さいごの色街 飛田

著者 :
  • 筑摩書房
3.65
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感想 : 173
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480818317

感想・レビュー・書評

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  • 長年にわたっての取材に感心しました。著者が女性なのでずいぶんと敷居が高かったものと思われ、事実、苦労した記述も多いのですが、その分、より客観的な内容になり、著者に強力なインパクトを与えたさいごの色街の様子を読者にうまく伝えることができているのではと感じました。

  • 雑誌で誉めてたこの本。
    女性がこんなテーマを取り上げるとは?!と気になって読んだが。店の子と同じ女性作者やからこその、半端な感情移入も重なり。
    ちょっと中途半端。
    なんか後味の悪さだけが残った。。。

  • 大阪で過ごした学生時代、飛田新地の存在を知ってはいたが訪れたこともなく、男性との会話に出てくる程度だった。
    本作は12年に渡り、文字通り体当たりで取材を続けてきた女性フリーライターの描く「遊郭の風情を残す色街」飛田新地を描いたルポ。

    飛田という街。身体を売って生きている「女の子」や、周辺で働き、飛田で食わせてもらっている人達。
    女の子に身体を売らせて搾取し儲けている「イカンことをしている」自覚はあるが、売るにしても買うにしてもこの街を必要としている人達がいること。
    それ故のタブーが満載のこの街に入り込み話を聞くことは大変なことであったろう。

    レビューを読むと取材方法や詰めの甘さなどを指摘する批判もあるようだが、女性にしか描けなかった(描こうとしなかった)、このテーマに取り組んだこと、そしてそれは男性には決して出来なかったであろうことを思うと、その功績は少なくない。

    本作を読んで思い出すのが、女性史研究家、山崎朋子氏の『サンダカン八番娼館』だ。

    第二次大戦時、長崎は天草から女衒に売られて東南アジアで身体を売っていた最下層に生きる「からゆきさん」の生き残り、おサキさんと寝食を共にして聞き書きした著者渾身のルポだ。


    本作ではケース数こそ少ないが「女の子」達の生の声を聞く。
    中にはたかだか数百万円で売られて、乳飲み子を抱えて車に乗せられ降りた先が飛田の料亭だった、など仰天するような境遇も。

    貧しさから女衒の甘言に騙され、または親自らが幾ばくかの金銭と引き換えに海を渡った「からゆきさん」の時代から何も変わっていないことに愕然とする。


    『肉屋が牛肉の赤身を美しく見せるために使うライトと同じく、女の子を左右と前から照らす。』

    商品として切り売りされる性。
    男と女がこの世にいる限りなくなることはないであろう。

    ただ彼女達は無知でだらしなく、そして生きるには優し過ぎるのだ。飛田に来る男性諸氏はカラダ目的だとしても、せめても彼女達の優しさをひと時買っているのだ、と思いたい。

  • 男の願望をかなえる街、か。

  • この本も成毛眞がおすすめしていたので、少し前に購入したもの。
    女性ルポライターが、10年以上の取材により、飛田の歴史やそこで働く人たちの人物像を明らかにしていこうと試みた作。
    アマゾンのレビューでは著者の取材力や文章について酷評する記述が目立ったけど、自分としては興味深く読めた本。

  • 暗黙のタブーとされてきた飛田の歴史を正面から扱った良書。途中、関係者へのインタビュー等は素人を思わせる構成だか、資料にあたって飛田の歴史に迫る部分は迫力がある。本書が後世に残す意味は少なくない。

  • 12/11/23 読ませるルポルタージュ。内容もいいが、著者の取材が面白        い。

  • 地元・横浜を流れる大岡川沿いの黄金町は、かつて「ちょんの間」と呼ばれる飲み屋が軒を連ねる一大歓楽街だった。「ちょんの間」とは、ちょっとの間で飲み屋の2階で、客と女性従業員がいわゆる男と女の交わりをすることからついた名称。実質的な売買春だ。でもこれがなぜか売買春に当らないことにずっとなっていた。客と従業員はお酒の席で恋愛感情を持ち、そのまま2階でいちゃついて、火がついた二人がコトに及んだだけ、店側は関知していない、という理屈。
     なんだそれ? と誰でも思うが、よくわからないけど、法的には通用するらしい。
    女の子を持つ親は、あの辺りには絶対行ってはダメ!とよく言い聞かせていたらしい。とはいえ、横浜では開港150年を前に、一斉浄化作戦が決行され、今じゃ一軒もない。現在は跡地を若手アーティストに安価で貸出し、アートの街へと変貌しつつある。

     いまも、こんな売買春が上のような理屈で行われているのは「飛田新地」だけだ。この本は、さいごの色街の実態を丹念に取材したノンフィクションだ。
     
     遊廓の名残をとどめる街という説明から、花魁文化みたいなのが今もあるのかと思ったが、さすがにそれはなかった。遊廓っぽいというのは「料亭」と呼ばれる建物と、女性が玄関で正座して手のひらを添えて、お辞儀して男性客を迎えるところ。玄関は開け放してあり、男性客は外から女性を選り好みして、気に入れば店に入る。料金などの交渉は、曳き子と呼ばれるおばさんがする。女性が着る服はいたって今風のもの。女性も特別な芸事ができるわけでもないので、風俗で働いている女性と変わらない。違いは本番をするかどうかだけで、現に他の風俗から転職して飛田に来る女性も多いようだ。

     閉鎖的な街だが、著者は12年にわたり取材を続け、少しずつ糸口を見つけて飛田で働く人たちの本音を聞き出していく。

     料亭の経営者と曳き子のおばさんの関係、暴力団との関連性(飛田に暴力団が絡んでいない理由)、地元警察との関係、飛田という街が歩んだ歴史など興味深いが、なにより飛田の街で春を売る女性の声が面白い。なぜかあまり悲壮感がない。借金で首が回らない、金の計算ができないのが共通点みたいだが、経営者と女性たちの関係は概ね良好で、搾取されているという気がない(そこが金の計算ができないということらしいが)肉親に冷たくされた女性たちは経営者に親子のような情も抱くらしい。風俗で働くより、飛田で働く方が肉体的に楽だ、というのもほぼ共通した意見だ。男にはわからないことで、意外だった。

     どこの「料亭」は慢性的な人手不足らしい。だから長く勤めてくれる女性には待遇を良くしている。募集はどこでしているのかというと、男性が読むような週刊誌とか夕刊紙にコンパニオン募集と広告を打ち、電話を待つ。または、パチンコで負けた女性に高利で金を貸して、借金を返せなくなった女性を飛田に紹介する女衒みたいな人もいるらしい。

     著者は地元警察にも取材を申し込んでいる。「売春なのになぜ摘発しないんですか」とストレートに聞いている。でも警察ははぐらかすだけで「一斉摘発は難しい」と言い、時々どこかの料亭を申し訳程度に摘発するだけだ。横浜でできたのだから(というか全国でやったから飛田だけになったのだから)警察が本腰を入れれば飛田も無くせるとは思う。でも完全になあなあの文化ができている。これが良いのか悪いのか… その前に飛田を遊廓の文化を残す街と言っていいのか悪いのか…

     著者は長く取材を続けたから、もしかしたら好意的に見過ぎているんじゃないかと、穿ってみたくもなるくらい、肯定的な意見が多かった。果たしてこれが飛田の全貌なのか、それとも一部なのかは判断がつかない。でも、これを読んだ人は、たぶん「飛田を潰す必要はない」という意見に傾くと思う。

     自分の意見は… 自然に衰退していくのにまかせる。

     読んでいくうちに、おそらくそうなっていくんだろうなと思った。

     

  • 飛田に行きたい。

  • ノンフィクション。飛田そのもののレポートなのか取材手記なのか。飛田の人となりなんかはあまり伝わってこなかった。

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著者プロフィール

井上 理津子(いのうえ・りつこ):ノンフィクションライター。1955年奈良県生まれ。タウン誌記者を経てフリーに。主な著書に『さいごの色街 飛田』『葬送の仕事師たち』『親を送る』『葬送のお仕事』『医療現場は地獄の戦場だった!』『師弟百景』など多数。人物ルポや食、性、死など人々の生活に密着したことをテーマにした作品が多い。

「2024年 『絶滅危惧個人商店』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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