- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480815019
感想・レビュー・書評
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2009.05.01
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「日本語で書くということ」と同時出版された水村氏のエッセイ集。こちらのほうが、どちらかというと「軽め」のエッセイが中心。だけど、ある意味、ちゃんとしたエッセイより、水村氏のスタンスがより直接的に伝わる気がした。
実に面白い。特に、自作解説の部分は、実にスリリングであった。
もちろん、水村氏の小説を読んだ事がない人でも十分楽しめるエッセイが多数おさめられている。
あとがきで、「日本語が亡びるとき」が実は、この本の巻頭エッセイとして書き始められた経緯が書かれてあって、面白かった。
巻頭エッセイが独立した本になった結果、残ったエッセイ集も2分冊になったとのこと。この3冊を並べると、緑黄赤と信号機みたいになる。 -
素晴らしい本だった。でも、この評価は、やや偏りがあるかもしれない。というのは、著者も私も、国外の生活が20年ほどで、日本をこよなく愛する日本人だという共通点があるからだ。
前半は、12歳からアメリカで暮らした著者が、狂おしいほどの情熱を傾けて読んだ数々の本の書評である。昭和初期から戦後にかけての日本内外の名作が中心である。読書にのめりこんだ著者は、日本語にものすごいこだわりを抱いて生きることになる。
文章は米原真里さんのようだが、米原さんのほうが柔らかく、水村さんは学術的である。どちらも帰国子女だからこそ、美しい日本語に並々ならぬ執着がある。
後半は、自分が小説家になり出版した著作の紹介や成り立ちなど、また美しいが消えゆく日本語をどうやって守っていくか、そしてメンターとなる日本の作家などについて書かれてある。本書で紹介されている本が次々と読みたくなる。
海外に長く住み、私は日本語の能力が衰える一方だが、これだけの日本語が書ける著者には感服である。 -
まず、著者の書く文章が好きだ。
本書は、過去に発表したエッセイや評論を集めたもの。
「日本語で書くということ」というタイトルの本と対になっている。
著者に出会ったのは「日本語が滅びるとき」という本である。日本人である著者は、10代前半でアメリカに行き、英語圏で育ちながら、日本語で書くことを選択をした。
その著者の日本語に対する真摯な思いと、英語に対する葛藤がとても印象的だった。
それらの話も本書に少し出てくる。
そして、本書においては「数学の天才」というエッセイが印象深く、とてもよかった。
「自己というものが諸関係の総体でしかないということは現代の常識である(p96)」ということに著者の体験を通して改めて思い至った。
書き下ろしではないため、内容がだぶることもあるけれど、心を豊かにしてくれるような一冊であり、人にすすめたくなる本である。 -
水村氏があちこちに書いたエッセイを1冊にまとめたものです。
彼女が読んできた本の変遷の一端がわかり興味深かったです。 -
著者のエッセイ集。映画『寅さん』シリーズへの歓喜など、著者の意外な一面が垣間見れました。特に、『高台にある家』を上梓した母との複雑な葛藤は、作家ならではで、興味深かったです。
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水村美苗のエッセイ集。
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海外在住故に日本語と極限まで向かいあった著者のエッセイ集。
古き良き教養主義の終わりに対するオマージュなのか。 -
作者が長らく敬遠していた「寅さん」が、本人にとっての失われた日本の再現であるがゆえに歓喜した、というくだりに「なるほど…」と思った。そして、作者が「三丁目の夕日」シリーズを鑑賞したと仮定して、どのような感慨を持つのか知りたいなとも思った。
この本の後半は、自著を振り返る内容となっていて、その中に母親の書いた「高台にある家」も出てくる。この、作者が母親の文章に手を加えたという小説も大変面白いのだけど、その創作過程の裏話を知ることができたのは思わぬ収穫。 -
日本語で読み
日本語で考え
日本語を話している
その 当たり前は
本当に
当たり前なのだろうか
ページをめくった
その瞬間から
おもしろい