心を知る技術

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480842459

作品紹介・あらすじ

悩みをかかえた心は、どうすれば癒されるのか?受容→気づき→自立へと進む、カウンセリングの技術を追うことで、心への理解を深める。精神科医としての経験に基づく、渾身の書下し。

感想・レビュー・書評

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  • ☆4(付箋15枚/P232→割合6.47%)

    読んでいてカウンセリングを追体験できるような本にしたいと著者が書いていた。実体験からリアリティがあったが、個人的には面談中の心の動きの捉え方が秀逸だと感じる。
    だから僕にとって、確かにカウンセリングとは何かという知識も深まるのだけれど、自分の心に向き合う方法を教えてくれるできる本でした。

    ***以下抜き書き**
    ・母親は娘の命を心配している。実際に何とかして死を避けたいと思って相談に駆け込んできているのだが、しかし、「娘が死ぬ」とは思っていない。「死んでほしくない」と思っているだけである。心配して夜も眠れないほどに悩んでいるのは、実は娘が死んだらどうしようという自分自身の心配である。本当に娘の命を心配するのであれば、どうして娘が「拒食」し続け、あるいは苦しい「嘔吐」を繰り返し、はては「自殺企図」などという不可解な行動をとり続けるのか、この現実を理解しようとするはずだ。

    ・娘が本当に死んでしまうかも知れないと母親が感じ、娘が死んだときのことを思い浮かべたときに初めて、母親は自分の望んでいるものと娘の求めているものとが違うことを知るであろう。何とか助けようともがいているうちは、自分の「焦り」・「わがまま」が見えないのだ。
    …私は本当に死ぬかもしれないという現実に向かい合って欲しかった。
    「亜紀子さんは本当に死ぬと思いますか」
    母親は「もちろん今危ないのだと…」と言いかけたが同じことを繰り返すことに気づいたのか、途中で言葉を止めてしまった。
    しばらくの時間、二人とも押し黙っていた。
    「娘さんはどんな気持ちで死んでいくと思いますか?」
    「えっ?…」

    ・カウンセラーは欲求を満たすことにも、欲求を消し去ることにも荷担しない。カウンセリングの方法は、ただ欲求を「知る」ことを求める。
    祐一君の母親の悩みは、順調に高校を卒業して人並みの(あるいは一流の)大学に進学して欲しいという母親の「欲求」が、彼の不登校で危機にさらされているということだ。母親と一緒になって満たされなかった欲求を叶えようとすることは、この例では息子が登校できるように彼を説得することである。逆の欲求を消し去る方法というのは、息子さんには息子さんのやり方があるのだから、「勝手に大学、大学と騒ぐな」といって母親に再考を促すことである。カウンセリングの方法はこの二つのどちらでもなく、母親が満たされなかった自分の欲求を自覚して、それを「知る」ことを援助する。

    ・こういった反応はすべて、衝撃的な話を聞いた私自身の心の動揺である。もし、動揺のままそれを口に出して、彼女の味方をしたり、批判したり、あるいは励ましたり説教したりしていたら、電話を切った後で私は後悔したに違いない。せっかく電話をしてくれたのに何もしてあげられなかった…と。
    幸いに自分の心の動揺に気づいた私は、こんなときに彼女はどうしてもらいたいのだろうと、自問することができた。つまり、精神的な混乱の直中にいる人に、私たちはどんなことをしてあげられるのだろう。慰めたらいいのか、励ましたらいいのか、一緒に怒ったらいいのか、あるいは、何か現実的な解決策を見つけてあげるべきなのか。
    そう考えたときに思い出したのがカウンセリングの理論である。それが教える教訓は、まず相手の心を「受容せよ」ということである。ストレスの渦中に投げ込まれて悩み苦しんでいる人が望んでいることは、励ましでもなく、同情や慰めでもなく、まして忠告や教訓でもない。ただ混乱した自分の話をじっくり聞いて、苦しむ心を受けとめて欲しいだけである。

    ・三週間後の外来に青年は予約なしで突然現れた。
    カルテの氏名欄を見ただけでは私は彼のことを思い出せなかった。診察の記録を数行読んだところで、あの時の甘え、不遜、世間知らず、他罰的という青年の像と、それに対して怒りを抱いた自分とを思い出して、私は嫌な気持ちになった。
    クライエントの訴えを受容できない最大の理由は、訴えや相手の態度に「好きになれないもの」があったり、「気にくわないもの」があると感じたときだ。相手を嫌っているときに、私たちは相手の話を受容できない。この当たり前のことが、カウンセリングの現場では意外と見逃されている。何故かというと、カウンセラーは好悪にかかわらずクライエントと向かい合い、どんな話でもじっくりと聞くべきだとされているからである。この職業倫理がカウンセラーの怒りを抑圧する。
    …カウンセラーは自分の怒りを処理しなければならない。幸いに、カウンセラー―クライエントの関係は、日常生活の利害とは無関係のところにあるから、それは比較的容易に行われる。自分の怒りに向き合ってじっくりとそれを感じるだけでうまくいくことが多い。
    まず、怒りを言葉にする。生意気な青年、世間知らず、礼儀知らず、他罰的…といった具合である。それに対してどうして自分が怒りを感じるかを整理する。私はいつの間にか「生意気な」若者から批判される中年おじさんの「上司」と自分自身を重ね合わせていたようだ、あるいは特権を利用する奴がきらいなのだ…などと考える。それから、怒りを持ってしまったことへの自責感(自分への怒り)があるはずだから、そこにも目を向ける。どうしてあんな若者に腹を立ててしまったのだろう、情けない…などである。「そんなこともあるさ」「たいしたことじゃない」という無力感や投げ遣りな気持ちも自分の中からわき起こってくる。未熟な自分に対する悲しみに近い。
    このようにして自分にわき起こるさまざまの感情を味わっていると、怒りはいつの間にかスーッと中和される。

    ・彼が退職を思いとどまった気持ちの中には、自分をもう一度試してみようという決意があったようだ。他罰的な生き方への反省が芽生えたのである。それは他罰的な生き方を存分に聞いてもらえた結果である。

    ・彼は支配的な父親に対する不満と憤りをかかえたまま生きていたのである。カウンセリングが進むにつれて、父親への反感をあらわに語るようになったが、同時に、どうしたら自分の苦しい気持ちを解決できるかと執拗に私に迫るようにもなった。その言い方があまりにも性急で不満そうだったので、次第に私は診察を億劫に感じるようになった。彼は私に権威的で冷たい父親の像を重ね、あんたのせいで苦しんでいるのだから何とかしてくれと非難していたのである。その陰性転移が私に対抗陰性転移を引き起こしたのである。
    もし、私にもクライエントと同じように、権威的な父親に傷つけられた経験があったとしたら、この陰性対抗転移は激しくなり、受容とはほど遠い「怒り」を爆発させ、クライエントとの決定的な対立にまで進んだかも知れない。私はクライエントが私に向けている不満を積極的に受け止めることにした。すると、彼は不満の裏にある惨めな思いを次第に言葉にできるようになった。

    ・ある時、カウンセリングが終わって次の時間を約束することになった。それまでは一週間おきにカウンセリングを行ってきたが、次回は祭日が重なって三週間先でないと予約が取れないことが分かった。やむを得ず三週間先の約束をした。クライエントは「先生、今日はありがとうございました。話を聞いてもらうとホッとします。ここにくるだけで安心するんです」と礼を述べたが、その後に、「でも、家に一人でいるといろいろ考えてまた苦しくなります。またお願いします」とつけ加えた。いつもとは異なる別れの挨拶だったので疑問に思った私は、「三週間あいてしまうのが不安ですか」と聞いてみた。すると、クライエントは安堵の表情を見せて、うなずいた。
    これが明確化の一例である。気をつけなければならないのは、あくまでクライエントの気持ちを明確化するのであって、カウンセラーの解釈やき阿智を持ち込んではならないということだ。明確化が心のより深層に近づいていくと、「気づき」(=洞察)のレベルにつながっていく。

    ・私は彼女の調子に巻き込まれないように、意識して、あえてゆっくりと言葉を返すことにした。
    夫がひどいと言えば、「それは本当にひどい人ですね」と少し大げさな態度で支持した。「娘の学校まで電話をかけてくる」と言えば、「学校にまで電話を入れるんですか。娘さんも困るでしょう。まったくね」と繰り返し、「でも、(私が家に)出かけて行かないとお父さんが大変だから」と言えば、「放っておくと怒り出して何をするか分からないのですね」と明確化した。
    こんなことを20分ほど繰り返していると、馬場さんの話し方はすこしずつペースが落ちてきて、聞き取り難いほどであった早口がゆっくりとなっていった。
    …馬場さんが最初に保健所に来たときに2時間も同じ話をし続けたのは、解決策が見つからなかったからではなく、自分の話を聞いてもらえなかった(と感じた)からである。

    ・学校で先生と対立した生徒に対して、「学校の先生の考えは間違っている。君が怒るのは当然だ、正しい」と、無条件にクライエントの行動を是認するのが是認的態度である。こんな時、カウンセラーはクライエントの味方になって一緒に学校の先生と闘おうとしている。これに対して受容とは、「君が怒るのもよく分かる」と表現されるものである。二つの鑑別点はクライエントが話をして、ホッと心の安らぎを得られる程度である。生徒が「怒るのは正当だ」と言われた時と、「怒るのもよく分かる」と言われた時とでは、どちらがより安らぎが強いかだる。前者の場合、正とは味方になってもらって嬉しく思うかもしれないが、彼は教師と対立して闘わなければならない緊張を持ち続けるであろう。次第にそれが重荷にさえなる。これに対し後者は、君があの時とった行動は理解できる。これからどうしたらいいかは一緒に考えていこう。もし、疲れているなら闘いから離れて休んでもいいよ、というメッセージにも解釈できる余地を含んでいる。闘っている自分だけでなく、休みたい自分も含めて全人的に理解してもらった安心感があるのである。

    ・カウンセリングの別れは、楽しい会話だった。
    「先生、最後に一つ質問していいですか。これにはちゃんと答えて下さいよ」
    「何ですか?ちゃんと答えますよ」
    「先生、人生の目的っていったい何ですか。人は何のために生きているんですか?」
    私を試そうとしている彼女のいたずらっぽい目が愛らしかった。私は佐知子さんの心の軌跡を思い返した。彼女の生まれてから今日までの人生を私は詳しく知っている。大きな苦しみから解放されて、これからはまったく自由に生きていいのだと彼女は感じている。それが私にも伝わってきた。
    「うーん、人生の目的ね…。僕はね、毎日、美味しいもの食べて、ぐっすり眠って、楽しく過ごすことだと思いますよ」
    「エーッ!人生の目的って、食べて眠ることですか。…。そうですよね。それでいいんですよね。先生。楽しんでいければいいんですよね。先生、私の負けですね」そう言って彼女は本当に嬉しそうに笑った。

    ・気づきは、苦しい思い出や胸に詰まった感情、そしていくつかの気になる物語がひとつにつながることである。語ることによって、過去と現在は整理され、憎しみは憎しみに、悲しみは悲しみに分類される。それまでバラバラであったものが、どれが何の原因で生まれ、何がどこから出て来たのか、互いの関係がクライエントの頭の中で熟成され、自然につながりあっていく。佐知子さんの三つの物語、何度も夢に表れた苦しい思い出、喉につまっていたいくつかの感情、まったく無関係と思われていた現象が、一つの「思い込み」から発していることが分かり、一つにつながった。そして、思い込みの先に見えてくるのは封印された恐怖である。
    混沌としていた世界が整理される科学的発見と同じ美しさがそこにある。
    万有引力の発見は月の満ち欠けやリンゴの落下に何の影響ももたらさないが、新しい知識は人工衛星を実現して、人の自由を広げた。これと同じように、気づきは現実世界に何の変更ももたらさない。父親も、恋人も、恩師も、それまでと変わらぬ生き方を続けるであろう。しかし、気づいた人は、同じ世界を異なる見方で解釈し、その結果、新しい生活を始める。その人は思い込みと恐怖とから解放され、もう、一つの物語にこだわる必要はない。新しい物語を自由に選べるのだ。

    ・忘れてはならないことが三つある。第一は、解釈は気づきが起こって最後に物語の全貌が見えてくるまでは、単なる仮説にとどまるということだ。つまり、カウンセラーは仮説を持ちながらクライエントの話に耳を傾け、クライエントの反応を吟味してつねに仮説を修正していかなければならない。
    第二は、解釈はあくまでカウンセラーのためにあるということ。第三に、解釈はクライエントに伝えられるべきものではないということだ。

    ・佐知子さんが恋人や父親の話をし始めた頃に、カウンセラーが気づきを促進しようとして「あなたの問題は、愛されなかった父親への恨みですね」と言ったとしよう。しかし、「父親への恨み」というのはカウンセラーの言葉であって、クライエントの言葉ではない。それまでに語られた佐知子さんのいくつかの物語を結びつける言葉にはなるであろうが、カウンセラーが知らない数多くの物語や思い出、感情を結びつけることはできない。佐知子さんが生まれ変わるためには、彼女の脳の中に記憶されているすべての物語や感情が「思い込み」のもとに結び付けられなければならないのだ。それには、クライエント自身から出るべき言葉、「人につくさなければ愛されない」が出てくるまで、十分な熟成が必要なのだ。

    ・心は思い込みをいだきやすいが、体は心の思い込みの「枠」にはおさまりきれない動きを持っている。というのは、心は自分に嘘をつくことがあるが、体はいつもそのままを受け入れている正直ものだからだ。

  • 35774

  • 私は友人や知り合いからよく悩み相談をされるほうです。その時は真剣に話を聞き、アドバイスをしたりするのですが、
    たまに「私が求めていたのはそんな答えじゃなかった。」と返されることがあります。
    悩み相談をされた時の上手な対処方法が知りたく、参考にした本が髙橋和巳著『心を知る技術』です。

    本書では、聞く側は相手の「問題」の解決ではなく「悩み」の解決を行うように勧めています。
    望みを叶えるのではなく、悩みを「知る」ことが大事であり、問題解決は相手の選択に任せると説いているのです。
    また、悩みを「知る」ためには「受容」が必要であると述べ、それを十分に成すための方法も事例を挙げて説明しています。

    本来この本は、カウンセラーを目指す人のために書かれた物です。
    しかし専門用語を出さず平易な文章で書かれているので、私のように聞く技術を向上させたいと思っている方に是非お勧めしたい一冊です。
    (ラーニング・アドバイザー/文芸・言語 KIM)

    ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
    http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=848940

  • 朗読依頼で読了。

    カウンセリングの基礎。 傾聴あたりからしっかりと解説してくれる。
    入門書として最適。
    カウンセラーってなんやろー?何をしてくれんのやロー?って人にもお勧めかな。

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著者プロフィール

1931年生まれ。1971年に39歳で早逝。短期間に膨大な名作を遺した天才的小説家。中国文学者。『悲の器』で第1回文藝賞受賞。著書に『憂鬱なる党派』『邪宗門』『日本の悪霊』『わが解体』ほか多数。

「2017年 『我が心は石にあらず』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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