さいごの色街 飛田

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 876
レビュー : 159
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480818317

作品紹介・あらすじ

遊廓の名残りをとどめる、大阪・飛田。社会のあらゆる矛盾をのみ込む貪欲で多面的なこの街に、人はなぜ引き寄せられるのか!取材拒否の街に挑んだ12年、衝撃のノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 途中からもう無性に腹が立って腹が立って、読み終わった日の夜は、怒りのあまりよく眠れなかった。何にかというと、橋下大阪市長の厚顔に対してである。

    本書は大阪のアンタッチャブル、色街飛田を、果敢にも正面から取材した希有な一冊。「ちょんの間」と呼ばれるそのものズバリの売買春行為の場となる店は、公的には「料亭」ということで認可を得ていて、経営者たちの団体は「飛田新地料理組合」と名乗っている。著者は単身その組合の事務所に取材に赴くのだが、対応した組合長らは(著者一人に対して六人がずらっと並んだという)不愉快そうに「書いてもらわんでもいい」と取材を拒否する。その理由は「私らはイカンことしてるんやから。書かれては困るんや」。

    著者も「驚いた」と書いているが、組合自ら飛田の「料亭」で「イカンこと=売買春」が行われていることを認めているのだ。橋下氏は、この組合の顧問弁護士をしていた。「従軍慰安婦問題」に関して、外国人記者クラブでこのことを指摘されたとき、彼は「料亭なんだから何の問題もない」と言い放った。そのとき私は、まあグレーゾーンみたいな店が結構あるんだろうな、くらいにしか思わなかったのだ。まったく無知はどうしようもない。

    本書を読んで、その認識は全く違っていたことがわかって驚愕した。私は就職してから大阪に住むようになったので、大阪をよく知っているとは言えない。釜ヶ崎(愛隣地区)を中心とするあたりは「物騒なところ」で、天王寺界隈には足を踏み入れない方がいいところがある、という程度に思ってきた(最近新世界が観光客で大賑わい、なんて話を聞くと、ちょっと驚く)。飛田については、昔の遊郭地帯として名前を知っているだけ。それが、こんな現役バリバリの「色街」だったとは。

    著者もふとしたきっかけで飛田を訪れて、あまりに公然と売春が行われている様子に衝撃を受け、調べていく中で、飛田が「語られない、語ってはいけない街」であることに疑問を感じ、できる限りのことを知ろうとする。

    その「ライター魂」は本当に敬服に値する。十二年もの長期にわたって、何度も怖い目に遭いながら、粘り強く取材を続けた著者は、私よりちょっと年上の女性なのだ。「料亭」の経営者、店の女の子は言うに及ばず(どちらの取材も苦労の末)、飛田を縄張りとするヤクザにまで、常に正面からぶつかっている。すごい、としか言いようがない。

    あとがきでも書かれているが、話を聞いた人たちはみんな「平気で嘘をつく」。井上さんはその嘘の中の「心の真実」に寄り添い、中にはとても親しくなった人も出てくる。そうした心の交流もある中で、彼女が決してなくさないのは、女性を売春に追いやっていき、搾取するものへの怒りである。

    売春を「好きでやっている人もいる」とか「職業として選ぶ場合もある」とかいう言い方を最近よく聞くが、それが何かの言い訳になるのか? そもそも、いったいどれくらいの人が「好きでやってる」のだろう。この本でも書かれているように、多くの場合、売春する事情は昔と同じ、貧困である。ただ今は、単純な貧困だけではなく、ホストやブランドもののための借金で縛る「作られた貧困」が目につくようだ。

    どちらにせよ、無力・無知であることにつけこんで、人を食い物にしている構図に何の変わりもない。無力なものを利用して自分が利益を得るのは、誰が何と言おうと、この上なく卑しいことだ。「料亭」経営者らもそれがわかっているから、「おとなしく」商売し、儲けで郊外に家を建て、子どもは名門私学に通わせて、「飛田」を隠してきたんじゃないか。橋下氏は「弁護士時代は年収三億円だった」と自慢していたが、その一部は飛田の女の子たちの稼ぎを巻き上げたものだ。恥を知れ!と言いたい。

    「さいごの色街」というタイトルから、もっと軟派な「情緒たっぷり」という紹介のされ方かと誤解していた。早く読むべきだったと深く反省。

  • 遊廓の名残りをとどめる、大阪・飛田。社会のあらゆる矛盾をのみ込む貪欲で多面的なこの街に、人はなぜ引き寄せられるのか!取材と執筆に12年もの歳月をかけた筆者の執念を行間から感じ取る事の出来る一冊です。

    大阪・飛田。僕がこの街の存在をはじめて知ったのは好きな作家の黒岩重吾や梁石日の作品に頻出し、また彼ら自身もまた西成や飛田界隈のディープで猥雑な世界にどっぷりとその身を浸したことがあるということを知ったのがきっかけでした。その姿は個人が主催しているサイト「大阪DEEP案内」などでその断片を知ることができますが、さまざまな「事情」を抱えた人間が集まる西成・飛田界隈を写真撮影するのはさぞかし大変だろうなぁと、その努力に敬意を払いながらサイトに掲載されている写真を見ていたことを思い出します。

    本書は今なお当時そのままの遊郭が160軒ほどが在りし日の雰囲気で営業していると聞きております。そこで行われていることはあまり詳しくは書きませんが、あくまでも「自由恋愛」のひとつの形として男女の「営み」を店にいる女性と行う「擬似恋愛」の場所ということにとどめます。

    筆者は1955年生まれのフリーライターで、旅行ペンクラブという団体に所属し、インタビューやルポを中心に活動しているという経歴をお持ちの方でございます。本書を世に問うために12年もの長き間、まさに体当たりで組合や遊郭の経営者、実際にそこで春を鬻ぐ女性たちや『曳き子』と呼ばれる女性。果ては西成界隈の怖い「お兄さん」にいたるまで、丁寧な取材を基に描かれており、巻末に挙げられている資料を眺めていると、『よくもまぁここまで出来たなぁ』という筆者の執念を感じました。

    読み進めるうちに本書にも出てくる黒岩重吾氏の『飛田ホテル』や『西成海道ホテル』『西成山王ホテル』など以前読んだ彼の『西成モノ』と呼ばれる一連の作品群に出てきた人物や、その物語が次々と頭に浮かんでは消えました。詳細は割愛しますが、あの物語の舞台は黒岩氏が闇屋時代から西成界隈で息を潜めていた時代に見聞きした経験がモチーフになっているはずで、相当な年月がたっているはずですが、西成・釜ヶ崎地区のことを『時が止まった街』と称したことが事実であるがごとく、
    「私らはイカンことしてるんやから。書かれては困るんや」
    という「飛田新地料理組合」の組長の言葉に象徴されるように内々の『掟』を守り、広告も打たず、HPも立ち上げずにひっそりと営業を続けているというエピソードからもうかがえました。

    そして、流れ流れてここにたどり着く女性たちもそれぞれに『事情』を抱えていて、その中でも最たるものがやはり、『貧困の連鎖』『負の連鎖』で、後半のほうに出てくる筆者とブログを介して知り合った料亭の女将の
    「そりゃ、風俗という選択をしない人生を送るほうが、女性としては幸せなんだと思いますよ。でも、何らかの事情でやむを得ず風俗の世界に飛び込んだのやったら、(風俗の仕事を)ポジティブにとらえて、頑張って1円でもたくさん儲けるほうがいいに決まってますやんか」
    僕は似たような話を歌舞伎町界隈のことを書いた本の中で読んだことがある気がします。それは現在でも場所と形を変えてそういう問題が横たわっているという証左なのでしょう。

    個人的な考えで春を打ったり買ったりすると言うことの是非を云々するつもりはありません。ただ、飛田をはじめとする多くの『歓楽街』がその『魔力』ゆえに多くの人をひきつけるということもまた事実であり、このような遊郭や料亭が現在でも残っているというのも、ある意味では貴重なもので、そのありのままの姿を切り取っているという意味でも、またかけることとかけないことのぎりぎりを歩みつつ、『掟』の中で生きる人たちの生々しいまでの『息遣い』を記録したという意味で、本書は貴重であると僕は考えます。

  • これはヒドい本。
    ルポルタージュは取材対象に対して「敬意」を払うべきであるが、これにはまったくそれが感じられない。
    取材対象に遠慮をし、怖れ、表面的な話しか聞けてない。多分、もっと真摯な態度で取材対象と向き合うともっと違った話が聞けたのだろう。
    なんか、すっごくうすペラな本。
    読んでいてムカムカした。

  • 十数年もかけて取材してること、飛田を知ってる人は、詳しくはないが、うっすらとはみんな知ってたことに、「とうとう踏み込んだのか!」それも女性が!と思ってました。
    踏み込んでると言えば、踏み込んでるような、うっすら知ってること以上のものは出てきていないというか。なんていうのか、雑多多数ある資料をまとめたかんじです。それも、時々著者の意見も入っているので、なんだろう、後味悪い本。
    ノンフィクションを名乗るならば、理由は明かせないとか、怖くて入れないとか、取材するのに嘘をつくなど、驚くことばかりでした。さらに、最後には、物見ならば、飛田に行って欲しくないともありました。そんなの、本にして発売されることからして、予想できたことでもあると思うし、日々飛田で働いている人でもない著者が、言うことではない気がして、ホント後味悪かったです。

  • 私が飛田新地のことを知ったのは、つい最近だった。友人に会うために大阪に行く際、まち歩きが好きな私は大阪のまちを歩いてみようと思い立った。その時、ある人が言った。「大阪には行ってはいけない場所がある。そこには絶対に近寄らないと約束して」と。
    その場所というのが、JR大阪環状線のすぐ南に位置する西成区という場所。グーグルで検索をしてみると、出てくる出てくる。日雇労働者、やくざ、ドヤ、暴動、物騒な落書き、職業案内所に毎朝できる行列、怪しい物を売る露店。その街の隣には、歴史ある風俗街が堂々と残っているという。私は見つかる限りの情報を読み漁った。こんな「タブー」が身近な所にあったのだ。
    それは私の知的好奇心を異常なまでに興奮させた。「やめて」と言われると、さらにその世界を覗いてみたくなった。気になって仕方がなく、頭から離れなくなった。でも、本当に行ってみたらどうなるだろう。興味があるから、というだけの理由で歩くことができない場所であるということは感じとった。行きたいけれど行けない。私は悶々とした。
    それがだいぶ落ち着いた頃に、ネットでこの本の存在を知った。著者が女性だということに驚いた。私には見ることを許されないものをこの女性は見ていて、私が知ることができなかったものがこの本に書いてある。ハードカバーにも関わらず、鼓動を早め、鼻息を荒くしてレジに持っていった。買ったその日の夜から朝にかけて夢中になって読み切った。

    著者は飛田を肯定もせず、否定もしなかった。そのシステムをどうこう論じるのではなくて、外や中の人間ありきで進めていく姿勢に好感が持てた。内容としては、飛田に行く人の視点から入り、だんだんと飛田の中の人たちに視点が移る。そこから飛田の歴史、飛田をとりまく人々、最後はまた飛田の中の人の話で締める。だんだんと著者の取材がうまく、良い意味でずうずうしくなっていくのが面白い。
    そして、行動力がまたすごい。飛田を仕切る組合、元「料亭」のマスター、やくざの組長、警察、客の相手をする「おねえさん」、色々な方向からアプローチしている。この本を書くことという理由の根底に、純粋かつ強い「知りたい欲求」があったのだろうなあと感じた。飛田のまちに関わるごとに強まっていったのだろう。
    飛田には予想通り、「わけあり」が渦巻いている。口にしてはならないことが沢山ある。だから皆感情を押し殺して、割り切って淡々と仕事をしているのかと思いきや、そうでもないことにまた驚かされた。人情がある。とても特殊だけども。ちゃんと、「街」には「人間」がいる。当たり前のことのはずなのに、妙に感じ入ってしまった。

    「なお、本書を読んで、飛田に行ってみたいと思う読者がいたとしたら、『おやめください』と申し上げたい。客として、お金を落としに行くならいい。そうではなく、物見にならば、行ってほしくない。そこで生きざるを得ない人たちが、ある意味、一所懸命に暮らしている町だから、邪魔をしてはいけない。(あとがきから引用)」これは、ある意味邪魔をしまくった著者だから、言えることだ。だから私は飛田には行けない。女だから行けない。だからこそ、この本を読んでよかった。でも、★いくつかの評価はしかねる。いくつつければいいのか、分からないのだ。
    それにしても、久しぶりにエネルギーを消費する読書だった。

  • なんだか題名と表紙に騙されたみたい・・・
    昭和情緒のこるはんなりした・・・そうかん違いした私も悪いのですが、
    さいご、どころか現在進行形の風俗店街なんですね。

    体当たりルポルタージュってことで評価はいたしますが、
    なんだか後味は良くない。なぜかと言えば、ウソつきながら取材したってこと、あからさまに書いてあるし。

    井上さんももうこの街には関わらないって言ってることだからいいのですが、もう足踏み入れられないですよ、コレでは。

    女の子たちのこれからに幸あれと祈ります、ってコレじゃァ私も上から目線。スミマセン。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      井上理津子の本は、ちくま文庫の「大阪 下町酒場列伝」「はじまりは大阪にあり」を読みました。これも文庫になったら、、、と考えています。

      大阪...
      井上理津子の本は、ちくま文庫の「大阪 下町酒場列伝」「はじまりは大阪にあり」を読みました。これも文庫になったら、、、と考えています。

      大阪の九条と言うところに「シネ・ヌーヴォ」と言うミニシアターがあるのですが、10数年前に出来た時に、初めてその付近をウロチョロしたら、、、怪しげなお店が・・・後はご想像にお任せします。
      2012/06/11
  • この取材を続けた勇気と根気がまず、すごい。性や貧困は、ルポルタージュや学問の対象として興味深いテーマでありながら、扱うのがたいへん難しいからである。

    この本の内容からはちょっと離れるが、売春、人身売買、差別などがなぜ非難されるのか、問題のいちばん核心は何か、と考えたときに、「人間扱いしているかどうか」というのがひとつの基準だと思えた。自分の周りに一定の線を描いて、その「あちら側」の存在に対しては、かなり非情な仕打ちも平然と行える、そういう面が人間にはある(そして、非情な仕打ちを受けている側からみた「こちら側」もやはりその人から見た「あちら側」となっていて、自分とは違う世界の住人として映っている)。
    いわゆる人権問題では、このまなざしと各人の尊厳が矛盾するところに核心があるのであって、機械的に表面上の現象を見て取り締まることは本当はいささか的外れなのかもしれない。
    さらに、こういった問題では、各人の生育環境や教育の機会、経済状況等々が複雑に絡み合っているのが常であるから、やはり相当にプライヴェートな問題となり、公的扶助によって救うことも困難になるとも言える。

    とまれ、まずは自分が無意識に築いている「こちら側」と「あちら側」の境界線に自覚的になることからしか、歩み寄ることはできないだろうと思う。
    私たちはしばしば、「あちら側」の存在を蔑むと同時に怖れてもいる。怖れているから警戒し、防衛の手段として武装し、逆に相手を怖れさせる。互いにそうすることの連鎖が、さらに距離を拡げることにつながってはいないか。

    これは、男女間にもヒトと動物の関係にも、さらい言えば人と環境(自然)の関係にも敷衍できるように思う。

    • hs19501112さん
      とても興味深いレビューで。

      この本に興味が沸きました。
      今週末、図書館で・・・。
      とても興味深いレビューで。

      この本に興味が沸きました。
      今週末、図書館で・・・。
      2012/03/27
  • 「夜のとばりが降りた時刻、客引きのおばさんが手招きし、紫や赤の
    けばけばしい色の蛍光灯が、上がり框にちょこんと座った女性を照ら
    す店に、一人、また一人と吸い込まれて行く。私は、その光景を見な
    がら歩くうちに、頭がクラクラしてきた。さっき、近くの商店街の食堂で
    食べたきつねうどんの、やたら甘ったるかった出汁が、食道を伝って
    口の中に逆流してきそうな気分に襲われた。」

    引用が長くなった。本書の書き出し5行目からの文章なのだが、既に
    この作品に対して印象が悪かった。先入観と言われればそれまでなの
    だが、読み進むにつれ「これは飛んでもない作品に手をつけてしまった
    か」との思いが深くなった。

    今も昔も女性が春をひさぐ町。そういった町を女性が取材する難しさ
    は分かる。男性の書き手と違って、実際に商売の行われている場に
    潜入は出来ないのだから。

    それを差し引いたとしても本書の著者の取材姿勢には嫌悪感を覚える。
    著者が本書の冒頭で書いたような、吐き気を伴うような強烈な嫌悪感だ。

    書かなきゃよかったのにと思う。吐き気を催すほどの光景のある町を、
    何故、取材対象にしようとしたのかも分からない。こだわりもなく、愛情
    もなく、事前勉強(売春防止法やら、風営法やら)もせず、女性が座る
    店先を冷やかして歩き煙たがれる。

    私は差別主義者ではないのだけれど、素人の女性が足を踏み入れは
    いけない場所はあると思うんだ。それが本書で取り上げれている飛田
    を始めとした色町なのだと思う。

    東京の吉原や玉井を描いた男性の書き手による作品は何作か読んだ。
    そこにはノスタルジーがあり、体を売ることで生活の糧を得る女性に対し
    ての愛情が溢れていた。

    そういった一連の作品と比較して本書に著しく欠落しているのが、取材
    対象に向けられる愛情だと感じた。

    飛田に関係があると噂されるヤクザの事務所にはアポイントメントなし
    で突撃しているのに(一旦、取材拒否)、管轄する警察署にはライターで
    あることを隠して「飛田では売春が行われているのに、何故、取り締まら
    ないのか」と意見するってなんだろう。

    対応した警察官に問われて「一市民として知りたい」と言いつつ、後に
    は身分や目的を明かして取材しているのだが、飛田の「なか」では著
    者の取材に協力してくれた人もいるのに「売春している。取り締まれ」
    なんてよく言えたものだわ。裏切り行為じゃないんだろうか。

    結局は詳細な話は聞けてないんだよな。色町という場所だけあって、
    みな揃って口が堅い。話を聞けている部分もあるのだけれど、相手が
    話したいと思うことを話させているだけ。相手の起源を損ねるのを恐れ
    て「はい、はい。そうですね。飛田は情緒があっていいところですね」の
    ような太鼓持ちになっている。

    挙句、「あとがき」で「なお、本書を読んで、飛田に行ってみたいと思う
    読者がいたとしたら、「おやめください」と申し上げたい。客として、お金
    を落としに行くのならいい。そうでなく、物見にならば、行ってほしくない」
    なんて書く始末。

    だったら、作品として発表するなと申し上げたい。むしろ足掛け12年の
    著者の取材期間こそ物見遊山だったのではないのか。

    言葉遣いはおかしいわ、文章は拙いわで久し振りに酷いノンフィクション
    を読んでしまったと後悔している。

  • 「性」を売るということは
    そのまま、命を売るということだ――

    精神を削り、捨て、私は何も感じてないと
    嘘をつき、ついた嘘のぶんだけ消耗し
    ひたすらに擦り減っていく。
    心も体も。

    常に命がけの病気と背中合わせで
    守ってくれるものは何もなく、
    時として、剣より強いペンにさえ
    面白おかしい玩具のように表現される。

    なぜ、そこにいるのか?
    なぜ、そこでしか生きられないのか?
    真剣に向き合っている本。

    著者の結論としての
    「行くなら金を落とせ」という言葉も
    一つの真実だとは思うけれども
    命を削って売らなければ
    生きられない世の中はどこかが
    なにかが、歪んでいるとしか思えない。

  • 世間をお騒がせの橋下大阪市長が過去に顧問弁護士をしてた、とかからの興味で読みました。
    壮絶な人生が、お姉さんの数だけではなく経営者や曳手と呼ばれる客引きの人にもあることを知らされる内容でした。
    だから、締めにある「客として行ってお金を落とすのは構わないが、物見遊山では行くな」には同意。

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著者プロフィール

1955年奈良市生まれ。タウン誌記者を経て、フリーに。長く暮らした大阪から2010年に東京に引っ越すも、たびたび帰阪している。
著書に『大阪 下町酒場列伝』『旅情酒場をゆく』(以上、ちくま文庫)、『新版 大阪名物』『関西名物』(ともに共著、創元社)、『遊廓の産院から』(河出文庫)、『さいごの色街 飛田』(筑摩書房/新潮文庫)、『葬送の仕事師たち』(新潮社)、『親を送る』(集英社インターナショナル)などがある。

「2016年 『関西かくし味』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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