- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480818485
作品紹介・あらすじ
「私の家族はいつどのように、どうして日本へとやってきたのか。その後どうやって生きたのか」社会学者による生活史記述の試み。
感想・レビュー・書評
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在日コリアンの父と日本人の母との間に生まれた、本人がおっしゃるには「在日ハーフ」の女性、朴沙羅さんが、彼女自身にも見えなかった、もちろん、彼女の周囲の普通に暮らしている日本人には「見えない」歴史に挑んだ聞き語りでした。
視点の新しさや、登場人物のユニークさはいうまでもありませんが、著者自身の素直な真摯さに打たれました。
久しぶりに出会った「まっとうな本」でした。ブログにも案内を書きました。よろしければお読みください。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202208030000/
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史実としての歴史と、とりとめのない親族の雑多な話をどう位置付けたらよいのか、戸惑う著者の動揺を追体験できる本。
親族の証言が歴史の裏付けになることを期待したところ、時系列のこじれや、知り得なかったプライベートエピソードで混乱する会話をはじめ、語り手と聞き手(読者も含む)の社会的前提が違うことを認識させられる場面に、はっとさせられる。
被差別者が、差別を「差別」として認知しない環境。伯父さんが何の苦労もなく工員として就職できたのは、その仕事が誰も望まない仕事だから。ホワイトカラーの仕事を望んでも面接さえ断られるのは当然で常識だから、そんな職につくことさえ考えたことすらない人が「差別はない」と発言したとして、質問者は文字通り受け取ってよいのか。
文字が読めないという絶望を想像したことがあるだろうか。どの電車に乗ればいいのか分からない、自分の名前が書けない、子供の参観日に行って差し出される紙が読めない惨めさ、人に言えないほどの恥ずかしさ、人並みに歩けない苦しさ。そんな世界で生きてきた伯母さんやその兄弟たちが稼いだお金で父が大学に行き、教育は当然のものとして育った著者が感じた、人生のスタートラインの差に気付く流れに、読者も打ちのめされる。
斉藤真理子さんの本「韓国文学の中心にあるもの」や、ヤン・ヨンヒさんのドキュメンタリー番組を観て、済州島の歴史と人々に興味を持ったところで手に取った本だが、期待とは違う、想定外の新しい視点を得た。読んで良かった。 -
家族の生活史を書く。著者は在日コリアンの三世であり、一家は済州島から大阪に移ってきた歴史がある。社会学を専攻した著者は一家の歴史を書こうとして、伯父や伯母の話を聞きに行く。ところが、話を聞いたからと言ってそれがそのまま当時の生活史になるわけではないことに気が付く。済州島では4・3事件(사삼사건)が起きた頃が、伯父や伯母が小さかった頃だ。しかしいくら聞いても4・3事件のことは出てこない。怖いことはなにか?と聞いたら、姉の主人が酒を飲んで怒鳴って怖いとか、子供の目で見た周囲の様子しか覚えていない。それでも、当時の生活をありのまま話してくれる。それを著者は当時の事件やその背景を汲んで著書にしている。生活史とは聞いたことをそのまま書けば良いようなものではないのだ。一家は危険を感じて済州島を脱出する。そして大阪の猪飼野の親戚・知人を頼りに移住し、そこで生活の場を必死に作っていた。子供の時に家が貧しくて学校に通えなかった伯母さんが出てくる。大阪に来て弟は民族学校に通ったが、その伯母さんは年齢が行っていたので通えなかった。しかし結婚し子供ができ、幼稚園、保健所、等々に行かなくてはならず、言葉ができなくて泣くような思いを何度もしたので、夜間中学が出来たことを聞いて必死に通って言葉を覚えたという。言葉を覚えたら、役所や学校に行っても怖いことがなかったという。伯母さんや伯父さんたちの言葉は、ブツブツと切れ、時間経過が違っていたり、繰り返しがあったりするが、それが本当の生活者の言葉なのだろう。
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本書のことを知ったのは岸政彦さんがTwitterで絶賛していたからで、なるほど「はじめに」以前の目次、小見出しから既に波瀾万丈。インタビューで語られる経験やエピソードの数々がとにかく濃くて、それぞれの生きる力や運の強さ、逞しさにただただ圧倒される。つい先日『韓国文学の中心にあるもの』を読んだばかりだけれど、なぜこれまで朝鮮半島と済州島の歴史についてこんなにも無知無関心でいられたのか?学校で教わらなかったことを言い訳にしていた自分が恥ずかしい。
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「私が自分を根無し草だと言うなら、それはきっと私が話を聞いてきた人たちに失礼に当たるだろう。だってあの人たちは、日本に根付こうとして、七〇年間も七転八倒してきたのだから。」
韓国済州島から日本に来た親世代の親族の話を、社会学者の著者が聞いて著した、「生活史」の記録。
ただ聞いた話を書くだけでなく、現代の著者の視線や、インタビューをする者受ける者の関わり方についてなどが織り込まれている。
それもあって雑多でまとまりのない印象も受けるのだけど、人の人生はそういうものだとも思う。
恥ずかしながら四・三事件のことは本書で初めて知り、衝撃を受けた。
どの話からも生の重さを感じ、胸に残る一冊となった。 -
「兄貴やねん。」に、吹いた。
歴史、知らんこと多いわ。 -
著者いわく、学術書ではなく一般書だと言う。どうしても書かないといけなかったけれど、どうしても書けないものでもあったと言う。けれども「私はこの人たちの体験こそ歴史だと言いたかった」と言う。
著者の逡巡は読んですぐ理解されることになるだろう。こんな切実な本を読むのは、とても久しぶりだ。一息で読みたいのに、歴史と存在の重み、そして厚みを感じてすぐには読みきれない。この本を読み切ったとき、きっと僕は人の記憶と向き合う術を学びたくなるに違いない。-
受験勉強に時間を割かなければならないので今は読めません。申し訳ございません。受験が終わり次第読ませていただきます。そしてその後改めてしっかり...受験勉強に時間を割かなければならないので今は読めません。申し訳ございません。受験が終わり次第読ませていただきます。そしてその後改めてしっかりとした感想を書かせていただきます。2018/09/30
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『ヘルシンキ 生活の練習』を読んで、ところどころに登場する著者の朴さんのご家族やご親戚の話があまりに印象的で、在日韓国人の方々についてもっと知りたいと思った。フィンランドについての本だったのに。(笑)
で、朴さんがこちらの本も書かれていると知って、さっそくいそいそと図書館から借りてきた。
でも、期待し過ぎだったのかも。なんだか本というより取材メモみたいだった。全部が取っ散らかっている。
取材をする朴さん自身が取材対象への距離感や取材する目的について全然考えがまとまっておらず、やたらエモーショナルにゴテゴテと飾られた言葉で自分の考えを述べているかと思えば、急に感情を排して学術的な姿勢を前面に出したりと、読んでいて正直とまどった。
あとがきは特に意味不明な感情の高ぶりと恍惚が見られて、まるで夜に書いたラブレターを読み返さずに渡されたみたいだった。
「空白」に対する考えや、「自分のことを根無し草と言ったら、一世の方々に申し訳ない」という考えなどは、私にはその意味するところやなぜそう思うのかのロジックがよく理解できなかった。
そして、肝心の、伯父さんや伯母さんたちの生の声も、テープ起こしのままの生データに何の加工もしていないので読みにくく、意味が分からないところも多かった。
おそらく、口語では抑揚やイントネーションも重要な情報なのに、文字にするとそれがなくなってしまって読みにくいのかと。語る声を直接聞くことができれば、はるかに分かりやすかったのじゃないかと思う。
語り手の言わんとすることが明らかなところは、カッコ書きで言葉を補うなど少々加工しても良かったのじゃないかなぁと思う。きっと、インタビューする側のフィルタを極力排したかったのだと思うけれども、あまりにも分かりにくく読みづらかった。
伯父さんが、就職差別を差別と認識していなかったところは胸が痛んだ。最初に就いた仕事はあまりに過酷で、でもそれを人一倍の質でこなすことで、ずいぶん好かれた、と語る屈託のなさに、なんとも言えない気持ちになった。
歴史との突き合わせなど私にはどうでもよく、もっともっとこういう彼らの個人的な日々の暮らしについて知りたかったが、歴史とどう位置付ければいいんだろうなどと著者はだらだらとどうでもいい物思いを続けており、かなり中途半端な感じの読後感となった。
ところで、たまたまAppleTV+のお試し中で、ドラマ『パチンコ』を見ることができたので、これはタイムリー♪とばかりにイッキ見した。
「ドラマ」としての評価は私的には微妙だったので、他国の人々には勧めないが、しかし、あなたが日本人であれば、きっと興味深いドラマだと思う。
私も夢中になって見た。ストーリーそのものは、質の高いドラマが多い昨今においては特に傑出しているわけではないが、このドラマで描かれる在日韓国人たちの二つの国でのそれぞれの暮らしや、日本兵の描写、仕事や家族の描写など興味がつきず、とてもおもしろかった。
メインの役者もみんな良かった。美男美女ってわけじゃないのだけど、妙に印象に残る魅力的な顔をした人たちばかり。
オープニングは毎回ウキウキで飛ばさずに見た。パチンコ屋さんでのダンス最高。
内田樹さんが、雑誌GQ(私が見たのはWeb版)に、こういうドラマが日本から出てこないのが非常に残念、と書いておられたが、私も同意。と言っても、たぶん内田樹さんの残念な理由とはちょっと違うと思うけど。
内田さんは、自国に対する批判を受け入れられない日本人の体質を残念がっておられるようで、私もそれには同意だけど、私がそれよりも残念に思ったのは、この話の作者は日本のことをあまりよく知らないのではないか、と思われるような気配があるところだった。
「パチンコ」みたいな作品は、ニューヨークに住むコリアン・アメリカンではなく、日本に住む韓国にルーツを持つ人たちの方がもっとうまく巧みに描けるんじゃないか、もっと鋭く日本にとって痛いところを突くことができるんじゃないか、と思った。それが残念だった。
要するにドラマ「パチンコ」は、私にはところどころでちょっとだけリアリティが足りないように見えて、物足りなく思えた。(原作はドラマとは違ってもっとリアルなのかもしれないけれども)
同じタイミングで読んだこの本も微妙に物足りなく感じたし(それは単に、著者のとっちらかった頭の中の説明のせいだと思う)、なんだか飢餓感。
ドラマはシーズン2が作られるようで、ぜひ見たい。
ところで、イ・ミンホはすごく役にはまっていた。もはや私には彼以外あの役は考えられないのだけど、彼が日本語を話すとあまりに下手過ぎて、カッコいい役なだけにどうしても笑ってしまう。他の役者さんもだけど、日本語だけ吹き替えにしたらいいのに、と思った。
大阪弁で演じるのはネイティブでも難しいんだから。 -
「家族の歴史」に日本の歴史、在日コリアンの歴史、そして朝鮮半島の歴史がいかに関わってきたかという本。
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あとがきが何より素晴らしい。額に入れて飾りたい。
「いないはずにされている人々は〜」
四三事件についてもう少し勉強しなければいけないなと思った