橋本治と内田樹

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 274
レビュー : 31
  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480814982

感想・レビュー・書評

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  • 会社の人にお借りした本。私は橋本さんの本は二冊しか読んだことないが、「何が専門かわからん胡散臭い人」ってイメージがあって、概ね間違ってはなかったと(笑)。対談なのでもたつく箇所もあるが、所々すごい回転のかかることがあって、面白い。終盤の、「アメリカには土地神がいなくて気の毒」とか「一神教と多神教は二項対立ではない」とかのあたりは特に面白かった。
    橋本さんて、「オレはインテリとかじゃねえし…」て態度なのに、言動はインテリ以外の何者でもない人ですね。

  •  文化祭の古本市で200円だったため購入。

     ははは。内田さんって、相手の話をうまく汲み取って話を広げていくのがすごいうまいイメージだけど、


     この人に関してはすごい苦戦してる感じと言うか、ちょっとうまくかみ合ってないというか、っていうか橋本さんが言ったそばから180度違うことを言い出したりして大変だったろうなぁなんて思いながら読んでた。


     なるほどなーと思うところもしばしばありましたが、

     ちょっと笑っちゃったのが

     「ひと昔前は、拒食症とか、摂食障害になる人というのは、ちょっと美人だった。」という件。

     ちょっと美人が、「もう少し頑張れば」という落とし穴にはまってしまうのが、その病気だったのに、ダイエットという観念が一般化してしまったがために、

     「あなたは美人ではないのだから、『もうちょっと』で頑張ってもしょうがないのに、なぜ摂食障害になりました?」という種類の人が増えてきてしまった。

     らしい。


      自分を着飾り、自分をうまく演出し、「個性個性」と言いながら、外見表面表層を取り繕うだけで中身が空っぽの若者(私を含む)の、恐るべき自己愛というか、妄想に気づかされる気がしました。


     パブリックであるために、私はどのように自分をわきまえていったらいいのかな、なんて思う。

  • 買っていたのだが、なかなか読めていなかった一冊。なにしろ、東大入学が69年か、70年か、から始まるので「私はお呼びではない」感じがしていたのだ。

    だけど、小林秀雄に「呼ばれて」そこから偶然「小林秀雄の恵み」を発見して、これも読まなきゃ、と引っ張り出した。

    基本的には、内田先生が橋本治のへんてこさをひき出していく、というインタビューであり、対談ではない。文体についてこれでもか、と面白い話が満載である。この後、4万円以上かけて橋本本を注文してしまった、、、、源氏と平家だけですごい量なんだもん。

  • 橋本治。この天然記念物。

  • 橋本:「不幸でしかない」っていう事実を凝視して抱え込まない限り、「不幸はいやだ、不幸じゃない方向に行きたい」っていういちばん根本のモチベーションていうのは、うまれないんじゃないかと思うんですけどね。
    内田:不幸だとは思ってないんじゃないかな。
    橋本:そう。
    内田:これが普通だと思ってるんですよね。
    -『#2 うっかりするとね、「美しい」の上に「とても幸福だ」があるんですよ。それはあえてやってる。』

    人と人との間に生じる面倒くさいシガラミの不毛さに疲れてくると読みたくなるのが内田樹の書いたものなのだけれど、それは内田樹の振るう快刀のズバっズバっという慣性が知らずに沁みこんできて、まあそういうことで一丁やったるか、という気分になるからなのである(今も若干そういう気分なのだけれど)。一方で、橋本治の書くもの(といっても、それは橋本治の書くもののごく一部)を読むのも結構好きで、時々思い出したように手に取るのだけれど、その読書の効果は正反対に働く。橋本治の説明を聞いていると、うーん世の中なんて込み入っていて、知らないことばかりなんだ、としばらくは何も能動的に動き出せない気分になるのである。その二人が対談しているのであるから、もう読む前から脳がぐちゃぐちゃになるのは解りきっている。

    二人に共通するのは、東大文学部と喫煙家、ということの他に、取り敢えず自分が何を考えているか書き出して、それからみてみましょう、というところだと思う。頭の中に浮かぶ言葉なんて高が知れているから手を動かしてみないとね、ということなのだけれど、このことを最初に教わったのは橋本治だった。「脳」と「身体」が一緒くたになるようなことがあるっていうのは、一度、養老先生に直接聞く機会があったことがあるのだけど、脳の機能マップとしても「手」は思考を司る脳の部位に近いから、というのを聞いたことがある。つまりは、この二人の「わたしの身体は頭がいい」のだ。

    とにかく、他人のことなら簡単に解っちゃうので、それはこうですよああですよ、と外向きにエネルギーが向いている内田樹が、自分のこと以外はよく解らないからと言いながら、自分はそれはこう考えるけどまああなたがどう思うかは知りません、という内向きに(というのは言葉の綾で本当はそうじゃないと思うけど)エネルギーが向かっていく橋本治の対談であるのだから、それもこんなにたっぷりと頁があるのだから、とても面白い。でも案の定、頭はグルグルになる。

    それは内田樹がいつもの快刀乱麻で、橋本治はこうである(この対談は主に内田樹が橋本治を根掘り葉掘り探るという対談です)と、ズバっときって見せると、橋本治が忍法移し身の術でもって「へーん、俺はそこには居ないもんねー」と、次々と攻撃を交わしつつ議論を深い方へ引っ張って行ってしまうからである。普通の人なら「そんなに天邪鬼なら、もう知らん」となってしまいそうなものだけれど、そこは内田樹なので、かつ内田樹は橋本治が大好きなので、「ならばこれでどうだっ」とまたまた大きな網で橋本治を捕らえようとする。そこがとてもエキサイティング。

    二人のアプローチは一見すると随分と異なるようだけれど、対談を読んでいる限り実は同じ舞台に立っていてその思考の到達点はとても近いように思う。物事はじっくりじたばた付き合わないと本当のところは解らないよ、と、この二人にはいつも教えてもらっているような気がする。でもそれって本当体力の要ることだよね。

    ところで、自分たちの世代の不幸って本当の不幸を知らないことだっていう意識がずうっとあったのだけど、更に下の世代の不幸って不幸を感じ取れなくなっていることなんだね。納得です。

  • 何かテーマについて二人の賢人が語り合うというのではなくて、内田樹によって炙り出される橋本治という体裁。

    だから橋本治信者以外には橋本治自らが後書きで書いているように「どーでもいい」内容ではある。

    少なくとも、実用的には出来ていない。

    が、貧乏性なため実用になるかと思う言葉を抜書き。

    <blockquote style="background-color:silver; padding:0.5em;">内田;言葉が先に出てきちゃって、その言葉に引っ張られて、そのあとに心理が動き出すというようなことって、実際には多いんですよね。何ていうのかな、人間て、あまりものを考えてないんですよ。ボタンを押すとぽんと言葉が出てくる。</blockquote>
    橋本治の「身体で考える」というのを内田樹が言うとこうなるのだろうか。
    理屈から行動に出るタイプと行動に理屈が着いていくタイプ。
    二通りのタイプがいるが変化に富んだ時勢で有利なのは後者のタイプだろう。

    <blockquote style="background-color:silver; padding:0.5em;">橋本;なんか、勉強をすれば感覚って身につくって、うっかり錯覚してるじゃないですか。絶対嘘ですよね。感覚って勉強する前に身についてるもんですよ。</blockquote>
    感覚的なモノに関して勉強するということに意味があるとすれば、それは感覚を定着化させるというよりも客観的にサンプリングするということにあるのではないか。
    サンプリング化されれば感覚を共有していない人にも説明が出来る。
    逆にいえば形にする感覚がなければ、それを入れる箱を用意しても無駄になってしまう。

    <blockquote style="background-color:silver; padding:0.5em;">内田;世の中というのは、向こうから「おいで、おいで」って言ってこなきゃ入れないもんなんだから。誰かがどこかで「おいでおいで」してるから、それを探しなよ。</blockquote>
    たしかに何か重要な局面に於いて、傍から見れば自らの意思決定に基づいてはいても、主観的には流れに沿っているだけに感じることが多々ある。
    これが「おいで、おいで」されているってことなのだろう。

    <blockquote style="background-color:silver; padding:0.5em;">内田;日本の読書人の数は、最大二万五千人ということですかね。</blockquote>
    どの分野でもおよそ感覚をともなう分野であれば、この2万人〜3万人という数字がひとつの壁なのではないか?


    <blockquote style="background-color:silver; padding:0.5em;">橋本;遠いところにあると、参考にしないと自分のものにならないというのがあるじゃないですか。でも、遠くではなくて自分が専有できちゃうと、もう所有しちゃっているから、その所有した自分がすでに何者かであるから資格を持ってどこかのステージにあがらなきゃいけないんです。</blockquote>
    例えばレコード→CD→MP3ときて音楽はどんどんと個人で所有しやすくなった。
    ある個人が所有し専有してしまえば「あぁ、これはこういうもんなんだ」とその個人の中で完結してしまう。
    共有されれば「これは何だ?」という喧々諤々が生まれる。
    それによって、個人ならびに個人の集まりである集団の殻を超えた物が生まれうる。

  • 「……」まで書き起こしている対談なんて初めて見かけた気がする。
    知的なお二人。大学教授の内田さん、作家の橋本さんと、共通項はあっても全く違って面白い。

    印象的だったもの
    ・太宰治『桜桃』の訳について(日本語の表現)
    ・子供のころ幸せだったということ

  • 多弁の内田樹さんが、珍しく聞き役に徹して、橋本治さんを必要以上にヨイショしながら、色々な話を引き出している。

  • 教養があればサブカルチャーもハイカルチャーも豊かに享受できる。
    ナチスドイツの一番の被害者は教育を受けられなかった子供たち。

  • 表題の通りの対談集。

    自分にはあまり伝わってこなかった。

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著者プロフィール

橋本治
1948年3月25日 - 2019年1月29日
東京生まれの作家。東京大学文学部国文学科卒業。イラストレーターを経て、1977年に小説『桃尻娘』を発表、以後文筆業を中心とする。同作は第29回小説現代新人賞佳作となり、映画・ドラマ化もされた。1996年『宗教なんかこわくない!』にて第9回新潮学芸賞、2002年『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』にて第1回小林秀雄賞、2005年『蝶のゆくえ』にて第18回柴田錬三郎賞、2008年『双調 平家物語』にて第62回毎日出版文化賞、2018年『草薙の剣』で第71回野間文芸賞をそれぞれ受賞。
編み物にも通じており、1989年『男の編み物(ニット)、橋本治の手トリ足トリ』を刊行。自身の編んだセーターを着てCMに出演したこともあり、オールラウンドに活躍を続けた。

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