忘却の整理学

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 571
レビュー : 72
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480842909

感想・レビュー・書評

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  • 流し読み。

    記憶や知識は、人体にとって食べ物と同じだなぁ。
    体から出たらまた体に入れればいいだけ。

    人体に取り入れたもの、食べたものは消化され、排出される。
    記憶や知識を蓄えても、頭の中からどんどん流れていくのはおかしいことではない。代謝されるだけだ。
    知識も知恵も、食べ物のように毎日三食食べればいいんだな、と。

  • ・忘却→記憶、呼吸=吐く→吸う
    ・休み休み考える=忘却の自浄作用
    ・知識、情報のゴミだし
    ・「田舎の学問より京の昼寝」

  • 「忘却は力である。記憶力を支えて創造的なはたらきをもっている。」忘却は悪くない。忘却あってこその記憶である。と力説。今年で87歳になられる外山氏は忘却する力を鍛えすぎたのであろうか。同じ話が何度も出てくる。酔っぱらいの繰り言を聞かされているようで気が滅入った。

  • 知識は仕入れた方がいいが健全に忘れて捨てていかないと知的メタボになってしまう、という本。忘れることは悪の印象があるが、忘れることは創造するのには必須。

  • 「継続は力なり」と単純に言えない。
    ただ継続するだけでは、逆に力にならない。
    忘却は思考整理のために必要不可欠。意識しよう。

  • 2010.1.16 読了 忘れることで、頭の動きが活発になり、創造的思考が身につく、と説く。確かに、知識を記憶するのはコンピュータに敵わないし、知識を詰め込む一方ではパンクする。そこで、忘却を正当化する本書の主張になるのであるが、意識して忘却できるわけでもなく、できたとしてもその分が創造的思考に結びつくといえるのか疑問。要は脳が無意識にやっていることを、後から理論付けしたといえるのではないか。その中で、知識過多を称して「知的メタボリック症候群」といい、その対症療法は忘却力を高めることという一説は、言い得て妙。

  • 記憶をするためにはまず忘却という働きがないといけないという視点から綴ったエッセイ。新しい視点を平易な文章で伝えている。

  • 「思考の整理学」の著者。
    2010.01.17 日本経済新聞で紹介されました。

  • 22/1/14 55 忘却忘却
    いかにうまく忘れ、心を清々しくするかについて、これからはもっと頭を使わないといけないだろう。

  • 著者の外山滋比古 さんには申し訳ないが、本屋で立ち読みさせて
    頂いた。パラパラ読んだだけなので、理解が間違っていたら、
    ごめんなさいなのだが、2か所面白い部分を見つけた。

    その①
    文章の読み方には、二つあるというくだり。
    アルファ読みと、ベータ読みという読み方があるというところだ。

    アルファ読みというのは、読者が知っている内容に関する文を
    読むときの読み方で、読めば内容を理解できるというもの。
    それに対し、ベータ読みというのは、内容自体が読者にとって
    未経験のものである場合で、文を読めたとしても、内容はわからない
    わけなので、扱いにくいという話だ。

    なぜ、この箇所に目が行ったのかということなのだが、
    最近読んでいるドクター苫米地の本が、わたしにとって
    このベータ読みだ!と、納得したからだ。

    「時間が未来から現在に流れている」とか
    「物理次元はA次元の写像である」とか
    「抽象度上がると、人はA次元の自分自身と内省的な会話ができる」
    とか・・・・

    これは、わたしにとっては、ベータそのものだ!
    要するに意味は分かったようで、まったく
    つかみどころがない感じなのだ~~~。。

    本を読んで感動するとか、感情移入できるとかいうのは、
    そこに書かれてある事が、周知の事や、それに類似した経験が
    ある時に、抱ける感情であって、
    未知の情報に対しては、納得したという状態にはなれないものだ。
    わかるというのは、知っているということなのだなぁ。

    しかし、未知の事を理解するのは、すぐにはできないことだが
    未知の事がたくさんあることや、未知の事を知りたくなるというのが
    読書の楽しみだなぁと、気付いた今日この頃である。

    その②は
    ノートを一生懸命とるのは、無意味であるというくだり。

    これも、苫米地氏のいう、メモはノートではないというのと
    同じ論拠。忘れないためにノートを必死で取っても
    保存したと思って安心してしまうため、頭には何も残らず
    しかも、いつでも見られると思うと、見返すこともなくなり、
    それでは、ノートを取った行為は無駄であるということが
    書かれていた。

    まったくおっしゃる通り!(反省の声)
    ノートを取る暇があったら、その事を頭の中に叩き込み
    それだけでなく、それを自分なりに消化する作業が必要という事だ。

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著者プロフィール

お茶の水女子大学名誉教授

「2019年 『やわらかく、考える。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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