ウンコな議論

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (112ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480842701

作品紹介・あらすじ

その場しのぎの言いのがれ、口先から溢れ出てくる、ふかし、ごまかし、はぐらかし-それが「ウンコな議論」だ。世にみちみちるその正体を暴き、つぎつぎ繰り出されるカラクリを解く。悶笑必至の訳者解説付。

感想・レビュー・書評

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  • 真実への配慮の欠如。物事の実態についての無関心がウンコ議論の本質。ウンコ議論は知りもしないことについて発言せざるを得ぬ状況において避けがたく、スピードと多様化の現代にあってその数を増している。しかもこれらを不要なウンコとして流し去ることさえも許されない場合がほとんど。ウンコ議論を読み、そこから自在に情報を引き出す能力は、社会における技能の一つとして極めて重要。ウンコに惑わされることなく、真実に基づく羅針盤をしっかりと抱き、この世を埋め尽くすウンコの海を力強くかきわけていきたい。

  • ウンコ、ウンコ言うヤツがウンコだっていう話。

    ウンコな議論や屁理屈、Bullshitを哲学している話だけど、自分には合わず楽しめなかった。

    訳者解説も長い…。

  • つまらない議論を揶揄しているのだが、それ自体がつまらなくて読んでられない。

  • 筆者はおそらく、本文を題材に解説のほうを書きたかったのだろう。解説にしては自己顕示が強く鼻につくところもあるが、なかなか面白い。

    P69 (ほかに選択肢がなければ責任を免れるか?ということについて)選択肢がないということ、どんな合理的な計算結果があっても、一つの選択しか取れないということ、それこそが、この人物の道徳的判断の賜物なのであり、まさにその人物が自分を律していることを示すものである。従って複数の選択肢がなければ道徳的責任がないという考え方は間違いであり、選択肢がないことこそ、その人物の自律性なのである。

    P73 人はどんな欲望を持ちたいかという欲望を持つ。(中略)それが人間の特色であり、その欲望についての欲望または意志こそが、人のアイデンティティ―その人が何物であるか―を規定する=”二次的な欲望”または”メタ欲望”
    (中略)当然ここで、二次的欲望についての欲望、さらにその上の欲望・・と無限後退が可能であることに気がつくだろう。(中略)では最終的にどう生きるべきかを決めるのは何か?それは…何かを大事に思うという気持ちだ、とフランクファートは論じる。それを愛と呼んでもいいだろう。(中略)”お大切”と訳したような、何かを気にかける感情全般だ。何かを大切だと思うのは、必ずしも理由があるわけではない。そしてそれ自体はコントロールできない。何かを大切に思うなら、それを保存繁栄させるためには自分がどういう欲望を抱かなくてはならないかは自然に決まってきてしまう。つまり愛にこそ、実用的な規範の源泉があるのだ。

    P83 古来より「愚者の知恵」という考え方がある。(中略)しかしながらごくたまに愚者の知恵という現象がみられるからといって、すべての愚者が常にそうした知恵を持ち合わせているわけではない。知恵のある愚者よりは、単なるはた迷惑な小賢しい馬鹿のほうがはるかに多いのである。本当の愚者は、愚者の知恵など知うお題目を必要としない。そうした発想を必要とするのは、玉に視点を変えたり基本に立ち返ったりする必要をもつ、多少なりとも知識探求に与する人々のみなのであり、彼らが陥りがちな傲慢さや視野狭窄に対する戒めとしてのみ意味を持つ。

  • 知識のある人が読んだら面白いんだろうな、と思いつつちんぷんかんぷんだった哲学(?)本。本編と同じくらいの解説ページってのもどうよ、と思いつつ、何かを皮肉ってるんだろうなーってのだけはわかった。この本を心から楽しめるだけの知識が欲しいっす。てかこれは、訳者様を楽しむ本なのか?!も?

  • 哲学者特有のめんどくさい表現は多いが、それでも本書の原典の威力は大きい。

    嘘と屁理屈、知ったかぶりの違いを議論した60ページと、その後の訳者による解説の2部構成。

    嘘つきと嘘をつく人は必ずしも同じではない著者は言う。

    文化によっては、道を聞かれてもしその道を知らなかった場合でも、「適当に答えるほうが、何も答えないことよりも誠実である」と考える地域もある。

    誤魔化しや勘違いによる嘘は、純粋なウソではなくうんこな議論の領域であり、純粋な嘘は人をだまして楽しむためだけの嘘だけである。

  • タイトルに惹かれて読んでみたが、内容はいわゆる「へ理屈」「詭弁」などと呼ばれる、議論に値しない言説をすんごく真面目に、ムツカシク語っている内容で、「ウンコ」という言葉が頻出する以外におもしろいところはあまりない。そのうえ、本のおよそ半分のページが訳者解説に充てられているという斬新な構成になっていて、およそ1300円も払って読む価値はない本である(私自身、図書館で借りて0円で読んだので)。いろいろ残念な本であった。

  • 英語で"bullshit"と表現されるような言説・議論について考察した一冊.前半が原著(1986年に雑誌掲載された論文が元),後半は原著々者であるFrankfurt氏の業績について,訳者である山形氏が解説する内容で,両者はほぼおなじ分量である.
    全体として"bullshit"に対する明確な批判や,それが生み出される原因の探求ではなく,単に"bullshit"がどんなものかということを,厳密な立場から考察する部分が多くを占めていて,タイトルとは裏腹に硬派な内容となっている.一口に言えば"bullshit"とは,現実的な側面に対する考察を蔑ろにするという前提で進められる議論,或いは,ある見解そのものではなく,その見解を持っている・支持しているという姿勢をアピールする目的で述べられる言説といったものを指すものと見られる.私としては,自身がそうした言説に陥っていないか,という自戒を促す内容であると思った.
    英語特有の表現の幅や含意を汲まなければならない部分も多く,正直に言えば原典( http://www.stoa.org.uk/topics/bullshit/pdf/on-bullshit.pdf )を読んだ方が分かりやすかった.ただ後半の解説はFrankfurt氏の思想やその背景(反知性主義,文化相対主義など)について比較的分かりやすく書かれており,勉強になった.

  • 以下引用のみですが、現代日本のある言論状況を見事に活写しているとは思いませんか?(原題 On Bullshit)

    真実を知っていると思っていない人物は、嘘をつくことはできぬ。ウンコ議論や屁理屈には、そうした前提は必要ない。嘘をつく人物はそれにより真実に反応しており、その意味で真実を尊重しているわけだ。正直者が語るとき、その人物は自分が真実だと信じることしか語らない。そして嘘つきの場合、当然ながらその人物は自分の発言が偽だと信じていることが不可欠である。しかしウンコ議論屋にとって、これはどれも保証の限りではない。その人物は真実の側にもいなけれは偽の側にもいない。その目は正直者や嘘つきの目のように真実のほうを向いておらず、単に自分の発言で切り抜けるにあたって有益なときだけ事実のほうを見ている。自分の発言が現実を正しく描いているか気にしない。目的にあわせて適当に選び出し、あるいはでっちあげるのみである。p46

  • うんこな議論から有用な情報を引きだす、単刀直入な記述を避け、うんこな議論をまぶす。これが現代コミュニケーションにおける重要な技術。うんうん。なるほど。付け加えるならうんこな議論によって労働時間を水増しし、その分の雇用を創出しているってことも言えるんじゃないか?

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著者プロフィール

1929年生まれ。プリンストン大学名誉教授、道徳哲学。主著に『ウンコな議論』『不平等論』(共に邦訳:山形浩生、筑摩書房刊)の他、The Reasons of Love(Princeton University Press), Necessity, Volition, and Love (Cambridge University Press), The Importanceof What We Care About (同)などがある。

「2018年 『真実について』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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