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Amazon.co.jp ・本 (360ページ) / ISBN・EAN: 9784480860910
作品紹介・あらすじ
「正常/異常」に線引きする色覚検査が復活したのはなぜ? この問いを出発点に眼科医、研究者などを取材。先端科学の色覚観に迫った比類なきノンフィクション!【各メディアでぞくぞく紹介!】朝日新聞(石川尚文さん評)21.1.9日経新聞(福岡伸一さん評)21.1.30毎日新聞(内田麻理香さん評)20.12.5共同通信(布施英利さん評)20.12.24信濃毎日新聞(松村由利子さん評)20.12.26荻上チキ・Session 20.11.12ラジオNIKKEI 20.11.30,12.7,12.14The Lifestyle MUSEUM 21.1.15HONZ(仲野徹さん評)20.11.29
AIがまとめたこの本の要点
この本を表す言葉
みんなの感想まとめ
色覚に関する社会的な偏見や差別を問い直す本書は、色覚異常が本当に「異常」なのかを深く考察しています。著者は、色の認識が個人によって異なることを明らかにし、色覚の多様性を尊重する重要性を訴えています。こ...
感想・レビュー・書評
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色覚の検査、小学校の頃にやった記憶がある。
結果、「異常」の可能性ありと判定されたクラスメイトがいたことを覚えている。
たぶん、僕は、色がわからないことがどういうことか理解ができず、興味本位で彼に質問しただろう。どんな風に色が見えるのかを。
彼はニコニコしてあまり気にしていない風だった記憶がある。でも、心ではどう思っていたのだろう。
今から考えると、みんなの前で色覚について正常か異常かを診断する差別的な検査だった。
しかも「色覚異常」に治療法はないときている。
「色覚異常」が遺伝性のため結婚について注意を促したり、就ける職業を制限したりするための検査。
なんのために、そんな重荷を小学生に負わせなければならなかったのか?
この本は、「色覚異常」がはたして「異常」なのことなのか?を問う書だ。
人が色をどう認知するのか、わかりやすく掘り下げていく。そうした中で、色覚に関しては決して「異常」があるわけではなく、連続しており、多様であり、広い分布があるもの、と認識に至れる。
そして、たとえ色覚の認識が弱かったとしても、みんな自分の持っている感覚を総動員して生きているわけで、1つの感覚の性能のみで全体を語るのには慎重でなくてはならない。
ただし、カラーユニバーサルデザインについてはしっかり環境を整備する必要がある。未だに黒板に赤いチョークを使う教師がいるらしい(ほんとか?)。誰もが認識しやすい色を用いることを心がけることは重要なことだ。
光そのものに色はついていない。絶対的な色なんてない。光をどう捉えるか、ただそれだけだ。
つまり、人によって無数の色認識がある。
たぶん、僕とあなたの色認識は違う。
僕が見える色は僕オリジナルのもの。
そう考えると、日常の何でもない風景の色が、とんでもなく愛おしくかけがえのないものに見えてくる。
発見がとても多い本なので、ぜひ皆さんに読んでほしい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
めちゃくちゃ面白い本。絶対読んでほしい。
科学者ではなくジャーナリストの手による科学啓発本は概ね読みやすいのが特徴だけれど、これは群を抜いて読みやすく、実に社会的でもある。
とにかく構成が素晴らしい。
物事を伝えるための手順にそって、丁寧に展開していくので『なんで?』と置いてけぼりにされることがない。テーマを上手く絞ってあり、テーマの問題点のアウトラインもきっちりと明瞭にしているので迷子になる感覚がない。
色を見るという感覚自体が主観的で、実のところ簡易に他者と比べることの出来ないものであると説明した上で、その主観を数値化して浮き彫りにするための手法がある。その筆頭がいわゆる色盲検査につかわれる『石原表』だが、その運用によって必要でもない負のラベリング効果の問題が生じたという。
実際、昭和の時代での色盲検査は大雑把で、その結果を受けて社会が起こした行動も、今の時代からするとテキトー過ぎるという著者の意見には同意する。
当時は社会の可能性が低く見積もられていたというのも現実なのだろうと思う。今でもその問題はあって、ほんの少しの理解と対応で、問題は軽減され時には消失するというのに、なされないままであったりする。
色覚は主観で、生物はひとつの感覚だけを頼りに生きてはいないという実際がある。よって、色覚はかなり融通無碍なところがあって、変異が多い分、極端な事例はあるもののグラデーションを成している。ばっさりと正常・異常で切り分けることなど出来ない。それならば、より多くの人間に沿った色彩を採用し、必要があれば対応する。それが出来ないのはおかしいという。振り上げられた拳なのだろう。
科学によって技術によって、出来ることが増えたならば、その分だけ枷は緩むはず。それを理解しないのはもったいないよという。そんなメッセージを私は受け取った気がしている。 -
色盲、色弱、色覚異常、そんな呼ばれ方をする人たちがいる。
特に男性では決して少なくない「異常」。
その特性から、本人はもちろん、家系事態が忌避されていた。
日本人男性では20人に一人、女性では500人に一人の割合でいるにもかかわらず、だ。
(公社)日本眼科医会 https://www.gankaikai.or.jp/health/50/06.html
私は「保因者」である(女性は10人に1人)。
これまで私が知る限りの近い親族に色覚異常を持った者はいない。
色覚異常ではつけない(とされていた、いる)職業についていることが多かったため、ほぼ間違いない。
誰も知らなかったが、ずっと、保因者の家系であったのだ。
それを知った時はショックを受けなかった、と言えば嘘になる。
だがよく考えてみるとかなり人数の多い「障害」、色覚異常は、本当に障害なのか、という疑問が出てきた。
そして、この生涯を理解したい、と思った。
過去を見れば、就けない職業があまりに多く、また、学生生活や結婚にまで、つまり人生におけるほとんどの期間、色覚異常の人々は差別されてきた。
確かに、職業選択をする年齢で初めて絶対に無理だ、と言われたら本人の心のうちは如何程だろう。
本書でも登場した中村医師を受診した際、やはり、早いうちに就けない職業があることを自覚する様に、と話されていた。
中村医師を非難するつもりは毛頭ない。
単純に、果たして過度に職業を制限する意味はあるのか、それが疑問だった。
本書は色覚異常の過去から現在、そして、そもそも色覚がなぜ発達してきたのか、そのメカニズムだけではなく最新の研究や、これからの社会のあり方も述べている。
ノンフィクションとしての質の高さもあるが、本人や、その親、親族の心の持ち方にも寄り添った書き方がされていて、本書はそんな当事者たちの助けにもなろうと思う。
「負のラベリング」という言葉が何度も登場する。
このことは多くを考えさせられる。
誰しもが遺伝子上の「欠陥」を持っている。
誰もが少数者、差別される側に回りうる。
ずっとこうだったから、ではなくて、これからどうあるべきか、多様性がなぜ保たれているか、そのことを考えなければならない。
そして、わからなからしょうがない、ではなく、だったら誰でもわかりやすく、それがこれからの当たり前なのだ。 -
タイトルから想像した内容とは異なった。これは色覚異常のある人に対する社会の差別を認識し、多様性の中でどのように適応していくのが正しいかを考えるためのレポートのような内容。
予想とは内容は異なったが、ところどころ新たな発見はあり、読んでよかった。 -
医学的見地と遺伝学的見地、生物学的見地からは見方が異なるという事。いろいろな角度で色覚•色を語ると、いろいろな考え方ができる。
私は聴覚障害を抱えているけど、医学的には治療を勧められ、嫌でも自分は異常である事を受け入れざる得なくなるが、生物学的からはどんなに条件が整っていても一定数の割合でハンディを持つ個体が産まれるという理論で励まされる。
一昔前の色覚差別がいかに異常であったかを考えさせられる本でした。 -
私が小学生のころは、健康診断で石原式色覚検査表の検査があった。皆面白がってやっていたが、確かに読めない子がいて、どうして読めないのかと不思議だった。馬鹿にしたりはしなかったが、読めない当人はショックだったろう。「負のラベリング」という言葉が重い。
「色というのは、個々人の脳内で形作られる内的な感覚」「つまり、主観」
男と女では色の見え方が違うと男脳女脳の本で読んだ。性別に限らず、そもそも色がどうみえているのかは、自分以外はわからない。他人も同じ感覚なのかどうかはわからない。
「人は加齢とともに水晶体が着色して、青みを感じにくくなる」
年齢によっても色の見え方は違うのだ。
爬虫類、鳥類は4色型だったが哺乳類は2色型で明暗を使ってものの輪郭を見分ける明度視に秀でている。霊長類は森の中で果物を見つけやすいように3色型に進化したのだという。2色型の人はコントラストに敏感だという。
「みんな自分の持っている感覚を総動員して生きている」
それぞれが自分の個性で生きている。それを異常というのはおかしい。負のラベルを正のラベルに貼り替えて、負けずにポジティブに生きて欲しい。 -
テクノロジーが世界を変えるのひとつだと思う。
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NDC10版
491.374 : 基礎医学 -
第66回OBPビブリオバトル「色」で発表された本です。
2021.11.24 -
子供の頃には色盲 検査があった 今はないようだ
検査方法は 古く 戦前のもの 丸い枠の中に色のついた丸がたくさん書いてあるものだ 今でも改良して使っている
新しいもっと正確な色の検査方法は日本の発明であるらしい 世界的にも正確に判定できると多くの国に使われているようだ=アノマロスコープ
色覚の検査は現実には特別な職業の人しか検査はしていないようだ
色の見え方には個人差がある
心理的な色の印象は異なる
判断基準が必要なのか 疑問である
ユニバーサルデザインカラー JIS 安全色 2018 -
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ふむ
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色覚異常についてのはなし。
多様性を大事にしようということ。 -
あらゆる「障害」とされていることに共通することだが、障害と正常というのはゼロかイチかで区分できるものではなく連続的、多次元的は広がりを持っている。
障害があるのは個体の方ではなく、それを受け止められずに排除して狭めている社会の方なのだろうと常々思う。
私は色覚では社会的に不自由をしなかったが、弱視でモノを立体的に見えないようで子供の頃から苦労した。おそらくこの違いは他人とは永遠に理解しあえないものなのだろうと思う。色覚においても同じように思って生きている人たちはたくさんいるのだろう。 -
何の根拠もなく、見え方って人によって違っていて、同じものが見えていないのではないかと考えていた。色覚が人によってかなりバラつきが大きいと良くわかったので、同じ物でも同じに見えてはいないことがハッキリした。
やはり多様性を受け入れて、違うことを追求する事は止めるべきだ。 -
小さな窓でも、そこから世界の本当に大事なことがよく見えるような窓がある。そんな感じだった。(色覚異常もとい多様性というのはそういうほど小さくもマイナーでもない問題なのかもしれんけど)
正常/異常という図式から、多様性と連続性への発想の転換がほんと強く求められると思う。
著者は色覚の問題を考えることを「より健全な世界観を手に入れるための練習問題」と述べていたが、まさに!
すごく広がる、読んで良かった本でした。 -
12月新着
東京大学医学図書館の所蔵情報
http://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2003534924 -
医学的知識は「正しさ」or「正しい」と強固に信じる人々がいる故、イデオロギー化しやすい側面はあると思っている。
それは、常に「正しい側」に立てると限った話ではないが、イデオロギー「そのもの」になってしまうか、それと対立する「勢力」として認知されるし、いずれにしろ「巻き込まれる」人の数は多くなる。
ただ、個人的には「医学/医療」というのは原点として「個人の苦痛を癒す」があるため、各個撃破には強いが、今回のように「世論」を大々的に巻き込むのはやはり不得手に思うし(いまのマスコミとの生産的とはいいがたい対立を見れば…)やはりそこは「宗教」や「政治」の十八番なのだろう。
あとは人は集団になると「異質なものはラベリングして排斥したい」という本能的なものが働く(ように思う)。
発達障害傾向のある労働者の就労調整をしていて、何度も苦い経験をしたけれど、「どこまでが障害でどこまでが個性か?」というのは非常に線引きが難しいし、実は引いたところで基本、無意味だったりする。単に合法的に排斥する理由が欲しいだけだったりするから。
残念ながら、結局「診断名をつける」という医療行為に、「排斥するための理由付けのラベリング」としてそれを求めてくる人たちが一定数いる(悪意はない。組織を守る大義だと彼らは思っているだろう)。「治療的」ではない、それをはねつけてギリギリまで粘るのも産業医の役目の一つのうちには(一応)思っている。
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P291
かつてこんな社会があった。
「先天性しきっ格以上は危険であり、見逃すことなく、すべて検出して、進学や就労を制限しhなければならない」と眼科医が言い、
「それならば、うちの会社では制限を設けます」「うちの大学でも門前払いします」と企業や教育機関が追従する。
「日本人がよりよくなっていくためには、劣った遺伝を排除していくことも必要だろう」と遺伝学に詳しい科学者が言い、
「ならば、中学、高校の教科書でも、注意喚起しましょう。学校検診では色覚検査を必須項目にして、すべての色覚異常者を見つけましょう」と教育行政がお墨付きを与える。
「医者も、企業も、大学も、科学者も、行政も、色々言っているみたいだから、やっぱり色覚以上は怖いんだね」と多数派の「正常色覚」の人は思い、娘が先手印色覚以上の男と結婚しようとするなら、一族を上げて大反対する。
先天色覚以上の当事者たちは、ひたすら黙り込み、自制を強いられる。生まれつき列島に生まれたものとして、自らの出自を呪い、その呪いの遺伝子が娘や孫に伝わることを恐れる。あるいは遺伝子を伝えた母や祖父を恨む。
色覚以上をめぐって語られるさまざまな言説が互いに補強しあい、今から見ると滑稽ですらあるほどの過剰反応が蔓延した。20世紀の「実話」である。 -
末っ子は色覚がちょっと特殊らしく、緑と灰色の区別がむずかしいらしいと小学生の時に気がついた。私の父もそういう感じだったので、遺伝したのだろう。
その末っ子が最近、右目と左目で見える色合いや明るさにちがいがあると言っていて、不思議なものだな、そういう見え方の人も少なからずいるのだろうかと興味深く思っている。かつての「色盲」「色弱」はいまではあまりいわれなくなり、「色覚異常」とくくられて、学校での検査も希望者のみとなっているが、「正常」と「異常」とはどう違うのだろう、はっきり境界があるではなくもっとゆるやかな幅のある感覚なのではないかという直感がある。
そんなわけで、刊行の宣伝を見て、すぐに手に入れて、しばらく積んだ後ぼちぼち読み始めている。 -
自分は小学生の時に学校の検査で赤緑色覚異常と言われた。中学では、何人かが別室に呼ばれ、就職で制限があるからと説明を受けた。化学、生物、工学でも色々な色の電線を扱う電気工学の分野は難しいとか言われて、自然に進学の方向を数学、物理の方向にせざるを得なかったな。この本は色はどうやって感じるのかから始まって、色覚異常の検査とその歴史と問題、現在の色覚検査、眼科医による認識、再度の学校での検査の開始可能性などが述べられ。色覚は異常・正常ではなく、広範な連続性があるものととらえていこうとしている。自分で不便と感じるときは、白いハンカチやシャツを買ったつもりでも、それピンクだよ!って家人に指摘されるときかな。
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人間の視覚のうちで色の認識は、客観的な外的事実の認知ではなく、あるスペクトラムの光をある色として認識するいわば錯覚であり、個体差が大きい。したがって、色盲、色弱と言われるカテゴリーと正常色覚を明確に区別することはできず、色覚の弱い人から、スーパーノーマルと言われる極めて色覚能力の高い人までなだらかな正規分布をなしており、正常と以上の間にギャップがない。
また、現在行われている石原式色覚検査は、偽陽性の発生頻度が極めて高く(男子で46%、女子では97%)、スティグマの弊害が大きい割に、メリットが小さく、一律に実施するのは妥当ではない。
という内容。健康診断におけるエビデンスベースの考え方を色覚検査に応用した議論であり、説得力がある。
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