ブラッドランド 下: ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 (単行本)

制作 : Timothy Snyder  布施 由紀子 
  • 筑摩書房
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レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480861306

感想・レビュー・書評

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  • 日本の原爆も凄惨な歴史だけど、ドイツもソ連も、対戦中は、すっさまじく悲惨な歴史を経験してる。
    ヒトラーもスターリンも、凄まじく人を殺してる。

    ドイツ人も日本人もロシア人も、残虐な加害者であると同時に、惨めで哀れな被害者なんだよね。
    ソ連の赤軍が、ドイツ人は人間ではないとみなして、ドイツの村で横暴の限りを尽くした話、特に、『ブリキの太鼓』で知られるギュンター・グラスの母親に暴力を振るった、というエピソードにびっくりした。p.145
    そのグラスもまた、17歳でナチ党の武装親衛隊に入隊して、ドイツ国境に迫るソ連軍を迎撃する第10SS装甲師団に配属されていたという。

    戦争はいやだなあ。

  • 2016年冬以来2回目。1度目に読んだときの衝撃でこの時代の認識の仕方が根本的に変えられたことがよくわかった。落ち着いてよく考えれば独ソ両政権に二重の支配を受けた地域が存在し,尋常でない苦しみを経験したことくらい予想できそうなものだが,独ソ(実質的にロシア)など大国の動きだけを見て大戦期の流れを把握していたから,挟まれた小国はまるであってもないような感覚で捉えてしまっていた。そういうものの見方はヒトラーやスターリンの世界観を無邪気に肯定することになってしまう。気をつけます。それにしても,この筆者の本を読むと本当に「民族」という概念が恐ろしいものだと痛感させられる。

    (要約)
     3-2.「最終解決」の開始(上巻からの続き)
     独ソ両政権の「協奏」によって拡大の一途をたどった大量殺人政策はベラルーシで最高潮に達した。人口の半分が死ぬか強制移住されたような国はベラルーシの他にない(p45)。ナチスはベラルーシにおいて最も激しいパルチザン闘争に直面した。スターリン体制下のソ連で主体性をもって行動することは当局に反乱分子とみなされる危険性があったが,それでもベラルーシのユダヤ人はパルチザンを組織し,その結果多数の民間人が巻き添えを食らって犠牲になった(p29,30)。ベラルーシ人(あるいはウクライナ人やロシア人も)にとっては,独ソいずれの側について戦うかはしばしば運の問題だった。ソヴィエト=パルチザンかドイツ警察が補充要因を求めて村にやってきたとき,たまたま居合わせたかどうかという問題である。いずれの陣営も新入りがその場の成り行きで加入を決めたことを知っていたので,敵側で戦って捕らえられた友人や家族を殺すといった任務を与えて忠誠心を試した(p37)。ドイツがベラルーシを占領した段階では,ドイツの軍人・文人指導者の中から,大量テロル政策が失敗に終わりつつあることに気づく者が出てきた。ほんとうは,赤軍に勝利するつもりなら,何らかの方法でベラルーシ人を結束させてドイツの統治を支援させる必要があった。だがこれだけの大量殺人を実行した後でそれはもはや不可能だった。ベラルーシに派遣されたドイツのプロパガンダ専門家は,住民たちに言えることが何もないと報告した(p43)。

     3-3.モロトフ=リッベントロップ線以西への拡大と死の工場の設立
     ドイツ占領下の地域で亡くなったユダヤ人はおよそ540万人で,その半数近くはモロトフ=リッベントロップ線以東の地域で,ほとんどが銃弾により,一部がガスによって殺された。一方,以西の地域では,ユダヤ人がもっと早い時期からドイツの支配下に置かれていたが,殺されたのは東よりもあとのことだった(p54)。ここでもまた,ドイツの殺戮作戦実行のため,連行されたソヴィエト国民が労働力を提供することになり,彼らはポーランドの地名をとって「トラヴニキマン」と呼ばれた(p54)。ポーランド・ユダヤ人の絶滅計画は,食糧供給量との兼ね合いで進行の度合いが変化した。労働力より食糧供給量のほうが心配されるときには家族を人質にとられる等してドイツのために働いていたユダヤ人警官などの者でさえ命の危険にさらされたが,逆に労働力のほうが重視されたときにはユダヤ人の殺害スピードは緩慢になった(p65)。ポーランド各地に建設された強制収容所の中で最も有名なのはアウシュヴィッツのものだが,アウシュヴィッツはヘウムノやトレブリンカなどに位置した典型的な他の収容所とは異なり,はじめは殺害施設ではなかった。あくまでアウシュヴィッツは戦争末期に赤軍が接近し,他の施設を閉鎖せざるを得なくなったときに,最終解決の主要な舞台となったに過ぎない(p81)。
     1943年,ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人は,ゲットー解体に対抗して一斉蜂起した(p99)。これを鎮圧したドイツはワルシャワに強制収容所を建設したが(p114),1944年,退潮傾向にあるドイツに対してワルシャワ市民は立ち上がった。ワルシャワ市民にとって重要だったのは,赤軍の到達する時期であった。ドイツに独力で勝つことは不可能だから,ソ連軍の進軍によってドイツの退却が早まることを期待するしかなかったが,赤軍が完全にやってきてしまえば自分たちの手でポーランド政府を樹立することは難しくなる。この時点で英米は東方からドイツの軍勢を押し返す赤軍に対し一定の信頼を置いていたが,すでにソ連支配の過酷さを経験していたポーランド人にはそれはできなかったのだ(p117)。ワルシャワ市民は赤軍がやってくるまでの時間が短すぎないことを祈った。しかし,現実にはむしろ長すぎた(p121)。ソ連軍はそれまでワルシャワに蜂起を呼び掛けていながら,いざ蜂起が起きたときにはそれより西のドイツ軍にてこずり,手を差し伸べなかった。これは意図されたことではなかったが,スターリンの政治目的にはかなっていた。独立のために命がけで戦うポーランド人がおおぜい死ねば,ドイツを追い払った後の支配は容易になる(p129)。英米は西部戦線を戦っていたが,ワルシャワ市民に対して何ら効果的な支援を行うことはできなかった。ヒムラーは,戦争の敗北が明らかとなったいま,自分自身がこの戦争の目標としてきたことをひとつ達成しようとした。それは東方総合計画の要であったスラヴ人とユダヤ人の街を破壊することだった(p131)。こうして完全にワルシャワは破壊された。文字どおり物理的に街のほぼ全域が物理的に壊され,人口の半分が失われた。ワルシャワ蜂起のさなかに殺されたポーランド人の非戦闘員は8月と9月だけで15万人にのぼるとみられる。ヨーロッパでこのような運命に見舞われた都は他にない(p133)。ワルシャワ蜂起を契機として,英米はスターリンの残忍さに気づいたので,そういう意味ではワルシャワ蜂起は戦後世界を二分した対立の発端ともなった(p135)。
     英米の誤解のうち,解けなかったものはまだあった。ドイツ国内になだれ込み,収容所から瀕死の人びとを助け出したアメリカ軍とイギリス軍の兵士たちは,ナチズムの真の恐怖を目の当たりにしたと信じていた。大量の死体や生きた骸骨のような人びとの写真は,ヒトラーの最悪の罪を伝えているかのように見えた。しかしワルシャワのポーランド人や赤軍兵士が知っていたように,それは真実には程遠かった。最悪の罪の証拠はそれよりさらに東,ワルシャワの瓦礫の中,トレブリンカの畑,あるいはベラルーシの沼沢,バビヤール渓谷の穴に隠されていた。赤軍はそうした地域のすべてを解放した。そしてありとあらゆる殺戮場と死んだ都市は,鉄のカーテンの向こう側,スターリンがヒトラーから解放してわがものとしたヨーロッパに隠されてしまった(p138)。もっとも,戦時中の時点からユダヤ人の殺戮については繰り返し西側連合国に伝えられていた。そのときユダヤ人の殺害をとめようとしてなんらかの直接行動をとったのは,ポーランド亡命政府だけだった(p107)。

    4.ソ連(第二次世界大戦後)
     4-1.戦後最大の民族浄化
     第二次世界大戦の前後を通じて,ソ連の強制移住策はある種の「進化」を遂げた。はじめは特定の階級をターゲットにして行われた強制移住は,しだいに国境地帯の民族的少数派を標的にするようになり,民族浄化へと移行していった。さらに1944年9月には,スターリンは民族の均一な状態を作り上げようとして,ポーランド人,ウクライナ人,ベラルーシ人を国教の内外へ移動させた。そして同じ理屈をはるかに大きな規模でポーランド国内に暮らすドイツ人にもあてはめたのである(p163-165)。こうしてソ連の手によって戦後最大の民族浄化が始まった。ここでもまたヒトラーの政策がスターリンの犯罪行為を可能にした。ドイツの東方進出の結果,連行できるドイツ人男性,強姦できるドイツ人女性が多数取り残されていた。ナチスはドイツ民族の名のもとに戦争をはじめたが,敗北の後に彼らが計画的な避難をできるよう手配することはなかった(p147)。ポーランドやチェコスロヴァキアではドイツ人に対して非人道的な手段がとられ,強制的に出国を決意させた(p150-151)。
     こうした追放策によって,スターリンはポーランドに自らの影響力をのこすことに成功した。ポーランドが望むか望まないかに関わらず,ソ連の軍事力に借りができた形にしたのだ。後年ドイツが復興したあかつきには,だれがオーデル=ナイセ線を守るのか,それは赤軍をおいて他にはいないだろうというわけだ。一方このころ,ソ連国内に暮らしていたポーランド人もまた西方への移動を強制されていた(p156)。こうして第一次世界大戦後より民族的均一性のために闘い続けてきた民族主義たちは排除された。共産主義政権が敵の計画を横取りしたかたちになった。民族浄化がソ連の統治策に取り込まれ,民族浄化を進めていた者が浄化されたのである(p165)。
     結果として,1943年から47年にかけて,再定住のさなかに亡くなった人の数は,ドイツ人がおよそ70万人,ポーランド人が15万人以上,ウクライナ人が推定25万人であった。また,民間ソヴィエト人についても,カフカスやクリミア,モルドヴァ,バルト三国などで最低でも30万人にのぼる死者が出たとされている。また,バルト三国のソ連による再征服に対する抵抗をこの総数に加えるなら,さらに10万人ほどを加える必要がある(p166)。

     4-2.スターリニストによる反ユダヤ主義と歴史の歪曲・隠蔽
     ソ連国内では思想家たちが第二次世界大戦の惨禍を利用し,スターリニストの支配を正当化しようとした。すべては「大祖国戦争」で勝利するために必要な対価であったというわけだ。そのためには,この戦争におけるロシア人の役割を強調することが重要だった(p169)。なぜなら,スターリンは共産主義陣営と西側諸国との接触を何より気にかけていたからである。戦間期のソヴィエト人は,資本主義者の搾取に苦しむ欧米の人びとよりも自分たちのほうが豊かな暮らしをしていると本気で信じていた。しかし第二次世界大戦中にはアメリカが無敵の経済大国として台頭し,マーシャル=プランというかたちで経済支援を申し出た。スターリンはこのような支援を拒否し,従属国にも同様にするよう強いることはできたが,それでもソ連の国民が戦争中に知りえた西側の本当の生活水準などの情報を消し去ることは不可能だった(p170)。だとすれば,スターリニストが戦争神話を創作するとなれば,戦争経験から最も遠いロシア人を基盤にするのが無難であった。ロシアの住民のほとんどは,ウクライナやバルト三国の住民のように,何か月も何年もドイツの占領を経験していなかった(p172)。ロシア人を中心とするソヴィエト国民が辛酸を舐めながらも一致団結してファシストの憎き侵略者に抵抗し,祖国の名誉を守ったという筋書きがこうして作成された(p181)。
     ソ連の領内でドイツ人に殺されたユダヤ人の数は国家機密になった(p179)。膨大な数のユダヤ人が殺されたという事実は,ロシア人を戦争神話の中心に据える構想とは矛盾するし,ドイツ人が占領下のソ連でそんな短期間にどのようにしてそれほど多くの民間人を殺せたのかという厄介な問題を提起することになったからだ。もちろん,ドイツ人は民間ソヴィエト人の手を借りたのだ(p180)。また,あの戦争にはソ連がどうしても触れるわけにはいかない革新的な事実がひとつあった。それは,独ソ両国による占領がドイツ一国による占領よりも苛酷であったということだ(p183)。戦争で最も悲惨な体験をしたソヴィエト国民とは,ドイツ軍が攻めてくるより先に武力によってソ連の支配下におかれた人々だったのである(p184)。さらに戦争がはじまった1939年には独ソが同盟関係にあったことも,1941年にはソ連がドイツの攻撃に備えていなかったことも,黙殺しなければならない。東欧でのユダヤ人の大量殺害は,このように不都合な事実をいくつも呼び覚ます恐れがあった。だからなかったことにする必要があったのである(p185)。
     当初はイスラエルを親ソ国家に仕立て上げようと支援していたソ連の公的機関は,1948年末から49年初めにかけて急速に反ユダヤ主義へ舵を切った(p187)。この2年の間に,スターリンの脳内ではソヴィエト・ユダヤ人がアメリカのためにスパイ活動をしているという疑いが確信に変わっていった。ベルリン封鎖や朝鮮戦争の経験を通して,スターリンは再び敵に包囲されてしまったと感じていた。1930年代と同様,1950年代でもソ連が国際的な謀略の標的になっていると見ることは可能だっただろう。今度の首謀者は前回のように(ロンドンを黒幕とする)ベルリン・ワルシャワ・東京ではなく,(ロンドンを黒幕とする)ワシントンだというわけである。スターリンは第三次世界大戦の勃発は避けられないと考え,これに備えていた。たしかにいくつかの点では,国際情勢が戦前より緊迫しているように見えたかもしれない。このころ西側の資本主義世界は大恐慌期とは違い早くも復興を果たそうとしているように見えたし,ファシズムを軸にして反目するどころか軍事同盟(NATO)を結成してひとつにまとまろうとしていた(p210)。
     1953年1月,共産党機関紙プラウダは,アメリカが医療行為を利用してソ連の指導者たちを殺害しようとたくらんでいると発表した。加担した医師たちはユダヤ人であるという(p216)。この医療テロの報道は,ポーランド人ではなくユダヤ人を標的にした大テロルの再来を予感させた。もっとも,その後スターリンは死亡し,また戦争の危険を利用して危険分子の排除を訴えるロジックはこのころ力を失っていたから,戦前のような大量殺人には発展しなかった(p220,222)。ソ連の影響下におかれた東欧諸国においても,共産党政権により殺害された人の数は少なくとも1933-45や1945-47の時期よりはずっと少ない数にとどまった。ポーランド共産党の指導者層にいたユダヤ人も,スターリンの反ユダヤ主義から身を守るためにポーランドにおけるユダヤ人の歴史をなかったことにして,粛清を防いだ(p200)。
     このように共産主義者は,自分たちだけが本当の犠牲者であると主張したかったから(p226),ヨーロッパ・ユダヤ人をドイツの政策の犠牲者という歴史的な立場から外し,帝国主義が共産主義に陰謀を仕掛けているとする物語に組み込んだ。そこからほんの少し踏み出せば,ユダヤ人自ら陰謀をたくらんでいたというシナリオを描くこともできた。当初,ヒトラーの重罪の全容解明をためらっていた共産主義者は,数十年のうちにヒトラーの世界観の一部を追認することになったのである(p230)。スターリニストの反ユダヤ主義により殺された者の数は一握りだったが,このことはヨーロッパの過去を混乱させる原因になった。ヨーロッパ諸国の大半を共産主義政権が統治しているかぎり,ホロコーストが正しく理解される日は来なかった。東欧では現実に何百万人もの非ユダヤ人が殺されていたから,共産主義者はこうした史実を根拠にして非ユダヤ人の受難をことさら強調した。東欧のユダヤ人のほとんどが殺されてしまっていたし,ユダヤ文明の偉大な本拠地であったワルシャワは破壊されていたから,ホロコーストをノーブランドの苦難の歴史に埋没させるというたったひとつの修正を加えるだけで,かつてあれほど東欧にとって中心的存在であったユダヤ文明は異質なものとして遠ざけられた。こうしてホロコースト,ドイツが進めた他の大量殺人政策,そしてスターリニストによる大量殺人は三つの異なる歴史となったが,実際には時間も場所も共通していた(p231)。そして鉄のカーテンが取り払われた今,解体された三つの歴史をつなぎ合わせることがはじめて可能となったのである。

  •  下巻はベラルーシのパルチザンから始まり、ナチス=ドイツの「死の工場」、ワルシャワ蜂起の悲劇、第二次大戦終結後の東ヨーロッパで展開された「民族浄化」と戦後ソ連における反ユダヤ主義の顕在化について。
     
     〈ヒトラーとスターリンはいったい何をやってしまったのか〉を丹念に、しかし情熱的に掘り起こし続けた一冊の最後が、政治的な記憶のシニシズムに対する歴史研究の意義を訴えることで終わるのは、たしかに必然ではあるけれど、やはり印象的だ。だが、それは単に規模としての死者の「数」を明らかにすることだけが目的ではない。究極の目標は、〈数を人間に戻す〉ことでなければならない――このアピールは、戦争と受苦の歴史/記憶を考えようとする者すべてが、共有すべき指摘であるだろう。
     個人的に勉強になったことは、1930-1940年代の日本帝国や東北アジアの情勢が、いかにヨーロッパやソ連の動静に影響を受け、与えていたかを確認できたことである。考えてみれば当然なのだが、ノモンハン=ハルハ河戦争は、ソ連の軍事力を西側に集中させる決定的なポイントになったし、ソ連による敗戦後の「抑留」は、1930年代から続いた集団化と強制収容政策の流れのなかではじめて適切に理解することができる。スターリンが国境地域の朝鮮人を中央アジアに集団で強制移住させていたという事実も、初めて学んだことだった。1930年代の朝鮮民族を離散者として捉えてみせた金史良は、はたしてそのことを知っていたのだろうか?

  • ユダヤ人の大虐殺と言えば、私たちが想いうかべるのはアウシュビッツの強制収容所だろう。ここでは、約90万人のユダヤ人がガスによって殺害された。もっと恐ろしいのは、この殺害以前にソ連とドイツによって推計訳1300万人のユダヤ人が飢餓や銃殺や強制労働によって死亡している。作者が述べているように、ヒトラーもスターリンも専制支配特有の政策を強行したのである。いずれも、破滅をもたらしておきながら自分の選択を敵のせいにし、何百万という人々の死を利用して、自分の政策が必要であった、あるいは望ましかったと主張した。 いずれも社会改革構想をいだき、実現不可能とわかると特定の集団に責任をなすりつけて大量殺人におよび、いわば「代替勝利宣言」のようなことをしたのだ。現在も同じようなことをしでかそうとする国があることが恐ろしい。

  • 中欧が1930年代から40年代に経験した大量殺戮を検証し直す著書の下巻。
    著者は、この地域(ポーランド・バルト3国・ウクライナ・ベラルーシ・ロシア西部国境地帯)をブラッド・ランド=「流血地帯」と呼んでいる。

    上巻に続き、著者はこの地域で起きた大量殺人を丹念に洗い直す。下巻では1941年以降の流れを綴る。

    アウシュビッツに代表されるような強制収容所での所業もひどいものだった。しかし、トレブリンカなどの絶滅収容所では多くの人々が証言する機会も与えられないまま、即刻ガス室に送られた。
    人口の半数にあたる60万人もの人々を喪ったワルシャワ。故意に多くの市民が餓死に追い込まれたレニングラード。壊滅的な打撃を受けた都市も数多くあった。
    代表者となる人を残すこともできず、後世、政治的に声を挙げることもできないまま、聞かれぬままになっている死者たちの声が、注意深く、静かな怒りを持って拾い上げられていく。

    死者1400万人。
    1400万の数字(それすらも控えめと著者は言うのだが)は、単なる概算された数字で済ませてよいものではない。それは1人x1400万であり、加えて数十数万数千数百数十数人の途切れた人生を含むものだ。
    1人1人の生がどのようにして終わったか。それはなぜだったのか。本書は全体としての流れを追いながら、残された記録から、個々の人生の具体的な姿を追う。
    最期を迎えた人々の胸を打つ記録を読めば、多くの読者は自分も1400万の1人であったかもしれないと思うだろう。その認識は大切だ。しかし、さらに大切なのは、自分がその1400万の1人を殺す方であったかもしれない、という意識だ。
    信じられないほどの殺戮は、ヒトラーやスターリンなくしては起こらなかっただろう。しかしまた、ヒトラーやスターリンのみでは起こらなかったことも事実なのだ。

    1人1人の生を追うことはまた、歴史問題の安直な理解に疑義を呈する。
    1400万の人々は、歴史の複雑な事情の中で命を落としている。
    「ナチスがユダヤ人を大量に殺した」とまとめてしまうと、「狂った」ヒトラーが「ドイツ人」の利益を横取りする「ユダヤ人」を目の敵にして始末した、という、比較的「わかりやすい」図式を生む。
    しかし、「ユダヤ人」とは何だったのか。古くから例えばポーランドに住んでいたユダヤ人は、周囲に溶け込み、別段、特異な存在ではない例も多かった。
    「ユダヤ人」というレッテルは、目に見えぬ不満のはけ口とされたのではないのか。
    ホロコーストで殺された人々の中にも非ユダヤ人は多かった。一緒くたにしてラベリングしてしまうことで本質は隠れる。

    ハンナ・アーレントが、アイヒマンを指して「陳腐な悪」と呼んだものは、アイヒマン自身にだけ宿るのではない。それは、人間を超えた怪物ではない。1人1人の中に宿るものだ。1人1人被害者たり得たかもしれないが、また、1人1人加害者たり得たかもしれない。つまり、戦時の高揚は決して過去のものではなく、現在・未来、身近になり得るということだ。
    戦争で起きた悲劇を、国ごとに捉えたのでは流れは見えてこない。国には国の言い分がある。現在の政治的立場もある。死者たちはときに、現政権の「駒」としても使われる。我が国はこれほどの損害を被った。それは「ヤツら」のせいだ。
    「勝った者」「生き残った者」「声の大きい者」「主義主張の強い者」だけが語る歴史には、嘘とまでは言えなくても、往々にして誇張が混じる。
    そのことを冷静に慎重に見ていかなければならない。
    それが1400万人、いやこれまで「戦争」によって命を奪われた人々への鎮魂ともなるだろう。

    専門家にしかなしえない仕事はある。本書はその好例と言える。
    そのことに圧倒される一方で、専門家がなした仕事を受けて、市民として考えていくこともまた、大切なことだと思う。

  • たぶん半分くらいしか理解できてないけど、視点がすごい。最後の考察とか。確かに死亡者数が膨大すぎで感覚が狂ってくる

  • ホロコーストと戦後の認知など。
    訳者あとがきにもあるが、終章「人間性」は圧巻。
    知識がなく理解できない部分も多かったと思うので、そのうち再読したい。

  • ソ連とその新たな東欧衛星国の人々にとって第二次大戦は核となる重要な経験であったとされてからは、共産主義ヨーロッパ社会で暮らす者はみな、ロシア人がどの民族よりも懸命に戦い、苦しんだのだと理解することを期待された。ロシア人は未来永劫、最大の勝利者であり最大の犠牲者である、と。ソ連の他の共和国や老翁の新しい衛星国は、危険な西側諸国からロシア人の祖国を守るのだ、と。ソ連指導部の理屈は、ユダヤ人にはさらに受け入れがたかった。ドイツはソビエト・ユダヤ人を殺し、それからポーランドユダヤ人を殺害したのち、他のヨーロッパ・ユダヤ人へと殺戮の対象を拡大していった。ロシア人が最大の受難者だと言いたいソ連としては、どのような戦争史を書くにしろ、このようなホロコーストの歴史を盛り込むあけにはいかなかったのだ。特に苦難の流心地を湯dさy人志望者が比較的少なかった東のロシアに移した歴史を核となると、なおさら、ユダヤ人の惨苦に触れることはできなかった。大半のユダヤ人は、ソ連が戻ってきたことを解放とみなしたが、他のソビエト国民の方がもっと大きな苦しみを味わったと認めるわけにはいかなかった。ソ連の領土内でドイツ人に殺されたユダヤ人の数は国家機密とされていた 。

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著者プロフィール

ティモシー・スナイダー
1969年オハイオ州生まれ。イェール大学歴史学部リチャード・レヴィン講座教授。オクスフォード大学でPh.D.を取得。専攻は中東欧史、ホロコースト史、近代ナショナリズム研究。邦訳されている著書として『赤い大公――ハプスブルク家と東欧の20世紀』『ブラックアース――ホロコーストの歴史と教訓』(共に慶應義塾大学出版会、2014年、2016年)、『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(2015年)、インタビュアーを務めたトニー・ジャットの遺著『20世紀を考える』(2015年)がある。11のヨーロッパ系言語(とりわけスラヴ系言語)を駆使することで、ホロコースト研究に新しい地平を拓いた。ハンナ・アーレント賞をはじめ多彩な受賞歴を誇る。有力紙誌への寄稿も数多い。

「2017年 『暴政』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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