経済学オンチのための現代経済学講義 (単行本 --)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480864826

作品紹介・あらすじ

経済学とはそもそもどんな学問なのか。英国を代表するエコノミストが通俗的批判を斥け、現代経済学の展開を手際よく紹介。その現状とあるべき姿に迫る白熱講義。

感想・レビュー・書評

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  • 何の気なしに手に取った。
    そもそも経済学者の存在意義への懐疑となんとなく胡散臭い印象から、現代経済学ってどのようなスタンスなのだろうという疑問はうっすらとあり、それにある一定の答えを提示してくれる書籍であった。

    GDPは1940年台に作成された指標であり、現在の無形資産隆盛の時代にはそぐわないという指摘。これは肌感覚で分からないでもないなと。グローバル社会において企業が越境して活動し各国でサービスを提供するような世界において、自国の生産高に固執するのはいかがなものか。環境問題や幸福度といった要素まで包含した新しい指標の登場が待たれるが、その指標が出来上がった時点ですでに陳腐化してしまうかもしれないほど、時代の潮流は激しい。

    胡散臭さの正体の一端は、政府などの公的機関や巨大な大手民間企業のの影響が免れないイメージだなと腑に落ちる。結局市井の人々ではなくレントシーキングによる補正がかかってしまつんだろ、という諦観がある。
    著者の提示するデジタル社会における経済学、ある程度独立して、他分野の学問からもヒントを得て、獲得できる統計情報をまとめ上げ現実を反映した政策を提言できる経済学者は、魅力的だな。自分もそのような指針を手に、世の中を見つめていけるように意識していきたい。

  • 「経済学オンチのために・・・」というタイトルだが、決して「サルでもわかる・・・」という内容ではなかった。
    今のノーベル経済学賞のテーマを見ても、これが経済学なの?と思えるものが多い。著者が何度も書かれている通り、一般のイメージとは異なりマクロ経済を中心にしている経済学者はレアで、ミクロがむしろ主流ということなのだろう。
    現代経済学講義が次に続くタイトルだが、そんな経済学者達が何に取り組んでいるのかというより、批評であったり、今後の視座のような内容が多かった。その点では期待と外れていたかな。

  • 経済学者は経済や政策に与える影響を自覚すべきという。

    経済学に対しては様々な批判が寄せられるものの、そうした批判に対して経済学も進歩してきている。行動経済学とか…

    それでも限界はあるという。とくに著者はマクロ経済学の不備を指摘していたように思う。GDPで質の変化を捉えられないこと、デジタル経済の外部性や収穫逓増について、地域間格差等々。

    デジタル経済などの経済学が十分に対応できていない分野に対して、経済学が普遍的な回答を用意できないがゆえにかつての政治経済学を立ち戻る必要があるという。

    とりあえず最新の経済学まなびたい。

  • 著者は、英ケンブリッジ大学公共政策学教授、ジャーナリスト。英インディペンデント紙経済学エディターなどを兼任されているそう。

    オックスフォード大で哲学、政治学、経済学を学び、ハーバード大で経済学の修士号と博士号を取得。

    著者は本書で、経済学という学問、経済学者の社会的役割について、

    そして今ある経済学の考え方をどう刷新していったらいいのかについて論じられています。

    経済学入門、的な本ではない。

    タイトルのノリでは正直よむものではない本だと思います。

    著者は、経済学者としても、

    経済学が知的学問あるいは専門的実践として、分析の対象である経済の形成に貢献してきた、と肯定する。

    一方で、その前提となっている枠組みに欠陥があること、

    金融危機でも露呈したその欠陥は、これまでにも著名な専門家により指摘されてきてはいるものの、

    今日でも十分維持されている考え方である、らしいです。

    どうしたらいいのか。

    ・・・

    - 実証経済学の分離の原則、という考え

    古典派経済学、ミルトン・フリードマンに代表され、事実の解明に焦点を当てた経済学の在り方。経済理論は、事実に関する疑問や、実証的な質問への回答として、実験を通して観察され、記述され、モデル化される。

    つまり、経済学が規範的判断、価値判断から独立している、倫理的判断は政治家や哲学者の領域であり、経済学者の考察外である、という立場。分離の原則、と言われるそうです。

    ___実際のところこの経済的大惨事は、経済学が啓蒙運動のなかで誕生したときのように、自然科学と類似の手法をとった結果として作り出されたものだ。(本文より)

    しかし、経済学は社会の価値判断や倫理的問題と切り離すことはできない。

    著者は、この古い考え方に依拠した経済学を刷新する必要性を強調し、

    実証経済学とも対比される、厚生経済学」をさらに発展させていく必要性を述べています。

    - 経済学の行為遂行性、という考え

    実証経済学の考え方が示すように、経済学も社会科学なのに、あたかも自然科学のように扱ってきた、らしい。

    でも経済学は自己成就型予言になる。

    「言葉が行動を形成している」

    そもそも経済自体が実体がなく、概念で成り立つ。

    経済学者がモデルや理論を打ち出したらそれが経済についての考え方となる。

    金融オプションの価格設定モデルもそうであった。

    市場は期待で動く、というように、

    高い値段をつけたら貴重な価値のあるものだと思うように、

    市場と私たちは相互に反応しあっていて、

    それを実際には雑多な文化的価値観、境遇、経験を持った人たちが、

    値段という共通の価値で取引ができる場となっている。

    経済ってどう動くの、

    その商品ってどれぐらい価値があるの?

    経済学者の言葉の重みを考えると、社会的責任を伴っていることは明らかですね。

    - 市場の価値表現

    著者は、市場の持つ2つの役割を区別すべきだという。

    1つは、価値を産み出すと同時に表現すること。あらゆるものに値段をつける手段として。

    もう1つは、経済活動を調整すること。需給のマッチングプロセスとして。

    そこにある前提の問題。

    マイケル・サンデル教授の議論がところどころメンションされています。

    サンデル教授は著書で、あらゆる財は同じ単位で測定可能で、単一の尺度や単位価格にもれなく変換できるという前提は、素直に信じられない、と論じる。

    経済価値をつけたところでそのモノやことの本質そのものを変えてしまう、行為遂行性もあり、市場価値で一般化できない価値もあることは明らか。

    なのに、あたかも経済がすべての価値を表現できるというような考え方で物事を進めると、

    その考え方がそのほかの多様な価値体系を塗り替えてしまう、

    のかもしれない。

    そんな時代に生きているのだとつくづく。

    - 経済学の刷新方法

    モデル一辺倒の姿勢を改め、仮の理論でも役に立ちそうなら取り入れること。

    定量データや統計がエビデンスの全てではない。
    政策評価には、現実に即した反実仮想を比較対照に選ぶこと。

    分離の原則と縁を切り、どんな社会で暮らしたいのかを考える経済学にすること。

    ___私たち経済学者は厚生経済学の土台に目を向け直し、社会全体を対線にした資源の配分やその結果について考えなければならない。さもなければ、今日の政策間題について語る能力は制約される。(本文より)

    「ある」という存在に答える実証経済学に対比される、「べき」に応える厚生経済学。

    アマルティア・センさんの、ケイパビリティ・アプローチや、
    ロバート・シラーさんのナラティブ経済学についても触れらていました。

    アメリカでは、学生の主導もあり、経済学専攻でもより学際的な知識を取り入れるためのプログラムが組まれるようになったという話も紹介されていました。

    著者はGDPを再考する書籍も出されています。

    GDPも実質GDPも、実体のない数値だと本書では触れられていましたが、

    何かを判断する一つの指標としては役に立つこと、それがすべてではないこと、そして、具体的には何に役に立つ、何のために使える指標なのか、何には全く使えないのか、ということをもっと多くの人が声に出さないといけないのかもしれないですね。

    そして経済学も経済学者ももっと多様化していくこと。

    経済学について少し学ぼうと手に取りましたが、
    具体的な経済理論は正直全く学ばず、
    思っていたよりも広い意味での経済学について考える機会となりました。

  • ニューパブリックマネジメントは、理論に従事な形で民間の経営手法を取り入れ、結局は利己的な主体として行動する傾向を強め、公共サービスに対する市民の信頼性を損なっている
    ケネスアローの可能性定理では、個人の効用を加算し続けても、結局、パレートの基準を満足させるような社会的公正を計算できない
    行動経済学は人間は合理的という前提に立つ
    (しかし、人間は合理的な判断をしないことから行動経済学の優位性は失われる)
    21世紀の経済学は、非線形、動的、収穫逓増、外部性の蔓延、不均等な配分、流動的な選考、社会重視
    制度へのバイアス

  • タイトルを見ると、初学者向けの経済書籍と勘違いするだろう。
    昔、経済学を学び、その後のブラッシュアップができていない私には難しい内容の本だった。
    最近、経済学部でみっちり学んだ人でないと、理解に苦しむ内容である。日本の大学はカリキュラムが古いままの場合が多いだろうから、現役の経済学部の学生でも苦戦する内容かもしれない。
    著者の主張のうちで理解できる部分は、まっとうである。

  • 経済学の書籍 一般読者でも読めるかなと思ったけどやっぱり難しかった。

  • 訳のタイトルは元のタイトルをどう訳すとこうなるんだろう。実際、オンチ向けじゃない。大変よくできた2023年の経済学入門ではある。

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著者プロフィール

ダイアン・コイル(Diane Coyle):経済学者、ジャーナリスト。オックスフォード大学ブレーズノーズ・カレッジ で学び、ハーバード大学で経済学のPh.Dを取得。民間調査会社のシニア・エコノミストや『インディペンデント』紙の経済記者などを務め、2000年には卓越した金融ジャーナリストに贈られるウィンコット賞を受賞。以後、英国財務省のアドバイザー、競争委員会委員、マンチェスター大学教授、BBCトラスト理事長代理などを歴任。現在は、ケンブリッジ大学公共政策教授、同大学ベネット研究所共同所長。おもな邦訳書に『GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史』(みすず書房、2015年)、『ソウルフルな経済学――格闘する最新経済学が1冊でわかる』(インターシフト、2008年)がある。

「2024年 『経済学オンチのための現代経済学講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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