絶叫委員会

著者 :
  • 筑摩書房
3.87
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本棚登録 : 1616
レビュー : 305
  • Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480815095

作品紹介・あらすじ

町には、偶然生まれては消えてゆく無数の詩が溢れている。不合理でナンセンスで真剣で可笑しい、天使的な言葉たちについての考察。

感想・レビュー・書評

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  • もし、天使が本当にいるとするならば。

    かつて誰ひとりとして目にした事が無い、ので、
    その姿かたちは個人の想像いかんに任せるとして、
    何時、現れるのか?
    何の為に現れるのか?

    (いない、と言う否定はしません)

    私が(あっ、今のは天使じゃないかっ?!)
    と、垣間見る瞬間というのが、
    この本の主旨の

    『偶然生まれては消えてゆく、無数の天使的な言葉』である。
      

    「今、なんて言った…?」

    思わず、聞き返したくなるよな個性豊かな天使達。

    ここ(頭)では理解出来てはいるのに、
    感性があらぬ方向に揺さぶられてしまうので、つい取り逃がしてしまう。

    (あっという間に消えて、二度と出会う事はない)

    私は出会った事をほとんど忘れてしまっているが、
    穂村さんはよくぞここまでコレクションしたなぁ~と、感心する。

    強い思いが先立って、
    言葉を操れなくなった人の手をとるように、天使は現れる。
    だから、
    現れるのは一瞬。
    ほんの(一言)に姿を変え、
    あっという間に消えてゆく…。

    希少価値の高い天使のコレクションの様な言葉集。

  • 奥付の著者紹介には歌人とある。言葉へのこだわり、感性は常人を越えるのか?
    普段の何気ない会話の中にも、ちょっとした言い違い、勘違いがある。発せられた言葉に対する違和感、そんなところから本書は出来たのか?偶然か、必然か?予期せず、作った言葉ではなく、事実は小説より奇なり。場面描写もさることながら、記録として書きとめていた、その行為がすごいな。想像を越えて、言葉からイメージが生まれる。

  • 言葉への感度が天才的。誰かがちょっと変なことを言ったとして、普通なら勝手に脳内補完して素通りさせてしまうものを、立ち止まって反芻するのはさすが歌人。「。」をつけるかつけないか、「ガシャン」と「ダシャン」の印象の違いなど、、。とっても繊細な言葉の陰影を扱っているので、外界に惑わされない静かな場所で、一文字ずつ噛み締めながら読みたい。

  • 穂村さんが感じた印象的な言葉について書かれた本。
    流石、歌人・穂村さんだけあって、
    選ばれた言葉たちにもセンスを感じる。
    思わず笑ってしまうものから、
    自分では聞き流してしまいそうなものまで多種多様。
    読みながら、自分なら印象的な言葉って
    何を挙げるだろう?と考えたが、
    案外浮かばないもので。
    これから意識して日常の言葉を
    聴いてみようかなぁと思った。

  •  PR誌『ちくま』連載の単行本化。
     書名だけだと、どんな本だかさっぱりわからない。あえて一言で説明するなら、“穂村弘が一人で、エッセイ形式でやった『VOW(バウ)』”みたいな感じの本。

     「VOW」ってあるじゃないですか。『宝島』で長年つづいている(最近また本誌で連載が復活したらしい)読者投稿コーナー。街で見かけたヘンな看板とか、新聞・雑誌のヘンな誤植とか、さまざまな「ヘン」を紹介して笑うやつ。
     本書はあれを、ほむほむが出合った言葉をネタにしてやったような内容なのである。

     もちろん、優れた歌人でもあるほむほむのことだから、「VOW」より知的だし、笑いだけでなくもっと深みもある。

    《名言集的なものをやってみようという意図で始めたのですが、実際に書き進むうちに、名言というよりはもう少しナマモノ的な「偶然性による結果的ポエム」についての考察にシフトしていきました。》

     「あとがき」にそうあるように、「VOW」的なネタが多く詰め込まれていながら、それが風変わりな詩論にまで発展していく側面もある。その意味では、都築響一の『夜露死苦現代詩』にも近い。

     言葉の魔術師・ほむほむが言葉をテーマにした連作エッセイなのだから、まさに自家薬籠中のもので、つまらないわけがない。ほむほむの数あるエッセイ集の中でも、上質の部類だと思う。私は何度も声を出して笑った。

     笑った(そしてそのあとに「ううむ」と唸った)一節を3つほど引用する。

    《以前、「がんばってね」と書くべきところを「がんばってネ」としたために、恋人に振られた男がいる、ときいて震え上がった。「やっぱりおじさんなんだな、と思っちゃって」と振った当人は云っていた。微差だからこそ、そこに越えられない世代の壁を感じたのだろう。
     「がんばってネ」自体は優しい励ましの言葉なのに、振られてしまうなんて。怖ろしい。より親しみを込めるために半歩踏み込んだら、そこに地雷があったのだ。》

    《半年ほど前に散歩をしていたときのこと。一軒の家の前でこんな貼り紙を見つけた。

    「ここに糞をさせたら」

     させたら……、なんなんですか。
     なんとか云ってくれ。
     私は犬なんか飼っていないのに怖かった。》

    《広告代理店に勤める友人から聞いた話。或る打ち合わせの席上で、クライアントが理不尽なことを云い出した。彼らの意向に従って修正したプランを、前言を覆すかたちで否定されたのである。
     友人は我慢したが、隣にいた同僚は堪えかねて叫んでしまった。

    「でも、さっきそうおっしゃったじゃねえか!」

     懸命に踏みとどまろうとする敬語から、煌めく「ふざけんな」の世界に飛翔してしまう動きに感動。》

  • 地球上に無色透明な言葉は溢れている。ふわふわ漂っているのか、矢のように突き刺すのか。
    そこには、いつもなら見過ごし通り過ぎてしまうだけの言葉もある。何とはなしに今日は気になり、ん?と後ずさりして眺めてみる。
    可笑しい。
    なんだ、これは。
    思わず笑ってしまう、ナンセンスな言葉たち。
    意図的や、狙っていない偶然の賜物だからこそ、おもしろいのだ。穂村さんの文章に同調したり笑えたり。わたしにも経験あるある。
    どんな言葉たちが、溢れているのか気になるでしょう?
    この本の表紙に載っている言葉を見ていただければ、少し体験できるでしょう。

  • 穂村さんの鋭くも、どこかとぼけた視線がとても楽しい一冊。

    ふとした瞬間のリアリティや、半端だったり逆に過剰だったりするからこそ生々しい言葉たちを拾い上げ、考察する穂村さんの手腕がお見事。

    とはいえ、一つ一つがとても短いので、やや読み足りない感もある。
    というのも、実は私は「ちくま」の冊子にこの連載がされていた時にいくつか読み、「これはまとまったらすごい本になるぞ!」と興奮していた。が、こうやってひとつにまとまってみると、一回分の文章がとても短いことに驚いてしまったのだ。
    やはり、このような文章は、雑誌に連載されていた時に読むのがもっともその新鮮さや切れ味を味わえるものらしい。

    それと個人的なことでもう一つ……この本に取り上げられているキュリー夫人のエピソード。
    私はこの本を読んで、「あれ、これ私自身の記憶じゃなかったんだ!?」とびっくりした。私はこのエピソードがとても印象深く、てっきり自分で読んで覚えていた記憶だと思っていたのに、どうやら連載の時に読んで自分の記憶だと勘違いしていたらしいのだ(!)。

  • 短いエッセイがたくさん載っており、待ちで見かけた、もしくは過去に作者周辺で採集した生きた言葉について。普段ならスルーしてしまうような何気ない言葉を取り上げることによって、日常が活き活きとして見えてくる。何より著者のチョイスが面白い。電車の中の男子学生の会話が元も子もなくて良かった。特にTシャツ。

  • 最近面白い本に出会った。

    「絶叫委員会」という穂村弘さんという人が書いた本。穂村さんは、歌人だけれど、エッセイや評論なども書いている人。

    擬態語の面白さとか、街で見かける変なことばとか、いろいろ書いてある。彼の表現だと・・・
    「棒球の平凡さというか見慣れた感じに対して、ど真ん中の直球には目も覚めるようない媒性が必ず含まれている。・・・・言葉が単なる棒球ではなく、他者の心を貫くストレートになるためには、自己と世界の間に横たわる絶対的な亀裂を飛び越す必要がある。」

    例えて言うなら・・・「好きだ愛してる君を一生離さない」という棒球に対して、「愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない」という甲本ヒロトのリンダリンダのフレーズとか。
    昔あった駅の伝言板(緑色の黒板みたいな・・・緑なのになんで黒板っていうのか・・・とにかくあれ。)に、「先に行ってます。ユミ」「タクロー、大好き!さきっぺ」などと書いてある中に・・・

    「犬、特にシーズ犬」

    というのがあったそうだ。これなどは、書いてある内容にもつっこみたくなるばかりでなく、「犬」のあとに「、」があるけど、最後に「。」無しなところ、特にという強調、シーズー犬であってほしいのに「シーズ犬」であること。これがいかに真剣に書かれた言葉かということまで、真剣に(笑)書いている。

    この本には、トイレに最近よくみられる「いつもきれいにご利用いただきありがとうございます」についても書いてあった。きっと「小便こぼすな」→「一歩前へ」→「いつもきれいにご利用いただきありがとうございます」の一連の流れがあったと記憶するが、最後の言葉は何か一線を越えてしまってるが故に不意をつかれる、とか。

    一瞬どきっとするような世界を凍らせる言葉に、かつて宮沢りえと貴乃花が破局した際の、彼の記者会見での一言。

    「愛情がなくなりました」

    ・・・・。

    美容室で聞く「おかゆいところはございませんか」。私も、頭の部位の説明が面倒くさくてちゃんと答えられたことがない。本では、こう書いている。サービスを手厚くしたいのであれば、「小腹が減っていませんか?」
    「エロい気分じゃございませんか?」
    「アメリカン・パーティージョークはいかがですか?」
    「死んだお母さんに会いたくありませんか?」などと聞いてくれれば、「大丈夫です、今食べてきたので」「そういえば、ちょっとむらむらします」「日本昔話にしてください」「ママ!ママー!」って言えるのに、って(笑)

    アピールの距離感が微妙で逆効果の「テレビで紹介されました!」は酔っぱらったおじさんが電車で「いかに大きなお金を動かしてるか」と語るのと同じように逆効果だと思える・・あの感覚。瞬時に無用な緊張感を生み出す「何歳にみえる??」という言葉。

    人との行き違いや、モノを知らないことが時には楽しくなる時もある。

    電車の中での会話だそうだ。
    男「ウガンダが死んだらしいよ。」
    女「嘘!」
    男「ほんと。」
    女「全員?」
    男「全員?」
    女「・・・・・」
    男「・・・・・」
    女「もしかしてウガンダってひとりだったの?」
    男「え、ひとり、だよ。大きいけど」
    女「・・・・・」
    男「何だとおもってたの?」
    女「グループ」

    ・・・あるね、こういうこと。楽しいよね♪

    先日ナレーションの録音現場で、ちょっと高い声をだしてしまったので、ついうっかり「ぶりっ子でしたよね?」と言ってしまった。

    ・・・地雷だ。言ってる瞬間から言葉が終わる前の1秒の間に恥ずかしくなって、謝ってしまった。いまどき「ぶりっこ」はない。松田聖子世代しか使わない。いまならなんていうのか聞いてみたら、「ブリブリしすぎ」とか「ブリって・・」とかですかねえ・・・と20代が答えてくれた。
    そんな地雷もいくつか書いてある。

    敬語が不意に崩れたり、こんがらがったりしたときの面白さも。
    ある会社に勤めてる著者の友人が、打ち合わせをしていた時の話。席上でクライアントが理不尽なことを言い出したのだそうだ。彼らの意向に従ってわざわざ修正したプランを、覆されて否定され、その友人は我慢していたのだそうだが、隣にいた同僚が、耐えかねて叫んだらしい。

    「でも、さっきそうおっしゃったじゃねえか!」

    懸命に踏みとどまろうとする敬語から、煌めく「ふざけんな」の世界に飛翔してしまう動きに感動した著者。最初から最後まで、一人で読んでいても笑ってしまう。そう。電車で一人で読んではいけない類の本だ。

  • 絶叫したいくらい・・・意味がわからなかった・・・

    世の中、色んなさりげない会話がある中で「あれ?!」と思いながらも自然と使っていることば・・・

    そこがおかしいんじゃない?!
    でも、だからなに?!

    ん~頭の悪い私には「あっそ!」の世界の本でした・・・

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著者プロフィール

穂村弘(ほむら ひろし)
1962年、北海道生まれの歌人。1990年歌集『シンジケート』でデビュー。その後、短歌のみならず、評論、エッセイ、絵本、翻訳など幅広い分野で活躍中。2008年『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、『楽しい一日』で第44回短歌研究賞、2017年『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、2018年『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞をそれぞれ受賞。歌集に『ドライ ドライ アイス』、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、『ラインマーカーズ』。その他代表作に、『本当はちがうんだ日記』『絶叫委員会』『世界音痴』『整形前夜』『蚊がいる』『短歌ください』『野良猫を尊敬した日』など著書多数。

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