移行期的混乱―経済成長神話の終わり

著者 :
  • 筑摩書房
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レビュー : 26
  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480864048

作品紹介・あらすじ

人口が減少し、超高齢化が進み、経済活動が停滞する社会で、未来に向けてどのようなビジョンが語れるか?『経済成長という病』で大きな反響を呼んだ著者が、網野善彦、吉本隆明、小関智弘、エマニュエル・トッドらを援用しつつ説く、歴史の転換点を生き抜く知見。

感想・レビュー・書評

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  • 保護貿易政策や護送船団方式と呼ばれた官民一体の経済システムに守られた日本経済は、ソ連の崩壊や牛肉・オレンジ輸入枠の撤廃などの国際社会の枠組みの再編を受けて、保護貿易から自由貿易へと変化を余儀なくされた。1991年以降の平均経済成長は、それ以前の3.8%から1.1%に低下した。

    トッドらが世界中の国の社会構造の変化と人口動態を調査して得た結論によると、民主化の進展、教育の普及、識字率の向上、女性の社会的な地位の上昇という一連のプロセスは、出生率と負の相関関係がある。人口減少とは、文明が進んだ結果であり、人間と社会形態のアンバランスを調整しようとする出来事と考えられる。

    江戸時代に人口動態が固定化されるのは元禄時代だが、この時期は貨幣経済が確立した時期で、商品経済が活発化している。元禄バブルの後の混乱を経て、戦国時代以来の高度経済成長が一段落して低成長時代を迎える。経済的停滞と社会変化の鈍化は、人口動態の固定化に大きな影響を与えたと考えられる。

    2000年以降の10年間には、企業の不祥事が横行した。しかし、著者は、不祥事を起こした経営者の倫理が崩壊しているわけではなく、人も社会も成長しなければならないという右肩上がりの幻想や信仰のゆえに倫理を踏み外していると考える。消費者の嗜好が個別化、多様化している中で、従来のように売り上げを伸ばすことができなくなった老舗企業の経営者が採り得る手近な手段は、コストカットである。一般管理費や人件費をスリム化した後に、商品の製造原価を下げれば、商品の市場価値を低下させることになる。これを繰り返すと負のスパイラルに陥り、禁じ手を使うと不祥事となる。つまり、経営者たちが利益を出すことに従順であったがゆえに、禁じ手を使ったと考える。

  • 人口減少が一段落するまでの移行期的混乱、それは前例もなく、過去の経験であれこれいっても仕方ない面もあるのだけど、こうは考えないほうがいいかもな、なんて話。
    「 いつでも時間と金を自由に交換できる、労働を金に交換できる」という観念が成立した頃に生まれ育った身としては、等価交換以外の交換に憧れながらも、実際にはほとんど踏み出せない。リフレ政策で右肩上がりの時代と似た現象が起きたとしても、背景にはまったく異なることがある、ということを認識していないと、大きな落とし穴に落ちるのかも、ということが漠然とわかった。漠然と、だけど。

  • う~ん。評価が分かれると思う。私は、ところどころなるほどと思うところもあったが、全体としては著者に同意することはできない。
    百年単位の時間軸で読み解くべき転換期かどうかは、今時点では誰も判断できない、歴史家の評価を待つしかないと思う。それは本書でもそう述べられている。本書のような主張を支持するかどうかは、理解・判断ではなく、勘や信仰の問題。あたるも八卦あたらぬも八卦。言うのは勝手。特に最初のうちは「オリンピック以前の日本人の心性を、現在の日本人がリアルに思い浮かべるのは難しいかもしれない」などと、それは個人(年齢等)によって違うだろ!と突っ込みたくなる、著者の独りよがりが多いように感じた。また、倒産の増加や自殺の増加も移行期的混乱の表れだなんて俄かには信じがたい。加えて、視点が国内に止まっており、なぜ日本だけが著者が主張するような歴史的転換期に至ったのか、他国がそうならないのはどうしてかといった考察に欠けている。
    余談になるが、理工学部出身の著者の本に、ロバート・ソローの経済成長モデルが出てきて驚いた。

  • これは好き嫌いが分かれる、ビジネス書と言うよりも思想論に近い。

    まず、リーマンショック以降の今の日本の状況は単なる金融危機から原状復帰を目指している場面ではなく、人口減少時代という新たな時代への移行期であるため、そもそも成長戦略や経済成長ありきの政策を論じていること自体がおかしいのでは、という筆者の視点にはある程度共感(筆者曰く、成長戦略がないことが問題なのではなく、成長しなくてもやっていける戦略がないことが問題)。

    高度成長と民主化の進展は、ここに至っては日本の伝統的な家族構成である、家長制度、長子相続と行ったことまで変容させて行くこととなり、例えば二十四時間の生活の利便性を追求したコンビニエンスストアは、いつでも時間と金を自由に交換することができるという観念、労働を金と交換するという観念が人々の価値観の中に浸潤していくことになった・・・といったくだりは、総論も納得だし、各論としてのコンビニというビジネスモデルがもたらした弊害についても、個人的には非常に残念に感じている。便利さと引き替えに街の景観と小売り業を破滅させてしまったという日本の現状は、フランスに約3年住んでみて、街の景観は統一されていて、マルシェがあって小売りが元気で、買い物には会話がつきもので、といった、言うなればその町民文化的豊かさを肌身で感じただけに、共感できる。

    一方で、後半の資本主義に対する警鐘として、「ビジネスにおける等価交換の原則が壊れてきている」という主張をサポートするために挙げている、医者と患者の情報の非対称性については、賛同しかねる。
    筆者曰く、医者と患者といった情報格差がある立場においては、既に等価交換の原則が崩れており、だからこそ「医者の治療行為に対して医者が受け取る直接の返礼は病の治療という結果であり、返礼される金品は病の治癒に注がれた贈与への返礼という意味が濃厚だ」というのは、今の公的医療制度に対する誤った認識から来たものだと言わざるを得ない。
    医者が提供する医療サービスに対して対価を払うのは、患者ではなく健康保険組合であり、共済組合であり、患者はその医療費を一部負担しているに過ぎない。
    そのため、こういった公契約を取り上げて資本主義の等価交換性への反論とするのは、荒唐無稽な話になってしまう。

    上記のように論理がねじれた指摘もあるが、考え方自体は、例えば政治家であれば分かっていても口には出せないような話であり、中々面白い。
    こういう自分とは違う意見をじっくり聞いてみるのも、新たな気付きを与えてくれる一助になる。

  •  『経済成長という病』(講談社)で、「私たちはずっと、進歩を生きてきたと思っていた。しかし本当は退化を生きてきたのかもしれない」と、刺激的な発言をした著者の最新作。
     本書でも著者は、<経済成長>という言葉の、あるいは現象の、幻想性と不確実性について論を展開している。その論拠として戦後の50年を振り返り、日本経済がどのような質の労働力と労働倫理によって支えられていたのかを検証した著者は、今起こっていることを、<移行期的混乱>であると、結論付けた。<移行期的混乱>とは、「時代を動かしているものそのものが揺らぐということ」だ。
     「問題なのは、日本に成長戦略がないことではない、成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ」と、<経済成長>なしでは世界観を構築できないすべての人に、警句を発する著者は、中小企業の現役社長であり、幼い頃を東京の町工場で過ごした下町っ子だ。そして、アメリカの現在の惨状を予見したとして名高い『帝国以後』(エマニュエル・トッド著、藤原書店)の著者は、経済学者ではなく歴史学者だった。
     「ほとんどの問題には合理的でクリスプな解決策があるが、同時にほとんどの問題は、その解決策を生み出す発想そのもののうちにすでに孕まれている」という著者の指摘に、耳を傾けたい。

  • 著者自身、「ビジネス」あるいはビジネス書というものから距離を置いているので、分類が難しいが、現代の流れを読み解く本という位置づけか。

    この手の思想をまとめた本は分かりづらいものが多いが、この本は言わんとすることが明快に分かるので、その点非常に好感。

    主張としては、「経済成長」というものさしで時代を測るのはもう終わりで、これからは新しい尺度を持った社会へ移行していく。今はその過程にあるので、移行期としての混乱が生じるが、背景としての思想を的確にとらえていれば混乱のインパクトを減らせるでしょう、というもの。

    この本が書かれたのは2年前だが、2年前より更に閉塞感が漂う社会となっている様に思われる今、、この本を読むとその原因がまさに経済成長というものさし自体の誤りにある、というのがしっくり嵌る。

    移行がスムーズに行われることを願う今である。

  • 私は1990年生まれで、物心ついた時から現在まで、日本が経済的な地位を上昇する局面に触れたことがないというか、まぁおそらくゆっくりと、成熟国家への道をたどっていくのだろうな、という感想は持っている。栄枯盛衰とは昔から言われてきた事で、しかも圧倒的多数の新興国が世界中で、あるいはアジアでは日本の後を追って一枚岩で経済発展へと向かっていくのだから、相対的に日本の地位は下がっていかざるをえないのは、普通に考えてみればみんなわかることだと思っている。日本はこれから、後を追う新興国のためにも「成熟国家」としてのあり方を示していくべきだし、そのためのヒントがこの本には散りばめられている。

  • 「経済成長はもう死んでいる」「ひでぶっ」というわけで、未だに人口増加を前提にしている成長モデルにしがみつく考え方への憤怒の書。フランスの人口学者エマニュエル・トッドの人口動態による大きな物語をきっかけとしながら、1950年生まれの自身の個人的な思い出を反芻しながら進展していくので骨太かつ情緒的な印象です。かなり、イライラしていると思いました。それは。経済界や政府の認識に対する切歯扼腕だけではなく、父親の介護を抱えつつ前に進もうとする63歳の男の焦りなのではないでしょうか?それだけに介護ビジネス、医療ビジネス、教育ビジネスが売り手と買い手の非対称性によって公正なビジネス足り得ないという指摘は鋭いと感じました。さてさて。

  • 経済成長をしない世の中への移行を提案。
    現在はその移行期としての混乱状態にある。
    人口は無理して増やすことは出来ず、逆説的にいえば人口が増えるために減少する。
    成長戦略は必要なく、移行期的混乱を緩和する術があればよい。

    成長しない世の中はどんな世の中なのか、は書いていない。

  • 近年横行しているお客様至上主義も、企業の偽装事件も、民主主義・資本主義経済のなれの果て、起こるべくして起きたんだなぁ~と実感!
    のらりくらりのその日暮らしな自分の生き方も、あながち間違いじゃなかったのかもしらん。と思える一冊でございました。

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著者プロフィール

平川克美(ひらかわ・かつみ) 1950年、東京都生まれ。文筆家、隣町珈琲店主。

「2020年 『街場の日韓論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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