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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